⒊ 胎瞳(3) 探視者 サガ=シ=モノ

【-フューチャーゲート アンティークショップ お目当て-】


 あの随分と奇天烈な店を後にし、町田リンジーは外へと出ていた。


 ヴァンピーロはさっきの奴を追い掛けると言って、先に店に出て行ってしまっていた。


 ちなみに店内の地下にいた橘季世恵は、未だ警戒心………というより、恐怖心が抜けず中にとどまっていた。


 あの店で得た、彼女探しの手掛かりという手掛かりも、恐らくは今現在も、フード付きの衣服を着ているだろう、ということの一点のみ。


 せめてあの日――、黒乃雌刹直くろのめせつなとの一戦の際、フードの奥に隠された奴の素顔を拝むことが出来たら、色々と探しようがあったかもしれなかったが、名前も分かっていない以上、いくら《神眼者リスト》を見ていても埒が明かない。


 何かしら奴に関する新しい情報でも得られるものかと僅かな可能性に賭け、あのお店に来ているという〈代行屋〉に訪ねてはみたものの、望んでいたような情報の一つも無く、単に無駄な時間を過ごしてしまっただけである。


 そうしてロクに情報が得られないまま、リンジーはこの状況にガックシと肩を落としながら、当てもなく適当に歩いていると、あるお店の看板がふと目に入った。


【ふつべ恐竜博物館】


 十二年前の大地が抉られる程の大きな震災によって、奥底の地層が前に出てきたことで、それまで発見されてこなかった、布都部島内での色々と発見された化石を中心に展示している大型施設。


 そこへ一人の人物が中へ入ろうとするところを目撃する。


 恐竜の顔を模したフードを頭から被り、それが一体となった、子供らしいパーカーを着た人物。


 だが、その背丈は中高生ぐらいだろうか。


 あの日出会った奴と似た身長をしている。


 袖の部分はチャックで半袖と長袖を切り替えられるタイプのもののようで、チャックをジャラつかせた半袖の格好をしていた。


 気付けばリンジーは、そんな謎の人物を追うように博物館の中へと入って行く。


 ただ、パーカーを着ていた――というだけでは、そんな行動を取らなかったであろう。


 彼女の足をそこへと歩み寄らせるまでの行動力を駆り立てたのは、他でも無い。


 さきの【執行犬の亡霊ブラック・ドッグ】との会話で聞いた………という手掛かり。


 奴の着ていたパーカーには丁度、そのような模様がデザインされていた………そういうことである。


 とは言え、それ以上に何も大きな手掛かりを掴めていない以上、ただの一点の特徴だけが一致する程度に過ぎないとしても、自分の知り得る最大の情報に賭け、似たような特徴の人物を目にしたとあれば、取り敢えずは見逃さないよう、動向を追跡する価値があるというもの―――。


 そんな訳でリンジーは館内入口の受付にて入場券購入を済ませると、チケットを受け取っていざ入館。


 まず館内入ってすぐの大ホールで出迎えてくれたのは、近年――、この島で発見されたという、スピノサウルス科の新種の化石の骨格標本。


 命名は【フツベサウルス】と言う。


 布都部島で見つかった新種の恐竜だからと、まさにそのままの名前である。


 しかし発見地である布都部島は世間的に存在しない島の為、この世紀の大発見を知る者は、ごく一部の学者とこの島の島民ぐらいなものである。


 世間が知らない恐竜―――まさに【幻の恐竜】が展示されているというだけでも、一度は立ち寄る価値があるだろう。


 このフツベサウルスに関する解説の一文の中には、発見された当時――、骨格を形成する骨の7割が発掘されたと記されており、どうやらこの骨組みは、かなり再現性の高い復元標本とのことらしい。


 大きく顎を上げたその姿の迫力に圧巻しそうになるが、あくまでも目的は謎のフードを被った人物の追跡。


 すぐに周囲をキョロキョロと見回すと、その人物が【鎧竜・剣竜類コーナー】にて、別の骨格標本を目にしているところを確認する。


 奴が人気ひとけの無いところ………例えば、トイレなどの場所へと移動する機会をうかがいながら、怪しまれないよう近過ぎず、遠過ぎず、一定の距離を詰めながら、リンジーは常に奴の姿を目で追い続けていく。


 そんなこんなでグルっと一周、展示室を歩き回ること一時間半――……


 小腹でも空いたのか、店内レストランにて、謎の人物がフツベサウルスの頭の骨格を模したオリジナルスイーツを食べている中………


 少し遠くの席でリンジーもまた、取り敢えず注文した、ふつべ恐竜博物館イメージキャラクター:〈ふつべくん〉のイラストがプリントされたクッキーが添えられた、これまたリアルな恐竜ラテアートが描かれたデザインカプチーノを口にしながら、奴の様子を遠目に見ていた。


 スイーツを食べ終えた様子の謎の人物は立ち上がり、トレーを返却口へと片付ける。


 そのまま何処どこかへと、再度歩み始めたことを確認したところで、即座にリンジーも席を立ち上がり、同じようにトレーを返却すると、奴に合わせて移動を開始する。


 すると、謎の人物は隣接したドーム状の建物――その中に造られた、恐竜が生きていた頃の自然環境を研究再現した【巨大庭園ジオラマコーナー】へと行ったかと思えば、その敷地内を奥へ奥へと進んで行く。


 そこらじゅうに生えた木々の枝葉を掻き分け、リンジーも奴の動向を追うように庭園の中を奥へと歩いていく。


 庭園内には専用機器を積んだ、上空を飛び回るドローンによって映し出された《立体結像ホログラム》によって研究再現した、様々な恐竜達が自然界の中で動いて暮らす様子が描かれる。


 まるで本当に恐竜が生きていた時代に迷い込んでしまったかのような体験が出来ると、布都部恐竜博物館の中でも人気のブースである。


 とは言え、その再現性から巨大庭園ジオラマ内で迷う人も少なからず存在し、案の定――


 奴の跡を追う程に、奥へ向かうにつれて周囲の人気ひとけも少なくなっていく。


 その為――、博物館内には声を掛けて頂くか、喉摘者などの声が出ない方向けに手を振って頂けると反応して寄って来ては、気になった恐竜の解説や館内を案内してくれる《自律走行型/警備・ナビゲーターロボット》:【HELP-SECUR・ERヘルプセキュラー】が何台か巡回しており、当然このブースにも見回りをしているのだが、今は近くにはいない。


 巨大庭園ジオラマ内で追跡していると、ドーム内の奥深く―――壁に面した一端に突き当たる。


 すると、謎の人物はピタリと足を止め、くるりと後ろへと向き直った。


 ちなみに世界観を崩さない為か、壁の材面を隠すように、何処どこも木々が敷き詰められている徹底した作り込みである。


 振り返って来られた瞬間―――少し遠くの岩陰で身を潜めていたリンジーは、反射的に構えを取る。


「隠れていないで、さっさと岩陰から出て来たらどうなんです?」


 どうやら存在に気付かれていたようで、素直に奴の前で姿を見せたリンジー。


「気付いていないとでも思ったのですか?

 そんなメイドさんみたいな、妙な恰好をした人がずっと付け狙うように、距離を置いて――探りを入れている様子とあっては、警戒しない訳が無い。

 その距離から常に捉え続けられている超常的目性めしょうは、十発十中――【神眼】に他ならない筈だ」


「こちらが探っていると思ったら………、探られていたのは私だった―――と言う訳、ですか」


「それで………わざわざ、私を付け狙っていた理由は一体何です?

 仮に私を神眼者プレイヤーと知っての上で、後を付けていたとすれば、わざわざそのように根気強く、機会を窺うみたいな回りくどい動きを取らずとも、色々と立ち回りは出来た筈――。

 それこそ人目がある以上、館内で能力を使えない環境を良いことに、監視カメラの死角に入った瞬間の隙を突いて、腕力の限り力尽くで、強行手段に出て眼球を抜き去る……なんて無茶をすることも…………なぁんて。

 そんなのは所詮、餓鬼ガキの浅知恵みたいな冗談で言った訳だけど――

 実際のところ、博物館なんてのはチケット購入が付きもので、出入り口が一ヶ所に限られている訳だし、館内にまで入り込んで尾行紛いなことせずとも、出るとこ決まっているのだから、待ち伏せして奇襲を掛けるなんて真似も出来た訳では?」


「理由……ですか。簡単なことです。私の探し人に似た特徴をもった貴女が、果たして本物か――偽物か――、そのどちらかを見極める為に私はここに立っている、ただそれだけです」


「それで私は―――貴女の目から見て、どちらと判断を下されたので?」


「どちら………そうですね。正直なところ決断に足る、確かな判断材料が得られていない以上、今の時点では五分五分どっち付かず、と言ったところでしょうか?」


「そっかぁ〜、依然として疑いの目が向けられている、と。

 折角――、人がお金を支払って博物館を観に来ている最中さなか、背後から感じる妙な視線のせいですっかり、博物館が楽しめずにいて困っていたというのに…………。

 何と予期しない疑惑が晴れないとあっては、これでは二週目回りに行こうと思っていても、私はちっとも楽しめないときた」


「………」


 ただただ黙って、話を聞くリンジー。


 謎の人物は話を続ける。


「そこで、だ。私からしたら貴女に恨まれるような覚えは一つも無い………と言うより、初対面でしか無い貴女にそんな目を向けられ続けられるのは、本当にストレスでしか無いからこそ、分からせて上げようと思う訳。

 それじゃあ質問だけど――、探し人の顔の特徴は?外見は若い?年配ねんぱいげ?名前は?髪色は?体格は?頭身は?

 私をその人物と照らし合わせるぐらいなのだから、何も、手掛かりも無しに行き当たりばったり探し回っている訳でも無いだろう?」


「手掛かり………そうですね。フードの付いた服を着用している…………」


「え?まさか、それだけってことは無いよね?」


「………あと


あと――?」


「淡い……オレンジの瞳…………」


「淡いオレンジの………瞳……?それって、神眼を開眼した時に見せる色ってことか?」


「ええ――」


「だったら、瞳孔の形は?」


「そこは……はっきりとは確認出来ていない」


「……あー、そいつ自身の特徴は?例えば、口の下に大きな黒子ホクロがあるだとか…………、頬に傷跡があるだとか…………、何かもっとこう――ちょっとした、こんな小物を身に付けていたなぁとか、そういう些細なことでも良いから、何か少しでも相手のことを絞れるような、情報の一つでも無いのか?」


「すみません。そういうのは…………」


「嘘だろぉ〜!そんなので人探しとか、見つかるのはいつの話だよっ!

 まさかっ!フードの付いた服を着ていたからってだけで、ここまで付けて来ていたのか?」


「………」


 ただ黙って少し気まずそうに、こくりと小さく頷く反応だけ見せるリンジー。


「おいおい、マジですか。そもそも、フードの付いた服を着ている……なんて話――、何も一人二人だけが着ているような、そんな一般的でもねぇ変わった服って訳でも無いのにその上、いつ何時なんどきも決まってフーディー………パーカーばかり着ているなんてこと、普通に考えてそうあることか?

 あー、詰んだァァ――――ッ!そうやって、知らぬ誰かさんと疑われ続けるのかよォォ――――ッ!こっちは博物館満喫したいってのに、マジどうすんのさ?」


「でしたら………」


「でしたら――?」


「闘いのクセ………それを見せて下さい」


「はっ?どゆこと………」


―――と、そのように言った方が分かりやすかったでしょうか?」


「バトルスタイル………ああ、バトルスタイルか!………バトルスタイル…………はぁ、バトルスタイル……………えっ!それってまさか――――ッ!」


「ええ。私とお手合わせ願います」


「は?ちょっと待てっ!その流れで目玉を掻っ攫おうなんて、魂胆じゃあねぇだろうな?良く良く思い返してみろ!その探しているって人と、私の声色が似ているって言うのか?声ッ、声を聞けってほらっ!その上で違わないって言うのか?

 あッ!ちょっ、人の話を聞きやがれってんだァァ――――ッ!」


 直後――、返答も無く一直線に駆け出し、勢いよく拳を突き出して来たリンジー。


 恐竜パーカーを着た人物は慌てて、飛んで来るリンジーの拳を避ける。


 聞く耳持たずに襲い掛かって来た、彼女の突飛な行動を前にして、それまでくすぶっていた闘志にでも火が付いたのか、少し苛立ちの混じった感情を奴に向かってぶつける。


「あー、そうですか!そちらがそういう手に出てくるって言うのなら、私だって容赦しねぇから」


 こうなったらと、己の身に宿した神眼を開眼。


 黄味掛かったオレンジ色のような、暖色系統の色味に発光した両目がフードの影より漏れ出る。


「この発光色………奴の神眼と似たようにも見えなくは無い色…………まさか、本当はこいつが―――」


「お前さん、運が良いぜ。何たって今日の私にはこいつがあるから、バッテリー気にせず、ここは豪勢に家族パーティーでもかましてやるよ」


 リンジーのあんな言葉は無視して、左腕に巻いている携帯デバイス:EPOCHエポックから伸びた短いケーブルに繋がれた、愛用品の腕時計型モバイルバッテリー(ふつべ恐竜博物館でお土産販売のされている、恐竜デザインver.)を見せ付け、目力を発動。


 EPOCHをクイック起動し、我が保身の為の備えからか――、将又はたまた、単に好きゆえの設定登録からか――、【世界古生物ナビ】なる、これまで世界各国で発見されてきた古生物、その一覧データを数ある学者陣の方々によって纏め上げられた《HPホームページ》をパッと一瞬で空中投影させては、そこに表示された数種の恐竜が選出される。


「さぁ、出番だよ!出て来て、私の家族ファミリー:サニー!ヤゴール!ヴェロー&ラキ!バンビール!」


 恐竜パーカーを着た人物-もとい、嶋石竜乎しまいしりゅうかの前に、イカアとファサウスの一頭ずつ、それと二匹のプトルと一匹のラプト一家いっかが姿を現し、登場がてら一斉になって、挨拶をするように雄叫びを上げる。


 身体の表面が鎧状の皮骨によって硬く覆われ、尾先にハンマーを携えし鎧竜類-【サイカニア】。


 背中から尻尾に掛けて並ぶ、先の尖った特殊な骨を持ち、両側に巨大なスパイクを携えし剣竜類-【ファヤンゴサウルス】。


 二頭の巨体は横並びに立ち、まるで後方に立つ三匹の小型肉食恐竜を守護する二つの盾となって前線を張る。


 生存競争の中を生き抜く為の獲物を捕らえる足として、二足歩行という進化を発展させた、鳥類に似た中空構造の骨と羽毛を生やした獣脚類-【ヴェロキラプトル】/【バンビラプトル】。


 二頭の草食恐竜の後方で、両足に生えた鋭い鉤爪をガリガリッと地面を引っ掻きながら、ジッと獲物リンジー動きアクションチャンスを見計らう、狩人のような目で距離を取って見つめ続ける、三匹の小型肉食恐竜。


 ジリジリと距離を詰めていくリンジー。


 両者睨み合いの最中さなか、先に動いたのはリンジーだった。


 地面に転がった石を何個か手に取ると、すぐに近くの木をよじ登り、高い位置へと移動する。


 そうして上から石を放り投げ、後ろに控えた一匹のバンビラプトルに向かって投石攻撃を仕掛ける。


 すると、狙われていたバンビラプトルを守護するように、前方のサイカニアが尻尾のハンマーを振り上げると、その石を別方向へと打ち返す。


 かつて生きていた時代において、常に獲物として狙われ続けていたであろう、草食恐竜が相容れない存在の肉食恐竜を助けるという、驚天動地な光景が目の前に起きた中――


 攻撃を向けられたことで、興奮気味に唸り声のような音を立てながら、目線を高く上げ、リンジーの立つ方へと視線を向けて、喰らってやると言わんばかりに口を開閉するバンビラプトルの姿があった。


 完全に怒りを買ったバンビラプトルは前方へと飛び出し、落ちている木の枝を咥え、首のスナップを利かせて、器用にリンジーのいる方に向かって放り投げる。


 リンジーは飛んで来る木の枝を躱すも、その動作アクションを行うのに、重心を傾ける姿勢を取ったその瞬間タイミングを狙っていたかのように――


 バンビラプトルは彼女が上に乗っていた枝の一本に齧り付き、その衝撃で枝が揺れ、踏ん張りの効かない体勢での中、重心がブレて思わず木から落下してしまった。


 その様子を、二匹のヴェロキラプトルは逃さなかった。


 二匹は地面に落ちたリンジーの周りを回り込み、背後に回った一匹が器用に、足の爪で肩に掴まってくる形でリンジーの背中に飛び乗ると、長い鉤爪で勢いよく引っ掻かる。


「ぐッ、がぁあああああああぁぁぁ――――ッ!」


 背中には大きな引っ掻き傷ができ、背後からの大きな衝撃に苦痛の声を上げるリンジー。


 すると、前方からこれまた飛び蹴りを食らわすような勢いで、足を前に出して飛び掛かって来た、もう一匹のヴェロキラプトルによって、胸部にも大きな傷跡が刻まれる。


「ッぁあああああぁぁあああぁぁぁぁ――――ッ!」


 再びリンジーは痛々しい声を上げ、二撃食らわせたヴェロキラプトルの二匹は、ここで深追いをせず、冷静に二頭の盾となる巨体の後ろへと回り込み、完全な攻防一体の布陣を作り上げる。


 ジュラ紀・白亜紀………、時代の垣根を越えて、草食と肉食の恐竜が手を取り合う、まさに奇跡の調和マッチ―――そんな光景が繰り広げられていた。


 その時、バキッと咥えていた枝が折れ、バンビラプトルが地に足を付ける。


 こうしてバンビラプトルもまた、サイカニアら二頭の《盾》役者の後ろに回る、と思いきや………


 石を当てられそうになったことに相当、腹を立てていたのか、一直線にリンジーのいる方へと駆けて行く。


 大きな鉤爪を立てながら、軽快な足取りで勢いよく突っ込んで行くバンビラプトルを前に、リンジーは痛みをこらえながらもすぐさま目の前の脅威に対抗すべく、動きを取る。


 今から走ったところで加速したバンビラプトルの足に追い付かれるのは関の山だと判断したリンジーは、身体がれるのを覚悟の上で迫る直前で、横に向かって地面へと転がり、直線での襲撃は回避。


 あの状況で咄嗟に避ける為にはどうしようも無かったとはいえ、やはり身体に障る無茶をしたことが災いして、さきの攻撃によって出来た生傷に響いたのか――


 痛みのあまり、目尻に溜まった涙が溢れ出ないよう、苦悶の表情を浮かべることはあっても、決して大事な場面で力を発揮する為のちからを流すことは無かった。


 潤んだ瞳を震わせ堪えながら、リンジーは神眼を開眼。


 涙滴型の瞳孔に水色の虹彩の瞳が開かれた瞬間、それまで我慢していたものが一気に爆発したように、涙腺崩壊を起こす勢いで止め処ない涙が溢れ出ていた。


 すっかり、涙でぐしょぐしょになった目の周りを左手の甲や右手指で軽く拭い取ると、左手の甲に付いた涙は胸部や背中にべったりと擦り付けるように――、右手指に付いた涙は地面の上に転がった枝に向かって弾き飛ばすように――、それぞれに涙を付着させる。


 すると、リンジーが持つ神眼が流す涙の固有能力効力が働き、目力:【癒時雨ナミダメ】の逸脱した治癒力により――、


 肉体に刻まれた鉤爪による引っ掻き傷は、まるで始めから傷なんて無かったように、一瞬にしてその跡が消え去っていく。


 枝もまた、涙に触れた瞬間――、養分の拠り所を失った、ただ朽ちゆくだけの孤立した存在だった筈の存在が………それはそれは、勢いよく息を吹き返したように、翻天覆地な《再生力》を見せ―――


 ただの折れた一本の枝だったものが乱雑に根を張り、まるで強引に引き伸ばされたように………


 縦に――横に――と、奇怪な形で見境なく枝を伸ばし、しなやかにうねりを作りながら、複雑骨折の如く、一本の木と称される程の立派な木の幹を形成していくまでに、太く大きく発展して豪快に育っていく。


 そうした根に――、枝に――、複雑に縛り付けられ、前に向かって駆けて来たバンビラプトルは、瞬く間に身体を捕らえられていく自由を奪われていく


 身動きが取れず、ジタバタと暴れ出すが、鉤爪と歯が武器売りの小型獣脚類としての華奢な体型では、一向にほどけそうに無かった。


 リンジーの涙の力を脅威と見たのか、安易に動こうとはしないヴェロキラプトル。


 流石は、恐竜界の頭脳派と言ったところであろうか。


 だが、前線を張るサイカニアとファヤンゴサウルスは冷静になれず、慌てた様子でドタバタと踵を返すように足を運ぼうとする。


 しかしあくまで二頭にはリンジーのこの先の動きを観察するべく、陣形を崩さず前線で守りに徹してもらおうと鉤爪を立て、威嚇をしては牽制し、その場にとどめようと草食恐竜の進行を防ぐ。


 まさしく肉食恐竜と草食恐竜による、双方の破裂衝突が発生した瞬間である。


 二頭の草食恐竜は自慢のしっぽの武器を振るい、それを素早く二匹のヴェロキラプトルが軽快に避けては、こちらも獣脚類の武器をかざして、鉤爪に――、歯に――、脅すように二頭の前を立ち回っていく。


 恐竜達が勝手に仲違いを起こしたことで、しばらくは手出しされないと踏んだ様子で、何かを確認するように………


 リンジーはあることを口にする。


「そのパーカーの内に隠している、は………使わないのですか?」


 《武器》……《隠している》………一体、この女はなんのことを言っているのだろうか?


 すでに神眼を開眼し、能力を使用している上でそのようなことを言うのだから、この場合――【目力】のことを指して言っている訳では無いのだろう。


 となれば彼女の探し人とやらが、目力とは別の―――……手の内を持ち合わせた闘い方バトルスタイルを取る特徴がある人物だと言うことなのだろうか?


 少なくとも私――嶋石竜乎しまいしりゅうかは、パーカーの内ポケットに何か……物でもしまい込んでいる訳では無い。


 あ……でも一つだけ……………


 万が一、左腕のEPOCHが使い物にならなくなってしまった場合の――電子書籍(古生物図鑑)を大量に詰め込んだ、サブ端末デバイスが一台入っているにはいる……が、


 まさかこれで、誤解を招くようなことがあるのだろうか?


 とは言え、単に彼女は《武器》と言っていた為、奴の言うそれがどの程度の物を指すのか分からない以上――迂闊に見せない方が身の為だろう。


 ……ったく、とんだ相手に巻き込まれたものである。


 肉食と草食の恐竜は今尚――、どちらかの心が折れるまで、互いの中で決して曲げられない意志をぶつけるように、何やら牽制し続けている。


 こうなってしまっては、指示をしたところで上手く互いが協調して連携を取り合うのは、難しいだろう。


「……折角の、月一の博物館観覧楽しみが――こんなごたごたで潰れてしまったのは癪だが、仕方が無い。

 観覧はまたの日に………、Everybodyみんな GO家に HOME戻って――!」


 そう言って竜乎は、展開していた【世界古生物ナビ】のHPホームページ内へと恐竜達を一度全て戻し、改めて別の古生物を顕現する。


「それじゃあ、Come onカモン!私の家族ファミリー、ガニス!」


 出て来たのは、新生代地上最強の恐鳥類:ストルである。


 ダチョウのようなスタイルを残しつつ、それでいてイカつく、巨大にした姿をした恐鳥。


 その特徴は鉤型に曲がったクチバシに、巨大な頭部。


 縮小して退化した翼の代わりに強靭な足を持ち、地上を素早く走行していたと言われている。


 そんなガニスの背の上に竜乎はまたがると――、『GO!』の一言と共にそのまま疾走。


 不毛な闘いから逃げるように、勢いよく駆けて行ってしまった。


 一人、この場に取り残されてしまったリンジー………


 丁度、巡回で通り掛かった一台の【HELP-SECUR・ERヘルプセキュラー】が、クリアな機械音声でリンジーに声を掛ける。


『オ困リデショウカ?迷子デシタラ、ゴ案内致シマス』


 そんな言葉には耳も傾けず、何やら独り言を呟き始めるリンジー。


「あの時も奴は………我が身可愛さに戦線から離脱するようにして…………まさかッ、また………やはり、あいつが―――ッ」


 リンジーの勘違いは、まだまだ続きそうなのであった。


『オ困リデショウカ?迷子デシタラ、ゴ案内致シマス………』

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