第14話 胸の疼き


『よかったのか?』


 自分の中にいる仮襲名の神様が声をかけてくる時、その声は耳で聴こえると言うよりも、頭……というより後頭部の奥に直接響くといった表現が正しいか。

 最初の頃は慣れない感覚に少々戸惑ったものの、自分の中の声の聞き方、という概念を頭の中で構築してしまえば、それを実行するのは容易い。

 中にいる神様も、自分に身体を借りて表に人格を出している時は、自分と同じようにしているのがなんとなくわかる。


「なにがかなー?」


 ただ、呼びかけに対して口に出さずに答える方法についてはまだ構築できていないので、その辺はもう少し時間をかけなければ、と思いつつ。

 人混み溢れる商店街を抜け、町中の歩道を一人歩く桜花は、自分の中にいる神様――菜奈姫に短く問い返す。

 菜奈姫の質問の意図については、既に大まかに察しがついている。


『チンクシャと桐生少年を二人にしておいてよかったのか、と問うておる』

「良いに決まってるじゃん。ゆっきーってば信さんにゾッコンなわけだし。今、あの場で言えば、どう見てもわたしは邪魔者でしょ」

『……確かに、チンクシャのあの気の抜けよう、今でも笑いを堪えられる自信がないがのう……ぶっ、ク、ク、ク』


 菜奈姫が桜花の中に入って数日。

 菜奈姫自身、桜花を通して何度か桐生信康のことを見ており、彼女は信康のことを初見で『針金みたいな少年じゃのう』と評していた。

 少々酷い物言いであったが、確かに、あの人の全体的な線の細さについては同じ気持ちだ。信じられないほどの大食漢だというのに。

 そんな信康の前では、緊張と慕情で萎縮してしまう那雪のことを見て、菜奈姫は最初、桜花の中で三十分ほど笑いっぱなしだったのは記憶に新しい。


「ナナちゃん、あんまり笑っちゃ駄目だよ。ゆっきーは本気なんだから」

『ククク、人の子の色恋に茶々を入れるほど我も野暮ではない……のだがな』


 と、そこで、頭の中で響く菜奈姫の声のトーンが、少々落ちたかのように桜花は感じた。いつものシニカルな甲高さはなく、どこか真剣味を含ませるような調子。


「どったの、ナナちゃん?」

『オーカ、我が「よかったのか?」と問うたのは、お主自身のことじゃ』

「? なんのこと?」

『トボケるでない』


 諭すような口調だ。

 それでなんとなく、菜奈姫が何を言いたいのかを桜花は悟った。先程から胸中で疼き始めるものがあるからには、これ以上はごまかせそうにないようだ。

 諦めたかのように苦笑。


「……さすがにバレちゃってたか。これも神様の力というやつかな?」

『半分正解じゃ。誤解のないように言っておくと、お主の心理を読み取るつもりは毛頭なかったんじゃが……お主が向けている視線の密度を考えると、どうしてもな』

「なるほどなるほど」


 神様の特別な力ではなく、自分を通して見た世界から感じ取った、ということか。

 他者にはバレない程度に過ごしてきたつもりだが、自分自身の視線からではさすがに隠し通せるものではなかった。

 当然といえば、当然なのかもしれない。


「まあ、ナナちゃんのお察しの通りだよ」

『ふん、チンクシャも変わり者じゃが、お主も相当なものよのう』

「いやー、それほどでも」

『褒めとらん。……で、改めて問おう。お主はこのままで良いのか?』

「良いんだよ。わたしは」


 本心から思うことだ。

 那雪にとってはそれが一番の幸せであり、信康も……普段はいつもニュートラルの太平楽だが、ああ見えて真面目な人だ。那雪のことを妹のように可愛がっているのかもしれないが、那雪の本当の想いを知ったのであれば、きちんと真剣に向き合うことだろう。

 そんな二人の間に、自分が入り込む余地はない。

 例え。

 自分の中のこの気持ちが、あの二人がお互いに初めて会うずっと以前から、存在していたものであるとしても。


『……お主がそこまで言うならば、我はもう何も言えぬ』


 その思いを悟ったのか、菜奈姫は少々バツが悪そうに声をかけてきた。


「ははは、ごめんねナナちゃん。気を遣わせちゃって」

『構わぬ。だがオーカよ、これだけは言っておこう』

「? なに?」

『――我は、鈴木桜花のことを心許せる友だと思うておる』

「え……」

『初めて会うた時、お主は我のことをなんの疑念もなく受け入れてくれたし、身体を共にすることとなったこの数日間も、様々な人の子の娯楽をお主に教えてもらえたからな』

「ナナちゃん」

『お主が友の幸いを願うように、我もお主の幸いを願うておる。努々忘れるな』

「……うん」


 有り難い、と桜花は心から思う。

 こういうのを神様からの有り難い御言葉というのだろうが、これは違う。

 菜奈姫は、神様としてではなく友達として自分を想ってくれているのだ。

 だからこそ、


「ありがとねナナちゃん。わたしも、ナナちゃんのこと大好きだよ」

『な……だ、だいすき、だと?』

「ん? もしかして照れちゃった? 神様なのに?」

『て、照れてなどおらぬわっ。神たる者、人の子から崇められて当然よっ』

「わたしも、菜奈姫って神様のことを心許せる友達だと思ってるよ?」

『ぬ、ぬぅ……なんじゃ、このなんとも言えぬ思いは。これではまるで、いつも羞恥に身悶えしているチンクシャみたいではないか……!』


 後頭部の奥で聴こえる、菜奈姫の押し詰まったような声。

 おかっぱ髪の和装の少女が、突如ご主人様から抱き締められてチタバタするわんこの如く、慌てふためいている姿が目に浮かぶ。

 そんな小さな神様のおかげで、先程から桜花の中で動いていた胸の疼きは、すっかり落ち着きを取り戻していた。


 ……消え去ったわけではない、という現実についてはさておき。


「さて、軽く友情を確かめ合ったところで。そういえばナナちゃん、昨日にわたしが話してたのことなんだけど――」

『ふむ……いや、待て、オーカ』

「? ……おや?」


 神妙な声で呟く菜奈姫に続き、桜花もふと立ち止まる。

 自分の歩く先、ふらふらと頼りない足取りで歩く、小柄な背中が見える。

 マラソンを走りきった後のランナーの如く、今にも倒れそう……いや、今し方倒れた。がっくりと膝をつき、前のめりに両手をつきながら、うつ伏せに。


『……昨日見た特撮の動画で、ああいう倒れ方を見たことがあるのう』

「いや、言ってる場合じゃないって! 助けないと!」


 周囲を見ると、通りがかる人はいない。

 居るにしても、様子を見ないわけには行かない。

 慌てて、桜花は倒れるその人を助け起こす。

 よく見ると、自分と同じ緒頭高の男子生徒だった。中間服のシャツの上に着ている黄色のベストの胸の校章の色は、二年生を表している。

 サラサラのマッシュルームカットの髪、顔の造形は間違いなくイケメンと評せるのだろうが、今は顔色を失っている。

 それと何故か、柑橘系の爽やかな香りがした。


「大丈夫ですか?」

「う……」


 桜花の問いかけに、男子生徒は小さな呻きを洩らす。どうやら意識はあるようだ。ただ、事態は一刻を争うかもしれないという思いで、桜花が携帯電話を取り出した直後、


 ぐぅぅぅぅ~~~~……


 彼の腹から、盛大にそんな音が鳴った。

 一瞬、何の音かと桜花は思ったのだが、


「ごめん……なにか……食べ物を……」


 男子生徒が呻きと共に声を絞り出すのに、桜花は少々肩すかしを食らった気分になった。……急病とかそういうものではなく、ただ単に空腹で行き倒れただけだったらしい。

 だが、放っておくわけにもいかないので、桜花は菜奈姫の得意先回りで得た献上品の中から一つ、『葉月屋』の月天草を取り出して彼に差しだしてみると、


「っ!」


 一瞬にして彼は顔色を取り戻し、しかし月天草は丁寧に受け取り、なおかつ丁寧にパッケージを開き、丁寧に中身を口に運んでいた。

 ……それほどまでに、丁寧な人だった。


「ふう……ありがとう、何とか持ちこたえたよ」


 和菓子一つであっても、腹の中に何か入ったことで、元気を取り戻せたようだ。そんなものなのだろうかと思いつつも、顔には出さずに桜花は微笑を返す。


「ええと、元気になったようで、なによりです」

「うん、君は命の恩人だね。……あ、よく見ると、うちの学校だ。一年生?」

「あ、はい。一年の鈴木桜花って言います」


 ……あれ?


 一年生か、という問いに肯定するだけで、そのつもりはなかったのに。

 ――自然と、彼に名を教えている自分に気が付いた。

 何故? と桜花は思うも、


「鈴木桜花さんか。素敵な名前だね。じゃ、僕も」


 目の前の男子生徒から、目を離せなくなっている。


「僕は草壁くさかべ尚樹なおき。二年生さ」


 まるで自分が自分でないかのように、彼の紫がかった眼に釘付けになっており。


「――よろしくね、鈴木さん」

「はい、こちらこそっ」


 そして、そうなっている自分に、今度は気が付けないまま。

 桜花は、男子生徒――草壁尚樹が差しだした手を握っていた。

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