⒌ 双眼(3) 絶望の淵

「さぁ、私の生み出す雷獣に噛み殺されるのです!」


 乱月の目先から次々と生成される光の玉。


 それらは虎やネズミ、アナコンダにハゲタカなど様々な獣の姿へと変化し、一斉に悠人へと襲い掛かった。


 大きく口を上げ、本物の野獣の如く荒れ狂いながら向かってくる。


「俺が何をしたって言うんだよぉぉおおおおおおおおおおおぉぉぉ――――ッ!」


 彼はエコバッグを持ってそう叫びながら、全力で近くにあった公共図書館へと走っていった。


 今どき珍しい手動のドアを開けて中へと入り、慌ててそのドアを閉める目崎悠人。


 すぐにプッシュプル錠から手を離し、雷獣達はそのドアへと衝突する。


 瞬間、雷獣達の形が次々に崩れ消滅していった。


 なぜなら、そのドアは絶縁体であるガラス製。


 電気を通さないそれにぶつかっていった雷獣達は獣の形を保てず、全てはそれを計算に入れて彼はこの図書館の中へと入ったのだ。


「……取り敢えず、あの化け物達を消し去れたのは良いとして、彼女をどうにかしないと食品の買い直しが出来やしねぇ」


 そんな彼が何やらぼやいていると、同様に図書館の中へと入ろうとする乱月。


 慌てて奴の目から逃げるように、悠人は館内の男子トイレの中へと駆け込む。


 何せエコバッグの破れた部分から卵の白身やら黄身がポタポタと垂れているのだ。


 そんな状態のエコバッグを持ったまま館内を隠れようとしても、垂れる卵液が痕跡となってすぐに見つかってしまう。


 彼は急いでエコバッグから卵のパックを取り出すと、袋の破れ口に付着した卵液をトイレットペーパーで拭き取り、その後トイレを出て乱月の目に付かないよう、なるべく館内の奥へと進み、そこで身を潜めるつもりだった。


 だが、痕跡を残さないようにと卵液を拭き取ったトイレットペーパーと一緒に卵のパックをトイレ内にあった小さなゴミ箱の中に入れた、その時だった。


 ガチャリと男子トイレの出入り扉を開ける音が聞こえ、そこへ何者かが入り込もうとしていた。


 開く扉の隙間からチラッと見えた結った黒髪。


 そう、他でもない奴のツインテールの片側が見えたのだ。


 まさにここまで来る時に垂れた卵液を辿って、ここをさぐって来たのだろう。


 もはや対面するのも時間の問題。


 ここは一か八か入り込んだ瞬間に自分から奇襲を仕掛ける他、ここを切り抜けることが出来ないであろう。


 悠人は覚悟を決め、エコバッグを前に構える。


 乱月との再会。


(ここだ!)


 瞬間、悠人はフルスイングでエコバッグの前面を奴に叩き付ける。


 乱月も乱月で愛刀の【名月】を構えていたのだが、それが彼の突然のフルスイングによって右手から弾き飛ばされ、更にその流れはとどまることを知らず、目一杯に振るったエコバッグの前面は彼女の顔面にヒットした。


 エコバッグの前面によって視界を塞がれ、一瞬ひるんだ乱月。


 その隙にトイレから脱出し、館内を出る………と思いきや、ここには厄介な目力を封じざる得ない環境、すなわちゲームに関わりを持ってはいけない一般人という存在がある為に、彼はあえて館内にとどまることを選んだ。


 そうして館内の奥へ駆け込み、彼は滅多に利用する人もいない布都部島ふつべじまの歴史資料本が置かれた郷土資料コーナーの棚裏へと身を潜めることにした。


 入り口前に置かれた館内の案内図を見ずとも、迷いなくその場所へと辿り着く悠人。


 貧乏人である彼にとって、やはり本を無料で読むことの出来る図書館という公共施設は大変魅力的なところである為、ふと何か読みたい時はぶらりと立ち寄ることも少なくないのだ。


 ある程度には館内を把握していたことが功を奏し、慌てて乱月が館内を捜索しに来た頃には、上手いこと隠れることが出来た。


 このまま見つかることなくやり過ごすことが出来れば、良いのだが…………


 それだけを願いつつ、悠人は本と本の隙間から覗き込むように乱月の足取りをひっそりと遠くから観察する。


 彼女に目を付けられてしまった以上、一瞬でも目を離してしまったら自分の命は無いだろう。


 様々なコーナーを捜索していた乱月だったが、ついに郷土資料コーナーへと近付いて来る姿が目に映った。


 距離にして、およそ5メートル。


 再び訪れた緊張の一瞬。


 乱月は右側から回り込むようにして歩みを進めていく。


 悠人は身を低くしたまま、彼女の足取りを確認しつつ左側から逃走し、出来るだけ遠くへその身を潜ませようと行動する。


 しかし緊張のあまり一歩一歩の足運びが上手くいかず、まるで両足に重石を載せられているかのような感覚が彼を襲い、推定していた距離を移動することが出来そうに無かった。


 だが、そんなことは相手にとって知ったこっちゃない。


 ついに乱月は例の棚裏へとその姿を現した。


 しかし、そこに彼の姿は…………


 間一髪のところで本棚の側板にぴったり背中合わせの状態で極限まで身を縮め、まさに小学校でお手本レベルの綺麗な体育座りで、どうにか奴にその姿をロックオンされずに済んだ。


 だが、そのファインプレーもむなしく崩れ落ちることとなる。


「あの~、そんなところでしゃがみ込んでいて、具合でも悪いのですか?」


 あろう事に心配そうに近寄ってきた一人の利用者に声を掛けられてしまったのだ。


 終わった…………


 当然、視界に入った彼らの様子を乱月が見逃す筈も無く、自然とそちらに歩みを進めて行く。


 目力は使えずとも、人前で目を略奪してはならないというルールはピヤー ドゥ ウイユに存在しない。


 どうにも乱月は《目崎悠人》という男を姉を駄目にしてしまう排除すべき人間としか見ておらず、愛すべき姉の障害になるならと、彼女ならば執拗に彼を潰しに追って来るやもしれない。


 まして彼女は斬月の妹ということは同じく本物の忍者。


 その存在は飛鳥時代から江戸時代の日本で諜報活動、破壊活動、浸透戦術、謀術、暗殺などを生業なりわいとしていた影の住人。


 そんな人を殺す術を統べているような人物の手に掛かれば、悠人の目をいとも簡単に抜き去るぐらいの技量は持ち合わせていることだろう。


 この上なく危険極まりない人物がこちらへと歩み寄って行く恐怖が彼を襲い、そのせいで思考が上手いこと回らず、この状況を何とか出来る策を考えようにも全くと言っていいこと浮かんでこなかった。


 なんと絶望的なこの状況。


 どうもシスコンなところがある乱月ならば、人前だろうと目の略奪ぐらいやってしまいかねない危険性は十分にある。


 そして………ついにその時が訪れようとしていた。


「…探したよ…………いい加減、追いかけっこは終わりだ。この私から素直にその目を奪われるんだな」


「あれは…………」


 ふと、本を読んでいた何者かが瞳だけを覗かせ、チラリとその様子を目にする。


「――終わりだ」


 その瞬間、乱月は手を伸ばし、悠人の視界は真っ暗に染まるのだった。

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