第二部 ⒋ 姉弟

⒋ 姉弟(1) 乱月

『だからその『私なんかが……』ってやつ、言わないと気が済まないのですか?』


『それは……私が……私のせいでがあんな………うわぁぁああああああああああああぁぁぁぁぁ――――ッ!』


 この前、一人の神眼者しんがんしゃの間であった出来事の一部を斬月は深く気にしていた。


「……乱月らんげつ…………」


 木の上に立ち、衣服のポケットから取り出したのは、かなり歴史のありそうな二つの黄ばんだ輪っかのひも


 ボロボロになったそれを握り締めながら、ある者の名前を静かにつぶやいていた。


 ……彼女は、ある日のことを思い返す。


 これはまだ、斬月が三日月と苗字を名乗る前の………明治時代よりずっと昔の物語。


 ……………………………………………


 それは平安の世、乱月らんげつという一人の忍が存在した。


 その時代の貴族の女性とは異なり、忍として生まれ育てられてきた環境もあってか、当時主流だった髪を結わない状態での垂髪では無く、動きやすいよう長い髪を耳の上から輪っかのひも二つで左右に束ねていた乱月。


 一歳違いの姉の斬月と同様に前髪中央が白く、カーブの掛かったくせっ毛と相まって、さながら白く光る三日月のような髪をしていた。


 対してこの頃の斬月は、現在のようにお団子状のパンダ耳のような髪型では無く、おとうとに比べてだいぶ髪の短かった彼女は、特に髪を束ねてはいなかった。


 姉より優れた身体能力を持っていた為、その当時、斬月が情報収集の任務ばかりに対し、乱月は暗殺任務を数多く任され、その全てをミスなく遂行すいこうしてきた。


 幼少期から共に鍛えてきた修行仲間の中で、常にトップの身体能力を見せてきた乱月。


 対して姉の斬月は皆に比べて運動神経が悪く、いわゆる落ちこぼれであった。


 毎日修行に明け暮れるも思うように伸びず、仲間からは馬鹿にされる日々。


 更にはその教えの先生からは厳しく罵倒ばとうされ、つらい時間だけが過ぎていた。


 だが、そんな彼女にも小さな安らぎはあった。


朝夕あさゆふ姉者あねじゃ頑張りつとめ、この乱月良くよう知って通ひおります侍りし


「然れど、わたくしなんかなど………これと言ってさして……………」


「否、私めなどにあらぬ。姉者、里の誰より努力しておいでだ努めゐでなり。よしなに、姉者。

 『努力は人をば裏切らない裏返らず』して」


 彼女は優秀な妹にそう言われ、みっともないと思うと同時に、そのような言葉を投げ掛けてくれる乱月の優しさに助けられている、そんな恩義を感じていた。


 斬月は嬉しかった。


 たとえ一人でも………一人いるだけでも、自分を支えてくれる者の存在がそこにあることが。


 どんなに嫌なことがあっても、乱月が………たった一人の味方がいるだけで自分は頑張れる。


 そして斬月は努力し続けた。


 支えとなる存在の強さに甘んじているのではなく、乱月と対等、それ以上に大切な者を守れるだけの力をつける為に………。


 時間と共に斬月の実力は徐々に向上していき、周囲の人間シノビたちが彼女を少しは認めてくれたのか―――。


 その当時かなりの腕を持った、実力も地位も高い、とある武将の暗殺任務を乱月筆頭に数名の部隊で行われることとなり、その内の一人に斬月が選ばれたのだ。


 ここに至るまで何度か暗殺任務を行うようにはなった斬月だが、こんなものは夢だと思った。


 まさか私が………『落ちこぼれ』とされてた自分が………そのような任務を任される時が来るだなんて思いもしなかったから。


 だが、これは夢ではない。


 実際にその時がやって来たのだ。


 任務当日―


 日はすでに落ち、忍者が最も活動しやすい暗い夜のこと。


さぁゐざ参りましょう参らん。姉者」


「……ゑゝええ


 ターゲットの武将がいる屋敷から少し離れた、木々の上で相手の様子をうかがう、斬月と乱月と数名の忍。


 初めての腕の立ちそうな任務を前に緊張しているのか、将又はたまた、優秀な妹に無様な格好をさらしたくは無いと恐れているのか――


 将又はたまた、その両方かどうかは定かでは無いが、あまりに暗い返事をする姉に対して乱月は元気付けようとする。


「姉者、気持ちを確かに心持ちに

 『精神一到何事か成らざらん』なり」


「目標、捉えました捉へたり


 ここで一人の忍が最低限の声量で部隊の皆にそう伝えると、事前に立てていた作戦を実行することにした。


 まずは吹き矢を取り出すと、武将の周りにいる邪魔な側近らを狙って矢を飛ばし、次々と奴らを倒していく。


「な……どうしたことか何事ぞ!」


 戦場とは異なり、城内ゆえに鎧も身に付けず、動きやすそうな装束姿に身を包んだ武将は慌てて腰に備えていた刀を抜刀し、周囲を警戒し始めた。


 流石は腕の立つ武将と情報を掴んでいただけの実力とでも言うべきか、次々と飛んでくる細い矢を一本の刀だけで弾き返していく。


 しかしそのような芸当をいつまでも続けて耐え凌げる訳が無く、乱月のひと吹きが身体に刺さると、実に呆気なく武将は倒れていた。


「……み、身動………出来ぬ……………」


 武将だけは意識があったものの、何故だか身体を思うように動かせずにいた。


 実は飛ばしていた矢にはが塗られており、それが肌を傷付けるとたちまち神経毒に襲われ、即効性の毒はあっという間に全身に広がると神経と筋肉が刺激されて麻痺症状を起こし、身体の自由が効かなくなってしまったのである。


 このまま動けずに時間だけが過ぎれば、毒そのものの殺傷能力に身体が侵され、並の人間ならそう経たずして死に追いやることだろう。


 だがしかし、武将としてし上がってきただけに、日頃から身体の鍛え方とやらが違うのか――。


 気力も体力もそこらの者に比べて高く、意識はまだあるようにも見えた。


 確実にそのお命を頂戴すべく、即座に乱月は武将が倒れた場所へと移動する。


 部隊の忍と一緒に護衛役を倒した斬月だが、妹にばかり良い活躍されては、これまで乱月を超える為に修行してきた意味が無いと、妙な使命感に駆られてしまい、変にあせってしまった彼女は、慌てて後を追った。


 落ちこぼれゆえいじめられることもあった斬月は、嫌なことから逃げるその逃げ足だけは誰よりも早かった。


 その足の速さですぐに乱月を追い抜き、先に武将の元へ辿り着いた斬月。


 腰の裏から小刀を取り出し、背中から心臓部をグサっと突き刺そうとした。


 まさにその時だった―――。


 武将としての士魂プライドが突き動かしたのか、突っ伏していたことで床を伝って感じる微かな揺れ振動と足音を拾い、決死の抵抗と言わんばかりに、息を殺して密かに奴は動き出す。


 吹き矢を受け、すぐに倒れ出した時のこと――


 武将にとって命より大事な【刀】だけは、例え身体が痺れていようと決して離さまいとき抱えるように、自らの懐へと寄せる体勢でそのまま床に倒れ伏していた。


 それ故、装束の袖口で上手いこと刀が隠れ、痺れる身体にムチを打って一心不乱に、身に付けていた装束の袖口ごと刀身を軽く貫通させ、刀の切っ先をほんの少しだけ覗かせながら、背後から大きく影が被さってくるその瞬間を狙って、思い切り刀身を突き刺して反撃の機会を窺う武将。


 彼女が小刀を突き刺すのが先か、それとも武将の不意打ち悪あがきが決まるのが先か。


 行方は、実にそのどちらでも無かった。


 追い抜かれ、ようやく近くまで来た乱月が勢いよく十字型手裏剣を放り投げ、刀を持った武将の右腕を深く突き刺す。


「……が………があぁぁあああああああぁぁぁ――――ッ!」


 身体の痺れと相まって、痛みで悲痛を上げる武将。


 一頻ひとしきり断末魔が上がると、そのまま絶えず武将は力尽きた。


 突然の横からの介入に一瞬驚かされたが、すぐに斬月は大人しくなった武将の喉を搔っ切り、対象ターゲットの息の根を止めると、いつものように妹に助けられてしまった自分の情けなさを感じながらも、素直に……とは言えないが、それでも命を救ってくれたことに対する、お礼の言葉を伝えた。


「……助太刀………感謝つこうまつる……………」


 乱月は特に言葉で返さず、代わりに微笑みを返すのだった。


 これにて、任務完了。


 乱月の元へと駆けて行く。


 この時、斬月の警戒心はかなり薄かった。


 そして、これがのちに彼女の後悔へと繋がる瞬間だった。


 ふっと横のふすま越しに人影が現れると、障子を突き破って斬月を刺し殺そうとする、一振りの刀身が姿を現した。


 胸部を刺されそうになるその瞬間――、突然前方から押し出される力に襲われ、おかげで刺されずに済んだ斬月。


 だが………


「……ぐっ…………」


 斬月を助けようと前に出た乱月が刀身の餌食えじきとなり、突き刺された胸部から血をダラダラと流していた。


「な……何故なにゆゑに…………」


 押し出された直後、乱月になんでそんなことをしたのか、起き上がって口を開いたその時、目の前に広がるその最悪の光景に――言葉を失っていた。


 弱った乱月は横に倒れ、その衝撃で襖も一緒に倒れると、慌てて刀身を抜いた一人の屋敷の人間の姿が露わになった。


「……あぁ……ぁ嗚呼々あゝゝ………おのれ……おとうとを………………この、狼藉者ろうぜきものめがぁあああああああぁぁぁ――――ッ!」


 怒りに任せ、その者に襲い掛かる斬月。


 忍者の中では落ちこぼれだった彼女も、そうでない者が相手ならば、その軽やかな動きを前にして対抗出来る強者がそう居る筈も無く、呆気あっけなくその者は斬月の手によって斬り殺された。


「……かたき取れで………面目なくかたじけなし……………」


 奴は最後にそう言い残し、命落とすと、斬月は持っていた小刀を捨て、すぐに横たわる妹の元へと駆け込んだ。


「乱月!」


 妹の名を呼び、その身体を少しだけ斜めに持ち上げた斬月。


「……姉者………お怪我……なし………て…………?」


「な……何為むに私めなどの形代に…………」


「……いかようにも言はずして………分かっておゐででしょうに…………。姉者………助けに参上仕りたすけまゐらせ……………」


「……そんな然る………こで終ふなど………嫌です憂へ給ふ。……私………乱月身罷みまかあって欲しくない無くもがな


 涙目になる斬月。


「……私とて…………姉者をばて死にとうな。されど私に……………」


 乱月は自身の出血のひどい傷口に向かって、ゆっくりと手を伸ばす。


「……この出血して、里まで運びゆく時など無かりに。………だから然れば此れを………………」


 そう言って、長い髪を束ねていた二つの輪っかのひもをゆっくりとほどき、それを斬月の手にやった。


「……然りとて、私代はりに其れをば姉者の傍ら有って欲し有りなむ――」


 と、ここで言葉は途切れてしまった。


 乱月は力尽きてしまい、静かに息を引き取ったのだった。


「……ぁあ……嗚呼嗚呼あゝあゝ……私の………いで過ぎし真似取りてばかりにおとうと……乱月が……………うわぁぁあああああああああぁぁぁぁ――――ッ!」


 敵の屋敷にいるも関わらず、悲しみのあまり、その場で泣き崩れた彼女。


 彼女の泣き叫ぶ声が屋敷中に響き渡り、中にいた人々が何事かと、次々にそこへ駆け付けて来た。


「……ひ、ひひ………人が…………」


「……きゃあああああぁぁぁぁぁ――――ッ!」


「……この曲者くせものめぇぇええええええええええぇぇぇぇ――――ッ!」


 武将と他数名が殺され、辺りが血の海と化したこの状況を目にした人々が、様々な反応をする。


 人の存在に気付いた斬月は、妹にたくされた二つの輪っかの紐を使って、同じように髪を束ねようとしたが、髪の長さが短い所為せいでそれが出来ず、代わりに頭の上で髪を集めて左右に束ねると、一度手放した小刀を拾い上げ、腹癒はらいせのようにその者達を斬り付けていった。


 その様子を見かねた忍達は、この場を全て斬月に任せ、任務のご報告をしに黙ってこの場を去って行く。


 そして………


「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……………」


 屋敷にいる全ての人間を殺しに殺してしまい、怒りと悲しみをぶつける相手がいなくなった斬月は、すっかり疲れ果てていた。


「……これにて………ほんの少しば……おとうと合わする顔うもの有らなむゆ………ははっ、私めなど落ちこぼれが何を戯言申して………うっ………ううっ……うぁああ゛ぁぁあぁ゛ああぁぁあ゛ぁあ゛ぁぁぁ――――ッ!」


 一息つけるようになると、彼女は再び豪快に泣き叫んだ。


 いつも自分の上を行き、ねたみの絶えない存在であったと同時に、いつも優しくかけがえのない存在でもあった妹の乱月。


 そんな大切な人を亡くし、今の斬月に生きる気力があるのだろうか?


 最早、とんでもない失態を犯してしまった自分に、帰る場所はあるのだろうか?


 素直に戻って来たところで、今まで以上に虐められるだけに違いない。


 ならばいっそ、こんな私を………


 グサッ!


 何かが勢いよく突き刺さった音が聞こえた。


 よく見れば、彼女の心臓部に一振りの刃が貫通していた。


 背後から刀を突き刺したのは、一人の若武士であった。


 どうやら息を潜め、機会をうかがっていた武士を一人、殺し損ねていたようだ。


 武士は刀を引き抜き、つらぬかれた心臓部から多量の血を吹き出す斬月。


「……已む無く………私のがりも迎へ来ためり」


 血の気を無くし、まるで強い風にさらされた案山子かかしのように呆気なく倒れ出した。


 ゆっくりと顔を横に向け、今一度妹の亡骸を目にする彼女。


「……折角あたら助け頂いた給へき此の命…………いと短し生けざらむこと……あわれなり……………」


 乱月の犠牲虚しく、過早にその命賭してしまった己の無力さを亡き妹に向けてそう言葉を伝えると、力尽き彼女もまた、跡を追うように――、よわい十四にしてその生涯を終えるのだった。


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[あとがき]

 平安時代の頃は弟でも妹でも『おとうと』と呼んでいたそうです。

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