第08話 お主の欲望を我のために使うが良い


 北原ガーゴイルの爆発に煽られながら、那雪は、空中で一回転して着地する。


「――――っ!」


 直後に、那雪の変身が解けて、ダークグレーのボディースーツから元の服装に戻り――ドッとした疲労感が、那雪の全身を支配した。

 ガクリと膝を付くも、那雪はなんとか意識を保って後ろを振り返ると、たった今、仰向けに倒れる北原ガーゴイルの巨体が薄い紫色の膜に覆われていた。

 その膜が浄化するかのように大気を浮かび始め、数秒の漂流の後に桜花の手元の手帳にするりと収まると共に、北原ガーゴイルは元の身長百七十センチの少女、北原加織の姿に戻る。

 意識を失ってはいるようだが、目立った外傷はなく、胸も規則正しいリズムで上下している。命に別条はないらしい。


「……はあああぁぁぁ」


 そこまで確認したところで、那雪は長く息を吐いて尻餅をついた。緊張が解けた途端、全身の疲労が増幅したかのようだ。

 今は指一本も動かせそうになかったのだが、


「ゆっきー、大丈夫?」


 これ以上の危険はないと判断したのか、桜花が駆け寄ってきていた。

 ここで桜花に心配をかけさせてはなるまい、という思いから、那雪は強がりとやせ我慢を総動員して『余裕っ!』と返そうとしたのだが、


「……桜花、なんだよ、その顔」

「え? なんのこと?」

「私にはおもいっきり笑いを堪えているように見えるのだが」

「ええ? わたしはいたって平常デスよ? 別に、サンダーボムブレイクが……はっきり言っておもしろカッコ良すぎたとか、そんなことは……ないよ?」

「おい、顔を背けるな。続いて肩を震わせるなっ!?」

「くはっ……ごめんゆっきー、もう限界……!」


 声を殺しつつも全身をガクガク揺らして笑っている桜花に、那雪は顔を真っ赤にしつつ握り拳を作るも、如何せん疲労で力が入らないのと、何故に『サンダーボムブレイク』などという手帳にも載っていない技名を叫んだのかについては自分でもわからないため、拳のやり場がないまま那雪は『ぐぬぬ……!』と再度頭を沸騰させる羽目になったのだが。

 ……まあ、心配をかけるよりは、こちらのほうが断然いいか。

 やれやれ、という心地で那雪は肩を竦めた。


「桜花、手帳」

「え? ああ、うん、これね」


 いつまでも自分以外の者の手に預けておくのも恥ずかしいので、早急に手帳を取り戻しておくことにする。あと、例の紫の煙が手帳に収まっていたのも気になった。

 収まったと思われるページを開いてみると――そのページの表裏は、塗りつぶされたかのように真っ黒になっていた。

 ……なんだこれ?


「ククク、なんとかなったようじゃな」


 と、那雪が首を傾げる傍ら、菜奈姫がこちらにやってくる。なにやら足取りが軽く、ニヤニヤと頬がゆるんでおり、見るからに上機嫌だ。

 原因は……まあ、考えるべくもないが、その前に。


「北原のやつ、なんでこうなったんだ?」


 先の闘争の原因について、那雪は話して見ることにした。

 北原加織が、あのような異形に変貌した理由。

 一応、那雪が叫んだ技名のこともあってか笑い話になりかけているが、下手をすれば那雪も桜花も命を落としていたかもしれないだけに、現象の詳細については、きちんと把握しておかねばなるまい。


「……ふむ」


 これには菜奈姫とて思うところがあるらしい。ニヤニヤ顔を一旦打ち消して、一つ顎に手を当てて思案する。


「おそらく、あの紙片の陰の気がまだ残っていたのじゃろうな」

「さっき、おまえが全力ぶつけたってアレか?」

「然り。それだけ当時のお主の願望の力が強かったのかも知れぬ。その真っ黒になった頁は、過度な力の現出による残骸、といったところか」

「…………」


 少し、背筋の寒くなる話であった。

 暴走のきっかけは確かに菜奈姫なのだが、その場に菜奈姫が居なかったら暴走が制御されないまま、とんでもないことになっていたかも知れない。


「で、おそらく、別の紙片にもあの陰の気はまだ宿っているのじゃろうが……」


 と、菜奈姫は左手に浮かべたカミパッドに方位針を表示させつつ、『ふうむ』と思案深げに唸りを発する。


「どうも、陰の気の開封のタイミングは、時期がまちまちのようじゃ」

「? どういうことだ?」

「我がセンサーが反応しておらん」


 カミパッド内の方位針は、ゆらゆらと回転している。最初の時のように活発にくるくるしていなければ、一方向をぴしりと指し示しているわけでもない。

 休眠モード、と表現するのがしっくりくる具合だ。


「範囲を広げて検索をかけておるのじゃが、例の紙片の願望が引っかからぬ」

「でも、さっきの北原のやつは――」


 言いかけて、那雪はふと気付く。先の方位針での検索時、針の先端に紫の鬼火のシンボルが灯っていたことに。そして、その鬼火の矢先に、あの変貌した北原が居たということに。


「……もしや」

「例の紙片の陰の気が願望と混ざり合っているようじゃ。こうなってしまっては、先程のような陰の気が開封されし時にしかセンサーが反応せぬじゃろう。――こちらから捜索して回収する、というのは少々難しそうじゃな」

「…………」


 出鼻を挫かれた。

 行動を先読みされてしまったかのようで、那雪は少し歯噛みする。

 こうなってしまった責任は那雪と菜奈姫にある。ならばこそ、一刻も早く解決しないといけないというのに、現状はこれ以上の手がかりがなく、その陰の気の開封までは待つしかないというのか。

 もし、あのような恐ろしい異形が自分の目の届かないところで現れて、関係のない誰かが傷つけられるなど、許容できるはずがない。


「菜奈姫」

「なんじゃ」

「私は手帳の紙片をこの手で処分しないといけない。そのためには……不本意だが、おまえの協力が必要になってくる」

「ふむ、そういう流れになるのは必然じゃろうが。我に頼むということは――」

「始末する際に、変身や必殺技で手帳の願望が何度も叶えられるんだから、協力代金はそれで充分だろ」

「ククク、察しが良いのう」


 少々驚いたように琥珀色の瞳を丸くしたのだが、間もなくしてニヤリと満足気に菜奈姫は笑う。

 那雪はなんだか悪魔に魂を売り渡してしまったような心地になったのだが……町を危険から守るためには仕方がない。

 これから先、あの紙片を処分するということは、先の北原ガーゴイルのような異形と相対しないといけない。そのためには、あの手帳の力――つまるところ、先ほどのような変身の必要がある。

 菜奈姫は、手帳の願望から莫大な徳を得ることができる。

 図らずも、両者の利害は一致しているのだ。


「となると、これから先、陰の気の開封にいつでも対応できるよう、我は四六時中……と言わずとも、できるだけお主の傍らに控えねばならんな」

「学校の時間もか?」

「然り。神としては、出来るだけ人の日常を侵したくないのじゃが、そう言ってはいられまい」

「それもそうなんだが……どうやって? その格好じゃ目立つだろ」


 女子高生としては最小とも言える那雪よりも、さらにわずかに小さな背丈。尊大な口調とは裏腹におかっぱの髪と丸っこい童顔。白の着物に灰色の袴。

 どう見ても小学生のコスプレにしか見えないのだが……。


「ククク、手は既にある」


 そのようにまたもニヤリと笑って、菜奈姫は、桜花に視線を寄越した。


「――オーカよ。お主、神を体内に宿してみる気はないか?」

「え……?」


 言っていることの意味がわからずに、桜花は目をぱちくりさせる。那雪も頭に疑問符を浮かべるのだが、菜奈姫の話は続く。


「我がオーカの身体に憑依するのじゃ」

「憑依……って、もしかして」

「オーカは四六時中と言わずとも、学業のみならず私生活に於いても一日の大半をチンクシャと共に過ごすのであろう? ならば、そんなオーカの中に我がいれば、いつでも有事に対応出来よう。なに、心配は要らぬ。学業や私生活ではオーカが主導権を持ち、いざという時にだけ我にその身体を貸せば良い」

『……………………』


 那雪と桜花は視線を向き合わせる。

 二人の中で共通して思い浮かぶことは、ただひとつ。


「どうやら契約星人じゃなくて、メダル怪人の方だったようだぜ……」

「いやいや、どれかっていうと、これは桃や浦島的な怪人に近いよ」

「実際にこういうことってあるんだな……」

「……だからお主ら、一体何の話をしておるんじゃ」


 半眼になっている菜奈姫はさておき、その提案は理にかなっている。

 桜花は幼稚園の頃から那雪と共に過ごしてきた幼馴染であり、高校生となった今でも、一日の大半を彼女と一緒に過ごすことが多い。お互いの家も徒歩五分内のご近所さんだ。

 それに、基本的な主導権が桜花となれば、那雪にとっても桜花にとっても学業などの生活への影響が少ないし、有事の際の対応も迅速に出来ることだろう。

 ただ……答えはわかりきっているのだが、一応確認はしておかねばなるまい。


「桜花は、いいのか? 結構危険だと思うんだが」

「構わないよ」


 即答だった。


「ここまで関わっちゃったからには後に引けないし、ゆっきーのことが心配だし、小説のネタにもなるし」


 なかなか図太い幼馴染みに、那雪は苦笑する。

 身体を貸すとなれば風呂とかトイレとかも一緒だという心配も、彼女特有の大らかさですぐに折り合いをつけられるのだろう。

 鈴木桜花とは、そんな娘だ。

 区切りをつけて、那雪は菜奈姫に向き直る。


「桜花のことを私が守るのは当然なんだが、それに重ねて、おまえ自身も桜花の安全をきちんと保証しろよ」

「わかっておるわい。オーカにもしものことがあったら、小説の続きを読めぬことじゃしな」

「……おまえって、とことん俗物だよな」

「失敬な。自分を偽らず正直であることは、己にとって最も良きことと知れ。……ともあれオーカよ、準備はよいか」

「ん……」


 菜奈姫に問われ、桜花は少しだけ身を固くするも……一つ目を閉じて、心の準備をするかのように深呼吸。


「うん、ナナちゃん、おいで」


 それから、柔らかな笑顔で腕を広げ、神様を迎えようとする。

 ……その様に、正直、那雪は自分がその腕の中に飛び込みたくなったのだが、何とか堪えた。

 同じ女の子だというのに、ここまで胸が熱くなるのは、ひとえに彼女の包容力と、胸部の立派な飛び道具か……!


「では、参るとしようか、ククク」


 その心理は菜奈姫とて同じなのか、何やらこちらに向かって勝ち誇った顔をしていた。なんだか悔しい。『おのれ、私も神様だったらなー……!』などと、変な思考を抱いてしまうほどに。


「菜奈姫の名の許に、我が全霊を鈴木桜花に委ねるものとする!」


 そして、菜奈姫が今一度手を合わせることで、神様の小さな姿は琥珀色の霧に変化し、桜花の全身を包んで同色の膜を形成する。

 どこかでこの過程を見たような……と那雪は考え、あの、北原ガーゴイルの時と同じだと思い至った。


「ふむ……」


 ただ、その膜を破って出てきたのは、別にガーゴイルのような異形ではなく、見慣れた幼馴染みの長身だ。――眼鏡の奥の垂れ気味だった焦げ茶色の目が、今は琥珀色の吊り目になっているのを除けば。


「合一完了」


 見慣れた桜花の顔に、見慣れないシニカルな笑みが浮かび、


「ククク、視点が高いのう。どうじゃ、我から見下ろされる気分は」

「うん、すげームカつく」


 この小憎たらしい口調といい仕草といい、完全に菜奈姫のものと相違ない。しかも、声までもが、菜奈姫のものに変換されていたのには驚いた。


「ま……これから我とお主は、互いの目標のために邁進する相方みたいなものじゃな。なんなら、握手でもするか?」


 ニヤニヤ顔で手を差し出してくる、桜花の姿をした菜奈姫。過去、何度も桜花と触れ合ってきた那雪なのだが、改めて握手をするというのもなんだか変な心地だ。


「……いろいろ気に食わねーが、よろしくな、ナナキ」


 気がつけば。

 那雪は、彼女のことをそのように呼んでいた。


「ナナキ?」

「オメーのあだ名だよ、あだ名。そろそろ菜奈姫ってのも呼びづらい」


 菜奈姫の『姫』は『き』とも読めるので、ナナキ。

 人としてのこいつには、しっくりとくる呼び名だと、那雪は思った。


「ククク、まあよかろう。好きに呼ぶといい。我も我で、お主等のことを好きに呼んでいることだしのう」


 こいつもこいつで、そのあだ名を気に入ったようだ。

 そして、握った彼女の手指には、桜花のような柔らかさと温かさではなく、ただただ計り知れない力強さがある。


「お主の欲望を、我のために使うが良い、ククク」

「なんだかすげー嫌な言い回しだな、おい」


 ……なんだかんだで、こいつ、大物なのかも知れないな。

 神様とかそういうものではなく、菜奈姫という存在の性質みたいなものを、その力強さから感じた那雪であった。





 で。

 翌日の、学校での昼休み。

 初戦闘のその日の夜に菜奈姫が、この件を上司に報告したとのことで、それに同席した桜花がその顛末を話してくれたのだが。


「ナナちゃん、支部長さんにすんごい怒られたんだよ」

「怒られたって、おい……」


 ……菜奈姫に感じた力強さを、訂正したくなった那雪であった。


「どうも今回って、神様が処理しないといけない事案らしいんだけど、原因の一部だったゆっきーはともかく、わたしや北原さんみたいな町の人を巻き込んだからには、それはもうカンカンでね」


 那雪はともかく、というのは少々気になったのだが、それはさておき。

 両手の人差し指で鬼の角のポーズを取っている桜花を見ていると、なるほど、その支部長の怒りっぷりは相当なものだったのだろう。


「で、ナナキはどうなるんだ? つか、この件自体がどうなるんだ?」

「んー、支部長さんも他の町の神様も多忙で手が回せないから、この一件はナナちゃんに責任を持たせて解決させるみたい。ただ、夕べのように定期報告は毎日しなくちゃいけないのと、稼いだ徳は有効だけど、活動の内容や過程によっては、査定でマイナスになるんだって」

「査定って……」


 だから、なんでそんなに営業要素満載なのだ、この神様達。

 今後、その支部長とやらに会う機会があったら、その辺り突っ込んでみようと思う。


「んで、できるなら、わたしにもゆっきーにも協力してほしいって」

「私は構わねーけど……わりと放任主義な上司だな、おい」

「いやいや、結構責任感じてるみたいだったよ? 映像越しに、頭まで下げられちゃったし。……考えてみれば、貴重な体験だよね?」


 未知の体験に、眼鏡の奥の瞳をキラキラさせている桜花はともかく。

 曲がりなりにも、那雪自身も原因の一部になっているわけだし、このまま神様に任せっきりというのは、那雪の納得がいかない話だ。

 特に、あの黒歴史が支部長や他の神様達の目に晒されるというのもどうにも耐えられない。

 あと、何もかもが菜奈姫の思い通りにならない展開になったのには、正直言って、スッとした心地ではある。


「ま、頼まれたからには、最後までやらねーとな」

「うん。あとさ、ゆっきー」

「ん?」

「変身した後の名前、決めておいた方がいいんじゃないかって、ナナちゃんが」

「あいつが?」


 一体、何を企んでいるのやら……と思ったのだが。

 多分、怒られた八つ当たりで、私のセンスを馬鹿にするつもりだな……。

 すぐに見当はついた。

 しかし、馬鹿にするつもりだというのであれば、馬鹿にされないような名前を付けて、あいつを見返してやればいいだけだ。

 何より、名乗りをあげない正義の味方というのもイマイチ格好が付かないしで。


「……よし、次の変身の時までの宿題だな」

「おお、ゆっきーが燃えてる。これは期待していいのかな?」

「おうよ、カッコいいのを期待しておけっ!」


 と、息巻いていたのはいいのだが。


 ――その二日後の夜、闇色のぬりカベこと、綾水法香が基となった綾水ぬりカベとの戦いの際。

 那雪が考えに考え抜いた結論であるシュバルツスノウの命名に、菜奈姫に大いに爆笑された上、その後に桜花にも笑われたこともあり、菜奈姫の八つ当たりは大成功という結果になり。

 本当にどうにかならないものか、と。

 菜奈姫にも自分自身にも、改めて思った那雪である。

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