第04話 その願望を叶えよう


 結局、那雪が自宅に帰り着いたのは、あの社の広場の出来事から約一時間後となった。

 約束をしている桜花には悪いと思ったが、あのまま帰って桜花の作業を手伝っても、的確なアドバイスを送れるとは思えず、少し散歩をして気を紛らわせる必要があった。

 一応、携帯電話で連絡を入れておいたのだが、やはり後で謝っておこうと思う。


 ……ったく、イヤなことを知っちまったぜ。


 今も、那雪の胸の中にあるモヤモヤが抜け切ることはない。絶えず自分が手を合わせていた神様の実態がああいうものだったと知った影響は、やはり小さくないようだ。

 そんな苦々しい気持ちのまま、那雪は自宅の玄関をくぐる。


「ただいまー」


 帰ってからは自室に直行せず、手洗いとうがいを済ませ、居間に必ず顔を出すのが七末家の昔からのホームルールだ。

 そのルールに則って那雪も居間の方へと足を運ぶと、居間に繋がるキッチンで、母が夕飯の支度をしていた。


「あら、おかえりなさい、なゆちゃん」

「ただいま……というか、いい加減なゆちゃんと呼ぶのはやめろと」

「良いじゃない。わたしの中では、なゆちゃんはいつまでもなゆちゃんのままなのっ」


 那雪とあまり背丈の変わらない全身をクネクネさせつつ、先ほどに桜花と同じような台詞を発する母、七末雪乃。

 いつまでも若作りで、そしていつまでも子供っぽい人であった。自分と同じ外ハネのセミロングの髪といい、丸みのある童顔といい。

 そんな彼女のことを、那雪は母親としても友としても大好きであるのだが、まあ、それはそれとして。


「母さん、桜花は?」

「来てるわよ。なゆちゃんの部屋で作業中。楽しみね、小説」

「そーだな」

「なゆちゃんは書かないの? 中学校の頃、お母さんがあげた手帳に書いてたじゃない。あのカレッジセイバーに似たようなの」

「いや……あの……もう勘弁して」


 先程に焼却しようと心に決めた若さゆえの過ちをここでも出され、那雪は頭を抱える。今日は何回こんな思いをすればいいのだろう。

 ちなみにカレッジセイバーとは、全国ネットで放映されている特撮ヒーローではなく、この町のご当地ヒーローのことである。

 愛され続けて二十五年、歴史も長い。


「ふふふ、お父さんも昔からカレッジファンだったから、やっぱりああいうのを自分で考えたりしてたものねー。懐かしかったわー。なゆちゃんは絶対にお父さん似ねっ」

「なんだかそれもそれで嫌だな……」


 もうすぐ仕事から帰ってくるであろう、超の付くほど親バカな父の顔を思い返して、那雪は苦笑する。

 娘可愛さのあまり鼻血を出したりとか、将来、そういう大人には絶対になりたくない……といいつつも、それだけ自分を愛してくれてている父親のことも、やはり那雪は大好きであるのだが。


「……まあとりあえず、桜花のこと手伝ってくる」

「ふふ、がんばってらっしゃい。桜花ちゃん、お夕飯食べていくんでしょ?」

「そのつもりだと思う。つか、母さんに誘われたら断れないだろ」

「そうね~。美味しいの、期待しておくように桜花ちゃんに言っといて」

「はいはい」


 文字通りるんるん気分で夕飯の支度に戻っていく可憐な母の鼻歌を背に、那雪は階段を上がって二階の自室を目指す。

 自室に戻ったら、まずは帰るのが遅れたことについて桜花にお詫びを入れておいて……遅れた理由についてはどうしよう。北原に絡まれたことは伏せておくとして、あの神様のことはどのように説明すればいいのやら。

 テキトーに、変なセールスマンに足止めを食ったと説明しておくか……。

 心なしか間違っていないなと思いつつ、自室のドアを開ける。


「ただいまーっす」

「あ、ゆっきー、おかえりー」

「なんじゃ、やっと帰ってきたのか。随分遅かったではないか」


 部屋中央の小テーブルでノートパソコンを広げて作業していた桜花に一声をかけておいて、那雪は通学カバンを置いて一息。


「遅くなってわりーな」

「だいじょぶだいじょぶ。結構捗ってるから」

「ククク、みるみる上質になってきてるのう」

「そーなのか? さっき調子悪いって言ってたろ」


 ノートパソコン画面内のテキストファイルを少し見せてもらうと、なるほど、言われた通りにいい仕上がりだ。描写が活き活きとしている。 


「いやー、スランプって長引くこともあれば、ちょっとしたキッカケで良くなっちゃったりもするから」

「不思議なものよのう。人も神も、その辺は共通しておるようじゃ」

「そんなものなんだなー。で……」


 とまあ、一息もついたところで。


「なんでおまえが私の部屋にいるんだよっ!?」


 ――先ほどから桜花の隣でちんまりとあぐらをかいて、ノートパソコンの画面を興味津々の様子で覗きこんでいるおかっぱ髪の少女に向けて、那雪は叫びをあげる。

 少女、菜奈姫は『なんじゃ、騒々しい』と、うざったそうにこちらに視線を向けてきた。


「仮襲名の神としては、人の子の願望から得る徳をいち早く目標値まで集めんといかんからのう。拠点の社でじっと待つではなく、自分の足で町内を回って稼ぐ。それが我のやり方じゃ」

「誰もオメーの営業事情なんて聞いてねーよっ! ……つーか、それ、単なる信仰の押し付けだろ? 前任者ってのはそれで左遷されちまったんじゃねえの?」

「ああ、その辺は抜かりない。この町で我の力を信ずる人の子のうち、一定以上の信仰度を持つ者限定で回っておるからな。人の子の信仰度の値は、常時データベースに更新されておるから、検索をかければちょちょいのちょいじゃ」

「神秘性無さすぎんだろっ!?」

「無論、出回り中にお参りに来た人の子の願いについても、投書箱形式で貯蔵できるようになっておるぞ。便利じゃろ?」

「誰も聞いてねーよっ!?」

「まあまあ、ゆっきー。ここは一つ音便に」

「桜花もなんで馴染んでるんだよっ! こいつ誰だかわかってんのかっ!?」

「やー、菜奈神様って本当に居たんだねぇ。いきなり壁ぬけマジックでわたしの前に現れて『神様です』と名乗られたときは驚いたけど。こういう風に不思議要素満載だとねぇ」


 驚いたと言いつつもさして驚いた様子もなく、桜花は隣に座る菜奈姫の肩に手を置こうとするが――その手は、菜奈姫に身体に沈み込んだ。

 ぶんぶんと桜花が手を動かしても、菜奈姫の身体の中で空振りを繰り返すのみ。当の菜奈姫は『お主、これで何回目じゃ』と少々辟易している。

 どうやらこの神様、実体を持っていないらしい。よく見ると、桜花の隣に座っているように見えて、わずかながら浮き上がっているようにも見える。

 ……それはともかく。


「もう一度訊く。なんでおまえが私の部屋に居る。セールスなら間に合ってんぞ」

「……お主、我のことをなんだと思っておるんじゃ。仮襲名でも、神様であるぞ」

「やかましい。人の欲望を集めて回るとか、手だけのメダル怪人だけで充分だっつーの」

「わたしとしては、願いを叶えてノルマ達成ってところに、白い契約星人を想起するね」

「言ってることの意味がよくわからんが、お主らが完全に我のことを敬っておらんのはわかったわ……」


 遠慮のない物言いに菜奈姫は半眼になるのだが、ややあって一息。

 仕方なさそうに、菜奈姫は口を開く。


「我がここに居るのは、とてつもなく根の強い願望を感じ取ったからじゃ」

「……根の強い願望?」

「そう。センサーみたいなものでな。ピピッと来たんじゃ」

「…………」


 どこにあるんだよ、とか突っ込んだら負けだと那雪は思った。

 一方の桜花は『ほうほう』と興味深そうに頷いたりしている。


「で、この部屋の何処かにあるという具合なんじゃが、如何せん、詳細については不透明でな。お主なら何かわかるかも知れんと思って、帰ってくるのを待っとるついでに、偶然ここに居たオーカと話をしとったんじゃ」

「わたしにも願望はないかってナナちゃんに訊かれたんだけど、遠慮しといた。あるにはあるけど……まあ、自分でどうにかしたいなって」


 とことんまでに出来た幼馴染だった。

 自分が男だったら、鈴木桜花と言う女の子をまず放っておかないと思う。自分が女だからこそ、那雪は先輩との恋の成就に頑張っているが、桜花とはいつまでも親友で居ようと、心の中で改めて固く誓った。


「まったく、こうも完全努力の人間ばかりじゃと、神様の商売上がったりじゃな」

「……おまえ、台無しだぞ」

「今日は不作じゃから、さっさとここを済ませて、あとは得意先を回って終了かの」

「へー、得意先ってあるの?」


 桜花が興味深そうに訊ねると、菜奈姫はコクリと頷き、


「神が一度に与えられる力というものも上限があって、なおかつ一種の消費物じゃ。なればこそ、先方は定期的に力を補充する。神は定期的に徳を得られる。両者がWin-Winの契約じゃな」

「なんだか打算的なものを感じるぞ」

「で、三丁目のスナック『ゆーとぴあ』のママさんと、商店街の『葉月屋』のオヤっさんとは既に面を合わせておる。共に商売繁盛願いじゃが、わりと実入りは良い」


『ゆーとぴあ』のママさんと言えば、齢四十を超えているとは思えない美貌と若々しさ、ユーモア溢れる話題の豊富さで、独身の社会人に男女問わず人気があると母から聞いたことがある。

『葉月屋』は、県内では指折りの職人が一つ一つ丹念に手作りしていることで評判の老舗和菓子屋だ。甘味処としてのスペースも設置されており、緒頭高を始めとする学生達の放課後寄り道スポットとして親しまれている。

 ……まさか、こういうカラクリがあったとは。

 またも、聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がしたが、よくよく考えれば『商売繁盛』の神頼みなので、これはこれでいいのだろうか?

 なんだか複雑だった。


「ともかくじゃ。この部屋に潜む願望を叶えてしまえば、我はとっとと退散するわい。オーカの小説のその後の展開は少々気になるがのう」

「いやー、そこまで言われると張り切らざるを得ないねぇ。ナナちゃん、いつでもウチに遊びに来ても良いからね」

「ククク、得意先を増やすためにも、是非ともそうさせてもらおうか」

「おまえら、いつの間にそこまで仲良くなってんだよ……つーか、根の強い願望たって、ここには何もねーぞ」


 やれやれと吐息して、那雪は、与えられてから六年以上を自室として過ごしてきた室内を、改めて見回してみる。

 特に変わった様子はない、学生としては広めの間取り八畳の洋室。毎日ではないが、定期的に自分で掃除や整頓をしているので、散らかってもいないと思う。

 強いて変わったところを言うならば、ぬいぐるみの類は置いておらず、特撮のフィギュアやグッズが棚に飾られていたり、壁にカレッジセイバー生誕二十五周年のポスターが貼られていたりするところか。

 改めて見ると、これ、絶対に女子高生の部屋じゃねーよな……。

 今度、カーテンの色彩を変えたり、それらしい小物を置いてみたりで、いろいろ改装しようかなー、などと考える那雪である。もう高校生なんだし。


「少なくとも神様(仮)の気を引くようなものはどこにも置いてないぜ?」

「いちいち引っかかる物言いじゃな。しかし、我のセンサーは未だに反応し続けておる。お主が帰ってきてからは、いい感じに共鳴を起こしておるようじゃしな」


 ゆったりと、菜奈姫は立ち上がる。

 きょろきょろと室内を慎重に見回しながら、途中、先ほどにも見た、メーターが映っているモニター画面、カミパッドを手のひらの上に表示させたりもしている。


「おい、勝手にあちこち開けたりすんなよ? いくら神様でもプライバシー侵害で訴えるからな。訴えて勝つからな」

「どうやってじゃ。この通り実体はないから、必要になったら……お?」


 と、何かを言いかけてたところで、菜奈姫の手のひら上のカミパッドの枠内が激しく明滅を始めた。画面全体が赤くなり、中央には『WORNING!!』の文字。警報は鳴っていないのだが、何らかの反応があるとハッキリと見て取れた。


「おおおおっ、来たきたキタ――――っ!?」

「つーか、なんでWORNING?」

「どうでもいいわいっ! チンクシャ、あそこじゃ、あそこっ!」


 菜奈姫の小さな指が示す先には、那雪の勉強机がある。

 はて、あの机に何か変わったものがあっただろうか? まして根の強い願望とか、そんなものが――


「……………………」


 あった。

 確かにあの机の奥底には、昔に那雪が抱いた『願望』と言っても良いものが眠っている。

 今日、何度かそれの処遇について考えたから、一瞬でピンときた。

 だが、これは……やっぱり、


「諦めろ」

「何故じゃっ!?」

「いや、マジでやめてお願いします。……この『お願いします』でどうにかなんね?」

「ならん。こっちのほうが断然入りがいいからのう。一気に目標達成してしまうかも知れん……っ!」


 琥珀色の瞳を爛々と輝かせ、大仰な身振りでまくし立てる菜奈姫は、かつてないハイテンションだった。

 その様はまるで、ご主人様に好物を振る舞ってもらって、尻尾を振って大喜びするわんこの如し。

 悔しいが、可愛くてちょっと和んでしまった。


「……お家に持って帰りたい。持って帰ってモフモフしたい」

 桜花も同様に和んでいた。発言の内容が少々不穏当なのは無視。

「とにかく、駄目なものは駄目だ。アレに書かれてる内容が実現されたら、間違いなくカオスなことになる」

「ぬぅ。どうしてもか」

「どうしても」

「じゃが、先ほどからの共鳴現象によって、ほぼ臨界にまで達しておるぞ?」

「は? 臨界ってどういう――」


 その時だった。

 那雪の学習机の全体が、カタカタと音を立てて振動を始めた。

 一瞬、地震でも起こったのかと那雪は思ったのだか、部屋全体には異常はなく、あくまでこの学習机のみが振動しているようだ。


「な、なんだ?」

「ゆっきー、机の一番下の引き出しで何か揺れてるみたいだよ」


 机の一番下の引き出し。

 ……思いっきり『ソレ』が存在する場所だ。まさか、手帳が勝手に動き出しているとでも言うのだろうか? 馬鹿な。そんな非現実的なことが……まあ、実体を持たない神様がここにいる時点で、それを言うのは野暮か。

 問題は、この振動の原因が何であるのか、そしてそれに対してどうするべきかだ。


「おい、菜奈姫、さっき共鳴とか言ってたな」

「そうじゃな。我の願いを叶える力と、持ち主であるお主が錠を開ける鍵となったようじゃ。『願望』が本来の役目を果たさんとして――いや、これはいかん」


 と、爛々と輝いていた菜奈姫の琥珀の瞳に、焦燥の色がよぎった。

 何事かと思って見ると、最初はカタカタと揺れる程度の机の揺れが、今度は『ゴゴゴゴゴ』と大規模な動きに発展しそうになっている。そのまま家全体の振動にまで発展してしまいそうな勢いだ。


「ちょ……おい、これどうなってんだ」

「『願望』の力が、我の制御を超越し始めておる……!」

「ナナちゃん、それってちょっと危険じゃない?」

「然り。これは、早急に処置をせねば、まずいっ!」


 鬼気迫る口調で、机に向かって手をかざす菜奈姫。しかし、揺れは全く止まる兆候を見せず、秒を追うごとに振動の規模を大きくしている。

 このままでは、当事者である那雪や菜奈姫は良いとしても、この部屋に居るほぼ無関係な桜花や、下の階に居る全く無関係な母にまで危険が及んでしまうかも知れない……!


「菜奈姫、どうにかできねーのか!?」

「おおぅ、それはお主の願いか? 願いなのか? それならあるいは……!」

「どうでもいいから、どうにかしろ! 神様だろっ!」

「都合の良いときだけ神様扱いじゃのう。じゃが、どうにかしてくれようっ!」


 言って、菜奈姫が一つ柏手を打つと、その小さな全身から彼女の瞳と同じ琥珀色のオーラが立ち上り始める。

 そのオーラに呼応するかのように、揺れる机の一番下の引き出しが高速スライドで開き、中から――胸ポケットに収まるくらいの、小さな手帳が姿を現した。

 微細な傷とシミの入った茶色のカバーは、一年以上の封印のためか少しくたびれていたのだが、今は濃い灰色の光を発して室内の中空を漂っており、異様な迫力を醸し出している。


「これか、チンクシャの持つ願望というものは……!」

「…………」


 否定したかったが、間違ってはいないので、那雪は黙るしかない。

 詳細については、別に話さなくてもいいだろう。菜奈姫がどうにかしてしまうことだし。違う形とは言え、心の準備もないまま今ここで処分されるというのも少々惜しい気がするが、こうなっていてはやむを得まい――




「では、叶えよう、その願望」




 とまで、思っていたところで。

 菜奈姫の口から出てきた言葉に、那雪は我が耳を疑った。


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