第4部 先代と開封と町の大ピンチ
第25話 稲妻の音
桐生信康は、驚きを隠せない。
「おー、なんだこりゃ……」
白と朱色の着物袴といった和装(もしくはコスプレ?)の見た目三十前後の女性が、上空に浮かんでこちらを見下ろしているという、おおよそ理解の範疇を超えた現象が目の前にある。
これはアニメか漫画か、はたまた特撮か。
まるでわからないことばかりだが、一つ、言えることは。
桜花に、そして那雪にとっても、これから悪いことが起こる。
さすがに、そうなっては欲しくない。
二人とも信康にとっては大切な友達だから。
ただ、その悪いことを防ぐ手だてはあるかと問われると、無いとしか言えない。
ならば――ある程度マシにすることができるか?
それなら、できる。
結果がどうなるかはわからないが、少なくとも、二人が心や身体に致命的な傷を負うことはないと思う。
そして、那雪と桜花の双方が無事であれば、きっと、お互いがお互いのことを守りきるだろうことは、確信できる。
「菜奈芽の名の許に、其の記述を彼の者の力とします!」
上空の女性から放たれる、紫の一閃。
標的は桜花だと最初からわかる。今、彼女が硬直して動けないのも。
もはや是非もない。
「え……」
眼前にいる桜花の身体を、反射的に、突き飛ばした。
衝撃によろめきながら、桜花が目を見開いてこちらを見ている。
うわー、よく考えると、こういうのも漫画だよなぁ……。
などと思った直後、紫の閃光が、自分の頭上に落ちたのがわかった。
「先輩っ!」
「信さんっ!?」
紫に染まる視界の中、二人の叫びが聴こえる。
予想していたとおり、よくないことが起こっているらしい。
でも、二人が無事であるのなら、それでいい。
「あー、腹減ったなぁ……」
誰にも聴こえてないと自分でもわかる、呟きを発して。
以降、信康には何も考えられなくなった。
☆ ★ ☆ ★ ☆
突然のことに、那雪の身体は固まっていて、一歩も動けなくなっていた。
そして、動けない間に、状況は進んでしまった。
信康が、窮地であった桜花のことを突き飛ばして、上空から降ってきた紫の閃光を浴びる段階で、那雪はようやく自身を動かせる状態に至る。
この紫の色は、この数日間ではもう見慣れたものだ。
だが、突如現れた和装の女性が、何故それを操っているのか。
そもそも、あの女性は何者なのか。
ほんの少し、雰囲気が菜奈姫に似ているが、何か関係があるのか。
宙に浮いているということは、やはり非日常に属するものなのか。
否、そんなことよりも――
「先輩っ!」
閃光を浴びて、紫の膜に覆われた桐生信康は、数秒の間だけ固まっていたようだが……やがてその膜の殻が破れ、大きな人型が姿を現した。
身長二メートルはある、すらりとした細身の長躯。黒マントに包まれた、メタリックブルーの甲冑。顔の方も、神々しいとも言える西洋の兜と仮面に覆われており、素顔は見えない。
ガーゴイルやマタンゴなどといった、今まで見た怪人とは一線を画しているが……これもまた、自分がデザインした怪人であるのに、那雪の胸中は暗澹としたものになる。
「……くそっ!」
巻き込んだ。
一番、巻き込んではいけない人を。
私のせいで。
この人だけは、日常の中にあって欲しかったのに。
桜花にマタンゴのことを聴いた時点で、先輩を退避させることもできたというのに、それが頭に入っていなかった。
あくまで、私が何とかするべきだったというのに――!
「チンクシャ!」
頭の中を駆け巡る後悔の奔流を、聞き慣れた声が断ち切った。
「ナナキ?」
見ると、突き飛ばされて尻餅をついていた桜花……ではない、桜花の身体の中に棲む仮襲名の神様、菜奈姫が、人格を表面に出した状態で、那雪の手帳を手にこちらを見ている。
「変身の用意をせいっ! 桐生少年を救い出す!」
「変身……あ、そうか!」
そう。
いつものように、自分が倒してしまえば、彼を元に戻せる。元に戻して、菜奈姫に記憶を逸らしてもらえば、すべては解決だ。
怪人になったとはいえ、信康に手を上げるのは躊躇われるが、今、彼をこのままにしておくのはもっと駄目だ。力尽くにでも、なんとかせねばならない。
「フフフ、少々予定が狂いましたが、これはこれで面白そうですね」
「黙っておれ、菜奈芽。貴様への詰問は後じゃ」
上空からやってくる件の女性の声を、菜奈姫が切って捨てる。
やはり菜奈姫とは何らかの関係があるらしいが、今はどうでもいい。
一刻も早く、彼を救わねば。
「菜奈姫の名の許に、其の記述を七末那雪の力とする!」
祝詞と共に、菜奈姫の手の中にある手帳から生み出される琥珀の光粒子。
それを認め、那雪はほぼ条件反射で、右手を上空に掲げたポーズを取り、
「光臨っ!」
降ってきた光をその手で握りしめる。
視界が灰色の染まるのはいつものことだが、変身の度に沸き上がる高揚感は、今はない。早く……早く、とただ念じるのみ。
一連の過程を経て、灰色の殻を破る。
ダークグレーの装甲、白の装甲線、素顔を隠すためのバイザーマスクがすべて自分の身に装備された直後のタイミングで、那雪は一気に前に出た。
「先輩を、返せぇっ!」
定番の名乗りも、今はそっちのけだ。
変貌を遂げてから未だに一歩も動いていない甲冑の怪人に、那雪は一足飛びで距離を詰め、速度の乗った蹴りを見舞う。
一方の甲冑の怪人、全く動く素振りを見せず、ノーガードで蹴りを受けた。マントに覆われた腹部へのインパクトの瞬間、怪人はグラリとよろめくのだが、同時に、
「!?」
蹴りを放った那雪の右足から、力が急速に抜けていった。感覚がなくなったとは言わないが、ずしりと右足全体が重くなり、まるで地面に縫い付けられたかのように動かない。
なんだ、これ……!
那雪が未知の感覚に戸惑う間にも、甲冑の怪人はゆっくりと体勢を整えており、
「――――」
兜の眼の当たりに、紫色の光が灯った。
あたかも、人型のロボットが起動したかのようで、そして、
「なーー!?」
瞬間、目にも映らない神速が那雪の前で展開された。
まるで雷光の如く那雪の横を通り過ぎ、
「わっ!」
直後に、ボディスーツの左肩で火花が散り、やってくる衝撃に那雪はたたらを踏む。
相手が通り過ぎた方角に視線を向けようとするも、既に甲冑姿はそこに居らず、そして一秒も経たずに横殴りの衝撃がやってくる。
身体がよろめき、踏ん張ろうとするも、力の入らない右足が軸になってしまったためか、体重を支えきれない。
バランスを崩したところで、またも衝撃。
今度は顔面。脳が揺さぶられるも、意識はまだ明確。
一撃の威力はそこまで大きくはないのだが、手数の方が半端無い。
「――――」
だが、対策はある。
力の入らない右足の膝を敢えて折り、地に片膝を付いた姿勢で、
「八方大防という名の――アーマードオールラウンドッ!」
念動闘気のイメージを、集中するのではなく拡散することで、文字通り四方八方に、陽炎の壁が現出される。
壁の密度は薄い。とても一撃を防げるものではないが、
一瞬でも、攻撃の速度を鈍らせることはできるはず……!
そして、その目論見の通り、攻撃はやってくる。
「――見えた!」
八方のうちの一つ。自分の視点からで言えば、北東。
陽炎の壁が簡単に破れるも、相手の攻撃速度はわずかに鈍る。
そのわずかで、那雪は相手の攻撃の正体を見極める。
ごく単純な手刀。筋はかなり鋭く、しかし、軌道は読みやすい。
これならガードできる……否、違う。
「つかまえ……たっ!」
手刀の手首を、那雪は両手で掴み取り、瞬間、力が残っている左足に、念動闘気を集中させて踏ん張らせる。
掴んだ直後こそ、相手のスピードの勢いに何メートルか我が身が引きずられるも、やがて勢いは削がれていく。もちろん、その間も、那雪は掴んだ相手の手首を決して離さない。
スピードは圧倒的に相手が上だが、パワーはこちらが若干優勢といえる。
そして、そのスピードさえ封じてしまえば、なんとかなる。
「もらった……!」
強引に、相手の手首をこちらに引き込み、その流れで足払いをかけようとしたところで、
ふわり
「――――!?」
ふと、翻った甲冑のマントの先端が自分の右手に触れた途端、今度は右手の力がごっそりと抜け落ちた。ずしりと重くなる感覚は、今動かない右足とまったく同じだ。
もちろん、片手では相手を拘束することが叶わず、甲冑の怪人はするりと自分の手から逃れ、本来のスピードを取り戻す。
「そんな、なんで……ぐあっ!」
そして、間髪入れず、またも一撃を受ける。
右手右足、半身の力を失ってからは、一方的な展開だった。
特有の目にも映らない神速で、全方位から手刀による打撃を加えられ、那雪の意識は徐々に揺らいでいく。
「くっ……あ……」
打撃の数が三十を超えたところで、ダメージが許容量をオーバーし、那雪の変身が解けてしまった。まだ、倒れるわけにはいかない、と気を強く持っても、身体の方が付いていかない。
次の攻撃が来たら、絶対に避けられない。
「……先輩」
一つだけ呟き、前のめりに崩れる過程の中、前方から迫ってくる甲冑姿が視界に広がりそうなところで、
「っ!」
横合いから、別の衝撃がやってきた。
自分の身体のすべてが何かに持っていかれるような感覚……否、これは実際に、誰かに持っていかれている。
朦朧とした意識に何とか活を入れると、那雪の視界に入ってきたのは、見慣れたダークグレーの装甲に包まれた腕だった。ただ、自分のものよりは若干長く、微細に入っている装甲線も白ではなく桜色をしている。
次いで、視線を動かすと、見慣れたヘルメットとバイザーが映る。自分がデザインしたものとは若干異なるものの、形式は同種だ。
「……シュバルツ、スノウ?」
「オーカ曰く、シュバルツブロッサムというらしいのう」
バイザーの奥から聴こえてきたのは、菜奈姫の声だった。
「ナナキ、どうして」
「桜花の記述を借りさせてもらった。先に見たであろう」
「…………」
先程に桜花に見せてもらった、助っ人キャラというやつか。
やられる寸前のところで、変身した菜奈姫に救い出されたのだ。
「退くぞ、チンクシャ」
「で、でも、先輩が……」
「今のままでは無理じゃ。今までの怪人とは次元が違いすぎる。それに……」
と、菜奈姫がバイザーの奥の視線を向けるのは、上空。
そこには、事を起こした大元である、菜奈姫の雰囲気に似た和装の女性が、不気味な笑みでこちらを見下ろしている。
「落とし前はきっちり付けさせてもらうからな、この行き遅れ女め……!」
「な、い、行き遅れじゃありませんしっ! ……コホン、いいですか、姫。くだらない結末など、私の手で塗り変えて見せますからね」
「ふん、覚えておれ!」
ナナキ、それ、悪役の捨て台詞だろ……とまで考えたが、那雪にはそこまで突っ込む気力が残っていない。なおかつ、自分を抱えて走り出す菜奈姫のスピードは、おおよその想定を超えていた。
それもあってか、甲冑の怪人が追ってくる気配はない。
どうやら、この場からの脱出は可能であるらしい、とわかった途端に、緊張が解けて、再び意識が朦朧としてきたのがわかった。
「……ナナキ」
「わかっておる。今は眠れ。細かいことは我が何とかする」
「ん……」
先輩を巻き込んでしまったこと。
その怪人を相手にして、自分は何もできなかったこと。
これから、どうなってしまうかわからないこと。
何より。
くそっ……勝てるのか、アレに……。
胸の中で渦巻く後悔と無力感。そして、自分の中で生まれていた弱気に、心の中で弱々しく悪態をついて。
朦朧とする那雪の意識は、そこで途切れた。
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