⒊ 胎瞳(6) 悪魔の開門、再び―

『~♪』


 炊飯器の炊き上がり音が鳴ると、平ばあちゃんは蓋を開けて完成した蒸しパンを皿に乗せ、それを二階の椛見哩もみりの部屋へと運んで持って行く。


 転けないよう、注意しながら階段を上がり、椛見哩もみりのいる部屋の戸を軽くノックするが、返事が無い。


 ただそこに疑問をいだくかというと特別そんなことは無く、二、三回叩いた程度のノック音では気が付かなかったと言われてしまえば――


 まぁそんなこともあるだろうぐらいに気にも留めず、平ばあちゃんは蒸しパンが乗った皿で塞がれた手と反対の手でドアノブを回し、椛見哩もみりの部屋へと顔を出す。


「ほれっ、蒸しパン作ったから、目衣彩めいあちゃんと一緒にお食べ……………」


 と、その時――、平ばあちゃんは思わず………言葉を失った。


 目の前に広がった、残虐で残酷な……目を背けたくなるような光景を見て―――


「あーあ……見ぃ~られちゃった!」


 一人の小さな子供がそう、口にした………


 ―――――――………


 ―――――……


 ―――…


「あー、平ばあちゃん。学校帰りに寄り掛かったもンで、まだ店やってたりとかする………」


 それは、夕暮れ時のこと――。


 学校帰りの学生達がちらほら外を歩く姿が見える中、この場所――、寂れた商店街の中にも一人の学生の姿があった。


 真っ直ぐに平山精肉店へと足を延ばす彼女:『噛月朱音かみつきあかね』は思わず目の前の光景を目にした瞬間――、が止まる。


 何故ならば、例の平山精肉店の中から一人の人影が―――……


 素っ裸の幼子がペタペタと、血の足跡を残しながら歩いて出て来たからである。


 嫌な予感がする――。


 まさか、こんな子供が店内にいた人間を殺した………なんて事態が―――……


 頼むから、そこらの餓鬼ガキンちょがふざけて精肉店の奥に入ってしまったとか何とかで、加工途中の豚や牛の血でも付けて汚れた程度であってくれと思うばかりに、明らかに様子の可笑しい子供の元へと接近しようと――


 と、ここでまた思わず足が止まる。


 よく見れば子供の左手には大量の眼球が入れ込まれた、謎のビニール袋が握られている。


 ビニール越しからも分かるあの奇妙な光り方は――間違いない。あれらは神眼である。


 あの子供は………神眼者だと言うのか?


 もしや、あの店内に神眼者が………


 平ばあちゃん……である可能性は、到底低い筈――。


 そう、仮にも神眼者として生きていた――、となれば、平ばあちゃんには申し訳無いがやはり死んだ年齢の若い、動きが機敏な神眼者がいる中―――


 いくら強い目力を持っていたとして、今日という月日まで粘れる程に対処可能なものなのかどうかは正直なところ……、かなり現実的では無い―――《難しい》、と言わざる得ないだろう。


 従ってここは平ばあちゃんの眼球では無いと頭では考えていても心では無事であるかどうか、あんな血まみれ姿の幼子を目にした手前――、


 店へと近付きこの目で生死の確認を目の当たりするまで、気にせずにはいられない性分である。


 だが――


 店の前に立つ、……その一見して幼い子供のなりをしているものの、その実――


 朱音の……これまで不良として散々暴れていた彼女の持つ――《戦闘の勘》、と言うのだろうか。


 それが嫌と言う程、朱音の心にズキズキと響き続ける。


 近付けば、確実に殺される――と。


 幼子一人を目の前に、肌がビリビリとひりつくような――、得体の知れないプレッシャーすら感じさせる。


 けれども、あの店の中の様子が一体どうなっているか、それを確かめるにはどうしたって…………


「なッ――」


 と、思ったらそれは見えてしまった。


 神眼の目の良さがそれ程までに想定を―――、遙かに超えた性能を持っていたのであろう。


 二階の一室にある窓………僅かに開かれたカーテンの合間スキマから覗かせる黒い影――


 鮮血に彩られた部屋に転がった存在、そこには店で見た良く知る人の姿があったのだった………


「このッ、餓鬼ガキぁアッ!」


 想像もしたくなかった―――……


 最悪の現実を目の当たりにしてしまい、さっきまで抱いていた筈の驚怖感が一気に吹き飛んでしまうくらい――、噛月朱音の感情が急激に高ぶる。


 怒り――いや、この感情は『激昂』と言った方が具体的だろうか。


 今となれば何故……、幼子一人を相手に恐怖心を抱いていたのか、不思議にさえ感じてしまう。


 あんな餓鬼の神眼者一人、アタイの手で敵討ちしてやらァァ!


 ……なんて、威勢意気込みを張っていたのは、ほんの数瞬でのこと。


 この後に起きた、予想だにしない幼子の脅威に狩られることとなる――。


「おや?この店のお客人かな………?だとしたら、店の主人ならこの通り――、ね」


 そう言って、血まみれになった手をヒラヒラと動かす幼子の姿があった。


「それより、見てしまったのなら仕方ないね。………目撃者には消えてもらわないと」


 幼子……めめめは手にしていた大量の神眼が入ったビニール袋を思い切り横に振り上げ、左目の【目異宮ノ門アイホート】の神眼を開眼。


 袋の中から勢いよくぶち撒かれた、神眼一つ一つを残らず回収していくように、めめめの足元周辺に数多の《小門》が一挙に顕現する。


 地面を背に展開された数多の《小門》は一斉に開かれ、一つ一つが底の見えない真っ暗闇な孔の中へと、大量に撒かれた神眼が次々とランダムに落ちて入り込んでいく。


 そうして最後に、一つの神眼が孔の中へと入り込んだ数瞬のこと――


 地面に広がる数多の《小門》の中から一人、二人………小さな人の手が伸びていき、頭が――、胴体が――、足が――


 同じ見目形をした『めめめ』が――、そこかしこに点在する《小門》の孔から這い上がって出て来ては、ぞろぞろと………赤い二つの角飾りが付いた、ブカブカの白いパーカーを上から羽織った姿の【幼子の集団】が、一同に姿を現していく。


「「「「一人でも私が生きている世界線があったとしたら当然………、他の世界線で死んだ筈の私が生きていたって可笑しくないよね!」」」」


「「「「うわっ!みんなして一斉に声が揃っちゃったし」」」」


「「「「……って、また揃ったし。気持ち悪いハモり方するなぁ………。あ……全員、私なんだから仕方ないか」」」」


「何訳分かンねェこと言って………が、餓鬼が……増えた、だと……………」


 突然の事態に朱音は焦りを見せ始める。


 それを尻目に、幼子の一人が服と靴の一式を手に持って、血塗れ姿の同じ姿形をした幼子の元へと近付いて行く。


「はい、スッポンポンな‘私’。素敵な服と靴土産を持って来たよ」


 すると、これまた同じ容姿をした別の幼子があるものを手に持って近付いて行く。


「いやいや、そんな汚れた身体で服着たって、その前に身体を拭く方が先でしょ。

 タオル、濡らしておきましたから、どうぞこれで身体拭いちゃって下さいね」


「ああ、すまない」


 血塗れ姿の幼子は出されたタオルで身体を拭くと、彼女らと同じ白いパーカー姿に身を包み、同じく用意された靴を履いていくのだった。


 「いや……、マジで何なんだよこれ。訳分かんねェって…………」


 突如として起こった、この事態をどうしたって飲み込めずにいた朱音。


 舎弟を持ち、かつては一匹狼を貫いていた者が気付けば………、慕ってくれる者の存在に囲まれるようにもなり―――、


 頼れる兄貴分――なんて、大層な持ち上げ方をされているや否や、連中と連むようになってからというもの………、


 生意気にも『姉サン』だのなんの呼ばれて、それで調子をこくような自分はいなかったが、それでも自分のような不良はみ出し者な存在の下に付いてくる者に格好示しが付かないようでは、仮にも腕っ節でこの世を渡り歩いてきた不良スケバンとして、柄にも無く弱い自分を見せるような――、それを大きく撥ね除ける強い意志が……、向かって来る相手と張り合う強い心が……、せめぎ合う強い感情とが……、酷く滔々とうとうと葛藤し、支離滅裂と大いに駆け巡る。


 常に舎弟達にとっての〈一番の強者〉としてあり続ける………、彼女らの抱く《憧れ》――、


 舎弟達……自分らの慕う、【頭目トップ】に立つ存在として持ち得る《メンツ》――、《プライド》――。


 それらは全て、ただの〈押し付け〉―――……単なる一方的な《願望》でしか無い―――……。


 事実は大層儚く、全ては勝手に思い描いてきただけの『理想』に過ぎないのだと……。


 これはそう……周りの連中が勝手にアタイのことをそういう目で見てくるだけ…………


 否――、


 総じて、ほざけ………ッ!


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 飾言を並べ立て、全てから責任転嫁たァ、他己たこいてンじゃあねェぞッ!

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 決して――、連中にそのようなことを思わせるのだけは、避けてなるものと―――


 彼女らの――、心を踏みにじるようなことだけは、あるべきで無いと―――


 今の自分が発揮出来るだけの【最大表現ポテンシャル】や【頭目の素質リーダーシップ】。


『噛月朱音』という人間そのものが、少しでもしっかりとして頼もしいと思ってもらえるような――……


 周囲から舐められない為に自分を、大きく魅せられるだけの強さを示せるような――……


 様々な思いや決意を胸に―――、今の朱音の中にあった突破口こたえ――、それは―――……


 それは『冷静に物事を図る力』:《慧眼けいがん》――はたまた《洞察力》とも言い換えることの出来る一つの在り方示し方を常日頃から意識し続けていた朱音は、その真価を発揮する。


「この数を一斉に相手にするとなりゃあ………いや、なにも

 大量の門から出て来た、餓鬼の大群………奴が手に持っていた神眼だらけの袋ン中身を、妙な門の中へと撒き散らし、『突然現れた存在』だ。

 つまりあの餓鬼連中……その正体は、ッてことなンじゃあないのか?

 だとしたら……7割……5割……もしかしたら、上手く出来て3割ぐらいか。

 結果――、どう転がろうと……ある程度には手玉に取れりゃあ、それでいい………」


 一斉に襲い掛かる幼子の集団。


「アタシの下に付けやッ、餓鬼共がッ!」


 朱音はその身に宿した神眼の目力:【首染領眈しゅそりょうたん】を開眼。


 片っ端に睨みガンを飛ばし、適当に能力に掛かった、ざっと半数ぐらいの幼子の集団が一瞬にして――、彼女の元へと寝返える付くようにピタリと勢いがみ、一斉にその場で静止する。


 餓鬼の大群から出て来たはみ出し者半グレ――もとい、〈舎弟集団〉とも言うべき一部の幼子の存在が生まれたことで、朱音を襲う幼子の数が減少。


 《他者暗示》という、朱音の範囲能力に囚われた舎弟達をもってして、この場を突破する為の一手に出る。


「……へぇ、お姉ちゃん。神眼者だったんだ。なら、話は早いや。始末消すついでに目玉も頂いちゃうね!」


「ざけンな。誰が餓鬼の機嫌取りに目ン玉をやるかッてンだ。……ッたく面倒臭ェ、数が数だ。こうなりゃあ、洗脳に掛かった餓鬼全員に命令する。

 『テメェら、そこの同じ顔した連中と仲良く同士討ちしやがれッてンだ!』」


 その言葉に従うように〈舎弟集団〉は暗示が掛かっていない、同じ顔・体格をした『別世界のめめめ達パラレルセルフ』に対して楯突たてつくように、目力を使用し交戦する。


 ここは当然――、対立する餓鬼連中にとって無視出来ず、負けじと目力異能力を行使し、向かって来る『別世界のめめめ達パラレルセルフ』と敵対し、応戦していく。


 気付けば良いように朱音の手中ペースに飲まれてしまい、ただただ自分という存在が次々に削られ消耗し、疲弊する中――


 そのままの状態が続いて終わる、では無かった。


 ふらっと、一人のが寂れた商店街の中にある、昔ながらの小さな書店へと入っていく………。


 客が来ずにカウンターで一人うつ伏せになって寝てしまっていた店主を余所よそに、めめめは【双成る諍い 暁陸聞洲あきみちひろくに/著】と表紙の書かれた、一冊の本をおもむろに手に取り、ページをパラパラと開くと、その幼子は両目を光らせ、唐突にこのような言葉を言った。


「【十品視じゅうひん詞】:助詞ノ文法/《終助視しゅうじょ詞》-言霊ことだまノ奏/一節『同じ私で啀み合い《するな》ッ!』」


 何やら祝詞のりとの如き呪文めいた言葉を発したその直後、目力:【首染領眈しゅそりょうたん】によって、強い暗示が掛けられていた筈のめめめ達が一斉に正気を取り戻したように、目の前のめめめに向かって敵対する様子が一瞬にしてピタリと止む。


 目力:【十品視じゅうひん詞】。

 開眼時、書物や記事、言葉の書かれたものを見ることで能力発動。言葉に乗せて強い神力が働き、言い放つ言葉通りのことが実効化される異能。

 なお、自分で書いた文字や他人にこういった文を書いて欲しいと私的に望んだ文字には、あくまで人の感性思いが乗った媒体文書を介してのみ、それらに記された言葉通りのことを形にすることが出来る。


 かの言霊ことだまを彷彿とさせる強力な異能力だが、あくまでその効果が働くのは文字に起こした(テキスト化された)文にのみ限定される。


 これにより、目力:【首染領眈しゅそりょうたん】による《他者暗示》は『啀み合いするな』という言葉のままに効果目力は打ち消されてしまい、形勢は一変して逆戻り―――。


 だが、それまで同士討ちしてきたことから、確実に消耗していることは確かである。


 朱音は走った。


 能力が効かないとなれば、効果範囲にかまけて一定距離を保ち続けたまま、この場に留まり続けるのは何とも下策にして愚行である。


 一刻も早く離れなければ…………。


「アタシの得意戦術が効かねェッてンのなら、潔くここは逃げンぜ。

 訳分かンねェ数の餓鬼ガキンチョ相手をねんねころりとあやしていられる程、暇を持て余している訳じゃあねェンだわ。ヤンキーが背中向けて敵前逃亡なンて、クッソダセェって思うか?餓鬼相手にヤンキーの流儀だプライドだ持ち込んでくる方が野暮ッてもンだろ。

 ……やんちゃして馬鹿ヤッてただけの、昔してた喧嘩には足洗ッたンだ。こちとら勝ち筋の見えねェ喧嘩をヤろうッて感じる程、グレたつもりはェし、ド廃れクサレちゃあいねェわ!

 餓鬼の子守がご希望ッてンなら、一挙に世話してくれる奴の元へとおんぶにだッこしてやンよ!」


 そう言って大量の幼子を背後に抱えたまま、朱音は全速力である者の元へと駆けて行くのだった。

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