第07話 初変身、そして必殺技


「な……っ!」


 今までの相対の中でまったく目にしたことのないスピードに驚愕しつつも、那雪は咄嗟に横にいた桜花を突き飛ばして、北原の拳をギリギリで回避する。

 拳から溢れ出るプレッシャーは、掠ってもいないのに衝撃が伝わってきたかのようで、那雪は大きく仰け反った。


「っ……いきなりなんだってんだ!」

「ゆ、ゆっきー……っ!」

「桜花、下がってろっ! 菜奈姫、桜花を頼む!」

「任された」


 桜花と菜奈姫が後ろに下がるのを視界の端で捉えつつ、更に連続して繰り出されてくる北原の拳打を掻い潜り、那雪は北原の膝裏に蹴りを放つ。


「――――!」


 異常に硬質な感触が足に返ってきたのに、那雪は大きな違和感を抱いたのだが、北原の体勢は崩れている。これを逃さない手はない。

 身体を一回転させて、遠心力を存分に乗せた回し蹴りを北原に浴びせる。

 左のこめかみに直撃。しかし、


「ぃ……っ!」


 北原はビクともしておらず、逆に、那雪の足の方が激痛に見舞われた。タンスの角に足をぶつけた時の痛みに似ていて、自然と涙が浮かんできた。


「ハハァ……っ!」


 ダメージゼロの北原が獣のような声を上げて、那雪につかみかかってくる。痛みを堪えながらも那雪はその抜き手を横に跳んで回避し、


「こんにゃろっ!」


 再度、身体を回転させて後ろ回し蹴り。先と同じく、狙いは北原の左のこめかみ。

 命中。足に返ってくる硬質な感触も痛みも相変わらずなのだが、今度は手応えあり。北原がグラリとよろめく。昏倒にまでは至っていないが、

 ――同じところに何度も攻撃を加えれば、なんとかなるっ!


「せ……ぃりゃあぁ――――っ!」


 淡い期待を込めながら、後ろ回し蹴りに使った足を軸に、那雪はまたも横回転。畳みかけるような蹴り足が、よろめく北原の側頭部を穿つ。

 三度味わった硬質反動もなく、しっかりとした手応えを感じた、のだが、


「なっ……!」


 那雪が三度の衝撃を重ねた北原のこめかみから、突如、煙幕のような紫煙が吹き出した。

 一瞬、『やべ、北原逝ったっ!?』という思いで那雪はドキリとなったのだが、数秒もしないうちにそれは違うとわかった。

 吹き出した紫煙は、空に立ち昇るのではなく、北原の長身を覆っていく。それから紫色の膜らしきものが形成され――その膜の体積が、一秒もないうちに一回り大きく膨れ上がった。


「……っ!」


 本能で危険を感じ、那雪はバックステップでその場から後退。

 直後、膨れ上がった膜がひび割れ――中から全長二メートルを超える異形が姿を現した。

 大きな角と獣の顔面、牙を持った頭部、それでいて筋骨たくましい人型の褐色の身体に、背中にはプテラノドンを思わせる大きな翼。

 その姿は、正に――


「ガーゴイルフォース……!」


 と、後ろにいる桜花が戦慄するような声を上げた。


「なんじゃ? ガーゴイルフォースって。どこかで聴いたような……」

「主人公の行く先々に立ちはだかる上級怪人。鋼鉄などとは比べ物にならないほどの硬度を誇る肉体『ストライクアイアンG』による拳打は、大岩をも一撃で砕き――」

「ほぅわあああああっ!? やめっ! やめ――っ!?」


 目の前に現れた異形に対する驚きよりも、後ろで異形について一言一句の違いなく桜花に解説される事への羞恥が勝った那雪であった。


「すとらいく、あいあん……な、なんつー感性じゃ……くはっ……!」


 案の定、菜奈姫は笑いを堪えていた。あとで桜花には制裁を加えておこうと思う。

 ともあれ。この異形は、かつて那雪が例の手帳に描いた敵キャラの怪人そのままの姿である。

 当時やっていた古いRPGのモンスターをモチーフにしたものだが、ここまでの再現度となると、あの手帳の紙片が関わっていることは間違いないだろう。

 あの紫色の煙については後で考えるとして、問題は、


「ガアアッ!」

「うわわっ……!」


 異形となりつつも、雄叫びと共に襲いかかってくる北原ガーゴイル(仮名)に、どのように対応すべきか、だ。

 超常現象には耐性がついていたので、パニックにならなかったのは重畳だが、解決の糸口は掴めていない。

 なにより、自分で設定した怪人ともあれば、


「っ」


 恐ろしさの程は、那雪自身がよくわかっていた。

 北原ガーゴイルの拳打が肩口を掠めただけで、猛烈な衝撃が那雪の右肩に襲いかかり、那雪の足をよろめかせる。数々のならず者と渡り合ってきたとはいえ、体重四十キロにも満たない那雪の華奢な身体は、決して打たれ強くできていない。

 気の遠くなるような痛みが、那雪の右肩から全身を――


「ぐ……あれ?」


 蝕んで、いない?

 悲鳴を上げかけた声が、瞬時に掠れていく。

 筋骨たくましい二メートル級、しかも鋼鉄を上回る硬度の拳打となると、生身の人間では掠っただけでも骨が砕けて致命傷となりそうなものなのだが、那雪の身体はいたって無傷だ。

 ならば、あの衝撃は一体……と思いかけたところで、那雪の右肩に琥珀色の薄明かりが灯っているのに気付いた。

 この色は、もう何度も見た色だ。


「菜奈姫?」


 視線を後ろに向けると、菜奈姫がこちらに手をかざした体勢でにんまりと笑みを浮かべていた。


「神の与える加護とあれば、そう傷を負うこともあるまい。存分に力を振るえ」

「そりゃ助かるけど、こうなるとまた願望請求か?」

「邪推するでない。これはオーカが望んだことじゃ」

「? 桜花が?」


 続いて視線を桜花に向けると、菜奈姫の後ろで控えていた我が幼馴染は、わずかに緊張を残すものの、力強い笑みで頷いた。


「逃げようって言っても、聞かないんでしょ?」

「……まあな」


 自分のせいでこうなってしまった以上、北原は那雪の手で元に戻さないといけないし、何より、この異形を野放しになんて出来ない。

 那雪がつけた設定では、ガーゴイルフォースは町一つを一夜のうちに半壊させるくらいの力を持っているはずだ。……敵キャラとはいえ少々色を付けすぎたが、上級怪人なのだから仕方がない。


「行くぜっ!」


 ともかく、那雪は北原ガーゴイルを制するために前に出る。

 菜奈姫の加護のおかげか、身体が驚くほどに軽い。相手との一間の距離が一足で詰まったのに、那雪は慌てて姿勢制御。

 北原ガーゴイルが大振りに腕をなぎ払ってくるのをしゃがんで回避、そのまま手を地について相手の足を払う。硬質の感触が返ってくるが、こちらの痛みはなく、北原ガーゴイルの体勢も崩れる。


 押し切る……!


 社の広場でも北原に浴びせた蹴足五段を行うべく、那雪は身体を回転させようとするが、北原ガーゴイルの復帰が思いの外に速い。

 崩れかけていた足をしっかりと踏み込み、こちらを叩き伏せんと拳を打ち下ろしてくる。


「く……っ!」


 回転に使っていた足を跳躍させて側転移動。先ほどまで自分が居た地面に異形の拳が打ち付けられ、轟音と共に地に大穴が空く。

 無理な体勢での移動だったのと、衝撃の余波がこちらにまで届いてきたのとで、今度は那雪のバランスが崩れる。

 今一度、北原ガーゴイルの拳が唸る。回避は間に合わない。

 菜奈姫の加護を信じて、両腕をクロスさせて防御。痛みはなかったが、物理的な衝撃までは防ぎきれない。軽々と那雪の身体は後方に吹っ飛ばされる。

 なんとか地に足を付けて堪えようとするが、


「おわっ!」


 失敗。地面を踏んでいた足の踵がずるっと上に滑ってしまった。視界が空へと移っていく中、北原ガーゴイルがそのまま追撃をかけてくるのが見える。ならばこそ、


 後転……!


 背中が地面に付くよりも前に、ブリッジのように手を地につけて自分の身体を後方縦回転。その勢いで、追撃してきていた北原ガーゴイルの拳の手首を思い切り蹴り上げた。


「グガォッ!?」


 手応えあり。

 那雪は回転の状態から爪先で着地、体制を立て直す動作をカットして前へ。

 前方、手首を弾かれよろめきながらも、体勢を直す北原ガーゴイルに向かって、跳ぶ。加護の力をプラスさせた跳躍は高さ二メートル以上に至り、


「おりゃあああっ!」


 その獣のような顔面に、渾身の跳び蹴りを放つ。

 ゴリッと肉を穿つ感触と共に、綺麗に衝撃が相手の頭部を突き抜けた……のだが、未だに北原ガーゴイルは倒れない。


「な……いぃっ!」


 蹴り足を掴まれ、空気を切る音と一緒にぶん投げられる。

 キリモミ気味に中空を回転する那雪。姿勢制御はできない。反射的に頭を守るように身を屈めた直後、ゴム毬のように地面に叩きつけられ、衝撃で息が詰まった。

 菜奈姫の加護に守られているというのに、意識が一瞬だけ吹っ飛び、意識が戻った後は、痛みの感覚が身体のあちこちを支配し始める。


「ゆっきーっ!?」

「いかん、彼奴の力が、オーカの願いによる我の加護を凌駕してきておる……!」


 桜花の悲鳴じみた声と、菜奈姫の呻きが聞こえる。

 不思議と、菜奈姫の言葉の意味を那雪はすんなりと理解できた。そこまで、昔抱いた那雪の願望は強かったということなのだろうか。

 では、どうする?

 その場凌ぎの加護を受けたとて、このままではこいつを止めることは出来ない。

 今ここで自分が倒れてしまえば、北原ガーゴイルの手によって町は半壊してしまう……かどうかはわからないが、少なくとも自分はタダでは済まないだろうし、桜花のことも傷つけてしまうだろう。

 そんなの、絶対に我慢出来ない。


 始まったばかりの高校生活。


 先輩への恋。


 桜花の小説のお手伝い。


 那雪にはやりたいことがいっぱいあるし。


 何より、桜花のことを絶対に守ると、心に決めた。


 なればこそ、もっと力が必要だ。


 この異形に打ち勝つ、力が。


「――――」


 瞬間、那雪は気付く。

 目の前の異形が、曲がりなりにも自分の願望によって成った形であり、そこまで強力なのであれば――あの力も、またそうであることに。

 いいのか? と、自分に問いかけた。

 ――刹那もかけずに、いい、と答えを出した。

 自分のためにも、桜花のためにも、覚悟を決めないといけない。


「……菜奈姫っ!」


 朦朧とした意識と身体に活を入れて立ち上がり、那雪は菜奈姫の名を呼ぶ。

 呼ばれた神様は、那雪の気迫に圧されたかのように肩を震わせた。


「アレを私に使えっ!」

「アレ……じゃと?」

「ナナちゃん、これ」


 すぐに察してくれた桜花が、懐から例の手帳を取り出して、そのページを菜奈姫に見せていた。本当に、自分のことをよくわかってくれている幼馴染だ。

 そして菜奈姫は『ふむ』と頷き――全身から琥珀色のオーラを立ち上らせ始める。


「良いのじゃな?」

「私がいいって言ってんだ! 早くっ!」


 そうこうしている間にも、北原ガーゴイルは追撃を開始している。

 接触まで、残り五秒もない。


「ククク、あいわかった」


 小さく笑う菜奈姫の応答を耳に残し、那雪は大仰な仕草で右手を頭上に掲げる。

 あの手帳を封印して一年以上も経つというのに、手順をまったく忘れていないというのも苦笑ものなのだが……それだけ、当時の自分は憧れていた、ということなのだろうか。

 正義の味方、というものに。


「菜奈姫の名の許に、其の記述を七末那雪の力とするっ!」


 先の那雪の部屋と同じように、菜奈姫はパンと一つ両手を合わせる。

 すると、桜花の持つ手帳の開かれたページから、一粒の琥珀色の光が生まれ――それは天に向かって飛翔して、そのまま見えなくなってしまう。

 失敗?

 否、違う。あの光を我が手にするために、必要な言霊は。



「――光臨!」



 唱えると共に、先の琥珀の光は天から落ちてきて、那雪の掲げた右手に収まった。

 あとは――それをグッと握り締める。

 瞬間、変化が生まれる。光を握りしめた手から順番に、全身が暗い灰色に染まっていく。

 自分を中心として発生した衝撃波に北原ガーゴイルが仰け反るのが見えたが、その視界までもが、灰色に染まっていく。

 気味の悪い光景であるはずなのに、何故か、その時の那雪は胸の奥底から湧き上がる高揚感でゾクゾクしていた。

 となれば、膨張されし灰色の殻を破りて、姿をここに現すのみ。

 念じた瞬間、灰色の視界はクリアになる。

 手が、足が、全身が、ダークグレーのボディースーツに包まれていた。肝心の頭部や全体像については鏡がないので確認できないが、どんな姿になっているかについては容易に想像がつく。ヘルメットのような頭部バイザーで、素顔が見えないようになっているはずだ。


「おお、カッコいい……!」

「装甲の微細な白線まで、壮絶な気合の入りようじゃのう」


 後ろで驚嘆の声が聞こえるからには、間違いない。

 当時の自分が三日以上かけてデザインしたものがここまで再現されたとなると、名前まで考えていなかったのが悔やまれる。いろいろ候補があって決め切れないうちに、昔の桜花に思い切り笑われて、そのまま封印という形になったためだ。

 だが、今は名前などどうでもいい。


「グガアアアッ!」


 眼前の脅威である、北原ガーゴイルを何とかするのが先決だ。

 間合いを詰めて向かってくる拳に、那雪はガードの姿勢を取る。すると、両の手甲に陽炎が発生して透明の壁を形成し、拳打の衝撃をシャットアウトした。


「念動闘気という名のハイブリットオーラセンス……精神感応で、攻撃、防御の力を一点に集中させることのできるパーソナルアビリティだぜっ!」


 拳を捌いた後に、那雪は身をずらして北原ガーゴイルの真横に跳ぶ。手甲に集まっていた陽炎が今度は足の方へと集中するのを感じながら、ガラ空きの胴に蹴りを見舞う。


「カハッ!」


 北原ガーゴイルが押し詰まった息を漏らしながら、その巨体をくの字に折った。

 那雪は止まらない。続けて身体を回転させて下段蹴り、相手の姿勢を崩れたところで更に一回転、獣の顔面へと上段蹴り。


「――――!」


 どちらも手応えは十分。

 瞬く間の三連撃に、北原ガーゴイルは苦悶を漏らしながら足をよろめかせる。


「グ……ゴアアアアアアッ!」


 されど、異形の殺気は未だに健在。ダメージはあるが速度は衰えず、なおも大振りの攻撃を仕掛けてくる。那雪はそれを、身体能力による回避や手甲への念動闘気で捌いていくが、


「……っ!」


 回避の際の身体のキレが存外早くに鈍くなると共に、手甲に浮かぶ陽炎の量が徐々に減少していくのを感じた。

 変身前に削られた体力が影響しているのだろう。自分でそのように設定したのだからわかる。

 ヒーローの力は有限であり、本人の力量によって大きさが比例する、という点については拘らないとカッコよくない。

 なればこそ、早急に決着をつけねばならない。


「桜花、十一ページを開けっ!」

「え? う、うん……!」


 那雪の指示通りに、桜花があわてて手帳のページを開く。その横で、菜奈姫はそのページを見てクワッと目を見開いた。


「チンクシャ、もしや超必殺技か! 超必殺技をやるのかっ!?」

「なんでキラキラした目で訊いてくるんだよっ!? その通りだけどもっ!」


 なんとなく使いたくなくなったのだが、そうは言っていられない。

 しかも、菜奈姫がやる気満々で願望成就の準備をしているからには、細かいことを気にするのはやめにしよう。


「つーわけで、菜奈姫、頼むっ!」

「心得た! 菜奈姫の名の許に、その記述を七末那雪の力とする!」


 やけにワクワクとした様子で、今一度、菜奈姫が柏手を打つ。

 すると、桜花の持つ手帳から再度、琥珀色の光の粒が生まれた。

 光はまたも上空へと飛翔するが、今度は天上にまで登っていかず――北原ガーゴイルの直上二十メートルの辺りでピタリと静止する。


「さあ……儚く散れ、雪のように」


 その光の位置を確認しながら、那雪は相手の大振りの拳をサイドステップで回避して距離を取り――自分の両の足へと、念動闘気を集中させる。

 力の集中に要する時間はジャスト一秒。

 その間にも、北原ガーゴイルが追い打ちをかけてくるが、


「跳躍!」


 ぶつかる寸前で、爆発的な力の充填完了を足に体感し、地面に穴が空くほどの踏み込みで生じる轟音と共に、那雪は上空に跳んだ。

 爽快な浮遊感と共に、地上に居る菜奈姫や桜花はおろか、大きい図体の北原ガーゴイルまでもが小さく見えてしまうほどに、高く、高く飛翔する。

 直上に浮かぶ光までをも通り越したところで空中一回転して、落下軌道へ。


「雷装!」


 軌道の最中にある琥珀色の光の粒に、那雪は両の足を揃えて踏み抜く。

 瞬間、自由落下だった那雪の全身に、重力を超越する速度が加わった。

 迅雷の如く超速急降下の着地点は――北原ガーゴイルの頭頂部。


「直下雷撃という名の……サンダーッボムブレイクゥゥゥッ!」


 速度を存分に乗せた両足蹴りは、標的の頭頂から爪先に至るまでに衝撃を貫通させる。

『グガアアアアッ!』という悲鳴と共に。

 ――北原ガーゴイルの立っていた地面が爆発した。

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