第23話 道を開けてやってくれ

「ふゥ……なかなか危なかったけど、僕の方が上手のようだネ……!」

「……まだ!」


 菜奈姫が早急に加護を施してくれたおかげか、頭と足の痛みおよび熱量が徐々に引いていき、桜花はすぐに起きあがる。

 しかし、やはり影響があるのか、スピードはどうしても鈍る。

 襲いかかってくる人に捕まると言うことはないものの、


「んっ!」

「遅イッ!」


 この速度では、射撃しても余裕で対応されてしまう。先のように多角に射撃を加えても、潰されるか跳ね返されるかだ。


『オーカ、このままではジリ貧じゃ。チンクシャのような超必殺技はないのか?』


 人々の手から逃げ回る最中、頭の中から菜奈姫の声が聞こえる。

 超必殺技。

 確かに、単なる射撃だけでは明らかに火力が足りない今のこの場となると、打開するにはそれしかないのだろうが……。


「実は、ないんだよね」

『……むぅ、やはりブロッサムの変身だけで手一杯か』


 その実、作ろうと思えば何個でも作れた。

 でも、那雪のように丁寧な設定の技を編み出すのは、発想から研鑽、完成に至るまで、実はかなり骨が折れる作業なのだ。このシュバルツブロッサムの設定を作り出せただけでも、桜花にとっては奇跡みたいなものだった。

 今、この場で変身したのも、マタンゴグレートの力量設定を考えて、射撃だけでも押し切れる算段だったのだが、思った以上に、草壁尚樹がマタンゴの力を使いこなしていた……否、使いこなす、というのはおかしくないだろうか?

 思い返してみると、そもそも、今まで遭遇した怪人には、全くといっていいほど自我がなかった。

 しかも、先ほどに草壁は、菜奈神様にお願いしたと言っていたが――


『オーカ、速度が落ちているぞ。集中を切らすな』

「っとと」


 菜奈姫の指摘に、桜花は思考を打ち切って状況を把握。

 今は、もやもやと考えている場合ではない。ステップ、ダッシュ、ジャンプを織り交ぜながら、草壁マタンゴに操作された人々の襲撃を回避していく。

 その間にも、桜花の足の熱量負担がまた上がってきている。菜奈姫の加護でなんとか保ってはいるが、追いつかなくなるのも時間の問題だ。


「…………」


 一瞬、逃げてしまおうか、と思った。

 シュバルツブロッサムが持つスピードであれば、おそらくこの場から脱出することも可能であろう。危機に陥って、どうしようもなくなったとき、逃げる、もしくは仲間に頼るというのも、生き残るためには重要な選択肢の一つだ。


 ――だが、桜花にはそれができなかった。


 初めての変身、初めての戦いの場で、逃走という選択を取ったのであれば……この先、那雪を守っていくことなんて出来ないと思ったから。

 今だけは。今、この場だけは。


「――ゆっきー」


 愛する人のあだ名をつぶやき、思い浮かべる。

 日常で見せてくれる笑顔を。

 守ってくれる時の凛々しさを。

 そして、あの時に見てしまった、彼女の涙を。

 十年以上前から、ずっと守ってくれた人のことを。

 十年以上前から、ずっと見てきた人のことを。


 全部ひっくるめて、守りたいと思う。


「――――」


 そう、実感したからこそ。

 桜花の中で、一つの活路が生まれた。


「ナナちゃん。今から少し、お願いできる?」

『何なりと申せ』


 すぐさま、思い浮かべたことを菜奈姫に手短に告げる。

 正直、出来るかどうかは賭けなのだが……その点については、自分自身と、短いながらも共に時を過ごした神様のことを信じるしかない。

 そして、菜奈姫の回答は、


『――やって見せよう』


 力強く即答してくれた神様に、桜花の胸中は自然と熱くなる。


「ありがと、ナナちゃん。愛してるよっ!」

『ククク、社交辞令でも俄然やる気がでるのう!』


 溢れる高揚を抑えながら、素顔を隠していたヘルメットバイザーを脱ぎ、投げ捨てる。

 そして――右手にカミパッドのモニターを浮かべ、晒した素顔の両眼に投影して、自分の中に憑いていた菜奈姫の人格を表に出した。


「人の子達よっ!」


 琥珀の瞳で、こちらに向けられる無数の紫の眼をまっすぐに見据えながら、仮襲名の町の神様は、


「我、菜奈姫が人の子達に願う。命ずるのではない。ただ願う! 我が最愛の友――鈴木桜花に、道を空けてやってくれっ!」


 人々に、呼びかけた。

 言葉の通り、命ずるのではなく願う気持ちで。


「――――――――」


 仮襲名の神様の願いは、はたして、受け入れられた。

 ゾンビのようにこちらに向かってきていた人々は、そろって姿勢を正して、脇道へと身を引いていく。その流れは菜奈姫周辺のみで留まることはなく、波が引くかのように道が開けた。

 開けた二十メートル先には、


「なっ……くっ……!」


 突然のことに動揺しながらも、紫の吐息を噴出し、人々の操作権を戻そうとする草壁マタンゴの姿。柑橘系の香りがいっそう濃くなるも、道を空けた人々はまるで動く様子を見せない。


「さあ、儚く散りなさい、桜のように」


 そして既に、桜花は身体の人格を元に戻しており、鉄砲を構え終えていた。


「……!」


 それを見た草壁マタンゴは、前面に紫色の吐息を障壁のように展開するも、


「ナナちゃん、加護をお願いっ!」

『承知!』


 鉄砲を構えたまま、桜花は疾走を開始。

 速く、何よりも速く繰り出されるスピード。一瞬、桜花の意識は吹き飛びそうになるが、高揚する自分のテンションで無理矢理に制御する。

 距離二十メートルなど、一秒も要らない。

 その一秒にも足りない時間と、拡張されたスピードの中で。

 発砲し。

 鉄砲を放り投げ。

 速度を追加し。

 弾丸を追い抜き。

 両腕をクロスさせて。


「てえええええぇぇいっ!」


 紫の障壁に全身でぶつかり、突き抜け、草壁マタンゴの背後を取り、そこに至るまでの過程によって生じた衝撃波が、紫の空気を振り払った。


「な、バカな……ぐぁっ!」


 直後、遅れてやってきた弾丸が、草壁マタンゴの額を正面から穿つ。

 琥珀の火花が上がり、異形はたたらを踏んでよろめくも、


「……まだ、ダ!」


 仕留めるには、まだ足りない。

 だからこそ――桜花は、最後の一手を実行する。

 那雪と比べて、自分はケンカ事には向いていないけど。

 ずっと、彼女を見てきたからこそ、これだけは出来ると信じている。


「踏み蹴り!」


 草壁マタンゴのつま先を、桜花は思い切り踏み抜く。


「ぐぅっ!」


 彼の悲鳴をBGMにしながら、桜花は自分の身体を一回転。


「下段!」


 軸足に、下段蹴り。

 うめき声と共に異形が揺らぐのを瞬時に把握し、桜花はさらに横回転。


「中段ッ!」


 ガラ空きの草壁マタンゴの胴の部分に、中段蹴り。

『ぐはっ……!』と紫の息を漏らしながら異形が身を折るのと、桜花がさらに回転するのは同時。


「上段ンッ!」


 側頭部、身体と傘のつなぎ目に向かって、遠心力を乗せた上段蹴り。

 綺麗に入るも、桜花は回転を止めない。

 異形の傘の先端へと、上から下に落とす二段モーションの、


「踵落としィッ!」

「――――ッ!」


 頭上からの高速の鉄槌に、草壁マタンゴはUの字になってペシャンコになり、うつ伏せに倒れ伏した。


「蹴足五段という名のサイクロンクインティプル――おまえは死ぬ」


 ほぼ反射とも言うべき無意識で呟く。

 すると、倒れ伏した草壁マタンゴは紫の膜に包まれて、生じた紫の霧が中空に浮かび上がった。


「ふ……っとと」


 技後の余韻を味わうまもなく、慌てて桜花は変身を解き、手のひらに展開したカミパッドから手帳を取り出して、紫の霧を書面に収める。


「……はああああああぁぁぁ」


 直後――桜花の全身をドスンとした疲労感が貫いた。

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