第06話 鬼火
ひとまず、一階の台所で食事の準備をしていた母に一声かけて、那雪達は出かける運びとなった。
「お夕飯までには帰ってきてねっ」
そのように朗らかに手を振ってくる母の様子からして、二階での振動および騒動については、一階にまで達していなかったようだ。何らかの音は聴こえていたのかも知れないが、特別、気になるほどのものではなかったということか。
ちなみに、菜奈姫の存在については母に明かしていない。話がややこしくなるので。菜奈姫には、この家にやってきたときと同じく壁抜けマジック(?)で外に出てもらった。
「さて、どこから当たるか」
「チンクシャ。あの紙片も例の願望の一つなれば、我のセンサーを使ってみぬか?」
菜奈姫の手のひら上のカミパッドには、方位針らしきものが映っている。
「ナナちゃん、もしかして、それに頼るのも願望に含まれるとか?」
「無論。徳を得られる機会は逃さぬ」
「おまえな……」
こんな時でも、自分の仕事を忘れない神様であった。
なんとなく、それに頼りたくなかったのだが、もうすぐ夜になって暗くなってしまうので、時間が限られているのであればそうも言っていられない。
「……頼む」
「ククク、毎度ありじゃな」
菜奈姫がシニカルに笑うと共に、画面上の方位針が活動を始め、隅っこの棒グラフの右端にわずかな赤が点った。
方位針の指し示す先はくるくると時計回りの回転を続けるのみであり、目的地が一定していない。
「……なんだか駄目っぽくないか?」
「否、これは検索の絞込を行っておらんからじゃよ。チンクシャよ、例の書物を持っておるか」
「おい、なんでそこで手帳を引っ張ってくるんだよ。ふざけてんのか」
「ふざけてなどおらん。目的の紙片がその書物の一部じゃから、書物の願望の波長をデータベースに登録すれば、検索の絞込を行って、その波長と似た願望をより細かに察知できる」
「え、なに、その便利機能」
「顧客データベースの管理、運用は神様の必須技術じゃよ?」
「……ホント、神様のイメージまる崩れだよな」
「まあまあゆっきー。ひとまず、はいナナちゃん、手帳ね」
「なんで桜花が持ってんだよっ!?」
出かける前に、きちんと元の場所――つまるところは学習机の奥底に戻したはずの手帳が、何故か桜花の懐から姿を現したのに、那雪は愕然となった。
問われた桜花は『うーん?』と小首をかしげて見せ、
「言わば、こんなこともあろうかと?」
「要らねーよ、そんなご都合展開っ!」
「カリカリするなチンクシャ。取りに引き返す手間が省けたではないか」
のほほんと呟きつつ、菜奈姫は桜花の差し出した手帳に、手のひら上のカミパッドを重ねる。
実体を持っていない菜奈姫のカミパッドなのだが、重ねあわせただけで何かがインプットされたらしい。回転を続けていた方位針がぴたりと動きを止め、とある方向を指し示した。
「一番近くにあるのが、南南西に五百メートルといったところか。それ以外は……ふうむ、特定できんな。遠方までいっているやも知れん」
「むう……まあいいや。一枚だけでも確認しねーとな」
できるなら全て回収したいところなのだが、先述のように時間が限られているのであれば、一枚だけでも御の字といったところか。
その一枚がどのようになっているかによって、今後の行動の指針も決まりそうだし。
「確かその方角って、緒頭公園だったか」
「うむ。反応が結構強いから、間違いない」
……単なる紙屑として処分はされてないってことだろうか。誰かが好き好んで持ち歩いているのか、単に人目に付いていないだけなのか。
ひとまず、その場に行ってみないと始まらないようだ。
閑静な住宅街を早足で歩き、十分もしないうちに、三人は目的の自然公園にたどり着く。
緒頭公園。
内部のほとんどが並木道と芝生で構成されている広大な空間だ。遊具の類は一切無く、ベンチとくずかご、電灯などといったわずかな人工物がぽつりぽつりと設置されてある。
春先は花見スポットとして町内の人に親しまれているのだが、シーズン後半になると、並木の桜には青々とした葉が目立ち始めていた。
夜に近い時刻というのもあって、子供達が遊んでいる様子はなく、人気もまばら……というより、まったく気配が感じられない。
普段なら、このような時刻でも、散歩やジョギングなどをしている人が少なからず居るはずなのだが……。
「チンクシャ、アレは人に見られては困るのであろう。だから、ここ一帯に人払いの術式を施しておいたぞ」
と、那雪の思考を読んだかのように、菜奈姫が声をかけてきた。
人払いっていうのは、やはり、ファンタジー要素が出てくるマンガやライトノベルでありがちなアレだろうか。
実際にお目にかかれるとは思っても見なかったが、こういう便利機能を、もはやすんなり受け入れてしまっている自分に驚いた。
「……で、やっぱり、これも願望としての扱いなのか?」
「うむ。代金は捜索している紙片の願望成就でどうじゃ」
「よし、今すぐやめろ」
「ククク、予想通りの反応じゃな。されど、人が居ないに越したことはあるまい。紙片の願望成就はさておき、ひとまず我に頼ってはみぬか?」
「……しゃーないな」
なんだか、こういう便利機能に頼らざるを得ないこの状況、どんどん自分が駄目人間に近づいているような気がしてならない那雪であった。
那雪が抱える微妙な葛藤を余所に、再び手のひらのカミパッドの枠内に方位針を展開した菜奈姫を先頭に、一同は並木道を進む。
無人であるためか公園内は静寂に包まれており、僅かな虫の鳴き声しかしないとなると、うら寂しさよりも不気味さを感じてしまう。
子供の頃から何度も遊んだ公園だというのに、まるで別世界に来てしまったかのようだ。空がまだ明るかったから良かったものの、これで夜中だったら軽いホラーになっていたかもしれない。
「む……なんじゃこれは」
不可解そうな声と共に、菜奈姫の歩みがピタリと止まる。
何かあったのだろうか? という思いで那雪と桜花は顔を見合わせ、次いで菜奈姫の手のひら上のカミパッドに視線をやると、画面の方位針の矢印の先に、鬼火らしきシンボルが姿を現していた。それが一体、何を指し示しているのかがわからないが。
――その鬼火の色は、先程に那雪の部屋で見た紫色の煙を強く想起させた。
「あれ……あそこ、誰か居る?」
そして、その想起の矢先。
桜花が指す方角、百メートルほど先に、所在なさげに立ち尽くす人影を認める。ここ一帯、菜奈姫の人払いの影響下にあるというのに、こうして人が居るということは――
「チンクシャ、用心せい」
「わかってる」
先頭の菜奈姫が警告してくるのに、那雪は桜花を守るように後ろに控えさせる。桜花も、この時ばかりは緊張の面持ちだ。
二、三分ほどその場で人影を観察してみるが、その人影が動き出す様子はなく、ピクリともそこから動かない。
置物か何かなのだろうかと思ったが、菜奈姫のカミパッドに映る方位針は今もその方角を指しており、なおかつその先で揺れる鬼火の明度も強い。そして、那雪の感じる限りでは、他に人の気配は存在していない。
全てはあの人影に集約されており、なおかつ那雪の中で渦巻く胸騒ぎが、アレを放置するな、と警笛を鳴らしている。
「チンクシャ、このままでは埒が明かん。少しずつ距離を詰めるぞ」
「……わかった。慎重に頼むぜ」
「ゆっきー、ナナちゃん、大丈夫なの?」
「桜花、絶対に私から離れんなよ」
「……うん」
「行くぞ」
歩を開始する菜奈姫。それに、那雪、桜花の順番で続く。
視界の開けた自然公園なので、姿を隠すことはせず、だが慎重な足運びで人影に近づく。距離が詰まるにつれて、那雪はその人影が何者であるかを察知するに至った。
百七十センチ超の長身、広い肩幅、大味ながらも美人とも言えるその横顔は、
「あいつ、北原か?」
そう、先程に社の広場で那雪が撃退した不良少女、北原加織である。いつも引き連れている取り巻き三人組は、今は居ないようだ。
常時血気盛んなあいつが一人だけでボーっとしているというのは、二年弱やりあってきた歴史の中では、一度も見たことがない光景だった。
「いつもみたいにゆっきーを待ち伏せ……って空気じゃないね、これ」
「なんであいつがここに……ん?」
と、そこで、北原が石像みたいにギギギと音を立てて動き出す。何かの機械のように全身ごと横回転するその様は、不気味を通り越して確実に異常と言えた。
そして、無機質な視線がこちらの姿を認めた瞬間、
「……ゴオオオオオオオッ!」
カッと目を見開き、突如、北原は雄叫びをあげながらこちらに向かって突進を開始した。
狙いは――紛れもなく、那雪だ。
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