第2話 未知との遭遇


男は整備工場Aの扉を閉め、LEDライトを点けてバスに乗り込むと、キーを回しメインスイッチをオンにする。すると運賃箱が起動し現金投入口の上にある液晶画面に【金庫装着待ち】という文字が表示された。

男は持ってきた金庫を運賃箱の差込口に差してから、運行カードを読み取り機の上に載せると、手提げ金庫を運転席と運賃箱の間に置きながら座った。

ブウーン、ガッタンガッタン。運賃箱(運賃収受システム)から金庫の中に一銭も入ってないか確認する作動音。

少し経って運転席の窓側にある【音声合成システム】から『番号を入力してください』というアナウンスが流れ、まずは【曜日コード】と車両番号(4238)を入力する。今日は平日なので【1004238】と打ち込む。

音声合成システムの液晶パネル左上に【ダイヤ運行1004238】と表示された画面には、運行予定のダイヤが並んでいる。そして右下には緑色の【まく】と書かれたボタンがあり、男はこのボタンを押して操作をやめた。


時間は4時半を回って少し経つ。外はまだまだ暗く、バスの計器類の明かりだけが幻想的に車内を照らしている。

「・・もうそろそろだな」

男は腕時計をちらりと見て、真正面を見据える。

がた・・がたがた・・・ガッタンガッタンガッタン!!

まるで南海トラフ地震が起きたのかと思わせる様な揺れが整備工事Aを襲った。

バスのつり革はそれぞれが思い思いに揺られ、運転士が通路を見渡せるほどの大きな車内ミラーはブルブルと震えている。

バスはゴツゴツした悪路を走ってる時の様な揺れ方をし、男はハンドルを強く握って揺れをしのいだ。

・・しばらくすると、揺れが収まり工場内に静けさが戻った。

これが合図かの様に男は席を立ち、工場の扉を開ける。


ガラ・・ガラガラガラガラ。

「う〜〜ん、久し振りだなぁ、この景色は」

両腕を高々に伸びをする男の前に広がる景色は、先程とは全く違うものだった。

まず、駐車場にズラっと並んでいたバスが無い。

というか、アスファルトも無い。電線も電柱も無い。だから明かりがない。近所の民家も無い。事務所も無い。

あぜ道の様な道路が真っ直ぐに伸び、その周囲は草原が広がっているだけだ(まだ薄暗くてよく見えないが)。

普通の人間ならあまりの景色の変わり様に自分の脳を疑うとこだが、男は動じるでもなくバスに乗り込み、キーを回す。

ゴウゥン!ゴロゴロゴロゴロ・・・。

アイドリングで暖気しつつ白手袋しろてをはめる。

そしてライト類のスイッチを入れ、緩やかにバスを走らせる。

エンジンはまだ暖まりきっておらず、クラッチも冷えているので通常より繋がる位置が高い。男は十分にクラッチを踏み込みシフトアップする。暖まっていればスコッと入るギアもまだまだぎこちない。

ジワッとアクセルを踏み4速、5速とシフトアップ。速度計の針は50キロの手前を行ったり来たりしている。道路はアスファルトの舗装はされてないが大きな石などはどけられており、時折タイヤが小石を巻き上げてそれが車体にコツコツと当たる音がするものの、ハンドルも取られる事無くそれなりに安定して走行している。


さっきまで薄暗かった空に、徐々に白い光が覆い始めた。太陽光が辺りを照らし、空には鳥たちが群れを作って飛んでいる。その中で、明らかに鳥ではないも飛んでいるが、逆光でよく姿は見えない。は車よりも大きそうだが、男はさして気にも留めなかった。


やがてバス停が見えてきた所で減速して停車した。

バス停のすぐ脇には田舎によくある古びた待合所のようなトタンで出来た小屋がある。そこから少し離れた所には住宅街のように家々が並んでいた。しかしその家々はよくチラシにあるような建売住宅的なものではなく洋風の木造、それもかなり古い時代を想起させるものだ。

辺りが静かなせいで家の人々の声が聞こえる。何を話してるかまでは分からないが、バタバタと部屋を走り回る音もしたりと、とにかく賑やかだ。


男は外に出て前輪のタイヤに輪留めを噛ませた。バス停の時刻表には、数字以外は見たことがない文字が並んでいた。それでも男は気にせず「始発は5時25分で今は・・12分か。ちょっと早く着きすぎたか」と言って車内に戻った。そこで男はようやく自分の名札がフロントガラス上部にあるネーム差しに刺さってない事に気付いた。

「・・これがないとクレームすぐに上がるからな」

ボストンバックを漁り、名札を見つけるとヒョイとネーム差しに挿し込んだ。

名札にはで【運転士 杉田雄二すぎたゆうじ】と書かれていた。


運転席に戻った杉田は再び音声合成システムを操作する。先ほどの【まく】のボタンはオレンジ色の【確定】に変わっていた。この確定ボタンを押すことで【方向幕】【車内放送】【料金表】【整理券発券機】が連動して作動する。

ピコッという電子音の後に『ご乗車ありがとうございます。このバスは・・』と車内放送が続けて流れた。

確定ボタンを押すことで指定した路線の運賃や整理券番号、車内の案内表示装置が【送りボタン】を押すだけで切り替わっていくのだ。

(送りボタンとは、バス停を通過する際に運転士が押すボタンの事。これを忘れると、いつまで経っても次の案内はされず、乗客からクレームが上がる事も)


発車時刻が3分前を切った頃。

杉田は左ミラーで何かが動いてるのを見た。『乗客か?』と思い目を凝らして見ていると、は人間のようなシルエットだが、人間ではなかった。

ミラー越しだが、大トカゲのような頭部。髪はなく、というかモロに爬虫類の皮膚で目もミラーで確認できるくらいだからかなりデカい。おまけに二足歩行だ。

その大トカゲ人間?はのっそのっそとミラーの中で大きくなっていき、やがてバスの後部ドアに近づくと乗り込み始めた。


バスの乗車ドアにはセンサーが付いていて、人が乗り口に踏み入れると感知して運転士に音で知らせる。

その『ピポーン、ピポーン♪』という音は、まだエンジンの掛けていない静かな車内ではよく響いて聞こえた。音が鳴っているという事は、先ほどの大トカゲ人間が今まさに車内に入って来ている証拠。

杉田は車内ミラーで見続けた。大トカゲ人間は狭い乗り口の階段をゆっくりと上る。一歩踏み込むたびにバスはグラっと揺れ、大トカゲ人間が巨体であることを知らせた。そして、ズン・・ズン・・・と通路を歩き始め、杉田の元へと近づいてくる。大トカゲ人間はRPGでよくある布切れと麻ズボンのような服を着ており、息遣いも荒く、チョロチョロと枝分かれした細い舌を揺らしていた。

化け物・・・。

もし日常にこんなクリーチャーが現れたら大騒ぎだろう。

しかし、杉田は黙ってミラーを見たままだ。

やがて、その大トカゲ人間は運賃箱の真後ろで立ち止まり、杉田をギロッと睨み付けた。そして、アボガドのような質感の、しかも小ぶりなスイカみたいにデカい手をズイっと杉田に近づけると・・・・。



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