いちごクレープ
「ねえ朱音」
「どうしたの?」
「そろそろお昼の時間じゃない?」
店を何個か巡り歩いた後、クレープを片手に持った人が言うにふさわしくない言葉を、月葉は淡々と言ってしまった。
「月葉、ちょっと見せて」
私はそっと月葉の手を取り腕につけられた時計を見る。時間は既に正午を1時間ほどすぎている。
「ん? クレープ食べたいの?」
たしかに月葉は腕時計をつけている方の手にクレープを持ってる。私が時計をじっと見ていた姿を、クレープを物欲しそうに見ているように見えたのか。それは少し恥ずかしいことである。
もちろん腕時計をみていたということを素直に話せばいいだけの話なんだけど、私がクレープを食べたいというのもまた事実だったことにより否定はしにくい。
店は目の前。それならクレープを買えばいいじゃないと思うかもしれないがそうではない。
ただクレープを食べるならやはりここで買えばいい話。だが私が食べたいクレープは、この目の前にあるものただ一つしかない。
「うん、少しもらってもいい?」
「もちろんいいよ」
「はいっ」と月葉の手から差し出されたクレープに私は誓いのキスのように柔らかく口づけをした。イチゴと生クリームの相性はいつ食べても最高。でもキスの下りの表現は流石にちょっとキモいか。
「ありがと。美味しい」
言いながらゆっくり顔を上げて私が月葉を見ると、顔を赤く染めてモジモジしていた。なるべく自然に月葉に近づきたいから頑張って平然としていたけど、そんな姿をされると恥ずかしさが戻ってきてしまう。
私はその得も言われぬ恥ずかしさを紛らわせようとお昼の話に戻す。
「ご飯のことだけど、月葉は大丈夫なの? 私は一口だけしか食べてないけど、クレープを食べた後ってなるときつくない?」
「大丈夫だよ。クレープは別腹だもん」
「食べる順序が逆だと思うけど。まあ月葉がそれでいいのなら」
私はスマホを取り出して周辺の店を調べた。『商店街探索マップ』みたいな紙媒体の物があればよかったんだけど、歩いている途中ではそれらしきものがなかった。
「何が食べたいとかある?」
スマホから目を離したときには、クレープはもうなくなっている。月葉の手には、下の紙の部分だけあった。
「うーん」と声を漏らしながら悩んだ末に、月葉は一つの答えを出した。
「私オムライスがいい!」
「いいね。賛成。えっと……この辺りだと」
「ここだよ! ここ!」
クレープ屋さんのはす向かいの店を指差しながら、月葉は言った。
その店のショーウィンドウに並べられた食品サンプルは、ほとんどがオムライス。
「月葉、まさか」
「これ見てたら食べたくなっちゃった」
単純過ぎるとも思ったが、私の言えたことではないことに気づいてしまう。だって私は今、とてもオムライスの気分なんだもの。
好きな人が食べたいと言ったものが食べたくなるなんて、月葉よりも私の方がよっぽど単純。
「店の思う壺だね。まあ、私もその壺の中にはまっていくわけだけど」
月葉は私の手を優しく引く。笑った顔だけを私に見せながら。
「早く行こっ!」
もう私は月葉だけでお腹一杯。なんて言葉が喉から出てきそうになっところをのみこんで、私はその手に導かれるがまま店の中へ入った。
店内は暖色系の壁紙が使用されていて、この店の適度な騒がしさと青の落ち着いた感じの服装の店員さんにとても似合っている。
私はかにクリームコロッケの乗ったオムライスを注文し、メニュー表を戻した。
店の中でようやく落ち着いた月葉は「ふぅ~」と吐息を漏らす。
「月葉、疲れてない?」
どこがとは言いにくい。疲れた表情をしているのはよく分かる。月葉は体が弱いから。心配になる。
「うーん、確かにちょっと疲れたかなぁ。ここでまた少し休憩してもいい?」
「構わないよ。というよりはむしろ、私からのお願い。月葉が苦しむ姿は見たくないから」
「……」
月葉が口を尖らせて、何か言いたげな表情をする。
「朱音って、そういうこと平気で言っちゃうんだよねー」
「な、何かいけなかった?」
「ずるい」
月葉の唇が動いた。私の耳には届きえないくらいの小さな音が
「……。え? ごめん。もう一度言ってくれない? 周りの音で聞こえなくて」
「ううん、ただのひとりごとだからいいよ」
喧騒に包まれたこの空間では、相手に聞かれたくないことも小さな声なら、相手の前で口に出すことができる。
月葉の言葉が、私には内緒の言葉なのかもしれないし、またこれからも月葉は声を漏らしてしまうかもしれない。
でも私は聞き耳をたてたりはしない。月葉が私に伝えたい言葉だけを私はきいていたいから。
私もまた、一つだけ言葉を漏らす。
「イチゴと生クリームみたいな関係になりたい」
欲張りな私は、一口のクレープだけではお腹一杯にはならならないようだ。
私はオムライスが来るまでの時間が待ち遠しくなった。
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