⒊ 武視(6) 命の鍔際
帰り道のことだった。
来た道を引き返し、港へと戻るだけの筈だった。
なのに、
「事故だ!女性が一人、怪我をしている。これは重傷だぞ。助けはどうなっている」
「やっば、あの人死んじゃうんじゃない?」
「なんだって、当て逃げされちゃったって聞いたけど………。
衝突した相手は大型のミキサー車らしく、逃走しているってことはそのドライバーはピンピンしているんだろ。
でも、正面衝突で怪我したあのドライバーは………無事に助かるかどうか……………」
「一体、どれだけスピード出して衝突したら、あんなに車がへこむんだよ」
「うちの近所でこんな事故起こされちゃって、良い迷惑だわ」
周囲には多くの人
近くに公園のような、何かクッションになる草木が生い茂った場所は無く――
親切な男性は出来る限りの手を尽くし、ひとまず栞奈が巻いていた白いタオルをゆっくりと
外温から身を守ってくれる
NEMTD−PCはその期待を裏切ることなく、熱を持ちやすいコンクリートの上でも、背中から――
だが、肝心の症状については安心出来ず、頭部からは多量の血を流し、青ざめた顔をしているのが見てとれた。
『……
全ては奴が………前の車を抜かそうと猛スピードでこちら側の走る道に入り込んで来やがった、轢き逃げ犯の奴のせいで、私は……………』
失いつつある彼女の意識がこの場に起きた状況を
視界も徐々に薄れ始め、そして………
「ご機嫌いかがでしょうか?」
「うおっ!」
知らない女の人から耳元で
そこには当然のように、不幸を撒き散らす諸悪の女神………いや、目神ヘアムの姿があった。
「ここは
彼女の視界に映った光景はコンクリートの道では無い。
それどころか何も無い、ただただ真っ白な異空間であった。
「ここは人間界で言うところの天国、そして私は神様です」
「神……様………だと…………」
「
「いやいやいやいや、ちょっと待てって。
そんなファンシーな世界観が、この世にある訳ねぇだろ!」
「いえ、ここは貴女方の世界で言うところの――【あの世】。
貴女がこの世と言っている、地球上での生活とは全くの別世界ですので、常識に
それにさっきまで重傷を負っていた人が常識的に捉えて、これ程までにすぐに身体を動かせるとお思いですか?」
「……ありえねぇ、確かにあんたの言う通り身体を動かすことは出来るが………ああもう、訳が分かんねぇ…………」
栞奈はこの状況が飲み込めず、頭を悩ませながらウロウロとしていた。
それもそうだろう、常識が通用しないこんな
だが、目の前の少女はそんなことを気にも
「無理にこの状況を理解する必要はありませんので、どうかこのまま私の話を聞いて頂ければ、と。
さて、率直に申し上げますと、貴女には二つの道の内、どちらか一つを選ぶ権利があります。
このまま訳も分からず消滅していくか、それとも元の地球上に帰還する為の試練を受けて頂くか。
――貴女はどちらを選択しますか?」
「選択?なんだって良いから、こんな訳の分からない場所から私を出してくれ」
「それは地球に戻りたいということで受け取ってよろしいのでしょうか?」
「そうだ!……でどうしたらそれが叶う?」
栞奈はウロウロするのをやめ、大人しく目神ヘアムの言葉を聞き始めた。
「簡単に言いますと、目の移植でございます」
「目の……移植…………?」
「はい。命を亡くされた今、貴女の
「生命エネルギー?供給?
良く分からないが、とにかく神眼って言う目の移植をすれば、元に戻れるんだな。
なら、早くそいつをやってくれ」
「その前に一つ、注意事項があります」
「注意事項?」
「はい。神眼の移植なのですが、生命エネルギーの供給――
それ
これに耐え切れなければ消滅、消えて失くなるだけです」
どことなく他人を信じられない性格をしているのか――
「と言うか……その神眼って目の移植が痛いとかなんとか言われても、こう………イマイチぴんとこないんだよね。
だからさ。チャチャッとやって、チャチャッと済ませてくれよ。実際に体験した方が早いからさ」
「そういうことでしたら、今から神眼の移植を始めていきます。それでは、適当に横になって下さい」
「これで良いか?」
あまりの手際の良さに、ヘアムの反応が少しだけ遅れた。
「……では一度、貴女の眼球を取り出す作業に入ります。
これから私の力で貴女の眼球が独りでに抜け出ていきますが、パニックにならずどうかあまり動かれることの無いよう、ご注意願います」
「はっ?冗談やろ?…………」
ヘアムが栞奈の眼球前に手をかざすと、まるで眼球に命が宿ったかのように、それらはスルスルと独りでに抜け出ていった。
「……えっ?ええっ?何が一体どうなって…………」
いざ眼球が抜け出ていくと、流石の栞奈もこの有様である。
「それでは実際に神眼の移植をしていきます」
ヘアムはそんな栞奈の様子を気にすること無く、お水を掬うように手を作ると、その中へと両目からそれぞれ一滴の涙を零した瞬間―――
強い光に包まれながら手の平の上に現れた、二つの半透明な眼球が顔を出す。
そしてその二つの眼球も同様に独りでに動き始め、ポッカリと空いた栞奈の
「ぐあぁぁあああああああああああぁぁぁぁぁぁ―――――ッ!」
突如、奇声じみた悲鳴を上げる栞奈の姿があった。
(やばい、痛い痛い痛いって。こんなの人間が耐えられるのかよ。
正直舐めて掛かってたけど、こいつはやばいって)
痛みを
(つーか、これ耐え切れなかったら消えるんだっけ。……もうなんだって良いや。この痛みから解放されるなら消えても…………)
徐々に薄れていく彼女の忍耐力。
死んだ魚のような目を見せる栞奈の様子を見かねたヘアムは、この者の最後を静かに悟る。
(活力が失われつつある。終わったな…………)
空中を切るように右腕を横に動かすと、突然その範囲で目の前にいくつかの映像が空中に投影された。
現在生き残っている
『……
(この声は……ブシュラ………
微かに力が入り始める栞奈。
(くそっ……あいつのことを思い出しちまったら………何故だかこの状況で弱音を吐いている自分に腹が立ってきた………
……あいつに負けるような気がして……そぅだ巻き込まれたとかどうとかって………まさかこれのこと……………)
栞奈は映し出された映像へと目を向ける。
すると、ブシュラが言っていた妙な妄想話と全く同じことが
(あれは………目を奪って……人を
一体……
……これに…………ブシュラは関わっているのか?
……ざけたこと言いやがって………これの何処がゲームだよ…………こんなの、ただの殺し合いじゃねぇか……………)
もしかすると、この目を受け入れてしまったら自分もあのような殺し合いに巻き込まれてしまうのかも知れない。
だが………
(……そうだとしても…………知り合いがこんなことに巻き込まれていて…………
……私の作る刀を頼りにしているっていうのなら………それを支えてやれる存在が生きていなきゃ………その期待に応えてやることが大事なんじゃねぇのか………稀街栞奈ッ!)
彼女の活力がその力を増して蘇る。
「うおぉぉおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉ―――――ッ!」
「馬鹿な。あそこからどうしてそんな活力が生まれて…………」
彼女の突然の変化に、ヘアムは目の前の映像より近くの栞奈の方に目が離せなくなっていた。
「おぉぉおおおおおおおおおぉぉぉぉ―――――ッ!」
痛みを必死に乗り越えようとする彼女の
「……ゼェ、ハァ、ゼェ、ハァ…………」
彼女はやり切り、見事痛みに打ち勝つことに成功した。
生き返る権利を得たのだ。
これにはヘアムも驚きの声を上げていた。
「まさかあそこから
時に何が貴女にそのような力をお与えになったのかお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「……大したことはねーよ。
ある人の声が、諦めかけていた私の心を突き動かしただけに過ぎないだけさ」
「声の力………成る程、それもまた人を動かす力を秘めているものなのですね。
今回は面白いものが見れました。ではあの苦しみに耐え切れたという訳で、時間が経てば貴女は生き返っていることでしょう。
……おや、そうこう言っているとお時間がやって来たようですね」
徐々に消えていく栞奈。
そして気付けば、彼女は元の世界へと戻っていた。
また一人、まんまと奴の毒牙に掛けられた犠牲者が生まれた瞬間である。
「……め、目覚めたぞ!大丈夫かい、あんた」
「ここは………そうか戻って来れたんだな……………」
ただ一人自分を助けようとしてくれた男性の声が聞こえると、すぐに今の状況を理解した。
帰って来たのだと、声には出さずとも
ヘアムが言っていた通り、重症だった筈の身体は完治しており、無理をすることなく上体を起こした。
「えっ?あれって、重症の筈でしょ。
「良く見ろ。怪我がいつの間にか
「ば、化け物だ!」
「
どれくらいの時間が経っていたのだろうか。
近くに救急車の姿は無く、
「……あのさ………私は大丈夫だから、その代わりに使い物にならなくなっちまったあの車の後処理をしてもらって良いか?
私、この島の住人じゃないからさ。地元のロードサービスセンターの住所なんて知らないし、適当にレッカー車呼んでくれたらそれで良いから。
私は用事があるから、ここは全てあんたに任せたよ」
「えっ?……あんたそんな血だらけになった服で
突然のことで戸惑う男性を気にも留めず、栞奈は港へと行く道とは逆方向に向かって歩き出して行ってしまう。
それから歩き続けること、数十分。
栞奈は再びあの大きな
「……ったく、あいつには色々と聞いておきたいことが出来ちまったじゃねぇか。
それにしたって、相変わらずここの門は一体どうすりゃあ開くんだ?」
ウロウロと門の前で一人歩き回っていると、そこに近付いてくる二人の少女。
キツネ耳のカチューシャを付けた赤毛のメイド一人とランドセルを背負った黒髪の小学生である。
栞奈はメイドの頭に付けた変わったカチューシャを一目見てブシュラの使用人だと判断すると、彼女は血だらけの格好であったことも忘れて何気なくそのメイドに一声を掛ける。
「そこの
だが、それが間違いだったとすぐに気付かされた。
そのメイドは彼女の格好とウロウロと屋敷前を動き回るその怪しげな動きから、
「そこで何をしている!このお屋敷は我が
「格好?……ってこんな血だらけだったのかよ。
こりゃあ、確かにやばい奴だと思われても仕方ねぇよな。
けど、話だけでも聞いてもらいたい。あんたの主様は何かちょっとした趣味をお持ちだったりしないか?
例えば、変わった刀集めとか…………」
「仮にそうだとして、一体それに
「実はその刀を作っている人が私なんだよ」
そう言って、内ポケットから血の
「……鍛冶屋稀街 代表取締役社長 兼 刀鍛冶:稀街栞奈………@kaziyakimachi.co.jp……これは、会社のメールアドレスですか。
それに個人のExt番号も記載しているところを見るに、この名刺は本物と見て間違いないようですね」
「本当はちゃんと
………取り
どうしてもあいつに用があるんだ。頼む、この通りだ」
門の前、それも歩道の上で突然土下座を始めた栞奈。
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