⒌ 双眼(4) 一つの神眼

 買い物帰りだった筈の男の目の前には、眼球を奪いに掛かる魔の手が勢いよく近づいてくる光景が広がっていた。


 命の終わり…………男は悟った………………しかし…………………


 瞬時、その間を割って入る巨大な影。


 気付けば、乱月は何かに引っ掻かれたような爪痕が胸に刻まれていた。


 そこから流血する血の飛沫しぶき


 彼女は悲痛を上げ苦しそうな表情を浮かべながらも、しっかりと影の正体をその目に捉えた。


 真っ赤な顔にギョロリと飛び出た大きな瞳。


 上顎から突き出た二本の鋭い牙。


 体毛は白く、黄金色のたてがみひげを生やし、頭にかんむりを被った獅子の姿をしていた。


 明らかに見て分かる、この世に存在し得ない幻想的生物。


 その姿形は、かのインドネシアのバリ島より伝わる伝説の聖獣-バロンそのものであった。


 恐怖のあまり、それを見た図書館の利用者や受付人は、悲鳴を上げながら次々に館内を退出していった。


 その中には瞳だけを覗かせていた女の姿もあった。


「さて、この本は借りていきましょうか。……後は頑張って下さい……………………………………」


 彼女はそう一人呟き、姿を消した。


 ……そしてこれから始まる物語は、過去の出来事。


 これは、ある女が一般人を排除することに気を取られ、取りそこねた片っぽの神眼から全ては始まる。


「これは……………」


 道端みちばたに落ちていた眼球を拾い上げる眼鏡女子-裏目魔夜うらめまや


 奇妙な形をした瞳孔から一目見てそれが神眼であることが分かると、彼女はニタァ……と口の端を吊り上げる。


 何せ奪われた右目の代わりになりそうな神眼を見つけたのだ。


 元は他者が授かった神眼でも、痛みを乗り越え神眼を受け付ける身体を持った神眼者であれば、それを移植しても激痛反応が、拒絶反応が起こることは無く、それどころか一つ失った命が再び二つに戻るのだ。


 それすなわち力を得るだけでなく、もう一つの命という保険までもが得られるのである。


 勿論、その情報は神眼者の腕に付けられた電子機器-EPOCHエポックに組み込まれたデータの一部:《ゲーム内容》にて記載されており、それをすでに閲覧していた彼女は嬉しい気持ちでいっぱいだった。


「あはっ………ははっ………………はははははははっ…………………………。ようやくこの手に神眼が、私のそれと種類は違うが右目とは運が良い。もはやこの目は不要だぁぁあああああああぁぁぁ―――――ッ!」


 どうやらある女-麻結もどきは能力を使って飛び出た眼球の片方を回収し忘れた、将又はたまた見つけられなかったのか、とにかくあの時に闘った神眼者の目が残っていたようだ。


 魔夜は神眼を見つけた高揚感に浸りながら、この前に移植してもらったばかりの右目を自らの手で抉り取り、取った目をそこらに投げ捨てた。


 眼窩がんかからダラダラと流れ出る血を気にもせず、魔夜はある場所を目指し歩みを進める。


 そうして彼女がたどり着いた場所は塗装があちこちと剥げ、今にも潰れてしまうのではないかと心配になってしまう外観をしたとある眼科。


 他でもない、悠人に教えてもらった【石井眼科】である。


 中へと入ると、いらっしゃいと一声掛ける眼科医:石井友永いしいともながの姿があった。


「……って、お前さんその怪我。また右目を失っているでは無いか!待ってろ、すぐに移植を……………」


 店に入られてくるなり、魔夜の異変に気付いた友永は慌てた様子で準備に取り掛かろうとする。


 すると彼女は少し前に手に入れたあの神眼を友永に見せ、頼み込む。


「そのことなんですが、こちらの眼球を移植してもらえないでしょうか?……あ、これは前に返せなかった残りの代金一万円です」


 友永は受け取ると、一つ疑問に思ったことを問うた。


「それは………君の眼球なのかい?」


「はい。ですから、この眼球を一度洗浄・消毒して頂けないでしょうか?」


 さも当たり前のように二言返事で答える魔夜だが、それを容易に信用出来る筈が無く…………


「すまない。聞いておいてあれだが、やはりここはその眼球を移植して大丈夫かどうか、万が一にも拒絶反応が出てしまってはあれだから、一度確認させて頂くよ」


 ここは眼科医として、正しい選択を取った友永であった。


 意外にも魔夜はすんなりそれを受け入れ、素直に眼球を渡した。


 友永はスキャン装置のような機械に神眼を通すと、読み取った情報が次々に片眼鏡モノクルのレンズに組み込まれたレンズモニターへと送られてくる。


「ど……どういうことだ………………?」


 何やら驚く様子を見せる友永。


「人の眼球でこれほど特殊な免疫機構が発見されるなんてこと、ある筈が……………。しかしこの眼球ならばお客さんに限らずとも、あるいは…………」


 などと神眼の内部に深く迫ろうとする友永の関心を引こうと魔夜は口を開く。


「あの、石井さん。移植しても問題が無いと分かったのでしたら、こちらは怪我していますので早めに取り掛かって下さるとありがたいのですが………」


「そ、そうであったな。これは失礼なことをした。では、準備をするとしよう」


 どうやら彼女の誘導は上手くいったようで、友永は神眼を洗浄・消毒し移植手術を取りおこなう準備を進める。


 〈CT装置ASHURA〉の寝台の上に寝かせ、麻酔をかけられ魔夜の視界はゆっくりと暗転していく。


 ………………………


 ………………


 …………


 夢を見た。


 目の前には誰かも知らない一人の女。


 水色の瞳をしたその女と目が合うと、唐突として勢いよく弾き出されるように、奇妙な浮遊感を感じながら大きく視界がグワンっと動く。


 その視界で左目らしき眼球もまた、吹き飛んでいった姿を捉える。


 それはまさしく身体から眼球を取り除かれ、殺される瞬間でも追体験しているような、そんな光景が目に焼き付くように視せられる。


 大きく目玉を吹っ飛ばされた最中さなか、良く見れば、これまた一切見覚えが無い一人の小柄な女の子が奥で木影から顔を覗かせ、一瞬にして繰り広げられたこの悲惨な光景を目の当たりに怯えた様子で身体をガク付かせている場面を目撃する。


 その女の子は震えながら、何か口を動かしている。


 何と言っているのであろうか?


 彼女の口の動きを見て予測しようとするが、良く分からない。


 一体こいつは何を……何を言っているのだろうか?……嗚呼、このクソったれッ!何一つとして分かりやしねぇ。


 とんだ夢を見せられた以上、心做こころなしか魔夜は少し気が立っていた。


 だが、そんな彼女自身の苛立ちを制止するかのように一人の声が聞こえてくる。


 ……駄目だよ。……私が……代わりに読み解いて上げるから…………


 私の中の『お前』が独りでに、ぼそりと呟く。


 ………しの……ちゃん………たす……けて…………


 …………


 ………………


 ………………………


 目を覚ました頃には、気付けば数時間が経った後で、移植手術は無事に成功し、魔夜は総じて代金を支払った。


 ラッキーなことに今回はこちらで眼球を用意したからか、眼球代が省かれ移植手術代のみの支払いという形で、安くしてもらった魔夜。


 そうして石井眼科を後にした彼女は、早速移植した神眼の力を理解しようと頭の中を整理する。


 すでに前の使い手によって力が目覚めている神眼は別の神眼者に移植したその時に、秘められた目力の情報が頭の中に流れ込んでくる。


 などと思っていたのだが…………


 これは移植手術前に打った麻酔のせいなのか、はたまたそれは初めて手にした初期の神眼の時のみ発現される限定的なものなのだろうか、何一つとして原因が分からないが、とにかく一切記憶として魔夜の頭の中に残ることは無かった。


 そういや何か……見ていたような…………


 いや、そんなことあっただろうか。あったのだとしても、それは忘れてしまっているのだから、一切気になりはしないが。


 そんなことより今、重要なことに頭を悩ませる。一体、この移植した神眼にはどんな目力が宿っているというのだろうか?


 確認しようにも、リピート機能なんてものがある筈も無く、取り敢えず魔夜は神眼を拾った場所に何か手掛かりが無いか、もう一度その場所を訪れることにした。


「何か能力の手掛かりになるものがあれば良いのだが…………ん、あれは……………?」


 何か発見したのだろうか、魔夜は何かを拾い上げる。


「幻獣図鑑?なんでこんなものが……………」


 周囲に神眼者らしき死体は無いが、これは前の所持者の持ち物だったのだろうか?


 それも全て、へアムが死亡を確認した神眼者を一般人の目に留まる前に片付けている為、残されていた品物についてはまさに神のみぞ知ると言うべきだろうか。


 何にせよ、手掛かりになりそうなものがこれしか無い以上、特に考えもせず魔夜はペラペラと中を開いて見るのだった。


 すると彼女は、ある発見をする。


「何だ?所々ところどころ、ページに折り目が付いてやがる。それにこれは…………?」


 ふと目に留まったページには《ワイバーン》のイラストの上から何故なぜかそれを囲うように何重もの赤丸が描かれ、横に矢印を引っ張って記しては『ドラゴンのように大き過ぎず、それでいて小さすぎず、このサイズ感がマジで手頃。戦闘で扱いやすい!』と訳の分からない赤文字が書かれていた。


 他にもページを開けば、《オーク》のイラストの横には『やっぱこういう馬鹿力を持った奴が単純に強いわ』という文字が書いてあったり――、


 《フェニックス》のページには『周囲の木に火が燃え移ったりして、人の目に付く心配がある。あれを奪うところを目撃されてはお終いみたいだし、こいつは実用的じゃない』だとか――、


 《スレイプニル》のページには『ユニコーンみたいに角の一本でもあれば、戦闘で活躍出来ると思うんだけどなぁ』という謎のメッセージが記されていたりなど………、


 見れば見るほどそれに書かれた文章がどうにも【ピヤー ドゥ ウイユ】と引っ掛かる部分があるように感じてならなかった魔夜。


「なんだろう………どうにもこの本が………この本が私に語りかけているような………そんな感じが………………そう、私は知っている。この目に宿る力を………………」


 魔夜は幻獣図鑑のページを開き、風の精霊:シルフを呼び出した。


 蝶ぐらいの大きさをした精霊が目の前に現れると、魔夜は命じた。


「この島でこれ以上に空想上の生物が詳しくえがかれた本を探し、見つけ次第案内してくれ。そうだな、ある程度古い本の方が詳しく書かれているだろう。探索中は風と同化し、姿を消すことを忘れるな。では、行け」


 そうして飛び去っていった精霊シルフ。


「フフッ、面白くなってきたじゃないか」


 新たな力を手にし、上機嫌な様子を見せる魔夜。


 彼女の狂気に満ちた裏の顔が、いつにも増して生き生きと輝いていたのだった。


-------------------------------------------------------------------

[あとがき]

片目を失ってからというもの、魔夜が最近夜に外出をしていたという未予の発言は実はここからきています。

(奪われた片目の代わりの神眼を一人回収しに今までひっそりと外を出歩いていた)


命が懸かっているんだし、そんなわざわざ何か代わりになる神眼を回収して渡すまでのことはしないであろうと、一人動いていたといったところでしょうか。


―それと何故彼女がこんなにも神眼にこだわっていたのか、実はもう一つ理由がありました。


それは神眼の持つ高い視力のせいで目が良すぎるあまり、片目に義眼を付けていると視界が上手く定まらなくなってしまうという致命的な欠点があったことから、それなら義眼無くして神眼の片目だけか、両目とも神眼にでもしないと色々生活面にも影響が出てしまう為、魔夜はそんな意味でもどうしても代わりとなる神眼を入手しておきたかったのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る