第四部 ⒋ 目視亜

⒋ 目視亜(1) You can't teach an old dog new tricks.

 朱音は急いで人気ひとけの少ない寂れた商店街を駆け抜け、後ろから迫る小さき集団の脅威から身を守る為――、道行く人その全てに睨みガンを飛ばしては、次々と舎弟を増やしていく。


 自分の後ろに付いて行くよう命令を掛け、背後に人混みを築いていき、常に効果範囲の届く距離を保たせるキープする


 強力に働き掛けるその暗示は、能力に掛かったことさえ気付く者はいない。


畜生ちッきしょうッ、今のウチに取れる最善策がこンなことだとはよォォ。こういうやり方は好きじゃあねェッてのにッ!心底腹立たしいぜ。

 こんな……こんなちっぽけな手段しか取れないとか、それもこれも全ては自分の弱さが招いた結果だ。

 でも……、それでもッ!ウチにはそうせざるを得ない意地があるンだ。

 アイツらに悲しい顔させンのだけは、絶対に…………」


 そこには一人、悔しがるように苛立たしく、力強く握られた拳をわなわなと振るわす朱音の姿があった………。


 …………………


「あー、逃げやがったぁぁアイツ――ッ!いくらこっちの身体が小柄だからって、余分な筋肉が無い分、早く走れるのだろうからさっさと追い付けば良い話じゃないかって?

 子供ならバテたところで、体力が持ち直すの回復する速さたるや、大人顔負けだろうったって?

 そもそも常識的に考えてみて欲しいんだけど、何もこちとら、動力さえつぎ込まれれば無尽蔵に動き続きられる機械人間って訳じゃないんだからさぁ~、粘り強さに我慢強さ……『持久力』が無いことを良いことに、あんなに走って逃げられちゃあ追い付こうったって、早々捕まえることなんて無茶にも程があるから………はぁぁ~〜、鬱陶しいなぁぁ……!こうなったら、纏めて片付けるまでのこと。

 あいつも……そいつも……みんな、み~んな重くなっちゃえ!《異能開眼》-【重視じゅうし】!」


 頭を働かせる精神面は高校生だが、それに反して実に身体面は幼い。


 持てる力の差が大きいばかりに、一人の《めめめ》はまさにその状況を打開する、最もこの場で合理的かつ最適な目力を行使する。


 反面――、朱音にとってこれは、心が焼けるように辛い『決断現実』そのものだった。


 無責任とも言える行動から生まれたそれは、己が力不足な為に――


 無害な島民達で結成された取り巻き集団は、次々と強い重力場に囚われてしまい、島民は立っていられず、ものの数秒後には強力な圧力によって全身を地面に叩き付けられ、そのまま地面にヒビが入る勢いでギチギチと身体がめり込んでいく。


「……嗚呼、クソッ………無力過ぎンだろ………いくら力を手にしたからって、元は只の一人の人間でしかェことに何ら変わりゃあしねェ。

 所詮は群がって………数に溺れて……態度がデカくなってイキがっていただけの…………餓鬼だチンピラだと違いェンだな」


 自分は……こんなにも弱かったのだと―――


 所詮は目力によって従わされているだけの偽善かりそめであろうと、庇い立てする島民に対して気に掛けない訳が無く、だがそれでも今の朱音には後ろを振り返れる応えられる余裕すら無い………。


 だけど――、


「……こうも思い知らされるなンてなァ…………けど……けどな。こンなウチにも慕ッてくれる存在がいるンだ。こないなところでおっンじまッてちゃあ、アイツらに面目無くて、それこそ………情けなさ過ぎて、例え輪廻転生――人生、生まれ変わることがあろうと無かろうと、一生顔向け出来やしねェだろがッ…………!

 自分一人の力じゃあ、どんなに惨めったらしくちっぽけだって………人と人との《繋がり》がどんなに勝るとも劣らない大きな力を生み出す、無限の可能性がある…………みのる……安奈あんな………唯羽ゆいは…………それと、巳六みろく……瀬良せら………かおる…………弱い自分を恥じッていたって今更、どうにもなりゃあしねェンだ。

 早く、アイツらの元に行って協力を仰がねェと………」


 苦しみをバネに――、心だけは強く有り続けようと、後ろを追い掛けてくる地獄の軍団の殺意プレッシャーに臆すこと無く、朱音の心情メンタルは意外にも前向きな姿勢を見せ始める。


「やったねッ!これで、アイツの元まで続く橋を架けることが出来たんだよ!」


 そんな中――、身動きの取れない島民達の背中の上に足を乗せるようにして、小さな身体の《めめめ》がスタスタとその上を歩いていく。


 実に我が物顔で、堂々と我が道を歩くその姿勢には、朱音の目力の強制力によって、意識が朦朧もうろうとしている筈の足場にされた島民達が何処どことなく、いきどおりと苛立ちを感じているかのような険しい顔を浮かべているようでもある。


 そんなやばい子供の驚異から、必死に朱音は逃げていると、何やら……道すがらに会話を繰り広げている、とある三人集団グループとすれ違う。


 何とも聞き覚えある声が聞こえたと感じた朱音は、思わずその集団の方へと振り返った。


「すみません。犬が好きだからって、こうして散歩までさせて頂いてしまって。

 それにしても……安易に連れ回してしまって良かったのですか?

 その……盲導犬としての任を降りた老犬だって言うんじゃあ、むやみやたらと…………ねぇ、皐月?」


「えっ!私に振られてもッ………ま、まぁ確かに、無理をさせるような真似はよくないことには変わりないけれど…………流石に考えあってのことじゃないかな」


「その通り!老犬だからこそ、足腰の筋肉が衰えないよう、適度に散歩運動させる為の〈歩行器〉に、滑り止め防止の〈フットパッド〉。

 犬用のNEMTE-PC(ドッグウェアやレッグカバー)を揃えた完全装備の上で、週に二〜三回程度には散歩をさせているものさ」


「はへ〜〜………入念な装備だこと。飼い主にこんなに良くしてもらえちゃあ、幸せってもんだろうな。

 それにしても、ただの散歩にスケッチブックまで持って行って、何か意味があるのですか?」


 海莉はそう言って、左肩から下げた真木奈の手提げ袋から少しはみ出た、スケッチブックの方へと目を向ける。


「ああ、これね。取り敢えずはこれを持っていけば、アイが何を考えているのか、能力の力で映し出してくれるから、簡単に意思疎通が取れて便利なんだよね。

 例えば、『食べ物』が映し出されれば、散歩ついでにこれ食べたい!って気持ちが直接伝わるし、『物』が映れば興味を示していることが直接伝わるというもの。

 このスケッチブックは言わば、犬語翻訳機バウリンガルよりも実に的を得ている――、私とアイを繋ぐ伝達手段と言う訳さ」


 連中の間の声に混じって聞こえてきた、あの声の主は聞き違える筈が無い、恩師の先生の声である。


 すぐに朱音は皐月に危険を知らせようと、声を掛けようとしたが、反応した時には既に一足先に遅かった………。


 進行方向の先で大量に横になった人々。


 この只事で無い場面を目の当たりにした、三人と一匹は、視線を揃えてそれぞれが反応の声を上げる。


「それでさぁ………って、えっ……?こ、これ………どういうこと…………?」


「多くの人が倒れ………、いや……、伏している?」


「まるで強い力によって、押し潰されているように………地面にヒビが入っている…………」


「な、何なのあれ………同じ顔……同じ体躯をした、小さな子供が大量に…………こっち来てるって!」


「ウゥゥ……ワンッ!ワンワン…………ッ!」


「アイがあんなに力強く吠えるなんて………、いつ以来のことか……………」


「もしかしたら、危険を知らせているのでは…………どうにも、嫌な予感がする…………」


「ま、まさか………、……いや………そんなことって…………」


「真木奈さん!神眼を開眼して………ッ!やはりあの子供にはその……、分身能力的な目力を有した神眼者であったりとか…………」


「そんな……もの………じゃない…………」


「それは、どう言う………」


「単なる……分身能力などでは無い………。あの子供達……幼い姿ナリをして全員が全員、異なる神眼を宿しているんだよ…………」


「まさか……、そのようなことが…………」


「は?何なんだよそれ?なんでそんなやべぇ奴がこんなところで、一般人相手に暴れ回っているんだよ!」


「恐らく……ゲームルール上、一般人に目立つような行動は控えるべきだから、自らリスクになるようなことはしないと思うんだよね。

 ……だけど、そうでもしてまで暴れているその理由…………あくまでこれは私の個人的見解になるけれど、何かしら見られると都合が悪いこと――

 それこそ力を使っているところか、始末しているところか、何にせよある――何者かに、目にされて面倒事になることでもあったとかで………目撃者の始末をする為に、形振なりふり構ってられる様な状態では無いとか―――」


「……おい、皐月ぃぃ。何だよ、その考察はよぉ!変なこと言うなってんだ!怖過ぎんだろうが!」


「あくまで私が思った考えってだけのことであって、別に海莉かいりを怖がらせようとして、そう言った訳では無かったのだけれど………」


「いや、それ絶対嘘じゃん!私が怖がる反応を面白がっているに決まってるって!」


「そ……そんなこと言い合ってないで、は……早くここから逃げることだけを考えるべきであろう………」


「そ……そうだよ、小暮さんの言う通りだって。皐月が変なこと言ったせいで私までこ……、怖くなってしまったじゃんか。

 いいからさっさと来た道を戻って、すぐにでもここから退こうぜ」


「……いや、引き返す前に一般人に掛けられた謎の力を解除させないと」


「まさか、あいつの注意を引くって言うのか?馬鹿言うなっ!

 お前のそういうお人好しなところ好きだけどよ、何もあんな化け物相手に発揮しなくったって良いじゃねぇか。

 高校教師を目指すんだろ!命あっての物種だろうがっ!」


「何も正面切って、ぶつかりに行くって訳じゃないんだ。

 神眼者なんてやっている時点で、せいにすがって生き返ったような人間に、自殺願望の『じ』の字も付かないことは明確な話だろう。

 1ミリ足りとも死ぬつもりなんて、毛頭無いさ」


「だぁぁぁ―――ッ、もう分かった。分かったって。私もお前のお人好しに付き合ってやるよ。

 どうせここで逃げたところで、あの数相手に逃げ切れるとは到底思えないからな。

 迎え撃つ………なんて格好良いことは言えないけれど、小さい子供のする行い悪さしつけられないようでは、小学校教師なんて勤まりやしないからな。

 ……ってもこれは、相当ハードルが高いみたいだが…………」


「ふふっ……海莉のそういう素直になれないところ、本当に可愛いんだから」


「かっ……かかっ………可愛いって………そう言うのは、止めろって!

 ああもうッ、人が言われ慣れていないことを知っての上で、さらりとそんなことを口にするんだからっ!」


「照れた海莉も可愛い………」


「ば、馬鹿っ!止めろって!」


「ふ……二人とも正気か…………。あ……あれに………立ち向かおうって言うのか…………」


「立ち向かう………―――それは違うね。ちょいと力に溺れた子供に一つ、教訓を教え諭してやるのさ。


『《遊び》と《迷惑行為》の識別は、小さい内から身に付けておいた方が良い。

 周囲の人間から無知な行いで済まされる〈ボーダーライン天秤〉は、社会に出る前にきちんと計れるようにしないと駄目なことなんだ』


ってな」


「何と言うか……、さっきまでビビって逃げ出そうとしていただけに、非常に締まりが無いと言いますか…………」


「あーもうっ!皐月ってば、意地悪なこと言うんだから~!

 こ、こういうのは敢えて触れないのがマナーと言うものでしょうに」


「海莉ごめんって、言い過ぎたよ。……けど、迷惑行為はめようって、その気持ちには私も同意出来るわ。

 例えるなら、『電車内で隣に座る乗客とちょっと肩や腕がぶつかったり、ウトウトして一切悪気が無く寄り掛かってしまった時、退け邪魔だと言わんばかりの様子で、迷惑そうに払い除けようと、舌打ちと共に勢いよく肘打ちをする乗客の姿――』。

 人間たるもの、言葉で気持ちを伝えることが出来るというのに………あの何ともされた側の気持ちを一切考えようとしない、線路の飛び出しを禁止するポスターはあっても、何故かこれを注意喚起するポスターの一つも貼られていない。

 極めて意味不明かつ、あれ程、悪気のある行為とは感じてもいない様子で、口より先に手を出してくる――、

 あのような人間に育ってしまわぬよう、若い内から人の気持ちを汲む心を持って、素直に育って欲しいという思いはやっぱり――そう!

 先生になるからには『学校』という、親御さんから大事なお子さんを預かり、教育を育む環境の元でお仕事をしていく以上――、

 さっきの電車の例で言ったような……実に自己中心的で迷惑行為をする、何故か親がそうしろとは絶対に言わない筈なのに、周りに影響されてそうする人が自然と増えていく………

 あの実例的な負の連鎖みたいなものにだって決して影響を受けない、しっかりとした社会性を刻み付けるくらいには、多少痛い目見させることになっても、やぶさかでは無いでしょうね」


「あー……えーっと、布都部島が出来る震災前の日本で、何か嫌な車内トラブルでも見舞われたりしたのかな………。

 具体的な例がリアル過ぎて恐いって、皐月………。

 けどまぁその……、皐月にもそういう人間味あるところが見えて、少しは安心したけど…………」


「現にあのような―――周囲の人間を差し置いて………、さも邪魔者扱いで人をイタズラに蹂躙していく様子を見るに、あの子の周りに転がっている人達には、まるで眼中に無いのだと思う………。

 そう――、始めからある人物ターゲットにしか興味が無いというように…………」


「……………せ……い………」


「う~ん。まぁ……そう言われると、そんな気がしないでも無いような………?」


「……い…………せ……んせ…………」


「あ……あの、そんなことを言っている間にも、あの子供は近付いているってこと。分かっているのですよね………ふ、二人ともぉぉ…………」


「伊駒先生!」


 何処からか――、三人の会話の間を割って出るように、一人の女の声が聞こえてきた。


「ひぃっ!次から次へとなんなのです?」


「えっ?この声、聞き覚えのある………」


「ん?何だこの、如何いかにも自然体では無い個性的な髪の色をした奴は?」


 そう言って、海莉の視線の先にいた人物を一瞬遅れて皐月も目視する。


 そこにいたのは紫メッシュに髪をキメた見知った一人の少女の姿が――。


 この見た目は紛れもなく、『噛月朱音かみつきあかね』その人である。


 彼女は慌てた様子で、真っ先に皐月に向けて声を掛ける。


「奴がターゲットにしている対象はウチ……このアタシなんだ」


 どうやら三人がしていた会話を耳にしていたようで、それは唐突に――、皐月の言っていた想察ターゲットを唱える答えが明らかとなった。


「どう言うことです?」


「噛月……、ま……まさかあの子供相手に、喧嘩を売った訳じゃ…………」


「いや、違うッて!そこの商店街で営業している精肉店の平ば……、店主を奴が殺したところを目にしてしまって………そのことに気付いたアイツが口封じに始末しようッてんで命からがら、今に至る訳さ」


「えっ、なになに?お二人さん、この子と知り合いなの?」


 一人置いてけぼりにされてしまった海莉がそのように口を開く。


 そんな彼女に説明するように、皐月は軽く朱音の自己紹介をした。


「彼女は噛月朱音かみつきあかね。数日前までお世話になった、教育実習先の布都部高校で出会った三学年の生徒だ。彼女もまた、神眼者しんがんしゃ。部外者では無いわ」


「三学年……ああ、そういや皐月が教育実習期間に入った頃あたりだったか。三週間の間、担当教諭としてお世話になる綺麗な女性が三学年の担任をされているって………。

 小暮さんの知った様子を見るに、今思えばあれは………小暮さんのことを言っていたのか。

 てっきり、皐月が自習先で仲良くなった先生ぐらいな関係だったのかと………。

 ……ああ、すまない。私は纂紅海莉つべにかいりだ。そこの皐月とは同じ大学の級友であり、神眼者しんがんしゃとしての顔も持ち合わせている。要は例のゲームにおいても、生死を分かち合う程に協力し合っている仲と言ったところだな」


「……伊駒先生の………男………」


「待てっ、私を男と勘違いするのだけは駄目だッ!確かに皐月と比べて胸も無いし、女の子顔してるって訳じゃないけれど………下は何も付いてないからな!

 妙な思い違いだけは今の内に払拭しないと、色々とややこしいことにしか成りかねないから。

 皐月とは気の合う友人の仲だと言うのに、それを勝手に男女の仲なのだと捉えられてしまうのは、一人の女として素直に傷付くものだから!」


「ちょいッ!」


 朱音は軽く、海莉の胸を突っ突いた。


「あんっ………!」


 思わずビクついて、変な声が出る海莉。


「えっ……!反応が女の子のそれなンですけど…………ッてことは、本当に女の人…………嗚呼、すみません!すみません!てッきり、地声が高い声の男の人かと………

 あッと……その、確かめた真似してしまい、伊駒先生の友達ダチ………の、纂紅つべにさんで合ってましたよね。改めまして、噛月朱音と言います。

 あんなことした手前、言うのもどうなンだッて話だろうけど、ウチとしては纂紅つべにさんとも仲良く出来れば、良いなぁッて…………」


「「………」」


 思わず、気まずい空気に喉がギュっと詰まってしまう朱音。


 と、思っていたその矢先――


 朱音は大事なことを思い出したように、すぐに声を掛けた本題へと入った。


「……ッて、気まずいだとかどうとか、そもそもこんな呑気なこたァしてる場合じゃねェンだッて!

 あの餓鬼は危険だ!何でもやりたい放題に、無茶苦茶なことをしやがる。早くこの場から離れねェと、先生方まで奴の標的に成り兼ねない。奴に目を付けられる前に逃げてくれと、忠告する為に声を掛けたんだ!」


「逃げる………?知り合いが狙われていると知ったら、貴女だけがあの子供に狙われ続けると言っているようなものではないですか。

 こんな事態を黙って見過ごす程、私の良心が欠如した覚えはありませんよ」


「どうやら………忠告を聞くどころか、君が狙われていると聞いて、皐月ったら、尚のこと放っておけなくなったみたい。

 とは言え、そこは大人だ。身の程を弁えて無理と判断したら、その時その時で柔軟な対応をするさ。

 特に皐月には、物事がどう転がろうと最後には物事を良い方向に収める力を持っていると、私は感じていてな。彼女の知らないところで、影響を与えられたという人間はいると思うんだ。少なくとも私自身、彼女の言葉で救われたことがある。

 それはゲームが始まってもない頃――、死と隣り合わせの毎日に苦しんでいた私は………」


 彼女が何かを話そうとした、その時である。


「……捉えた!【重視じゅうし】!」


 背後から聞こえてきた女の子の声と同時に、身体中にとてつもない重みが突然襲い掛かり、勢いよく地面に打ち付けられるようにうつぶせの体勢のまま、朱音は身動きが取れなくなってしまった。


「ぐぁああああ゙あ゙あ゙あ゙ぁぁぁぁ――――ッ!」


「えっ?……き、君ッ!一体、どうしたんだッ!」


 いきなり目の前の彼女に、何が起こったのかと、突然の事態に大きく反応する海莉。


「……ったく、変に手間取らせないでよお姉ちゃん。目の届く範囲にまで追い付くの、大変だったんだから。それじゃあ、鬼ごっこは終いにしようか」


 恐れていたことが………、フードを被った幼子の集団がすぐそこにまで来てしまったのである。


 絶体絶命の噛月朱音――。


 そんな時……、迫り来る《小さき脅威》から彼女を守るように、両者の間を割って前に立つ、一人の人物の姿があった。


「知っていますか?世の中とは自分がやったことが、良くも悪くもそれが自分に返ってくるように出来ているということを。自分の行いを何処どこの誰が見ているかなんて、誰にだって把握出来やしない。

 良い事も悪い事も、見た人が何かを感じれば、今のネット社会――それを動画に残して社会に発信するだなんて不思議なことじゃない。

 それを誰かが見て拡散し、拡散したものを今度は知り合いが見て――、そうして巡り巡って自分の耳に入っていく。良い事も悪い事も―――。

 こんなのは分かりやすく伝える為のほんの一例だけど……、小さいからと許される程、自分に甘くし過ぎては――

 いつまでもそれが通用すると思ってしまう自分の愚かさが、後で痛い目見ることになるのだと言うことを……。

 おいたが過ぎる君には、そこをじっくり頭に叩き込んでやらないとね」


 そこに数秒遅れて、もう一人が横に並び立つ。


「よく、人と人との繋がりを『』と表現して言うけれど、さっきの話もまさにそれが当て嵌まると思わないか?

 ありきたりな例を出して言うと、言葉のキャッチボールなんかは定番だろうけど、巡り巡って自分の元に返ってくるって、さっきの話なんて、それこそ――様々な人を介して、大きな輪っかを描いて自分へと返ってくる。

 今の生活があるのは、人と人とが支え合って――、協力して――、築き上げてきたからこそ存在するもの。

 親に――、建築士――、大工ときて――、医師――、それから洋裁師に――、野菜農家・畜産農家――、更には水道や電気工事士――、挙げればキリが無い程に、多くの人との繋がりの『輪』が成り立って出来ているということ。知識や――、今話している言葉だってそう。

 人が生きていくって言うのは、ごく当たり前なこと過ぎて気にも留めないだろうけど、顔は知らずともそこには確かな繋がりが――、生まれてこの方、人との『輪』が決して交わらず、外れた環境なんてのは一切無いんだ。

 だからほらっ、私達に出会った縁だって、一つの『』と思って頼ったって良いんじゃないか?」


 そう言って朱音の方へと振り返っては――、今度は隣の皐月の方へと目を向ける。


 皐月――。私だってお前との『出会い』があったおかげで、助けられたんだぜ。


 ふと……、皐月と初めて出会ったあの日の自分を思い返す………。


 ………………………


 ………………


『折角生き返ったって、あんなふざけた命のやり取りをするゲームに参加させられるだなんて………

 もういっそ、先生になる為これまで頑張って努力してきたことからも逃げ出して、眼球の回収もせず、全て楽になった方が…………』


『駄目だよ。そんなことを言っては――』


 大学の校舎裏にぽつんと置かれた……、人目の付かない日陰のベンチに一人座る、曇った表情を浮かべたまま俯く海莉の正面から、何やら一人の女性の声が聞こえてくる。


 どうやら独り言として、口に出してしまっていたらしい。


 いくら人気ひとけの無い場所で呟いていたとて《眼球の回収》なんて――、口にしていたのだとしたら、何を思われることか。


 いや……、最早もはやそんなことは、気にすることでも無いのだろう。


 仮にその部分について突っ込まれようとも、今日死のうとしている人間にとって、問題になることなんて、今更ありやしないのだから。


 だがそんなことを海莉が思っていると、特別何かそこに触れる様子も無く、彼女の言葉は続いた。


『生きていれば苦難の一つや二つ、衝突することは当然のようにある。それは何故か?例えるならそれは、誰にも相談出来ず、自分一人で解決しようとする姿――。


 決して、悪いことだとは言わない。辛くても、人に相談出来ないことはあったって、不思議じゃない。


 生まれや環境――、親は人それぞれ違うのだから、悩みも……苦しみも……、誰しも他人と同じものを抱えている訳では無いのだということを―――。


 それ故に、他人と分かり合えないことだって、当然のように出てくる。


 言わば、〈人が生きる世の中〉における【苦難】というのは、その人その人で違ってくる《人と環境の障害》から現れる大きな『壁』が行手を阻むことなのだと、私は思う。


 人として生まれた以上、そこからけることは決して出来ないことだ。だけど、目の前に立ち塞がってくる『壁』は決して乗り越えられない訳じゃない。


 何故なら、人が『壁』にぶち当たった時、誰であろうと乗り越えられないようでは、今頃人類そのものが全滅していたとしても、可笑しくないのだから……。


 一人――二人と――、障害を乗り越えた先駆者がいたからこそ、この世には生活を支える科学が生まれ――、製造技術に運搬方法・移動手段と幅が広がり――、


 陸や海、多くの食材が流通していき、生活圏で収穫・捕獲出来るものだけに留まらず、人はより良くの栄養素が摂れるようになり――、モノを作るための素材や材料――、電気が生まれ――、医療が発展し――、情報端末が生まれ――………


 そして現在においては、もはや生活の必需品とも言えるNEMTD製品が生まれ、どんな環境になろうとも人類は今も生きてこの世界に抗い、存在し続けている。


 そうして乗り越えてきた者達が確かにいたのだと言う事実は――、今の生活の当たり前として転がっている《結果》や《産物》がそれを物語っているというもの。


 だからこそ、自分だけは『壁』を乗り越えられないと感じてしまうのだけは駄目だ。


 目の前の『壁』につまずいて動けなくなるのでは無く、何事も動かなければ物事に変化を作ることだって無い。

 

 状況を変えるには、まずは自らが行動することに意味があるのだということを――。


 この学校に入ったということは、教師になりたいっていう目標があってここにいるのだろう。


 『目標』があることは自分を前進させるきっかけになる大きな導火線として、効果が発揮しやすいものである。


 こう、ありたい――という〈欲〉が一つでもあれば、それは自分では思ってもみない程に大きく突き動かされるもので、確かな原動力を持つことは前を向いて未来を切り開く大きな力になるものだ。


 ――ある者は言った。


〈目の前の壁は障害こそなれど、決して人をどん底駄目にしてしまうことでは無い。

 誰だろうと苦しい思いだったり挫折を味わうことだったり、そんなことを感じたいが為にこの世に生まれた訳じゃない。そりゃあどんな環境で、どんな両親の元で生まれてくるかなんて分からないのが世の常だ。

 今も何処どこかで苛烈な身の上に遭っている子供は、多からず少なからずいることだろう。

 人はどうであれ、何かしらの壁にぶつかる時がある。それを始めて体験する歳に差はあれど、そうして壁にぶち当たった時、解決に一歩二歩と進んでいく足を動かすことが出来ないまま、障害を乗り越えられない未来に――、数億分の一の精子競争を制してまで本能的に藻掻もがいて、掴み取った『せい』を果たして魅力と感じられるものだろうか?

 本能的に我欲を満たしていたいと我儘原動を貫き続けること――。

 それが人の《さが》にして生まれる前から持つ、人としての《性質》なのだろう―――〉と』


『それは――、誰の言葉なんだ?』


 彼女の言葉に心揺さぶるところがあったのか、思わず海莉はそう口にしていた。


『先程、頭に浮かんだばかりの私の言葉だ………』


『ふっ――』 海莉の口元が僅かにほころんだ。


『聞き慣れないフレーズだったから、誰の言葉なのかと思えば、あんたの言葉かよ』


『ふふっ、良い顔するようになったじゃん!』


 そう言うと彼女は、海莉に向かって蔓延の笑顔を見せた。


 それはまるで雲間から差し込む日の光のように―――、彼女が投げた言葉とそのふとした仕草に…………、日陰の奥底でうずくまっていただけの心が………、苦しみを背負っていた重い気持ちが……


 掻き消されていくように海莉の精神が晴れて軽くなっていった瞬間でもあった。


『あんた……名前は………?』


『――伊駒皐月いこまさつき、それが私の名前さ』


『私は、海莉……。纂紅海莉つべにかいりだ』


 ………………


 ………………………/


 感慨に浸るように――、この大事な気持ちをいつまでも忘れるなと、《心》にそっと寄り添うかのように――、気付けばそこに自然と心臓に置いていた右手をそっと下ろした。


(そッか――。あの人も、伊駒先生に助けられたンだな…………)


 海莉の視線と投げ掛けた言葉―――、その両方から朱音には通ずるを感じたのだろう。


「う゛ぃと……の゛………“ 人の『輪』 ”……」


 目力:【重視じゅうし】の効力によって重さに抗えず、地面にめり込んだままにいた朱音だが、重くなった顎を動かすのがやっとといった様子で思うように咬合が噛み合わないながらも―――


 初めて皐月と対峙した時のようなが朱音の中に込み上げ、高揚感とも言えるような抑え切れない感情の高ぶりに引っ張られるかのように、感慨に浸る様子が………


 自然と声に出して噛み締めるように――…、なんとか口に出来た言葉に強く思いを乗せていく―――……。


(……人の『輪』………ははッ、そッか…………。

 ゲームでは所詮、助けられるのは不目吊の連中だけだと、勝手に価値観を小さく思ッてた。

 けど………ここにも手を差し伸べてくれる、素直にすがッたって良い存在が――、《繋がり》があッたなンてよ………やべェ、涙が出ちまいそうだ)


 前を立つ皐月と海莉という新たな可能性の繋がりを示す、その背中を見つめながら、今ここにこれ以上無い救世主人生の恩師達と手を取り合う、最大の障害との闘いが切って落とされるのだった。

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