幕間 わりと最近で、でも遠い過去


 こんな時になって、思い出したことが、ある。

 わりと最近で、でも、遠い過去のようにも思えるお話。



「なゆきち」


 空に月が浮かんでいない静かな暗闇の中、どこからか、誰かが私の名を呼ぶ。

 誰のものであるかについては、一瞬わからなかったけど――暗がりから姿を現した詰襟の制服姿を見て、私は『フン』と鼻を鳴らした。


「なんだ、おめーか」

「おー、なんだとはこれまたご挨拶だなー。俺、一応年上なんだけど」

「うるせーよ。私より弱っちいくせに、先輩気取ってんな」

「うん、違いない。俺ってこの通りひょろいからなー」


 針金のような細身の体型を示して見せて、彼は緩やかに笑った。

 憎まれ口を叩いても、どこ吹く風だ。今この場でどんなに酷いことを言っても、彼はこんな風に受け流してしまうだろうことも、わかっている。

 幼馴染の紹介で知り合って間もない頃、私は彼のことを毛嫌いしていたのだ。

 こういう、雲のように気ままで自由な雰囲気もそうだったけど、


「フン……で、ひょろいセンパイが私に何の用だ」

「んー、重三センセイに頼まれちゃってさ。ちょいと、なゆきちを大人しくさせてやってくれって」


 彼が、私に武術を教えてくれた師に、わりと気に入られていると言う点についても。


「大人しく? 私を? 何を言ってんだ」

「知ってんだろ。なゆきちがおっかない人達に狙われてるって、今の状況」

「む……」

「んで、今からセンセイがそのおっかない人達に話を付けに行きたいそうなんだけど、当事者が未だに暴れ回ってるとなっちゃ、ややこしくなる一方なんだって。で、その当事者を止めんのに、俺に白羽の矢が立ったワケだ」

「はっ……私は、何も悪いことなんてしてねーよ」


 当時の私は、町で悪さを働いている不良共を叩きのめして回っており、その最中で、ヤのつく自営業の関係者にも手を出してしまった。

 きっかけと言えば、酔った男にちょっかいをかけられて困っている女の人を、私が助けたのが始まりか。

 激昂した男が先にこちらに手を出してきたので、逆にノックアウトしてやったのだ。言わば人助けかつ正当防衛だ。咎められる謂われはない。


「うん。俺も、なゆきちが悪いことしたって思ってない」

「じゃあ、なんでセンセイが私のことを止めようとするんだよ」

「センセイ曰く、ああいう人達は世間に恐がられるのが商売なんだってさ。それが、中学生の、しかも女の子にノされたとなると、その面子が丸潰れになるんだって」

「そんなもん、私の知ったこっちゃねーよ」

「なゆきちには無くてもその人達にはあるんだよ。だから狙われるんだって」

「狙ってこようがなんだろうが、私は私の正義を貫くだけだ」


 今までだって、叩きのめした町の不良達に、背後を狙われることなんて珍しくなかった。その度に、私は返り討ちにしてきた。

 今回の件も、報復に来るというならば受けて立って、返り討ちにしてやる。それが正義のあり方だと、私は信じて疑っていなかった。


「俺、なゆきちのそう言うところ、結構好きなんだけどさ」


 だけど。


「今回ばっかりは、なゆきちを止めないといかない」


 ゆっくり、ゆらりとした仕草で、


「月並みな言葉かも知れねーけど、敢えて言わせてもらおっか」


 構えを取る彼は、


「なゆきちが自分を正しいって言うんなら、俺を倒して見せろ」



 ――私の信じる正義を、否定していたのかも知れない。

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