第一部 ⒊ 視忍

⒊ 視忍(1) 飢えた忍

 あの晩はろくに睡眠を取れず、耳をつんざくような目覚まし時計のアラーム音が彼の浅い眠りを妨害ぼうがいする。


 寝不足のあまり普段と違って叩き付けるようにボタンを押すと、それは一瞬でピタリと止んだ。


 ひとまず朧気おぼろげな視界を無理矢理にでも覚まそうと、洗面所に行って顔を洗う悠人。


 濡れた顔をタオルで拭き取ると、ふと目の前の鏡に映った自分の違和感に目を奪われていた。


 寝不足で左目が乾燥し、充血を起こしている。


 それとは対照的に神眼しんがんである右目は不思議なことにうるおい完全キープ、眼球の疲れを感じることも無く、充血をしている様子は見られなかった。


 後でEPOCHエポックを見て知ったことだが、どうやら神眼はいくら酷使こくししても視覚的な上では疲れることがないらしく、一切いっさい目の病気に掛からないのだという。


 いくらこの世界には無い存在眼球とは言え、何でも有りである。


 その後リビングに移動した彼は、いつものように朝食を作り始めた。


 数分後出来上がると、今度は妹の紫乃を起こしに彼女の自室を訪れた。


 昨日と変わらずピンクのパジャマに身を包んだ彼女はなんとも眠そうな半開はんびらきした目で目覚めると、何度か目をこすったのち彼の目の異変に気が付いた。


「あれっ、兄さん。片目だけ充血しているのって一種の老化現象なんだって、前にテレビで見たことあるよ。

 って、ま……まさか兄さん!この生活を支えるのに必死で、私の知らないところでそこまでやつれて…………」


「なっ……、馬鹿言うんじゃねぇよ!俺はまだ15歳だぞ。妹一人、支えてやるぐらいのことでもう年老いて来ているだなんて、そんな情けない奴がいてたまるかってんだ!

 変なこと言ってないでほれッ、さっさと起きろ!」


「半分は、冗談のつもりで言っただけなのに………。でも、本当に大丈夫?疲れてない?」


「ありがとな、心配してくれて。俺は大丈夫だから、朝食食べてこい」


 彼が疲れを隠して強がるのも無理はない。


 まさか自分の命を守る為に、人の眼球を略奪しているだなんて言える筈が無いのだから。


 紫乃が自室を出て行き、今はその部屋に一人きりの悠人。


「……俺が置かれた状況を……………、本当のことを言えっかよ」


 彼はこの日初めて、これほど家族に何かを打ち明けられないのがこんなにもつらく感じたことはなかった。


 それから時は過ぎ、紫乃はすでに家を出て彼も学校に行こうとくついている時のこと。


(今日は流石に未予は家の前にいないだろう)


 彼は玄関扉を開けると、そこには未予の姿が―なかった。


 それもそうだ。思っていた通り、昨日はゲーム初日だったから警告もねて少し立ち話をしに来ただけに決まっている。


 彼は気にせず、一人で学校へと向かった。


 するとそこから五分後、昨日報道された現場である眼清げんせい神社の横を通り過ぎようとした時だった。


 通学路にあるそこは、この島で目に御利益のある場所として知られており、周囲には竹林ちくりんが広がる人気の初詣はつもうでスポットとなっている。


 そんな神社の鳥居前で何やら腹をかかえながら、地べたに座っている一人の少女の姿を悠人は目にした。


「……兵糧丸ひょうろうがんとお金を無くして、私なんかが空腹になるなんて…………」


 お腹を鳴らすその少女はどこかおかしな格好をしていた。


 よく見るとNEMTDネムテッド-PCを着ておらず、全身黒コーデで統一された軽快けいかいな服装をしていた。


 両腕には〈蜘蛛クモ糸素材〉のマフラーが巻かれ、これまたよく見ると縫い糸に引っ掛けられた謎の十字手裏剣がいくつか発見された。


 何故なぜそこで、マフラーの素材が蜘蛛糸であると断定出来るのか?

 

 それは彼の目の良さゆえに、マフラーの小さなタグのところに使われている素材名として、それが書かれていたことを彼の目が逃さすことなど無かった。


 蜘蛛糸であしらったジャケットが作られたことがあるという話を聞いたことがあるが、それにしても蜘蛛糸を使ったマフラーとはこれまた珍しいなどと思いながら、頭上には左右で三日月のアクセサリーが付いたヘアゴムで丸くまとめられた、俗に言うお団子ヘアーをしているのが見てとれた。


 そしてなんと言っても、黒髪の中で一際ひときわ目立つ前髪中央に位置する白髪。


 彼女の髪がくせっ毛であるゆえ、その白髪はさながら夜空に輝く三日月のような形にも見えた。


 本来ならNEMTD-PCを着ていなければこの世界の厳しい外気温の環境に身体が耐えきれず、最悪命を落とす危険性がある。


 だがあの時、全ての神眼者プレイヤーの前でヘアムはこんなことを言っていた。


『神眼者は不死身であって不死身ではありません。

 貴方がた神眼者は神眼がある限り病気や寿命に縛られず永遠とわに長い時間を生きていくことが出来る、だがそれは言わば神眼を失うことがあれば、それすなわち死を意味するということ―』


 その言葉が本当であれば、神眼者は目を奪われる以外で死ぬようなことが完全とは言いがたいが、ほとんど無いと思っても良いのではなかろうか?


 それならば神眼者という存在はNEMTD-PCという特殊防護服にとらわれず、ちょっと前の人々のように好きな服を着て外出したぐらいでは死にやしないのではなかろうか?


 そもそも不死身だとかそれ依然いぜんに、元は死体の身体である神眼者の体内の神経細胞が生きている筈もなく、暑寒を感じない身体であってもなんの不思議は無い。


 だが、味覚と痛覚つうかくは残っているのだから、神眼者の身体は不思議だ。


 なんにせよ、彼女の不自然なその格好はかなり目立つ。


 彼は見るからにあやしい少女を見て、ここは関わらない方が良いとんだ。


 目の前で(腹を鳴らして)困った人を助けようとせず、素通りするのはどうにも心苦しいことだが、油断は出来ない。


 仮にちょっとばかし食べ物をめぐんであげようと近付いたとして、もしも彼の正体が神眼者であることを彼女が分かっていたら、それは間違いなく死を意味するだろう。


 彼は最悪のケースを考え、ここは見なかったことにして先を急ごうとする。


 だがあろうことに彼女は悠人の存在に気付いたのか、顔を上げつぶらな瞳で見つめながら彼に声を掛けた。


「あ、あの~、よろしければそこの方、少しばかり食べ物を……って、私なんかがそんな図々しいことを言っては駄目に決まっているのに、なんであんなこと―」


 彼女は食べ物をねだっているのか、そうでないのか、とにかく訳の分からないことを口にしていた。


 なんにせよ、彼はそんな彼女に声を掛けられたことに対し、動揺どうようせずにはいられなかった。


(おいおい、マジかよ。見るからに神眼者プレイヤーだって分かる奴に声を掛けられちまうなんてツイてねぇ。何か困っているみたいだけど、敵を助ける義理なんて……あーもう、クソッたれ!何もこの人は腹が減っているだけじゃねぇか。お願いします、どうか平和的に事が済みますように)


 彼は覚悟を決め、道を引き返した。


「ちょ~っと、待っていてもらえませんか?すぐさま何か食べる物を持って来ますので」


 彼はそう言うと、毎日のように自炊じすいしている身としてはあまり利用することのない近くの小さなコンビニに駆け込み、急いで安定の紅鮭べにしゃけおにぎりを一つ購入すると、ビニール袋代をケチってシールを貼ってもらっただけのそれを彼女にそのまま手渡した。


「おにぎり百円セールしていて、ホント助かったぁ~」


 なんたる失態しったい


 彼は心の内にとどめておくはずだった(?)本音を無意識に声に出してしまったのである。


(やべぇ~、俺の悪い癖が出ちまった。お金のことになると、いつもこうして言ってしまう)


 彼はロクでもないことを言ってしまったと深く考え込んでしまっていた。


 さっきの一言は受け取った人の感じ方によっては、怒りを覚えるだろうと思っていたのだ。


 だが、この少女は違った。


「本当にすいません、すいません。私なんかの為にこんな親切にして下さって。改めて明日にでもこのお代は必ず払いますので」


 意外や意外。


 なんと彼女は怒るどころか感謝のあまり、わざわざ頭を下げてお金を返すとまで言ってきたのだ。


「いやいや、そんな気にしないで下さい。お金を頂戴ちょうだいする程の高い買い物だったわけじゃないんですし」


 無性むしょうに情けなくなった彼は、もはやこう言わざるえなかった。


(なんだよ、めちゃくちゃ良い人じゃないか。変に心配する必要も無かったな。……まあ、彼女の身なりが変わっている件については少し気になるけど、とにかく無事に事が終わって良かった)


 そう、心に思う悠人であった。


「では、先を急いでいるので、私はこれにて」


 彼はその一言を最後に、急いで学校へと向かって行った。

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