第37話 輝きの二重声


 真っ暗なのか真っ白なのかわからない混濁する視界の中で。

 誰かの声が聴こえてくる。


『――さん』


 否、これは、呼んでいるのだろうか。


『鈴木さん』


 そう、鈴木桜花は、呼ばれているのだ。

 そして――自分を呼ぶこの声は、ここ最近で聞き慣れた声。

 今の視界が視界なので姿は見えずとも、桜花には何となくわかる。


「草壁、先輩?」

『ああ、やっと届いた』


 声の主は、安堵したかのように一息を吐いた。

 何故、今になって彼の声が聴こえてくるのかは、桜花にはわからない。何より細かい理由については、些細なことのようにも思える。

 ただただ単純に、桜花は彼の声を聴く。


『ごめんね。鈴木さんの力になりたかったんだけど、こんな形になってしまった』


 力になりたかった。

 その言葉と、先程に感じた一念で、桜花が想起したことは。


「……草壁先輩は、まだ、わたしのことを?」

『その話は後だ。手短に説明するからよく聞いてくれ』


 事態は切迫している、と言うのが彼の声音から感じられる。

 暢気に彼の懸想を確認しようとした自分が、ちょっと恥ずかしくなった。


『一度、鬼火を宿した経験を基に、あの細剣に僕の思念みたいなものを乗せて君に話しかけるまではいけたけど、それも長くは保たない。すぐに僕はあの鬼火に主導権を奪われてしまうだろう』


 そこまで彼が頑張っていたとは、桜花には思いも寄らなかった。


『鈴木さん、もう一度、僕はあの細剣に思念を乗せてみる。その隙に、僕とあともう一人、名前は知らないけどあの鬼火に操られた娘を、君が討って欲しい』

「でも、先輩は」

『大丈夫。こうなってしまった今は、菜奈芽さんの戦力を削るのが、君のために僕がかろうじて出来ることだからね。頼むよ』

「……わかりました」


 それが今、彼のやりたいことなのであれば、桜花はそれに応える義務がある――否、それに応えたい。

 那雪のことを助けたいけど、今、このときに限っては、自分のためにここまでしてくれた、草壁尚樹という男に、応えたい。


『さあ、時間がない。心の準備はいいかい?』

「うん……いえ、先輩、一つだけ」


 そして――もう一つ。

 今、こんなことを言うべきではないかも知れないが、どうしても、これだけは。


『ん、なに?』

「告白、上手くいきましたっ。これも、先輩がいろいろ踏ん切りをつけてくれたからだと思います。あ、ありがとうございますっ!」

『――――』


 視界が視界なので、彼が今、どんな顔をしているのかはわからなかったが。


『そっか。それは、よかった』


 祝福してくれたその声の、優しさと柔らかさから。

 言ってよかったと、桜花は思った。




『――カ……オーカ!』


 気絶していたのは、ほんの数秒だったようだ。

 今の状態で言えば、銃口に細剣の刺突が入って、暴発の衝撃で尻餅をついたところか。

 そこで桜花の意識は戻り、


『オーカ!』


 菜奈姫の声が、頭の奥から先程から響いていた。

 こんなにも切迫した彼女の声を聞いたのは、初めてなのかも知れない。


「……大丈夫、大丈夫だよ、ナナちゃん」

『き、気がついたか。ヒヤッとしたぞ』


 先の暴発による、痛みはない。

 寸前で、菜奈姫が守ってくれたようだ。


「ありがと、ナナちゃん。守ってくれて」

『む……ク、ククク、まあ、我の加護は完璧じゃからな』

「あと、泣くほど心配してくれて」

『うむ、さすがに心配して……いや、な、泣いてはおらぬぞ? 断じて、泣いては、おらぬっ!』

「本当に嬉しかった。ありがとね、ナナちゃん」

『いや、だから、泣いてはおらぬと……言うておる……』


 今の率直な気持ちが伝わったのか、尻すぼみになっていく神様のことを可愛いと思いつつ、桜花は気を取り直して正面を見据える。

 北原ギガンティスは、先程撃たれた背中の傷がまだ痛む様子であるものの、今し方気を入れ直したのか、大きな足音をたてながらこちらへと迫ってくる。

 そして、草壁デストロイは――一度だけ全身をふるわせて、元の長さに戻した細剣の具合を確かめてから、北原ギガンティスに遅れる形で走り出したところだ。


「…………」


 あの時。草壁尚樹が言っていたことを信じるならば。

 これから、桜花のすることは――


「ナナちゃん、三十五ページ、行くよ」

『む……待て、オーカ。その頁は』

「わかってる。でも、片を付けるにはこれしかない」

『しかしそうだとしても、確実に決められるという保証は――』

「ナナちゃん」


 抗議の声を頭の中で響かせる菜奈姫を、今一度、桜花は呼ぶ。

 静かに、でも、力強く。

 それだけで、


『……わかった。鈴木桜花という最愛の友を、我は信じよう』


 神様は、自分のことを理解してくれた。

 その心意気に、桜花の胸中は、那雪に告白したときとはまた別の熱を灯す。


「ありがと、ナナちゃん。愛してるよっ」

『ククク、例え社交辞令でも、その言葉はやはりテンションが上がるのう!』


 いつか交わしたやり取りを経て、桜花は――両の手を空に掲げ、それぞれの手のひらにカミパッドを現出させる。

 そして、聴こえてくるのは、


『菜奈姫の名の許に、其の記述を鈴木桜花と――』


 もう一人、


『我、菜奈姫の力とするっ!』


 祝詞が響いた直後、両の手から一つずつ、光の粒子が生まれる。

 二つの光は、掲げた空へと高く、高く昇り……上空二十メートルくらいのところで、ピタリと止まる。


「行くよっ、ナナちゃんっ!」

『承知!』


 桜花、足にイメージを集中。

 那雪の固有能力でやっている念動闘気と同じ要領で、自分の力を足に溜めていく。


「ガガァッ!」


 その間にも、北原ギガンティスが距離を詰めてくる。

 接触までは一秒もない。

 棍棒のスイングが来るのに対し、桜花は、両足の力を使わずに膝を折って前に倒れ込み、体を丸めて前転。スイングを掻い潜り、一度、二度、三度と前転を繰り返して、北原ギガンティスの股下を抜ける。

 膝を地に付きながら、上空を確認。二つの光は真上にある。

 足に必要な力の充填は――今、完了。


「……っ!」


 だが、そこで、巨鬼の怪人に遅れてやってきた草壁デストロイの、細剣の刺突が伸びて来る。

 正面。軌道、速さ共に鋭く、今の体勢では避けられない。


「――――」


 しかし、寸前のところで、細剣の軌道はズレ、膝を地にする桜花の頭上を通過して――意志を伴ったかのように更に伸びて、切っ先が北原ギガンティスの背中に到達した。


「グガガッ!?」


 北原ギガンティスが困惑の悲鳴を上げるのと、細剣を伸ばした草壁デストロイが突如として動きを止めるのは、同時。


『おおぅ……っ!?』


 不可解な事態に菜奈姫も少々困惑しているようだが、桜花は既に、理由を承知している。


 ありがと、先輩……!


 ならば、応えよう。

 自分を想ってくれている少年の、心意気に。


「飛翔!」


 手の力だけで身を横にずらし、両足に溜めた力を解放する。

 爆発のようなものが足裏で起こったと思えば、桜花の身は高く高く上昇していた。まるで空に吸い寄せられるかのような、そんな感覚。

 上空に浮かぶ二つの光に到達するまで一秒もかからない。

 その間にも、桜花はイメージする。

 片手ではなく、両の手に。

 そうして浮かび上がるのは、シュバルツブロッサムとなってからはお馴染みの、火縄銃のような外観と長さのダークグレーの鉄砲が、二挺。


「装填!」


 両の手に生まれた鉄砲に光を一つずつ、それぞれ装填。

 瞬間、鉄砲から両手、そして全身に伝わってくる力と熱の奔流に、桜花の意識はまたも飛んでいきそうになるが、何とか堪える。


「照準っ!」


 両の鉄砲を二連合わせにして、眼下、地上にいる二体の怪人に向ける。

 北原ギガンティスはその場から動こうともがいているが、細剣を胴に突き刺したままの草壁デストロイが硬直しているので、思うようには動けない。

 ただ、その状態も長くは保たないようだ。

 わずかに身を震わせた後、草壁デストロイは慌てて上空のこちらに警戒を向けようとするが、もう、遅い。

 発射から、直撃のイメージまで。

 桜花と、そしておそらくは菜奈姫の頭の中で、出来上がっている。


「さあ、儚く散りなさい。桜のように」


 発射されるのは。

 七末那雪による加筆のものではなく、唯一、鈴木桜花が菜奈姫との共同作業で作り上げた、シュバルツブロッサムの超必殺技。

 その名は――



「桜と!」『姫の!』

「『スパークルデュエットッ!』」



 重なる、二つの声。

 引かれる、二つの引き金。

 二連の筒口から――桜色と琥珀色の二重螺旋が渦巻く、直径三メートルを超える大光条が放たれる。


「――――!」


 大光条は瞬く間に地上にいる二体を飲み込み、悲鳴が上がるよりも早く、激音を伴う爆発を起こした。


「……………………うわぉ」


 一瞬、社のある小山が消し飛んでしまうのではないかと桜花は思ったのだが……そこまでは、大袈裟にならなかったようだ。先程、那雪と自分とを分断した溝の対岸にまで余波が及ぶこともなく、爆発の勢いはやがて衰えていく。

 それを見届け、脱力感に襲われながらも、桜花は姿勢制御。足裏にカミパッドを展開して落下の勢いを減衰させ、音もなく着地する。


「ふぅ……」

『オーカ、いったん変身を解け。加護を回復に集中させる』

「ん、了解」


 必殺技を高威力に設定した分だけ、やはり消耗が激しい。

 菜奈姫に言われたとおりに変身を解いて、桜花は砂埃の舞っている爆発の地点に向かう。

 途中、鬼火の残骸ともいえる紫の霧が中空を漂っていたので、手帳が収まっているカミパッドへと霧を回収しておきつつ。

 爆発が起こった中心に到着すると、そこには、うつ伏せに倒れている身長百七十メートル超の不良少女、北原加織と――脱力して座り込んでいる小柄な少年、草壁尚樹の姿があった。

 二人とも、外傷も異常も見られない。北原の方は意識を失っているが、草壁はなんとか意識を手放さないでいるらしい。こちらの姿を認めて、甘いマスクに弱々しい苦笑を浮かべさせた。


「上手く、いったようだね……」

「うん。先輩のおかげだよ。ホントに、ありがと」

『……ん? 一体何のことを話しておるのじゃ?』


 頭の中で菜奈姫が怪訝な声を響かせるが、今はそれに答えず、


「とりあえず先輩、しばらく休んでて。わたし、まだやらないこといけないことがあるから」

「ん、確かに、そのようだね。君の愛しい人が、遠くでまだ戦ってるみたいだ」

「愛しい人って……いやまあ、合ってますけど」


 他の人から言われると、なんだか恥ずかしくなってしまう桜花であった。

 こんな非常時だというのに、どのように付き合っていくかとか、折角キスしたんだし今まで以上にイチャ付けるだろうかとか、それでも那雪の信康への片思いを応援したいとか、他にもいろいろ、ゴチャゴチャ考えてしまう。

 ……つまるところ、


「この先どうなるかは、まだまだわからないことだらけだよ」


 そういうことであった。

 でも、昨日までのように目を逸らすことなく、きちんと向き合って、これから考えていきたい。

 今はそれが、鈴木桜花の一番にしたいことだ。 


「そっか……そうだね。僕も、これから先はわからないことだらけだ」

「? どういうこと」

「君がさっき想像していたとおり、僕はまだまだ君を諦めてないから」


 と、草壁は、ここだけは弱々しさを見せず堂々と言い放つ。

 一瞬、桜花はポカンとなり、その後に……先ほどとは抱いていたものとはまた違った気恥ずかしさが、胸の中に浮かんできた。


「……えっと、それって、もしかして」

「ん、この前のようなズルをせずに一からやり直して、君よりも、そして君の愛するあの娘よりも、君を守れる男になってみせるってことさ」


 それは、女々しさや未練などを感じさせない、一種の宣戦布告のようにも聞こえた。

 昨日しっかりと桜花がフッたというのに、堂々とこんなことを言えてしまえるところが、おそらくは草壁尚樹の魅力であり。

 彼のそういうところを、桜花は決して嫌いにはなれない。

 ちょっと呆れたけど、ちょっと嬉しくもある、そんな自分に、桜花は苦笑する。


「……まったく、わたしがゆっきーのことを好きでいる限り、可能性はないと思ってくださいね」

「わかってる。今から僕がやろうとしていることは、可能性を作り出すことだから」

「それに……っと、長々と話している場合でもないかな」


 ひとまず、終えたつもりがまた始まっていきそうな予感の彼との決着は、ここは後回しという事にしておいて。


「とにかく草壁先輩、しばらく眠ってて」


 桜花は右手にカミパッドを浮かべ、自分の両の眼にかざし、菜奈姫の意識を身体に表面化させる。

 その変化を感じ取ったのか、草壁が『え? 鈴木さん……ではなく、もしかして』と、目を丸くしてこちらを見ようとしたところで、


「――眠れ」

「……あ……」


 手元のカミパッドを操り、菜奈姫が冷たく一言を呟くだけで、草壁尚樹の意識は消失した。

 それから、菜奈姫は崩れ落ちる草壁を中心に地表に大きなカミパッドが浮かべさせ、傍らで倒れている北原加織もろとも収納していく。

 やけに淡々とした動作だったのに、桜花は、菜奈姫の中で少しポカンとなった。


『あのー、ナナちゃん?』

「なんじゃ」

『もしかして、ナナちゃんって草壁先輩のこと、嫌い?』

「別に嫌いというわけではないぞ」


 一つ、鼻を鳴らして、


「単に、生理的に受けつけぬだけじゃ」

『……あー』


 どうも、菜奈姫の中で、草壁の好感度は地の底であるらしい。

 マタンゴ戦の時から彼のことを気に入ってなかったようだし、今さっき、ああ言う宣言を聞かされたのは、どうにも菜奈姫には面白くなかったのだろう。

 桜花自身、菜奈姫の気持ちを充分に知っているだけに、想像に難くない。


「まあ、些末なことじゃな。さっさとチンクシャの援護に向かおうぞ」

『ん、そうだね』


 そうだ、まったりとしている場合ではない。

 今でも、那雪は一人で戦い続けている。

 先ほどに分断された溝からはわりと距離があるために、対岸の状況がわからないと言うのもあるが、何よりも感覚的に、胸の中がもやもやとする。

 早く、那雪の元へ向かわねば――と思った矢先。


「……!?」


 森の木々を突き抜けて、先程に自分と那雪とを分断した蒼白の長大剣が、どこまでも高く高く伸びて行き。

 それが振りおろされた直後、大きな衝撃の圧が、距離の離れる桜花にまで届いてきた。

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