第16話 解れ


 若干同族であるが故にわりと仲良かった市橋蘭が、この場を去っていくのを見送りつつ、那雪は一息をつく。

 既に、那雪達のいるこの駅前は、菜奈姫の人払いの効果が解けたのか活気を取り戻している。時計塔も完璧に修復済みで、事件の痕跡はなくなったようだ。

 さて、これからどうするか……と少し迷ったのだが、市橋に任せきりではなく、自分でもある程度のリサーチをしておこう。

 そのように思い立ち、たった今、表面の人格が菜奈姫から切り替わった桜花に、那雪は声をかける。


「桜花、これから少し洋服屋に付き合ってくれね?」

「ん……ああ」


 と、切り替わった桜花の反応はわずかに鈍い。

 いつもなら、替わってすぐにフランクな笑みを浮かべる彼女なのだが、今は、その笑顔が浮上するのに一拍の間があった。


「やはは、ごめんねゆっきー。今からはちょっとダメなのだ」

「そうか。……いつもの用事か?」

「ん、そんなところ」


 どこかぎこちなく、桜花は答える。

 ここ三日ほど、放課後から夕刻の時間まで、桜花は那雪とは別行動をとっている。

 夜からはしっかりと調査に付き合ってくれるので、最初は別段気にしなかったのだが、三日連続でそれが続いているとなると――


「桜花――」


 彼女の名を呼び、それを口に出そうとして、やめた。

 幼馴染みとはいえ、お互いのことを何が何でも守ると誓い合ったとはいえ、踏み込んでは行けない領域もある。


「んー、なに?」

「何かあったら、私を呼べよ。絶対に、何が何でも駆けつける」


 だから、それだけを言うに留めた。

 対して桜花は、わずかに目を見開いてから、


「……うん、ごめんね」


 眉尻を下げて、笑った。

 十年以上、桜花と共に過ごしてきた時の中で、初めて見る顔だった。


「桜――」

「じゃあね。紙片の怪人を見かけたらケータイで呼ぶから」


 思わず、今一度彼女の名を呼ぼうとするも、桜花は手を振って走り去っていく。今のは普段通りの笑顔で、先のような苦笑の名残はない。

 だが、いつまでも那雪の中に沈み込んでいる。

 やはり、桜花の様子がおかしい。

 ――三日前、あの、マタンゴグレートと接敵しつつも逃走を許し、その後、桐生信康との会話中に桜花が離脱していった日……と言うより、あの、離脱の直前。


『がんばれ』


 その激励の囁きを耳元で聴いた時からか。

 直後、信康と手を繋いで商店街の食べ歩きをするという、嬉し恥ずかしなイベントがあっただけにそれどころではなかったのだが、後で冷静になってよくよく考えた結果だ。

 一体、桜花は今、何を思っているのか――


 ぐうううぅぅぅ~~


「……………………」


 この音、自他共に数えて何度目だろうか。

 確かに、予定していた市橋との昼食会も中止になったし、少し考えすぎたのもあったしで、腹が減っているのは事実ではあるのだが、何度も盛大に鳴られるのは、例え一人の時間でも恥ずかしいような……。


「これまた景気のいい腹の虫だな、なゆきちよ」

「ほゎうぉぅっ!?」


 いきなり後ろからやってきた声に、那雪は奇声と自覚できる悲鳴を上げた。もう一度同じ発音をしろと言われると自信がない……というのはともかく。


「き、き、き、き……」

「きききき? なんかのブレーキ音か?」


 違う。今のこの頭のぐるぐるにブレーキをかけないといけないけども。


「き……桐生せんぱぃ?」

「お、戻った。そうだぞー、桐生先輩だぞー。相変わらず面白いリアクションだな、なゆきちよ。昼メシ前にごちそうさま」

「あ、うん、お粗末様……じゃない。何故に桐生先輩がここに?」

「何故にって。ガッコも午前中で終わったし、今日の昼メシ何にしようかなってブラついてたら、駅前で悶々としているなゆきちの姿を見かけたからな。声をかけないわけにも行かんだろうよ」

「…………」


 見た感じと聞いた感じ、この場では桜花のことを見かけていない様子だ。ということは、そこまで長々と自分は考え込んでいたのだろうか? しかも、盛大に鳴った腹の虫を聞かれたというのだろうか……!


「ぐああああああ……」

「おー、悩めるなゆきちが地面を転がりたい衝動に抗って、頭を抱えてくの字になりながら身を震わせるという、奇妙な構図が出来あがっている。九十五点あげよう」

「……あの、先輩、事細かに私の状態を採点しないでくれ」

「事実じゃん」

「ぐぬぬ……」


 信康の緩やかなツッコミに何とも言えずに歯噛みするが、そのおかげか、抱いていた羞恥心については何とか抑えることができた。


「とりあえず、なゆきち昼メシまだっぽいし、一緒に何か食いに行く? 奢るけど」

「え……あ、いや、悪いって先輩。この前奢ってもらったのに、そんな」

「大丈夫。食べ歩きウィークで稼いだ賞金がまだあるし。それに……」


 一息。いつもの、緩やかな細目のままで、


「なゆきち、今、何か抱えてるだろ?」


 的確に、こちらの状態を言い当ててきた。


「あ、いや、それは、お腹が減ってるだけで……」

「嘘ついてもダメだぞー? なゆきちは顔に出やすいからな」

「う……」


 どうやら、誤魔化しは利かないようだった。


「ま、無理に話せとは言わない。でも、俺はそれなりに気になってるってことだけ、胸に留めておいてくれよな」

「…………」


 それでいて、無理矢理事情を聞き出そうとしてこないのは有り難い。

 有り難いのだが、そこまでわかっているならば聞いて欲しい、彼にもっと踏み込んで欲しい、と思う自分はやはりカッコ悪いのだろうか?

 ……ただ、ここはカッコ悪くても、自分から動くべきなのかも知れない。


「さて、なゆきちよ、何を食べたい?」

「せ、先輩!」

「え、俺? 俺は食べても美味くないぞ?」

「あ、いや、違う違う」

「じゃあ、性的な意味で? ……優しくしてね?」 

「せ……ちょ、な、な、何を言ってんの、先輩!?」


 顔を真っ赤にして那雪が抗議するも、信康は『冗談冗談』と緩やかに笑うのみである。

 一瞬、何を思ってこんなことを言ったのかと本気で考えたのだが……その緩やかな空気に触れていくうちに、自分のことを元気づけようとしてくれていたのが、なんとなくわかった。

 それもまた、有り難い。


「先輩」

「おう。どーした?」

「相談、ちょっといいかな」

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