第24話 約束、憶えてる?
長い息を吐いた後、立っていられずに、尻餅をついてしまう。
菜奈姫が早急に加護を施しているのであろう、足に十字マークのアイコンが浮かび上がって、足から熱量が引いていくのを感じるが、それでもしばらく立ち上がれそうにもない。
『オーカ、いったん代われ。人の子達の意識を逸らさねばならん』
「あぁ、うん」
手のひらにカミパッドを浮かべて、己の瞳に投影するのも億劫だったが、何とかやりとげると、自分の意識が奥に潜り込んでいくのがわかった。
入れ替わりが完了すると、先ほどまで桜花を蝕んでいた疲労が菜奈姫に襲いかかったのか、菜奈姫が『ぐおおおぅ……!』とうめき声を上げるのだが、それはともかく。
『……勝てた』
一つ、つぶやく。
初めての実戦。
菜奈姫のサポートや、那雪の技術の模倣という要素もあったけど。
何とか、勝てた。
……嬉しいと言うよりも、桜花の中では安堵の気持ちが強い。
これで、わたしも、ゆっきーのことを守れるのかな……。
そう思いかけて、否、と心の中で否定した。
最初の一歩なのだ、これは。
後ろで見ていたところから、入口に立ったに過ぎない。まだまだ、もっともっと、自分は強くならなければならないし、これから先、後戻りすることも許されない。
――この気持ちに蓋をしたままにすることも、また。
自分の想いを自分の口から彼女に伝えて、初めて、隣に立てる気がする。
「よし……逸らせた。ううむ、オーカの願いは多数叶えたものの、これだけの規模となると、査定は如何なるものかのう。先のように、『願い』という名目とはいえ、人の子達の意思を退けたのも関わってきそうじゃし……ぶつぶつ……」
決意を新たにしたところで、菜奈姫が独り言を言いながら、全ての作業を終えたようだ。独り言の内容からして、彼女もどうやら相当な無茶をしたらしい。
本当に、菜奈姫には感謝してもしきれない。
……ともあれ。
草壁マタンゴによって操作された人々は、それといった違和感を表情に見せることなく、パラパラと何処かへと散っていく。機械的な足取りであったものの、おそらく、元居たところへ戻ったときに、それぞれの日常を取り戻すことだろう。
そして、この場に残ったのは、カミパッドを消して一息つく菜奈姫と……今し方意識を取り戻して、地面に力なく座り込んだ草壁尚樹のみだ。
「……どうやら、僕の完敗のようだね」
草壁自身、既にマタンゴグレートの力を失ったのを自覚しているのか、苦々しいながらも、表情には小さな笑みがある。
「ふふん、お主の借り物の力など、我とオーカの友情パワーの足元にも及ばぬわ。さあ、草壁少年とやら、お主には訊きたいことが――」
「え……す、鈴木さん?」
『ナナちゃん、代わって代わって』
「ん? おおぅ」
不思議そうにこちらを見上げる草壁に、菜奈姫は手のひらに浮かべたカミパッドを自分の瞳に投影し、桜花の人格を表面に出す。
身体の疲労は未だに残っているが、普通に動けるくらいにまでは、菜奈姫が仕上げてくれたようだ
「鈴木さん、さっきのは?」
「気にしちゃだめだよ。それはそれとして……」
コホン、と一つ咳払い。
見下ろすのではなく膝を折って、座り込んだままの草壁と、改めて視線を合わせる。
菜奈姫の言うとおり、彼には訊きたいことがあるのだが、まずこれだけは言っておかなければならない。
「ごめんね、先輩。わたしはどうあっても、先輩のものにはなれない」
「……ここまで拒否られるとなると、もう僕には何とも言えないね。キミのことは、本当に一目見たときからだったんだけど」
「うん……」
『フン、異形の力を使って人の子達の心を操っておいて、なーにが「一目見たときから」じゃ。よくもまあ、そのような口を利けたものじゃのう』
頭の中で、菜奈姫が非常にオカンムリであった。
まあ、無理もない。桜花自身もそのことについては少しというか、かなり思うところはある。
ただ、彼の想いを否定するのは、桜花にはできなかった。
おそらく、彼の容姿ならば、言い寄る異性は後を絶たなかったことだろう。いつでも男女の付き合いを始められる環境にあったはずだ。
でも、彼はそれを良しとしなかった。
何故か?
……自分から、誰かを想いたかったから、だよね。
その辺は、那雪への想いのあまり、過去に何人もの男子の告白を袖にしてきた桜花と似ているのかもしれない。
違いで言えば、想いを抱くのに積み重ねてきた年数と、彼のやり方が強引すぎただけで。
「――――」
「ん? なに?」
「……いや、なんでもないよ」
もし、彼女のことを守りたいと思い始める前に、草壁尚樹と会っていたなら。
それを口に出しかけて、桜花はやめた。もう実ることのない可能性を言われても、彼自身が惨めになるだけだろう。
さて。
しっかりと目の前の先輩とのことにケジメを付けたところで、先の菜奈姫が言っていたとおり、草壁には訊くことがあるのだが。
「桜花っ!」
その前に、もう一つ。
付けないといけない決着があるようだ。
声のした方角には、一人の小さな少女がいる。息を切らしながら、それでも全速力で、こちらへと駆けてくる。
「ゆっきー」
「桜花っ!」
その少女、那雪はもう一度自分の名を呼んで、全力ダッシュの勢いを殺さず、
「おわわっ!」
こちらに飛びついて、そのまま抱きついてきた。
那雪の体重は桜花よりも十キロ以上軽いのだが、それでも、受け止めた彼女の身体の勢いはすごく、桜花はまたも尻餅をついてしまった。
その傍ら、草壁が目を丸くして『うわ……すご……ていうか、痛そう……』と仰け反っているのが見えた。
「な、ど、どしたの、ゆっきー」
「どしたのじゃねーよっ! 心配したんだぞっ! マタンゴに襲われてるって電話の後は、何度かけ直してもつながらねーしっ!」
「あー……」
那雪が本気で自分のことを心配していたのに、桜花は何とも気まずい気持ちになるのだが、同時に、とても嬉しかったりした。
「で、マタンゴはどこだっ! あのヤロウにはいろいろ借りがある上に、桜花のことを追っかけ回したってんなら、落とし前はきっちりつけてやらないといけねえっ! 奴が『やめて』と泣き喚いても、私が蹴って蹴って蹴り抜いてやるっ!」
「ゆっきー、それ、おおよそ正義の味方の台詞じゃないからね」
そんな幸せな気持ちも露知らず、桜花から離れて立ち上がり、物騒な言葉を並べ立ててながら鬼気迫る勢いで周囲を見張り始める那雪。
傍らで、マタンゴ本人であった草壁が『……もしかして、僕、今から殺される?』と小声でつぶやきながら、震え上がっているのが見えた。
「ゆっきー、大丈夫だよ。マタンゴはわたしがやっつけたから」
「え……やっつけた? 桜花が?」
「うん。ゆっきーは忘れてたかも知れないけど……」
桜花は手帳を取り出して、那雪に『構想段階』のページを見せる。
その中の、桜花がつけた赤丸に囲われた『助っ人キャラ』の文字を見て、那雪が『え、どゆこと……?』と首を傾げるのと同時に、桜花は次のページ――シュバルツブロッサムの詳細設定を開いて見せる。
すると、今度は那雪が桜花の手から手帳を取り上げて、そのページを食い入るように見つめ、
「……か、カッコいい」
ぽつりと、一言が漏れた。
顔は紅潮しており、鼻息も少々荒くしながら、視線はそのページに釘付けになっている。その様を見て、桜花の中にいる菜奈姫が『ぶふーっ』と吹き出していたのはともかく。
その実、このページを見せるのは結構恥ずかしいことだったのだが、その感想をもらえたとなると、何だろう、妙に快感だった。
「……って、そうじゃないっ。なんでこんな無茶をしたんだよっ」
我に返って、強く桜花の肩をつかんでこちらを見る那雪の眼には、強くこちら責める色がある。
「桜花は、私が守るって決めたのに……桜花の身に何かあったら、私は……」
ああ、やっぱり。
そう言われるのは、わかっていた。
後ろめたい気持ちはない、とは言わないが。
少なくとも、その眼に向き合えるほどには、強くなれたつもりだ。
「ゆっきー、約束、憶えてる?」
「え……?」
「ゆっきーが、わたしのこと守るって」
「そうだよ。その約束のために、私は――」
「そしてわたしが、ゆっきーのことを守るって」
「――……」
きちんと憶えていたようで、那雪は言の葉を紡げない。
桜花は続ける。
「だから、わたしも戦おうと思ったの。今回みたいな非日常の中であっても、ゆっきーが傷つきながら戦っている後ろで、守られてるだけなのはもういやだから」
「……桜花」
「もちろん、絶対に無茶はしないよ。でも……お願いだから、どんな時でも、わたしが後ろじゃなくて隣に居ることを、忘れないで」
「…………」
那雪は未だに、固まったままこちらのことを見つめていたのだが。
フッと表情をゆるめて、今一度、こちらに抱きついて……というより、桜花のことを抱き締めてきた。
先ほどのように勢いをつけたものではなく、ただ、優しく。
「バカだよ、おまえ。これ、前に立つのってすんげー危険なんだからな」
「そうだね。バカかもしれない。でも、わたしはもう決めたから」
「……ああ。バカでも、私は絶対におまえを守ってやんよ」
「わたしも、ゆっきーのことを必ず守るよ」
二人して見つめ合いながら、笑い合う。
その笑顔のやり取りの裏で――桜花の鼓動は早鐘を打つ。
今だ。
十年以上、蓋をし続けてきた想いを、伝えるタイミングは。
今しか、ない。
「ゆっきー」
「ん?」
「――わたし、ゆっきーのこと、好きだよ」
「ああ、私もだぜ」
精一杯の勇気を振り絞って伝えた言葉に、那雪は笑顔で返してくる。
違う。そうじゃない。
受け取ってほしい想いは、そういう意味じゃない。
もちろん、そう取られるのは、想定内と言えば想定内。
だから、那雪の目を見て、もう一度――
「おーい、もういいかー」
伝えようとしたところで、場にかかってきた声。
桜花にとっては、馴染みが深い声。
そして――目の前にいる想い人が、恋い焦がれる者の声。
「あ……桐生先輩っ! こっちだ、こっち!」
針金みたいにやせ細った長身に、着崩した制服姿。ツンツンの短髪。見る者を和ませるような、老け顔かつ糸目の少年。
桐生信康。
そんな彼に向かって、那雪は、歩み寄ろうとして。
「――――」
自分の視線から外れ、離れていく。
どうやら、彼は離れで待機していたようだ。
それはそうだ。元より那雪は彼と一緒にいたのだし、非常事態だったから、彼が那雪と別々に行動しているわけがない。
「おー、ちゃんと仲直りできたか?」
「仲直りって言うのも、ケンカしてたワケじゃないから微妙だけど……ともあれ、先輩のおかげだ。ありがとっ!」
だから、こうなっては、今は、もう無理だ。
このタイミングのインターセプトで発生するやるせなさと虚脱感は、おそらく、那雪が何度も味わった感覚なのかも知れない。
「よーう、オカちゃん。探したぜ」
「ははは、心配かけちゃいましたね、信さん」
信康がこちらに手を振ってゆるゆると歩み寄ってくるのに、桜花も柔らかに笑い返す。
こうやっていつものように、想いに蓋をして、またのチャンスを待つしかないのだろうか?
『――ならば、今、伝えるのです』
どこからか、声が聴こえる。
菜奈姫の声だろうか。
それにしては、口調にはいつもの尊大さがないような。
『――このチャンスを、逃してはダメですよ』
かけられる声には、何故か、説得力に溢れている。
まるで、自分自身がそうであるかのように。
これは……菜奈姫の声ではない?
『――想いを叶えたいんでしょう?』
だが、言葉には、頷ける点がある。
それができれば、どれだけいいことか。
例え、禁断ともいえる恋であっても――
「だから与えてあげましょう。奪い取るための力を」
今度は、はっきりと聴こえた。
それは桜花にだけではなく、この場にいる全員に聴こえる声であり。
一同が視線を移す先――上空に、それが居る。
刺繍入りの着物と朱の袴といった和装。前髪を横に切り揃えた綺麗な黒の長髪に、人形を思わせる容貌だが……鋭くつり上がった紫色の眼の目元には少しの隈があり、所々で肌荒れやくすみが目立つ、全体で言えば齢三十に差し掛かろうかという女性。
桜花にとっては、もちろん初めて見る女性であったが。
「あ、菜奈神様」
『な、
草壁と、自分の中にいる菜奈姫の声とが、重なると同時。
「菜奈芽の名の許に、其の記述を彼の者の力とします!」
上空の女性は、手に浮かべていた紙片に――紫の鬼火を灯らせ。
真下にいる桜花に向けて、投げつけた。
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