⒋ 姉弟(5) 祢世不観音

なんじしゃうを望むや?死を望むや?」


 辺りが真っ暗闇に包まれている中――、何者かの声だけが鮮明に聞こえてくる。


 知らぬ者の声である。


 姉の斬月をかばい、その後自分はどうなったのだろうか?


 乱月は声に釣られるがまま、ゆっくりとその暗闇に光が差し込む。


 目を開けて視界がはっきりすると、第一に目に映ったものは、謎の白い空間にたたずむ一人の真っ白過ぎる少女の姿であった。


 耳の下で髪を左側のみ結った片っぽだけのお下げ髪に、ヘアムに良く似た容姿。


 左目を覆い被さるようにかたよった長い前髪に、奴と同じデザインの服、それのカラー違いを身にまとっていた。


 ……いや、これは纏っていると言って良いのだろうか?


 衣服と身体との境目が見当たらない………まさか服を着ているように見えてあれは全裸……なのか⁉︎


 とにかくそれも問題だが、突如として迷い込んだこの何もないクリアな世界は一体何処どこだと言うのか?


 それに、目の前にいるこの少女は一体…………?


「……知らぬ地………は誰そ?」


 なんともはっきりした様子ではない彼女。


 それもその筈。


 彼女の意識があの世で目覚めたのは、ついさっきのことだからである。


 目覚めたばかりで言葉がおぼつかないことは、人間一度や二度経験したことあるだろう。


 まさにその現象が彼女の言葉を鈍らせていた。


 だがそれでも言っていることは伝わったようで、目の前の少女が口を開く。


きに其の様子やうすして言語ごんご問題なくものならず通じたると心得き。それならば然らば好都合便宜なり。挨拶がてら汝求むる問ひにいらしんぜう。

 はてやの地……否、此の、時に霊地、無色界……様々なる比喩表現たとへあれど一言で易くまとめば、そは〈常世とこよ〉なり。

 それから而して〈常世〉治めるをさむるれまし二十三座の神ありて斯く言ふ此の我、其の一座あづかりたる」


「常世?神?お前なれが?いやはやいでや其のようなもの然るもの本当にげに存在するとあれと?」


 否定的な彼女。


 なにせ彼女自身――、神だあやかしだの類いの存在を信じていない、いわゆる典型的な合理主義者だったからである。


 そこで、彼女は言った。


でしたらせば其方の神様なる証拠しるし見せて頂きたい見せ給へばや


ては汝、信じておらぬのか信じたらずや?では汝に一切触るゝことなくちうに浮かしてみせようみせむ


そのような然る芸当、出来る能ふはずが………って、えっええええっ〜〜ッ!」


 少女は右手の人差し指をちょいと上に立てると、そのタイミングで乱月の身体は宙を舞い、どんどん高く上昇していった。


「ほほぅ、眼福々々がんぷくがんぷく


「何を申して………きゃあああああああぁぁぁ―――ッ!」


 動きやすさを重視した忍装束。それは地域によっても多少異なったりするもので、あるところは全身暗めの布で覆われた格好――、またあるところは忍道具の出し入れに優れた収納機能が豊富なものだったりと、実は一貫した決まりが無いのが忍装束の一つの特徴だったりする。


 乱月が生まれ育った里での生活は朝に農民を装い畑仕事をし、午後には主に男性は武器作りや手入れにいそしみ、身軽な女性が忍の活動をおこなう傾向にあった。


 それゆえに忍装束はその村の女性達の要望によって大きく変化され、手首から足首までかっちりと覆われた、いわゆる長袖長裾タイプのものだと、関節の曲げ伸ばしがしづらかったり、布が突っ張ったりして動きづらいといった意見の元――


 上が半袖、下を短裙………現代で言うミニスカートに近しいスタイル、全体的に布地の少ないスポーティーな格好が取り入れられていた。


 つまりは宙に浮かばされたことで、乱月の霊体としての格好-《生前最期の姿》、それすなわち、任務中に死んだ彼女は当然その格好をしていた訳であり………


 今まさに、黒き短裙の内側に隠れた白き布が下から丸見えの状態であった。


どうだなにと、此れにて信じて頂けきや?仮にも信じられなゐならば疑はしければこのまま斯くて宙吊りにするも面白し。かかっ、良き眺めぞ!」


信じます信ずる信じますとも信ずとも。……さ、ですから然ればわたくしろし下され――ッ!」


 羞恥のあまり、最早もはやこの者が神様であるかそうでないか、などという問題はどうでも良くなったのか、そこには必死に下ろして欲しいと頼み込む彼女の姿があった。


「なにゆ、こうも素直なるとつまらぬの。然れど観念し我がはなし物語を聞く気になったのならばなりきべくは致し方ない敢へ無し。ほれっ!」


 そう言って、奴は人差し指を下に向けると、乱月の身体はゆっくりと下ろされた。


 地に足が付いた瞬間、ほっとして力が抜けたのか、へなへなと両足を崩しその間にお尻が地に付く、俗に言う女の子座りの姿勢で立てなくなってしまっていた。


 影で《破壊活動》や《暗殺業》をおこなうような忍だが、彼女もまた一人の女の子。


 あのような恥じらう様子を見ると普段そんなことをしているとは思えないくらい、女の子としての可愛い一面があることを感じさせた。


「随分と情けない心憂き格好かたちして。然れどれもまた良しやな良しや………ちと、ふざけぞ過ぎし。

 さて然る程に、何からより話さむや。……確か、〈常世〉とばかり申しおきて、詳しきはなし物語申し損ねたりき。

 まずまづ其処そこより話すとしようせむ


 そうして自らを神と称する少女は、〈常世〉には大きく分けて二つ――【極楽】と【地獄】があり、ここがその極楽ごくらくであることを説明した。


「は……はぁ………?聞きしにも過ぎて嘘のような話夢語りのほかにえ思わ…………」


 と最後まで言い終える前に、乱月は慌てて………


「……え、実在す。実在すとも」


 妙に必死な様子で言い掛けた言葉を訂正した。


 何故なぜならば、神を名乗る少女が今一度、人差し指を立てようとする素振りを見せたからである。


 相当、あれが恥ずかしかったのだろう。


 乱月は言葉を選ぶように、神様を名乗るその少女にあることを問い掛けた。


それでして……此の場所かた【極楽】とやらにわたくしをいかがなるさるおつもりに?」


「ほう、面白ゐをかしきことを申すかな、な人の子よ。

 憂へずとも此方より汝に手い出しなどせぬ。唯々ただただ汝がどうしたいのか如何が為まほしや、生か死か、此の常世に汝に求めらるゝ二者択一の道標。

 さて然る程に今一度、問ふ。汝、しゃうを望むや?死を望むや?」


「そ……そは…………」


 いきなりの命の選択に迫られ、乱月はすんなりとそれに対する答えを口にすることが出来なかった。


 生か死か、死んだ人間に一体なんの選択肢があると言うのか?


 【せい】――、という言葉から連想されるもの、それは少なからず生き返る手立てがのだろうか?


 仮にも蘇生法を試すことで一体、私の身にどんな……いえ、死んでいると言うのなら《今の自分》という存在――、《魂》と称されるここに在るは元の肉体へと戻るものなのだろうか?将又はたまた、この白い空間の中で残留し続けてしまうものなのだろうか?


 そうした不安と動転があれこれ頭の中で巡りに巡った結果――、乱月にはそんな自身の命より大切な人の命のことを考えてしまうのである。


そうです然なり!……の時庇ひて姉者あねじゃは………姉者あねじゃどうなっていかがなりて……………」


そうかさりかそうかさりか、ならば見せて上げよう見せ上げむ。汝が姉者庇ひ死にし其の後の様子けしきを」


 そう言って神を名乗る少女は指をパチンと鳴らすと、乱月の目の前に一つの――、瞼を開いたような目の形をした映像を出現させた。


 その中には、斬月が妹を失った怒りで次々と屋敷の人を殺めていく姿が映し出されていた。


「これまた凄ゐのゆゆしき。小虫を潰す勢ひに次々と人殺しに殺しておる殺せり


「姉者、お気を確かに。が姉者の命を狙ってゐる狙へることか」


無駄だ徒らなり。此処に何を申すとも彼奴あやつには言の葉一つ及びやせず。恐らくは何人たりとも斬殺し続ける続くるでもせぬ限り、汝を失ひしことに対する怒りの収まることなど無からむ」


そんな然る……このままには姉者が…………」


 そう言っていると、今まさにその瞬間が映し出されていた。


『……折角あたら助け頂いた給へき此の命…………とてもいと短し生けざらむこと……あわれなり……………』


 その一言を最後に倒れた斬月。


「……ぁああ………ああああぁぁ…………姉者が………姉者がぁぁあああああああああぁぁぁぁ――――ッ!」


「泣きわめくに無し。単に汝と彼奴蘇り、現世とこよに還るべきばかりのこと。然れば、余程の事無き限り、汝らが永遠とこしへに死ぬることも、加へゆることも無からむ」


「……永遠とこしへに…………死ぬることも………老ゆることも無し………………?」


 そんな都合の良い話があるのだろうかと、最早もはや泣き叫ぶのをやめ、彼女の言葉を今一度再確認していた乱月。


「左様。われ創りだす亡者蘇らする力を持ちし異の眼球まなこと汝の眼球まなこ入れ替ふることにて可能能へなり」


眼球まなこ………入れ替ふる……………?」


「然れど…………」


 乱月の疑問が軽く流される中、神を名乗る少女はその一言を始まりに、さっきまでの上位の存在らしからぬ威厳無きキャラから一転。


 真剣な顔して、目神ヘアムのようないかめしい口調で語り出した。


「一つ注意すべきいましむることさうらふ。亡者よみがへらすること、己に大きなり覚悟と自尊心もちて、挑むいさみ無くば一度してよみがへること無きまことの死あり。

 此処に二つの眼球まなこさうらふ。

 そは命たまさね成りて、眼球まなこ取り込むしていのち吹き込まれ息吹け依代成る肉体降ろしてくだして魂と受肉満ちたりよみがへらゆこと、汝どのような如何なる影響名残与ふるか、一度現世絶ちし魂、元の肉体戻すがどれほど何程負担担ひ掛けむや。

 然るもの眼球まなこ受け入るゝきは、其れ想像思ひやり付かないような付くまじき苦痛痛め苛まるゝことなれど、どんな如何苦しくてもわりなくとも必ず堪えて耐へ頂きたい給へばや

 もしもいやしくもじょうずこと叶はぬものなれば永久とはいのちつがること無し。其れ人ごとに言ふめれどまことし」


 これにて神を名乗る少女による、長々とした復活方法の説明が終わった訳だが、当の乱月はそれを聞いていたのかいないのか、彼女の目線はスクリーンの方へと向いていた。


「汝、此のわれが此処ぞばかりに現世還り注意事驚かしこと茶化すこと無く申し上げきと言ふに、神の有難し言の葉をろくに聞きたらず其の振る舞ひ、未だ(宙に)浮かし足りないようだ足るまじ


 我、決まったなりと思った矢先、乱月のその態度を前にすぐさま素に戻ってしまう、神名乗る少女。


 彼女は神様としてのプライドを、多少なりとも傷付けられた気がして、勢いのままに乱月をもう一度宙に浮かせようと、人差し指を立てる動作を仕掛ける直前のことだった。


「……姉者……………」


 スクリーンに映し出された斬月の姿を目にしながら、乱月は静かに姉に思いを募らせていた。


『……我………生きたい生きたし……!』


 それは丁度、斬月が生き返る道を決めた場面であった。


 それを見ていた神を名乗る少女は、空気を読んで人差し指を静かに下ろし…………


「なんと……汝の姉者よみがへる道、選んだようだ選びきめり

 さあいで、汝も選ぶほどぞ。しゃうか死か、どちらいづかたを望みなりや?」


 代わりに、死者の案内人としてやるべきことを、乱月に今後の選択について迫り出た。


 乱月は答えた。


あのかのおどおどしたせる姉者が………己の意思にしゃうと言ふいら出したのです出だしけり

 でしたらせばわれのちに姉者とまた逢ふため生くる道を選ぶまでなり」


 そう言って、乱月は力強く立ち上がった。


何故なにゆゑと?」


 神を名乗る少女は先程申し上げた乱月の言葉で引っ掛かる部分を質問する。


われが其の苦痛痛みとやら耐へ凌いでよみがへらるとし、すぐに即ち姉者と逢ってしまったならば逢ひなば再び変わらず常しへに我を頼ってしまうことでしょう頼りつべうことならむ

 このまま在り去りて気の弱き姉者のままには此れより先、如何なること待ち受ける待ち掛けることか、少しの危険にも我が力を借りずし一人生き抜くるばかりの力を身に付けなむ。

 其れが姉者のれうになることと………信じてゐるから信じたれば


つまり即ち汝一緒と、どうにも頼られてしまいそうで頼られにさうに、姉者の成長が生ひ成り見込まず。そう申せりや?」


おほする通りにさうらふ」


そうだな然りなこうしている内にも斯かるにすがへと極楽おとづれく亡者の後世進路神託導かざらばならねどしばし他なる神に其のつとめ任せさせ神々あやつらの時の許す限り………

 否、汝の自己意識たましひ精神力うつは続く保つ世の限り眼球まなこへで無しにす。

 なれば、なんじ望む姉者の独り立ちの助け成らうず。ただ汝も汝の姉者も生き返られるのならば生き出づるべくば、のことなれど」


「御心ばせに報謝す。……ええとよしと御事おことの名………そうだ然りし!未だ名を聞きらなんだ。

 報謝伝ふるに其の方の名知らずして示し付かず。名申し添ふるほど、気持ち心地こもる言の葉などさうらはず」


 これまでとは打って変わって、真意に感謝する乱月。


「然ることなりや?だが然れど、此れも事の便りなり。そこまでおほせば名乗るとしようせむ。――【ネセフ】。其が我が名なり。

 将又、我見知る天目一箇命あまのまひとつのみことが半身折節をりふし申せり【目神ネセフ】名乗ろうか名乗らむや


でしたらせば、女神有らせらるゝ御事おことに最大の敬意払ひて改め御心ばせ報謝す。祢世不ねせふ観音様」


祢世不ねせふ観音、とな。

 なにとも其の呼び方公公おほやけおほやけさまして好かず。如何にも目神ネセフしっくりくつきづきしく………しだ、時間だ程なり

 どうやら何とやら後ろつかへゝたる様子やうす何故なにゆえ、其れの分かるやと?

 理屈ことわりにいかがかくことわるべからぬが、此れも神力の一つと言ふことぞ。何も亡者蘇らするばかりが神力ならぬ。其れには始むとせむや。亡者天眼てんめいの儀を――」


「心より報謝奉る。観音さ……いえ、目神ねせふ様」


 こうして乱月もまた、姉に遅れて天命てんめいの儀を執りおこなったのであった。

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