異世界自主運行バス

たけざわ かつや

第1話 運行前点検

 午前4時。新聞配達のカブがせわしなく小走りしている。もうすぐ冬に差し掛かるこの時期は辺りはまだ暗く、車通りはほとんどない。男は私有車を駐車場に停め、白い息を吐きながら後部座席からボストンバックを手に取り、会社の事務所へと向かう。


ここはとある鉄道系のバス会社。男が生まれる前からあるこの会社は、古くから地域の足となり路線バスを運行している。時代と共に走る路線数はだいぶ減ったものの、それでも地元の交通手段としてはなくてはならない存在だ。

「おはようございまーす」

男は事務室に入り、まだ眠たそうな当直のせき【運行管理者】に挨拶すると持っていたボストンバックを壁の隅に置いた。

「おぉ、おはようさん。そっか、今回はお前が・・」

「そうです。久々にあの(路線)の担当になりました」

「まぁ、あの路線もランダムだからなぁ」

男は関から車両キーと【旧整備工場A】というタグの付いた鍵を受け取ると事務室を出て、今度はバスが停めてある駐車場に向かった。

駐車場は事務所から少し離れた所にある。そこには様々な年代のバスがズラリと並んでいた。最新型から平成初期の車両まであり、県内でも珍しいという事でよくがカメラを構えて目当てのバスの出庫を撮っていることがあったりする。

男は更に奥に進むと、どのバスの使用年数よりも更に古そうな小屋の前で立ち止まった。

その小屋は【整備工場A】と書かれており、バスが丸々一台入るほどの大きさで、所々に塗装が残っているものの全体的には錆の赤茶けた色が占めている。

男は関から受け取った鍵で南京錠を開錠し、大きな扉をガラガラと押していくと徐々にバスの前面部分が現れた。

バスと扉のあいだは50㎝もなく、結構ギリギリで駐車されていた。

「相変わらず、狭いなここは」

男は呟き、バスの前面部分にある小窓を開けるとその中に手を入れて奥にあるレバーを倒した。バスから『プシュッ』という音が聞こえ、男は前扉を押し開けて車内に入る。ボストンバックを運転席の後方に置くと、運賃箱の横に差してある【点検ハンマー】を手にして再び車外に出た。

駐車場内はライトが付いていて多少は明るいが、工場内は真っ暗だ。おまけにここは普段倉庫として使われているため電気は通っておらず、電灯すらない。

男はポケットから小型LEDライトを取り出し、バスの点検箇所を照らす。ミラーや窓を舐めまわすように見てヒビや割れがないか確認する。

点検ハンマーでホイールナットを叩いて緩みがないか、タイヤに亀裂や釘が刺さってないか、タイミングベルトは劣化してないか、オイルは適量か、ライト類に割れはないか、点検箇所を指差呼称しさこしょうしながら見て回る。異状がなかったので男は運転席に座り、今度は車両キーを回しエンジンを始動する。

ブルルンというエンジン音とともに車体が揺れ、運転席のパネル類も電子音とともに色とりどりの光を灯す。

室内灯A、B、車外灯といったスイッチ類をパチパチ押して球切れがないか見て、特に異状はなかったので【自動車運行前点検報告書】というB5サイズの用紙にレ点でチェックを入れていく。

一通り書き終えた所で男はタイヤの輪留めを外し、運転席に座るとクラッチを踏んでシフトを2速に入れる。そして、ジワ〜っとアクセルを踏みクラッチを繋げてバスを数メートルほど走らせたところで今度はガツンとブレーキを踏む。

車体は勢いよく止まり、男も前のめりになりそうになる。「ブレーキ良し」男は続いてシフトをR(バック)に入れてバスをまた工場に入れる。ピーッピーッというバック音が工場内に鳴り響く中、運転席の右前にあるバックモニターで車体が壁ギリギリまで近づいたのを確認するとバスを停車させ、そのままエンジンを切った。


「点検終わりました」

制帽を被った男が事務室に戻ると、事務室の奥でパソコンを打っていた関は「おぉ」と手を止め、どっこいしょと立ち上がる。

「もう慣れたか?は?」

「そうですね。なんやかんやで結構行ってますから」

「続く時は続くけど、ピタッと音沙汰なくなる時もあるからな~」

運行管理者の関は、路線の時刻が書かれた運行予定表をパラパラとめくり、目当てのものが見つかるとピタッと指の動きを止めた。

その間にも男は社員番号を入力し、紙を巻いた短いストローをアルコールチェッカーの検知部分に挿し込むと、息をふーっと吹きかける。

するとクイズで正解したような『ピンポ~ン』という音と共に、男の呼気にアルコールが検出されなかった事を示す0.000㎎/Lという数値がアルコールチェッカーのディスプレイに表示された。

「うん、アルコールは残ってないな。じゃ、点呼やるか」



「はい、本日の路線をこの表で確認し、良ければ判を押してください」

机の上には各乗務員の名前と、今日の乗務する路線が横線で記されている表が敷かれている。男の路線は空白だったが、迷わず右隅にある押印のマスに判を押した。

関は判を確認し、机の上にダイヤ表、車両キー、運行カード、そして運賃箱にセットする金庫を並べた。

通常、金庫にはバスの車両番号が貼られていて、乗務員が金庫室から自分で持ち出し、精算機と呼ばれる機械に金庫をセットして中身がカラであることを確認するのだ。しかし、運行管理者自らが金庫を用意するあたり、男の乗務する路線が特殊なのだと物語っている。

「では、安全運転5則の唱和をお願いします」

「ひとつ!発車の際は・・・・」


「はい、ありがとうございます。だいぶ日が暮れるのが早くなりました。午後の4時を過ぎたらライトの点灯。これをお願いします」

「了解!」

男の敬礼に関はゆっくりと答礼し、「あ、そうだ」と屈んで下から金庫とは違う金属製の箱を机の上に置いた。よく小さな商店のおつり入れに使われてそうなその箱は、ダイヤル式の手提げ金庫だ。

も大事なんだろ?」

「あぁ、これも必要です。私も久々で忘れてました」

「悪い悪い。ほれ、これが番号だ」

男は関から渡された小さな紙に書かれた番号に沿ってダイヤルを回していく。

カチっと音がすると男は箱を開け、中身を確認し終えると再び箱を閉めた。

「はい、異状ありませんでした」

「今の時期はあっちは寒いのか?」

「寒いには寒いですけど、雪は降らないですね。昔はよく降ったらしいですけど」

「そっか。久しぶりで大変だと思うけど、安全運転でお願いします!」

関は男に軽めの敬礼をし、事務室のドアを開けた。バスの金庫と手提げ金庫で両手が塞がった男は「ありがとうございます!」と礼を言い、駐車場を目指した。



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