⒍ 洞視(5) イタズラな出会い

 とある路地裏の一角で頭に薄鎌のやいばが刺さった状態で走って行く奇妙な人間の姿があった。


「ハァ、ハァ、こ……ここまで来れば奴らも追っては来ない筈…………」


 彼女はそう言って近くの建物の壁に背を預け、ズルズルと力が抜けていくように尻を地に付けると、頭に刺さった薄鎌の刃をゆっくりと引き抜いていく。


「あっ、がぁあああああああぁぁぁ………――――ッ!」


 引き抜いた時の激痛に耐え切れず、思わず悲痛な声を上げる。


 気付けばどんよりとした天気は雨となり、その雨音のおかげか彼女の叫び声はそう聞かれてなかったようで、その声を拾って近付いてくるような一般人やからが現れなかった一方、雨水が傷口にみるのか痛そうに頭を押さえていた。


「ハァ、ハァ、ハァ………な、なんでこんなことに……………」


 右目を失い空っぽの眼窩がんかから血と雨水の混じった液体が流れていくその光景は、まさに血の涙を流しているようであった。


 抜き上げた薄鎌をそこら辺に投げ捨てると、近くで人の声がかすかに聞こえてきたことに気付いた。


「……うーん」


「―――ッ!」


 人の声に反応してそれを耳が拾った瞬間――、さっきのことがあった手前、恐怖心が根付いたしまったのか、平常心が保てずこのようなことが彼女の頭によぎる。


(まさかッ!……神眼者プレイヤー………なのだろうか……………?)


 彼女の脳裏にそんな不安がつのり出すと、途端とたんに先程の恐怖で身体はビクつき、足はガクガクと震え出した。


 とてもじゃないが、そんな足では走って逃げられそうになかった彼女は、覚悟を決め神眼者プレイヤーでないことを信じて人の声がする方へとゆっくりと歩み寄り、様子を見に行った。


「……と、届けぇぇ」


 何者かの声は次第にはっきりと聞こえ出し、彼女は壁伝いに手を付きながらゆっくりせまると、そこには自動販売機の下に右手を突っ込み一人格闘する男の姿が見えた。


 その男は上・下・真ん中と三本の横線ラインが描かれた、シンプルかつ最も安価なTシャツタイプとハーフパンツタイプのNEMTDネムテッド-PCという、この時代のおっさん達に多く見がちな服装姿で、なんともしょうもないことをしていた。


「よっしゃ、取れたぞ。やっぱ雨の日はちょっとした水流が底に出来て、小銭こぜにが良い感じに流れて取りやすいぜ。おっとこいつはラッキー!五百円玉じゃねぇか」


 男は自動販売機の下から小銭を拾い上げると、ハイテンションになって喜んでいた。


(なんだ、ただの貧乏人か)


 なんてホッとしていたのも一瞬の内、彼女はその男が何者なのか、彼のを見てすぐに何かを思い出した。


(ま……待てよ。あの髪の色………もしかしてあれって…………例の男の神眼者プレイヤーであったりするのではないのか)


 追い打ちを掛けるかのようにさらなる神眼者プレイヤーと出会ってしまったこの現実に、彼女の恐怖心は爆発寸前………ではなく、もはや爆発していた。


 気付けば投げ捨てた筈のバンジーコードに繋がれた二挺にちょうの薄鎌を手に取り、私に近付くなと言わんばかりに繋がれた一挺の薄鎌を乱雑に振り回していた。


 気が動転しすっかり冷静さを失っていたせいか、何度か振り回している内にいつしか手から薄鎌のつかがすっぽ抜け、繋がれた二挺の薄鎌は空中でえがきながら男のいる方へと飛んでいった。


 彼は高い動体視力でその軌道きどうを捉え、涼しい顔して軽く身体を横に反らすだけでその飛行物体をかわすと、背後の自動販売機に薄鎌の刃が見事に突き刺さり、ピキッと音を立て表面上にヒビが入った。


 彼は静かに自動販売機の横に倒れ掛かったビニール傘を手に取り、すでにびしょ濡れ姿ではあるものの、その傘を広げるなり、先の躱した際に見せた時とは反して、格好の付かない震えるような声で男はその口を開く。


「あっぶねぇ……は、刃物を振り回すとか、そ、そんなに小銭を拾うような悪い奴を粛正したかったのかよ。

 で、でもよ、このことが悪いことだって分かってはいるけど、俺、こんな身なりをしている通り貧乏だからさ。

 家族を養っていく為にはこういうことをしてでも、何とか生活家計を支えて………

 俺はともかく、家族には少しでも栄養の摂れた食事をさせてやりたいし、ここは大黒柱として家族に苦労を掛けず、頑張れることがあれば、その為の努力を惜しまないつもりだ。

 だから、頼むッ!ここはどうか見逃してはくれないだろうか?」


(なんなんだ、こいつは?何も気付いていないのか?あれか?私がフードを被っているから頬に流れる血の違和感に気付いていないとでも?

 なら、フードに染み付いた血痕けっこんは?このフードが赤いからそれすら良く分からないとでも?

 全てはこの雨で流されて証拠隠滅しょうこいんめつってか?

 そんな馬鹿な話があるか!今の私はいかにもゲームが行われた後って姿をしてるのに、特に戦闘態勢で神眼を奪いに掛かるという様子も無ければ、口を開けば拾った小銭のことで見逃してくれだと?

 ……分からない、理解しがたいことだらけだ)


 彼女が一人苦悶ひとりくもんしていると、気付けば一緒の傘に入れて上げ、心配そうにフードの奥に隠された彼女の顔をのぞき込む彼の姿があった。


「何かあったのか?」


 一瞬、驚きはしたものの彼の優しいその言葉を前に、彼女はどうしたら良いか分からず、怪訝けげんな顔をしていた。


 完全電子化となった現代において、小銭の価値は硬貨としての直接的な価値として言えば全くの無いものであるのだが………


 そもそも男が小銭拾いなんてやっていたことにはそれ相応の理由がある訳で、一部の郵便局や銀行、硬貨両替ショップ、俗に言う質屋などで使用されなくなった硬貨を電子硬貨マネーとしての両替をおこなっている為である。要は両替によるちょっとした小遣い稼ぎだ。


「……分からない。貴方だって神眼者しんがんしゃである筈。どうして私の目を奪うようなことをしない」


「そりゃあ俺だって一人の神眼者だけど、少なくとも俺はそんなにも震えながら立ち向かおうとする相手を前に、冷酷非情な行いだけはしないつもりだ」


「そんな甘い神眼者なんて貴方が始めてです。そんなの、神眼者プレイヤーとして普通じゃない」


「あはは……まぁ俺という人間をどう思ってくれたって構わないが、その様子だと………今日の分の神眼しんがんを回収出来てないんじゃないのか?」


「……だとしたら、何?」


「いや、ここで会ったのも何かのえんだ。

 このことを見逃してくれるなら、代わりに君の手伝いになることをするべきだと思ってさ。

 実際のところ、俺もまだ今日の分の神眼を回収出来てないんだ。にしても、まさか自分がそんなこと言うなんてな。

 初めのうちは相手の目を奪うなんて行為、死んでもやりたかないなんて思ったりした時もあったけど、今では日常茶飯事にちじょうさはんじの一つになっているからかな。

 前ほど抵抗感がなくなっている自分がいるような気がしてならないんだ。なんだか自分が自分で無くなるような気がして…こういう感覚ってなんか恐いな」


 暗い声して、長々と言う


「待って!貴方は初対面の神眼者に対してこの生存競争に駆られたデスゲームの、あろうことか障害の一人を助け出すようなことをするって?

 やっぱり普通じゃない、こればかりは度が過ぎている」


 やはりどこか理解できないという様子の彼女。


「お前、さっき自分のことを障害の一人だとか言っていたけど、それは違うよ。

 一人でも死ぬようなことが無ければ、それに超したことはないだろ。

 ここは一つ、一緒に協力して単独行動している神眼者プレイヤーから上手いこと神眼を回収してさ、互いに片目ずつ受け取って生きようよ」


「一緒に……ですか。やはり貴方はおかしな人です。

 でも、協力してくれるというのなら私にとってそれは願ったり叶ったりなこと。

 ですが、先程言っていた単独行動をしている神眼者プレイヤーに目を付けるのは戦略的にも大変良いと思いますが、今の私のようにすでに片目を奪われた神眼者プレイヤーだっている筈………

 何かそれを見つける手立てはあるのですか?」


「ああ。こういう時に頼りになる仲間がいてな。あいつに聞けば一発………ってあ~~!

 俺の携帯充電切れじゃねぇか。……やばい、終わった」


「何がしたかったのですか?良く分かりませんが、つまり貴方はアホ……なんですか?」


「……まぁ、あいつと連絡を取れずともなんとかなるだろ」


「なんとも計画性がなってない人ですね。そんなことで良くここまで生きてこれたものです」


「あ、あはは………」


「だけど、今回は運が良かったですね」


「それはどういうことだ?」


「私の持つ力があれば、遠くからでも特定の人物を探し出すことが可能」


「本当か!珍しく今日の俺は運が良いな」


「なんだか貴方と話していると、調子が狂います」


「つまりそれって、さっきまでの暗い調子から少しはマシになったってことだろう。それって良いことじゃねぇか」


「―――ッ!」


 その時、彼女の中で彼に対する印象が大きく変わった。


 彼は……名も知らぬこの男は神眼者とは思えないほど、人が良すぎるのだと―


「そういや、まだ名乗っていなかったよな。俺は目崎悠人。悠長ゆうちょうの【ゆう】に【人】と書いて【悠人】だ」


「私は……橘季世恵たちばなきよえ。季節の【き】に【世】の【恵み】と書いて【季世恵】…………」


「季世恵さんか。少しの間だが、よろしくな」


「……こちら、こそ」


 ふとその場が明るくなったかと思うと、気付けば雲と雲の間から一筋の光が差し込み、二人を温かく照らすのだった。

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