第03話 神様のアレコレ
「あ?」
一瞬、なにを言っているのか那雪は分からなかった。
ただ、目の前の少女の顔は、いたって大真面目の様子である。
……再度、確認してみることにしよう。
「すまん、もう一回教えてくれ」
「菜奈姫と申す」
「その後」
「お主らに菜奈神様と呼ばれておる者じゃ」
「ワンモア」
「だから、菜奈神様と呼ばれておる者じゃと」
「嘘をつくな」
「……何度も尋ねておきながら戯れ言扱いとは、お主、なかなかやるのう」
「やかましい。いきなり現れたガキンチョが『自分は神様です』とか言い出そうものなら、フツーは関わり合いを避けるか、お巡りさんに連れてって対応を任せるか、お家にお持ち帰りするかのどれかだっつーの」
「最後のはフツーではないのでないか?」
「少なくとも私の知り合いに一人いる」
「それは……何というか、個性的よのう」
顎に手を当てて思案する眼前の少女――菜奈姫を、那雪は肩を竦めながら見る。
警戒するのが少し馬鹿らしくなってきた。未だに続いている胸の奥のざわざわ感は無視できないのだが、このような吹っ飛んだ世迷言を唱える者に相対したとなると……上手く話を合わせて退散するのが無難か。
「わかった、一億歩譲っておまえが神様としよう。その神様(仮)は、フツーの女子高生である私に一体何の用だ?」
「いろいろ引っかかる上にツッコミどころ満載の物言いじゃが、まあ良かろう。……お主、願いはあるか?」
「ネガイ?」
「そう、人が誰しも持っておる願望欲望を叶えるために、神が加護を与えようぞ」
エラそうにふんぞり返って、言ってくる菜奈姫。
対して、那雪は『願望』と『欲望』と言う言葉にピクリと耳を動かす。
今、自分の持つ望みといえば、やはり先輩と……とまで考えるが、そういう思考を抱いてしまう自分が、なんとも馬鹿馬鹿しかった。
適当にあしらって早く退散しよう。桜花も待っていることだし。
「なんでもいいのか?」
「構わぬ。他者に災いを及ぼすとか、酒池肉林とか、死者の蘇生とか、そういう摂理に大きく反するもの以外は、どんと来い」
「じゃ、そこでノビてるデカ女とその他数名の傷を瞬時に治して、なおかつ黙って家に帰るように仕向けてやってくれね?」
今も気絶している北原一行を親指で示して、言ってやる。
那雪にとってはわりとどうでも良いことで、なおかつちょっとした意地悪心で出たピンポイントな願望である、のだが、
「なんじゃ、そんなことでいいのか」
菜奈姫がつまらなさそうにそれだけを答え、少しぶつぶつと何かを呟いてから、指を鳴らす。しっかりと甲高い音と共に――その小さな指先からは琥珀色の光の粒が四つ、こぼれ落ちた。
「――――!」
目を見張る那雪を他所に、こぼれ落ちた光は倒れ伏している北原や金髪、折り重なって倒れる顔面ピアスや小太りの身体に落ち、じんわりとその光が広がっていく。
薄い膜のように北原一行を包む光は、五秒ほど明滅を繰り返し、やがて消える。
すると、
「う、ううん……」
「ぐ……む、むむう……」
唸り声と共に、北原達が意識を取り戻した。
少しボーッとしている様子だが、地面に手と足をついてしっかりと立ち上がるその様は、先ほどの那雪の蹴足五段などといった攻撃のダメージがまったく残っていないように見受けられる。
北原や顔面ピアスにいたっては、顔面を強打したにもかかわらず、その顔には擦り傷ひとつ見られない。
「…………」
そして、那雪と目が合う。
こちらの姿を認めて、北原一行は再び全身から殺気を湧き上がらせかけたのだが……それも一瞬のことで、毒気を抜かれたかのようにそっぽを向き、
「……覚えておくンだな」
「今回は見逃しといてやる」
「次は見てろ」
「そーだそーだ」
それぞれ、ポツリと捨て台詞を残して、北原加織とその仲間達は、広場を後にして何処かへと歩き去っていった。
その一連を、那雪は目をまん丸にして見ていた。
「ありえない……」
いとも簡単に『願望』が叶えられたのには、驚きを隠せない。
那雪の蹴り技は、十中八九存在するであろう自分よりも大きな体格の相手を打ち倒すための、昔から鍛え込んできた技術の結晶である。
それを本気で叩き込んだのに、ああまでダメージが残っていないのには――
「まあ、我にかかればこんなもんじゃろうて」
と、菜奈姫が今一度鼻を鳴らしてからつぶやく。那雪が大層驚いているにもかかわらず、彼女はどこか不機嫌そうであった。
「お主、我の力を信じずに、どうでもいい願望を我に叶えさせおったな」
「……なんでわかるんだよ」
「メーターが全然動いとらん」
「は?」
那雪が呆けた返事をするにも構わず、菜奈姫は手の平をこちらにかざし、中空にパソコンのモニター画面みたいなものを展開させた。
いきなりアニメみたいなものを見せられ、那雪は目を見張る。
「な、なんだそれ」
「む? これはのう、神様には必須の携帯ディスプレイ端末じゃ。名をカミパッドという」
「…………」
神様関係なくね? などと那雪は思うのだが、そのモニター画面――菜奈姫の言うところのカミパッドの枠内には、黄色の横棒グラフが上下に二本表示されている。
上は『目標値』と名前があって棒グラフが横枠いっぱいに伸びており、下には『現在値』と名前があって、見た目、上のグラフの一割くらいの長さとなっていた。
「よう見てみい」
小さな指が差す先は、下の棒グラフの先端。見た目わずかな赤色がある。
「この一寸もない赤が、今叶えたお主の願望の強さじゃ。蟻のフンのようなちっちっち具合じゃのう。もっとこう、象のフンのようにドドンと行かんかい」
「…………」
言ってることの意味と、このグラフが何を指し示しているのかについて、那雪はほとんど理解できなかったのだが、ほとんどではない分――この少女が、本当に非現実的な力を持っていることだけは理解できた。
戯れ言は戯れ言と片付けられるが、実際に那雪の言った通りのことをして見せたとなれば、今、那雪にはこの少女を否定できる要素を持てない。
「ほれ、もっとあるじゃろうが、お主の願望が。どんなものでも言ってみい」
となると……自分は、願いを叶えられる、ということなのか?
ああいうピンポイントなお題をあっさりとクリアできるのなら、一人の人間の恋愛の成就など、この神様にしてみれば容易なことなのかも知れない。
だが、
「……やめとく」
ポツリと、那雪が言うのに、菜奈姫はまた不機嫌そうに眉をひそめる。
「なんじゃ、まだ我を疑っとるのか」
「いーや。菜奈姫……様が言ってることが正しいってのは、一億歩譲らなくても理解した。認めてもいい。だけど、なんか違うんだよ」
なるほど、菜奈神様は町に住む人々に日々の力を与えくださる有り難い神様である。那雪も、何度も力を貸してもらえるようにお願いをしたことがある。
だが、いくら神頼みといっても、与えられる結果そのものまでをも求めてはいない。那雪が欲しいのは、自分の手で結果を掴みとるための力だ。
その点で言えば、受験シーズンで体調のコンディションを整えてくれたのには、当時の那雪の願いとしては絶妙とも言えた。
「前の時のように、上手く行くように見守ってくれるだけで、私にゃ十分だ」
「…………」
「でも、善意はきちんと受け取っておくぜ。ありがとな、奈菜姫様」
適当にあしらう気持ちではなく、本心から礼を述べ、那雪は菜奈姫に笑いかける。
仕草は憎たらしいものの、今の今まで彼女が見守っていてくれていたこと。
願望を叶えるという善意を持ちかけてくれたこと。
そして、今自分に何が必要なのかを見つめ直すきっかけをもらえたのには、改めてこの神様に感謝せねばなるまい。
これからも、お参りは続けていこうとも思える。
そのように、那雪の中では綺麗に気持ちがまとまっていたのだが。
「――なーにを眠たいこと言っとるんじゃ、お主は」
当の菜奈姫の不機嫌は、今も収まっていなかった。しかも、蔑むようにかつ嘲るように顔を歪ませ、妙に濁った眼でこちらのことを見上げてきている。
「お主の綺麗事なんぞ、どうでもいいわい」
「は?」
「我はさっさと徳を目標値まで稼がんといかんのじゃ」
「……なに言ってるんだ?」
「だから……ええい、まどろっこしいのう。さっきのメーターを見たじゃろ。人の願いを叶えることで増えるやつ! アレを目標値まで達成させんと、我は本格的に菜奈神を襲名できんのじゃっ!」
再びモニター画面……もといカミパッドを眼前に展開して、下のグラフ、現在値の方を指し示しつつ、強い口調でまくし立てる菜奈姫。
先程と同じように、那雪には菜奈姫の言っていることのほとんどを理解できていないのだが――ほとんどではない部分については、今度は確認を行う必要があった。
「なあ」
「なんじゃ、気でも変わったか」
「違う。『襲名できない』ってことは、おまえ、神様じゃないんじゃねーのか?」
「神であるぞ。厳密に言えばまだ襲名しておらんから、仮段階であるがのう」
「神様じゃないんじゃねーか! やっぱ、最初私が言ったように正に神様(仮)じゃねーか! (仮)だってのに神様名乗ってたのかよ!」
「し、失敬なっ! こう見えても、我はこの地に着任してからモノの五日のみで、既に目標値の一割超を稼いでおるのじゃぞ。となれば、もはやこの地の神になるのも時間の問題っ! 然るにっ! 今から神と名乗ってもなんら問題が――」
「ちょ、ちょっと待て。今、着任してから五日と言ったな? つーことはアレか? 私が力貸してもらってたのは、また別の神様だったってーのか?」
「む? ここの先代と言えば……ああ、あの行き遅れ女か。ヤツなら業績の低迷から功を焦って、菜奈神様の力を信じておらん人の子にまで無差別に願いを叶え続けてしまったせいか、支部長に目玉を食らって僻地に左遷されてしまったぞ」
「そんなお役所仕事なっ!?」
目標値とか着任とか支部長とか左遷とか、こいつらはどこぞのセールスマンか。
もはやツッコミどころ満載の神様事情と、あと、自分が少なからず心の支えにしていた……菜奈姫の言うところの、先代の菜奈神様がもうこの地には居ない事実を知って、那雪はなんとも重たい気分になる。
つい二分前まではあんなに意気高揚としていたというのに、現実を知らされた時のこの落とされようだった。
「……帰る」
那雪はそのようにポツリとだけ漏らして、弱々しい足取りでこの場を後にしようとする。
「待たんか。せめて、一つくらいお主の願望をじゃな――」
「やかましい」
「む……」
一言で切り捨てると、菜奈姫は少し押し詰まったような唸りを上げる。それから、後を付いてくる気配はない。
だが、那雪にはもはやどうでも良い。この先、神頼みができないとなると、やはり頼るは自分の力のみなのだろう。
でも……上手くやっていけるのか?
そのように一瞬でも考える自信喪失っぷりが、那雪にはどうにも自己嫌悪だった。
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