第18話 何も考えずに食え


 少し時を遡る。



「ふーん、オカちゃんがねぇ……」


 商店街の一角に存在するお好み焼き屋『玉ちゃん』のカウンター席にて。

 鉄板上でじゅうじゅうと音を立てる、直径四十センチ超のイカ玉モダン焼き・タイラントクラーケンスペシャル(二千六百円)と向き合いつつ、桐生信康が思案顔になっていた。

 隣席で座る那雪は、そんな信康の反応をじっと待つ。

 最近、桜花が自分に対して微妙によそよそしいという名目で、信康に相談を持ちかけた次第だ。もちろんのことながら、菜奈姫やシュバルツスノウや手帳の怪人の件については伏せてある。


「ふむ」


 話を受けた信康は、少々意外そうに押し黙っていた。

 桜花とは遠縁の親戚で、幼い頃からの旧知であるからこそ、何か思うところでもあるのだろうか?


「なゆきちはこのことを知らなかったのか」


 と、呟く信康に、那雪は眉をひそめる。


「先輩、何か知ってるの?」

「うん。オカちゃん、最近、草壁と付き合ってるって噂になってるんだけど」

「……草壁?」


 聞いたことがない名前だ。

 桜花が男と会っているという事実にも驚きだが、それ以上に、その男が何者であるかが気になった。


「草壁尚樹。二年生。運動神経抜群で、定期テストも常に学年三位以内で、社交的で、女子にはモテモテと、俺のクラスで屈指のイケメンだな」

「漫画かっ!?」


 信康の解説に、那雪は思わず突っ込んでしまった。

 現実にそんな人間がいるものなのか……と、甚だ疑問だったのだが。


「でも、よくよく考えると、オカちゃんもそんな感じじゃね?」

「あ……」


 そうだった。

 俊足を始め運動神経がよくて、実力テストは全教科満点の学年トップで、社交的で、男子にもよくモテる、那雪のクラスでは屈指の美少女。

 ……思い出しておいて、那雪は思わず戦慄したのだが、それはともかく。

 桜花は、趣味として恋愛を中心とする小説を書いているのだが、自身の恋愛をするつもりがないのか、小学校中学校と何人もの男子からの告白を袖にし続けており、わずか一ヶ月弱の高校生活に於いても、玉砕の件数は既に十を超えている。

 それだけに、桜花が男と会っているという話は那雪にとっては衝撃だった。


「うーん、オカちゃんはてっきり……いや、これが自然なのか……」


 信康が首を傾げて何かを呟いているが、那雪の頭の中に内容が入ってこない。

 知らなかった。

 確かに、放課後に別行動を取っていた桜花なのだが、まさか、いつの間にかそういう人ができていて、短い時間ながらもその人と蜜月を過ごしていようとは。

 何故、言ってくれなかったのだろうか……とまで考えて、それは愚問だとわかった。今、那雪が抱えている問題が問題であるだけに、こちらに気を遣わせないために、敢えて黙っていたのだろう。

 一度手伝うと言った手前、中途半端で引いたりしない。


 鈴木桜花とは、そういう娘だ。


 そして、知ってしまった今、自分はどうすればいいのだろう? どんな形であれ、男と付き合い始めたのであれば、その邪魔をしたくないのだが……。


「なゆきち、焼けたぞ」

「…………」

「なゆきち」

「……え、あ、うん」


 いつの間にか目の前のお皿に、信康によって切り分けられたお好み焼きが、ホカホカと湯気を立てていた。

 濃いめの出汁で溶かした小麦粉と長芋の生地、ふんだんに混ぜ込まれたイカと玉子と粗めに刻まれたキャベツ、ソースとマヨネーズ、青海苔の香りが那雪の空腹を刺激するも……今はそれどころではない。


「それどころではないって顔をしてるな」

「あぅ……」


 あっさりと読み当てられた。


「複雑な気分なのはわかるけど、まあとにかく食え。話はその後だ」

「で、でも、先輩」

「頭の中がまとまらないときは、何も考えずに、美味しいものを美味しく食べる。そんで頭ん中をリセットさせたら、見えないものが見えてくるかも知れないぜ?」

「…………」


 何となく、信康の言うとおりだと思った。

 普段から太平楽で、何も考えていないように見えるのも、迷いの断ち切り方を自分の中で定めているのだろう。

 その処世術が食というのが、何とも彼らしい。

 実際、一旦考えるのをやめて食べたお好み焼きは、この上なく美味だった。



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