第2部 お仕事と美学とそれぞれの想い

第09話 朝の出来事


「――っていう、夢を見たのよ」


 県立東緒頭高等学校、一年六組の教室。

 朝のホームルームが始まるまで、あと十分という時間帯。

 一年六組の女生徒、青山椎子は、クラスメートの七末那雪に、昨夜に見た夢の話を聞かせたのであった。

 ――那雪がヒーローに変身して、椎子に襲いかかってきた怪人をやっつけるという、現実にしてみれば荒唐無稽極まる内容の夢を。


「……そ、そうなんだ」


 話を聞いた当の那雪は、少々困ったように顔を引きつらせている。

 学校では那雪といつも一緒だった鈴木桜花は、まだ登校してきていないのか、教室には不在だ。隅っこの自席で那雪がぽつんと一人で座っていたので、昨夜の夢のこともあって話しかけてみたのだが……那雪の反応は少々微妙のようである。


「えーと……ごめん、七末さん。もしかして怒った?」

「いや、ちょっと、びっくりしただけ。青山さん、そういうのが好きなの?」


 すぐに気を取り直して、那雪は控えめに訊いてくる。微妙であったものの、傷ついても怒ってもいないようだ。ちょっと安心。


「ええと、特に好きってわけじゃないんだけど、なんだか普段の七末さんとは印象がかけ離れていた夢だったから、ついつい」

「はあ」

「で、夢の中の七末さんはちょっと乱暴な口調だったんだけど、すっごい正義感に溢れていてね。私のピンチに颯爽と現れたのが本当にヒーローみたいで、もうとってもカッコ良くて……って、あれ、どうしたの? 七末さん?」


 気が付くと、那雪が両手で顔を覆って小柄な全身をぷるぷると震わせていた。顔と耳がりんごみたいに真っ赤になっており、頭からは湯気らしきものが出ているかのように見えた。


「ごめん。そこまで言われると、なんだか全身がこそばゆくて……」

「あ、いや、あくまで夢の話だよ?」

「夢の話なんだけど……うん、なんとも言い表せない……」


 今にも、恥ずかしさで床をゴロゴロのた打ち回ってしまいそうだった。

 椎子はそんな那雪のことを、ものすごく可愛いと思った。今すぐこの場で抱き締めて頭ナデナデしてあげたくなる。

 ……というか、やろうと思えば今すぐこの場で出来ちゃうのでは? それで、一気にお近づきになっちゃう? なっちゃう?

 と、那雪の見えぬところで、椎子が両手をニギニギさせていたところで、


「――いきなり何なのかな。その、なんだ、困るんだけど」

「いいだろ? ちょっと付き合ってくれるだけでいいンだからよ」


 教室の外の廊下、そんな話し声が聞こえてきた。

 朝のゆったりとしたものにはそぐわない不穏な空気。その上、話し声の片方は、間違いなく椎子が聞いたことのある声。


「桜花……!」


 その声は、赤くなって俯いていた那雪を、いとも容易に衝き動かさせた。

 先程の萎縮した様子はどこへやら。表情をきりりと引き締め、『ごめん、また後で』とだけ言い置いて、目にも止まらぬ速さで教室を出ていく。

 一瞬唖然となった椎子なのだが、すぐに気を取り直して、自分も廊下に出る。『なんだなんだ?』と、那雪の様子に怪訝顔だった数名のクラスメートも一緒だ。


「あ、ゆっきー」

「うお、な、なんだ」


 教室を出てすぐの階段前の広場で、状況は既に展開されていた。

 中肉中背、着崩した制服姿、茶髪、耳にピアスといった『チャラ男』をこれでもかと言うほどに体現した男子生徒の前に、那雪が件の女生徒――鈴木桜花を守るようにして立ちふさがっている。

 その周囲で、朝の登校中の生徒による人だかりが成されている構図だ。


「なんだオメエは」

「それはこっちの台詞。桜花になにをするつもり?」

「あァッ!? 関係ないだろ。俺はなァ、コイツに用があンだよ……っ!」


 桜花のことを指さしながら、チャラ男特有の半ギレ状態で男子生徒が凄んで見せるも、那雪には一歩も引く様子は見られない。それどころか、


「…………」


 那雪の睨み返す視線は、周囲に向かって見えない圧力を発しており、それは遠目に見守るだけの椎子の背筋をもぞくりとさせた。


「こ、コイツ……っ!」


 となれば、正面にいる男はその圧力を真正面から受けているのだろう。だが、彼は退こうとせず、威嚇するかのように那雪の肩を突き飛ばそうとする。


「――――」


 対し、那雪は音もなくその突きを強めに払う。

 それに伴い、男がバランスを崩したところで――那雪が、小さなその身を鋭く回転させる。

『え……?』と衆目の誰もが間の抜けた声を出す中、渦中の男の右の首筋に、高速で迫るものがあった。

 ――那雪の後ろ回し蹴りだった。


「ぃ……っ!」


 男が驚愕に顔を歪める中、激突まで残り数センチと言うところで、その蹴り足はピタリと止められる。


「……とっとと失せろ。次は止めねーぞ」


 足を下げることなく、那雪が底冷えするような声で静かに言う。

 男は目を見開いたままフラフラと一歩、二歩と後退ってから踵を返し、情けない呻きを上げながら廊下を走り去っていった。

 那雪は『ふん……』と鼻を鳴らしながら上げていた足をおろし、 


「桜花、大丈夫だったか?」

「だいじょぶだよん」


 問われる桜花は、いたって無事そのものだ。何度もそうしてもらっているかのような、そんな落ち着きようである。


「ゆっきー、そんな足上げたらスカートの中身見えちゃってたんじゃ」

「スパッツ履いてるから、その辺は抜かりなしだ」

「そっかー。いつもありがとね。ホント、ゆっきーはわたしの王子様ですなぁ」

「はは、なんだよそれ。さあ、HRの時間も近いし、さっさと教室に――」


 と、軽快に桜花とやりとりを交わしつつ、教室に足を向けようとしたところで、那雪は気付いた。

 先の立ち回りを見て、一様に目を輝かせているクラスメート達(椎子含む)と、その他のクラスの生徒二十数名の視線に。

 今、皆が共有する思いはただひとつ。


『カッケェ――――――――っ!』


 驚嘆と共に、わらわらと那雪と桜花の周りに集まる生徒達。


「今の何っ!?」

「どこでそれ憶えたのっ!?」

「もっとすごいことできるのっ!?」


 瞬く間に質問攻めが展開される。那雪は顔を真っ赤にして俯き、桜花は頬に手を当てて『ありゃー……』と苦笑気味。

 そんな人の輪に加わるのが遅くなってしまったために、椎子はいくつか冷静になれたのだが、それでもやはり那雪のことをカッコいいと思えた。

 昨日に見たあの夢のように、正に今この場面は『隠れ正義の味方』が本当の『正義の味方』となった瞬間だった。ここまで来ると、肝心であるヒーローへの変身がなかったのが実に残念だ。


「あー……こりゃ七末さんの時代が来るわー。絶対に来るわー……ん?」


 と、ぼんやりとしていたところで、椎子は気付く。

 上の階段の踊り場、自分達が居る階段の広場を見下ろす形で、小柄な背丈の男子生徒が居ることに。

 ブレザーではなく、長袖のシャツに黄色のベストといった制服の中間服を纏った細身。サラサラのマッシュルームカットの髪と整った造形は、間違いなくイケメンと表していい。しかも、彼から漂う爽やかな柑橘系の香りがなんとも……。


「……あ」


 と、そこまでじっくりと見てしまうくらいにその姿に視線が釘付けになっていたのを自覚して、『なんで?』という気分になり、椎子は少々慌てた心地を得る。

 改めて階段を見ると、彼は既に階段の踊り場から姿を消した後だった。

 誰だったんだろう……というか、さっきの感覚は一体?

 またも頭に疑問符を浮かべるも、HR開始を告げるチャイムが鳴ったため、椎子は思考を打ち切った。


「ね、ね、もう一回やってみて! もう一回!」

「いや、あの、その……」

「ちょっとでいいから! 本当に! なんなら爪先だけで!」

「えと……えっと……」


 あと、今もなお那雪と桜花は生徒達に取り囲まれているから、どうやら助け出さないといけないようだった。


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