第02話 我が名は菜奈姫
クラスの皆には先約があると言って教室を抜けだした形の那雪と桜花なのだが、先約という点については事実である。
ただ、目的が勉学関連にはなく、桜花の中学時代からの趣味によるものだ。
「で、小説、どこまで進んでるんだ?」
「んー、半分くらいかな。今はちょっと行き詰まってるけど」
「そっか。でも、賞の締切までまだ結構あるんだろ?」
「いやいや、スランプを舐めちゃいけないよ、ゆっきー。下手をしたら一ヶ月以上も前に進めない上に、挙げ句の果てにガーッて全部削除して、書き直しとかにもなっちゃうからね」
「……そういうものなのかね」
中学二年生の頃から、鈴木桜花は小説の執筆を行っている。
元々桜花自身が読書好きというのもあり、なおかつ彼女の祖父が副業でエッセイの作家をやっているので、その影響であるとのことだ。
インターネット上でもいくつか短編を公開しており、読者の評価も上々。高校受験を終えてから賞の応募に挑戦しようと前々から決めており、今はその執筆の最中といったところだ。
……つくづくスペックの高い幼馴染だよな。
だが、それでいて近づき難いとか付き合い辛いとかそういうこともない、本当によく出来た幼馴染みだと那雪は思う。
で、そんな桜花の執筆を那雪が助けたりしているのは、桜花曰く『特撮ファンのゆっきーの視点からくるアドバイスはすごい参考になる』とのことだ。
それに気をよくして、那雪もかつて自分の趣味全開のネタや設定などを手帳一冊のほとんどを使って書き記したことがあるが……それを桜花に見せたら物の見事に爆笑され、以降、自室の学習机の奥底に厳重に封印してある。
何故にその過ちを未だに処分せず封印で止めているのかについては、やはり、単なる未練というべきか。
でも、そろそろ頃合かとも、最近頻繁に思ったりする。高校受験の頃からその思いは強くなっているので、今度の休日あたり、本当に沙汰を下すか。
……まあ、それはそれとして。
「んじゃ、あとで私の家だな」
「そうなるね。ノーパソ取ってこなきゃ。ゆっきーはお参り行ってくるの?」
「ん、手早く済ませてくる。何なら、先に私の部屋に上がって作業しといてくれ。母さんにも今朝に話は通してあるし」
「りょーかーい」
予定を軽く確かめ合いつつ校門を出て、那雪と桜花は別々の道を行く。
桜花は自宅へ。那雪は――
「さて、と……」
桜花と同じ方向の自宅とは逆の道へ。
学校帰りの学生や夕食の材料の買い物などに来ている主婦などで賑わう商店街が見えるが、那雪はその商店街への道から外れて人気のない裏路地へと入る。
その路地は人工の建物に遮られて日の光が届いていないのだが、夜にまだ遠い時刻である今は真っ暗というわけでもないので、早足ですいすいと進んでいく。
十分ほど歩いて、那雪は町外れの小山にたどり着いた。町の人々にはハイキングコースとして親しまれており、大きな看板には山道の構造とコースの概要が記載されているのだが……生憎と、那雪はそのコースには用はない。
コースの入口の石段をスルーして緑に包まれた脇道に入り、さらに数分歩くことで、木々も雑草も生えておらず、アスファルトにも舗装されていない天然の広場に出た。
太陽の光のみが降り注ぐだけのこの場所は、日常に過ごすものとはまた別の世界のようにも感じられる。
そして奥には、小柄な那雪の背丈にも足りていない、古びた木造の社がちんまりと建てられていた。
「……また来ちゃったぜ、菜奈神様」
それだけをつぶやいて、那雪は社の前で手を合わせる。
賽銭箱や供え台などは置かれていないため、あくまで手を合わせるのみだが、その分だけ長く長く那雪は瞑目する。
菜奈神様。
この町に古くから祀られている守り神だ。
町に住む人々に、日々の力を与えくださる有り難い神様と伝えられているのだが、学業、恋愛、交通、安産などの具体的な効果については、社の管理者を含めて知る者が居ないことから、その御力を信じる者は町の中では約五割と、信仰の程は微妙な神様である。
ただ、中学の受験シーズンの時期、学業の成績が芳しくなかった那雪は、神様に一日も欠かさずに手を合わせ続けた結果、一度も体調を崩すことなく、常時万全のコンディションで秋と冬を乗り越えることが出来た。
それが菜奈神様のおかげかと言われると全てそうだとは言い切れないが、いくつかは力を貸してもらえたと思えてならない。
受験が終わった今も那雪が平日の放課後にお参りを行っているのは、その時の感謝の気持ちと、手を合わせ続けた時代の名残と、あと一つ。
――もう少し、桐生先輩と仲良くさせてください。
最近、手を合わせる度に願うことだ。
上手くいくかは自分次第であるのだが、やはり、受験の時のように力を貸してもらえればと思う。
「どうか頼むぜ、菜奈神様」
「その願い……叶えてしんぜようってかァ?」
目を開くと共に再度呟いた矢先、後ろから女の声。聞き覚えのある声だ。
見ると、広場の入口、着崩した制服姿の少女が四名、こちらを睨みつけてきている。
腕組みをして仁王立ちする大柄な少女を先頭として、金髪で風邪マスクで木刀を持った昔ながらのヤンキースタイルの少女、顔面にピアスで服飾してわりと大変なことになっている少女、グロい化粧が印象的な小太りの少女といったラインナップ。
制服の方は見たことがないのだが、顔はもう何度も見たことがある。
「なんだ。北原と他数名か」
「なんだじゃねーよ、このチビ」
「アネさんがこうやって出向いたってのに、その態度はなんだ」
「そーだそーだ」
口々に言ってくる金髪、顔ピアス、小太りなのだが、
「やめな」
北原と呼ばれた、四人の中で最も大柄な少女が、その一言だけで三人の野次を黙らせた。
「七末ェ……今度こそ、決着付けに来た、ゾ……ッ!」
腕組を解いて、拳を鳴らしつつこちらに歩み寄ってくる北原。
百七十センチを超える長身、ガッシリとした肩幅、長い手足の筋肉の付き具合は、屈強な偉丈夫と表しても遜色ない。『ゴゴゴゴゴ』と背後に書き文字が出てきそうな、異様な圧力をもたらしてもいる。
金髪と顔ピアスと小太りの名前は覚えていないのだが、こいつの名前はきちんと覚えている。
彼女の名は、
那雪とは同年代だが、学校で一緒になったことはない。しばらく面を合わせていなかったのだが、今のこの着崩した服装および彼女を取り巻いている三人組の様子からして、その不良ライフは継続中の模様。
そんな北原一行から発せられる眼光を受け流しつつ、那雪は半眼で彼女を見やる。
「決着って。そんなこと言うために、ここまでやってきたのかよ」
「アンタがここに通ってンのは知ってたからねェ……ここで待ち伏せてたのさ」
「で、そのまま私が手を合わせ終わるのを律儀に待ってたのか?」
「アンタにそういう感傷的な面があるとは、ニワカに信じられなかったからなァ。で、手ェ合わせてる時のアンタの顔、必死過ぎて笑えてきちまったから、そのまま待っててやったってーわけさ。なァ?」
北原の煽りと共に、一斉にゲラゲラと笑い声をあげる三人組。
如何にもな嫌らしい笑い方だったので、那雪にも少しカチンと来るところがあったのだが、表面は平静のまま。
「悪趣味だな。待ち伏せしてたんなら、いくらでも不意打ち出来ただろ」
「決着つけにきたつっただろ。そんなヒキョーな真似、誰がするものかよ」
「訂正。おまえ結構いいやつだな」
「え、そ……そうか?」
「デレんなよ気持ち悪い」
「な……で、デレてねェし!」
大味ながらも美人と部類してもいい顔を真っ赤にして怒鳴る北原を、三人組が慌ててなだめに入る。幾分、おだてに弱いのが玉に瑕か。
ただ、先述の通り、昔から北原加織と言えば隣町では不良社会で名の知れた存在であるし。
――実際、那雪も彼女と何度もやりあった過去を持っていることから、その実力については大いに知っている。
「あーもう、我慢ならねェ! 決着、つけンぞ……っ!」
「いやだ」
あっさりと断ってやった。
「んだとチビ、逃げるのかっ!」
「ひきょーだぞっ!」
「そーだそーだっ!」
北原はその返答を予想していたのか何も言わなかったのだが、取り巻きの三人は案の定ヒートアップしていた。
「やかましい。私はもう、そういうのは卒業したんだ。昔はおまえらみたいなのを放っておけなかったから、不良狩りとかそういう正義の味方の真似事を好き勝手やってたけど、裏でいろんな人に迷惑かけちまってたのを知ってからは、もうやめようと思ったんだよ」
今日、何度かフラッシュバックした記憶が蘇る。
――中学二年生に上がって間もない時のこと。
幼少の頃から、桜花の祖父に教えてもらっていた体術を駆使し、溜まり場に殴りこんでは多くの不良を叩きのめし、屍の山を築き上げてきたこと。
調子に乗って、ヤの付く自営業と繋がりのある者にまで手を出してしまい、それをきっかけに命の危機にまで及びそうになったこと。
事前に危機を察知した桜花の祖父による救済と、なおかつその後の根回し(詳しくは知らされてない)によって、どうにか事無きを得たこと。
事が済んだ後、多くの人に心配をかけていたことを知らされ、多くの人に怒られたこと。
そして――桜花。
今でこそ当時のことを笑い話にしているが、那雪の危機に、彼女はどれだけ心を削っていたことだろうか。
それを思うだけで、那雪の胸は痛み、同時に当時の自分の姿が如何に滑稽だったかを想起して、とても恥ずかしい気分にもなったりする。
「知ったことかっ!」
「アンタみたいなチミっ子に負けっぱなしなんて、認められねーんだよっ!」
「そーだそーだっ!」
で、事が済んだといっても。
些細な事案にまではさすがに手が回らなかったらしく、こうして、那雪の過去の所業を根に持っている者は少なくない。こいつらもそれに含まれている。
「さァ、覚悟できてっか、破砕の黒雪ィ……ッ!」
「……………………」
「……おい、どうした、そんな両手で顔を覆ってうずくまって」
「いや、あの……その呼び名はもう勘弁して。全力で恥ずかしい……」
当時の那雪は、その二つ名で呼ばれることを満更でもない気持ちだったのだが……今は、羞恥心で地面をのた打ち回りたい気持ちでいっぱいである。
「ええい、真面目にやれェ! おめーら、ヤっちまいな……っ!」
「おうさっ!」
「お任せくだせえアネさんっ!」
「そーだそーだっ!」
と、北原の命を受けて駆け出す、金髪、顔面ピアス、小太りの三人組。
羞恥心に顔から火を吹いている傍ら、雰囲気を和やかにしてお流れにできないものかと頭の片隅で考えてはいたのだが……やはりそれでやり過ごせるほど甘くはない、というのはわかりきったことか。
そのように、ものの数瞬で諦めをつけ、
「――これで、最後だからな」
那雪は、スイッチを切り替えた。
先陣を切って金髪が降りおろしてくる木刀を、那雪は半歩右に身をずらすことで避け、間髪入れずに前蹴りで相手の横腹を穿つ。
「ごふっ」
金髪がくの字に体勢を折る傍ら、すぐさま、左手から顔面ピアスが掴みかかってくるのを気配で察知。那雪は瞬時に、金髪が取り落としていた木刀を顔面ピアスの方へと蹴り払って、その襲撃を足止めする。
「おあああっ!」
続けて小太りが叫びをあげながら右から体当たりを仕掛けてくるのを、那雪は後ろに小さく跳んでやり過ごし、ついでに足払いをかけてやると、小太りはいとも簡単にすっ転んだ。
「ンのやろっ……!」
襲撃に失敗した顔面ピアスが再度アタックをかけてくるが、すでに那雪はその動きを把握済み。避けることもせず、大きく振りかぶった通学カバンの角でカウンター。
「ゲブフッ!?」
ピンポイントで相手の顔面の装飾品にヒット。
このような襲撃に備えて、カバンの中には知り合いのツテで入手した鉄板を仕込んでいるため、重みと硬度により算出される威力は充分。
金属のぶつかる良い音がして、顔面ピアスが白目を剥いて吹っ飛んで、先程にすっ転んだ小太りの上に折り重なるように倒れた。
『ぐげっ』と蛙の潰れるような悲鳴を上げ、小太りの意識も沈む。
「ラスト」
腹を蹴られて未だにくの字体勢から回復していない金髪の首筋に向かって、那雪は容赦無用の回し蹴りを浴びせる。『ひ……ひでぶっ』と妙齢の女子にはあるまじき悲鳴と共に、金髪も意識喪失の一途を辿った。
「ハハッ……相変わらず、見事な手際だなァ……!」
号令から一分も保たなかった取り巻き三人組の体たらくなのだが、逆に、北原は嬉しそうに破顔する。
「ちっとは、身体温まったかァ?」
「おいおい、そんなことのために手下使ってやんなよ。可哀想だろ」
「るっせェよ。これで……心きなく決着をつけられるってもンさっ!」
ドスドスと足音を立てながら、北原が駆け出してくる。
突進そのままの速さを乗せた拳を、那雪はサイドステップで回避。ビリビリとした圧力を感じながらも、すれ違いざまに、
「踏み蹴り!」
踵で北原の足を思い切り踏みつける。
北原の顔に歪みが生じるが、動きは止まらない。
身をずらした那雪を追って、北原は腹部に蹴りを繰り出してくるが、足を踏まれた影響か、動きが若干鈍い。
那雪は持っていた鉄板入りの通学カバンを盾にして防御。鉄板越しでも重い衝撃が伝わってきて、一瞬息が詰まりそうになったが、那雪はその衝撃に敢えて逆らおうとせず、移動のための力になるように利用。北原の背後に回り、
「下段!」
蹴りを放っている北原の軸足に、下段蹴り。
「うっ……!」
うめき声と共に長身が揺らぐのを瞬時に把握し、那雪はさらに横回転。
「中段!」
ガラ空きになった北原の脇腹に、中段蹴り。
『ぐはっ!』と、苦悶の声と共に北原の膝が折れるのと、那雪がさらに回転するのは同時。
「上段っ!」
身が低くなった北原のこめかみに向かって、遠心力の乗せた上段蹴り。
綺麗に入ったが、北原はまだ倒れない。
そしてそれをわかっている那雪も、回転を止めない。
ふらつく北原の頭頂部に、上から下に落とす二段モーションの、
「踵落としィッ!」
「――――」
今度こそ北原は意識を飛ばし、顔面から地面に倒れ伏した。
「蹴足五段という名のサイクロンクインティプル。――おまえは死ぬ」
呟いてから、那雪は大きく息を吐いて呼吸を整え、額の汗を拭った。
「……ったく。もうちっと平和に生活できないモンかね」
苦笑しながら、死屍累々の態で気絶する北原一行を見下ろし、那雪はどうしたものかと思案するのだが。
最近暖かくなってきたことだし、十数分もすれば目を覚ますだろうしで、放置しても問題ないかと見切りをつけ、那雪は通学カバンを手にこの場を後にしようとした、ところで。
「――ククク、休憩に戻ってきてみれば、面白いものを見られたのう」
後ろから、またも声が聞こえたのに。
那雪は、ピクリと肩を震わせた。
まだ待ち伏せが? と思いつつも、聞いたことのない声だったので、那雪は半信半疑のまま周囲を警戒したのだが。
「斯様なチンクシャなナリで、よくもあそこまで立ち回れるものじゃ」
――はたして、先ほどに那雪がお参りした菜奈神様の社の前で、赤い刺繍入りの白い着物と灰色の袴といった和装の少女が、胡座をかいてこちらを見ていた。
まん丸ほっぺの童顔におかっぱの黒髪。黙っていれば和風人形のような印象も見受けられるのだろうが、無表情には程遠いシニカルな笑みと、琥珀色の大きな吊り目は、総合的に表すとどこか胡散臭い。
一瞬、近所の小学生がコスプレでもしているのかと思ったのだが、少女の雰囲気はなんとも筆舌にし難い、ざわざわとしたものを那雪に感じさせた。
「……なんだおまえ」
「名を尋ねるときは己が名乗ってからじゃろう、チンクシャよ。それが作法というものじゃ」
「いきなりチンクシャとか不躾に呼んでくるやつに、作法もへったくれもねーよ」
「ふむ、それもそれで的を射ておるのう」
音もなく立ち上がり、おかっぱの少女はこちらに歩み寄ってくる。
近くで向き合って立つと、背丈は那雪よりも少し低い程度なのだが、那雪が警戒を解くことはない。こういう胸の中のざわざわ感を気のせいと捨て置くと、あとでとんでもない目に遭うと過去の経験が言っている。
「……ちょいとシャクだが、言うとおり先に名乗っといてやる。七末那雪ってんだ。おまえは?」
ひとまず出方を探るために那雪が告げると、少女は鼻を鳴らして笑い、
「ふむ。では、我も名乗るとしよう。――我が名は菜奈姫。お主等が菜奈神様と呼んでおる者、それが我じゃ」
そのような、珍妙な答えが返ってきた。
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