弱くてもいい

 とても甘く感じたご飯を食べ終えた後も、私の気持ちは昂るばかり。横に歩く月葉を直視できずにいる。

 『かわいい』という言葉は私にとって凄く特別なもの。いや、私たちにとってとでも言うべきか。

 気楽に言い合える仲。例えば奈由菜と接するときみたいに、普段からそういうのをふざけて言えるような距離感が私と月葉の間にも形成されているのなら、この言葉自体は特別なものではなかった。もしそうだったら、この言葉は私にだけ特別な意味を与えるものだっただろう。

 良かったって思ってる。だって私にしか特別な意味が与えられないとしたら、私はどんな顔をしていればいいのかわからないから。

 とはいえ良いことばかりともいかない。互いが何かを意識するせいか、私はもちろん月葉もどこか上の空になり、次の言葉を探せずにいた。


 何も話そうとしない月葉の方を一瞥する。月葉は自分でかわいいと言っていた薄いピンク色の傘をさし、黒いストッキングをはいた足が私の緩めた足並みにそって歩いている。

 そのまま数秒の間はまだ沈黙は続いたけれど、やがて月葉の口が開く。


「大丈夫なの? なんか疲れてない?」

「私が? 月葉じゃなくて?」

「うん」


 ここのところ自分への配慮は足りなかったのかもしれない、とも思い起こしてみたけど、私はいたって健康。

 おでこに手を当てても別に熱くはない。空の日差しだけが煌々と照り付けている。


「私は元気だよ。私は疲れたらちゃんと伝える。だから月葉も教えてね」

「わかってるよ~」


 当然じゃんと言わんばかりに月葉は幸せそうに笑う。

 今日は特別な日。写真部としても勿論、年に数回しかない撮影旅行であるため大事な日ではあるが、月葉にとってはこうして外に出向いて街をぶらぶらしてるだけでも特別なのだ。月葉の笑顔からはそれがひしひしと伝わってくる。

 こんなにもきれいな笑顔を振りまいているのに、空に浮かぶ太陽は月葉に猛威をふるい続ける。

 そんな中でもたくさんの人が店を選び歩いている。今日は休日、しかもお昼時だからだろう。

 額に汗を流す月葉は前へ前へと足を進めるけど、私たちに目的地はなかった。

 ただただ、とり留めも無い話を続け、そうやって歩いているときにふと、私の耳に嫌な言葉が飛び込んできた。


「ねぇねぇ、あの人見て。天気よくて暑いのにめっちゃ暑そうな格好してる人いる」

「ん? あ、ほんとだ。指さすのはやめな」


 その声の方を目で追う。年は私と同じくらか。私たちとそう歳の離れていない女子高生二人組。

 一言で表すなら片方は派手な金髪ギャル。片方は優等生系めがね。


「日傘とか気取っちゃってるよねー、どんだけ日焼けしたくないんだよって格好だしさ」

「あんまり大きい声で言うと聞こえちゃうよ」


 ばっちり聞こえてますけど?


「月葉はちょっと、ここで待っててくれる?」


 怒ったりするのは苦手だけど、ちょっとくらい言ってやらないと気が済まない。


「……だめだよ。朱音はなにもしなくていいの」


 私はなるべく笑顔を保っていたつもり、それを意識していても怒りの感情は漏れてしまったのか。月葉は私の手を握って止めた。


「でも──」

「だーめ」

「……!」


 私の言葉の途中に、月葉の人差し指が私の口元へ押し当てられる。

 真っ黒のアームカバーが月葉の指先まで覆っているせいで、私の唇は無機質な感触だけを得た。


「さあ、切り替えてもう戻ろうよ。一ヵ所だけ寄りたいところがあったから、そこだけ寄ってさ」

「ん……、わかった……」


 月葉の静かな言葉にはものすごい力が強くのしかかっているみたいに重くて、私が抵抗することをを諦めるしかないほどだった。


 その場から少しだけ歩いたところで、急に月葉が立ち止まって、私は振り返る。その刹那、彼女の口がゆっくりと開いた。


「ねえ、朱音」

「どうしたの?」

「違うよ。えっと、手繋いでいい?」


 弱々しい声音を震わせながら、月葉は私に手を差し出す。


「月葉……」


 私の大好きな人。その人の目から小さな涙がこぼれている。

 無理をしないでって言うことはできるけど、月葉はそんなことできないのだろう。

 弱い身体。制限をつけられた身体。それを生まれつき与えられた月葉には、無理をせずに生きるなんて言うことは、あまりにも無責任なように感じる。

 でも、せめて……


「強がらないでほしいの。せめて私の前では、正直にいてほしい。お願い……」


 涙となってしまいそうな目のぼやけを、手で必至に拭う。

 頬に滴がつたった時、溢さないようにすることはもうできないとようやく悟った。この諦めは無意味なことと切り捨てたものではなく、受け入れるのが正しいと思ったから。

 私は自分の持ってきた折り畳み式の傘を広げ、そしてそれを持つのとは逆の手が、月葉の手と繋がった。


「これで一緒だよ。さあ、行こっか」

「……ありがと」


 私は月葉の手を引いて進む。

 ひたすら前を向いて進んだ、この時の月葉の顔を私は見られなかったけれど、手から伝わる熱が月葉の感情の昂りを十分に教えてくれた。

 私は僅かなもやもやを残しつつ、次の目的地への歩みを進めた。

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