ライブ前半

第三話

 その日から、それはもう怒涛の日々だった。


 コールを考えたら次は、国民全員にコールを教えたい、という無茶すぎる要求を受けてコール教室が行われることになったのだけど、さすがに全国民に同時に教えるというのはなかなか難しいので、いわゆるコール動画を撮影したり、直接教えるのが無理ならば……と「コールを教える人間を育成しよう」という話になり、毎日50人ほどの「コール伝道師」という謎の役職を育てるべくコールの授業を行う事になった。


 なんすかコールの授業って……とずっと思いながらも、引き受けたからには出来る限りのことはやった。


 同時進行で、一通り教えた「コール伝道師」達が国のあちこちで他の人達に教えているところに顔を出して、それが正しいかどうかのジャッジをしたりとか、時には直接教えたりとか、なんだかもう自分の立場はアレか、教育実習生を見守る教師なのか?という日々である。



 けれど、そんなめまぐるしい日々の中、ちょっとした出会いもあった。



 地方での、普段は中学校として使っているらしい教室でのコール授業の後、皆が帰って一人になったところで、疲れていたのか油断して、少し机で寝てしまった時の事だ。



 ―――――目が覚めたら、部屋の中にお婆さんがいました。



 ……っ!?


 ビクっとして眠気が飛んだけれど、恐る恐る観察すると、なんてことはない、普通のお婆さんだった。


 ふつうのお婆さんってなんだ…?と言われたら定義は難しいけれど、ふわっとした白髪に、少しふっくらした優しそうな顔、背は小さくて、背中を丸めていて、かっぽう着のような服を着ている。


 そんな、いかにも普通のお婆さんが、並べられた椅子の一つに座っていた。


「あら先生、目を覚まされましたかいな?」


 声や喋り方も、いかにもその外見から聞こえてきそうで、何の違和感もない。


「え、あ、はい。すいません。つい寝てしまって……あ、何かここ、使いますか!?すいません」


 慌てて立ち上がり頭を下げて出て行こうとしたのだけれど……


「いやいや、どうぞゆっくりしてください、お疲れでしょう?」


 と、言葉と手の動きで座ることを促されたので、ゆっくりとそれに従った。


 ……まあ、もうすぐ迎えが来るはずだし、今出て行っても行き場は無いから、ここで休ませてくれるならありがたい。


 ……のだけど……お婆さんは僕に休むことを促してからも、椅子に座ったまま動こうとしない。


 ――――普段ならちょっとなんか気まずい程度なのだけど、異世界で知らないお婆さんと同じ空間に二人きりというのは、どうしていいかわからないし、お婆さんでも魔法使えば凄い攻撃とかしてきそう感があるので、ちょっと怖い。


 そんなことを考えていると、おもむろに立ちあがるお婆さん!


「――――!」


 妙な緊張感が走る。


 お婆さんはそのままゆっくりとこちらに歩いてくる……なんだ!?手に、手に何か持ってる!なんか箱みたいなの持ってる!!


 え?ど、どうしたらいいんだ!?逃げ…逃げるにしても、出口にはお婆さんの横を通らないと行けないのでさらに怖いし、戦う……にしても、まだ何もされてないのにいきなりお婆さんに殴りかかったりしたら、さすがにヤバイよね!?


 とか言ってる間にもう目の前――!!


 お婆さんは、にこりと笑って……手に持っていた何かを、僕の目の前に差し出した!


 思わず両手で顔や体を守るようにしながら、身構える僕に、お婆さんは、言葉を投げつけてきた!!!


「お腹すいたでしょう?☆●×▵@$食べるかい?」


 ……なんて?


 ん?なんて言いました?


「ほら、☆●×▵@$、美味しいよ?」


 ……どうしても聞きとれない……お婆さんの手を見ると、持っていた箱の蓋が開かれて、中に……何か、親指大の緑色の丸いものが幾つも入っている。


「……これ、なんですか?」


「あら、知らないのかい?☆●×▵@$って言ってね、この辺ではみんなよく食べるお菓子だよ」


 お  か  し  ?

 おかし、お菓子……お菓子?

 食べると美味しいでお馴染みのお菓子?


 お婆さんがあまりにも柔らかい笑顔で差し出すので、断るのも悪いと思い、その謎のお菓子に手を伸ばす。


 お菓子は柔らかくてふにふにしてて、けれどさらさらした手触りで、ほんのり良い匂いがした。


 けれど、さすがに口に入れるのはなかなかに度胸がいる……。


 とはいえ、手にとっておいて食べないというのも……お婆さんの笑顔が若干プレッシャーだし!


 んんんん――――ええーい、なるようになれ!


 ぱくりと もぐっと ごっくんと。


 口の中から食道を通り胃の中へ。


「………あ、美味しっ」


 びっくりするほど、って訳でもないけど、和菓子のような、庶民的な、安心する甘さが口の中に広がる。


 思わずもう一つ欲しくなってしまうような―――それを見越したように、再度箱を僕の方に寄せてくるお婆さん。


「……では遠慮なく」


 もう一つ受け取り、今度はしっかり味わって食べる。


「うん、美味しい。美味しいです」


 これは……僕らの世界で言うとなんだろう…?何かに似ているようで、似てるものは無いような気もする。


 ――――ああ、そうか、だからか。


 僕らの世界に、これに置き換えられる物が無いから、翻訳魔法も翻訳できなかったのかな。


 餅、おまんじゅう、大福……そういう和菓子でもないし、かといってケーキやプリン・ゼリー、といった洋菓子とも違う……このお菓子は、このお菓子でしかないのだ。


 置き換えられる物(言葉)が無い時には、翻訳できないか、もしくは「スシ」や「スキヤキ」みたいに、外国へ行っても呼び名が変わらない料理みたいなものなのか。


「あの、もう一度このお菓子の名前、教えてもらっても良いですか?」


「…?これは、☆●×▵@$ですよ」


 ……落ち着け、落ち着いて聞き取ろう。


「……あかやーる?」


「違う違う、☆●×▵@$ですよ」


「………あやんかる?」


「そうです、アヤンカルです」


 お、聞きとれた!アヤンカル!アヤンカルだ!


「アヤンカル、美味しいです。ありがとうございます」


「いえいえ、ただの町のおばあが趣味で作ったものを、先生様に食べてもらうなんて、差し出がましいと思ったんですけどね?疲れてる時には、甘いものがよろしいですものね」


「お婆さんが作られたんですか?」


「お恥ずかしいですが…」


 深々と頭を下げるお婆さんに、慌てて声をかける。


「いやいや!尊敬します。僕は料理とか全然ダメで……お菓子作りなんてとてもとても。こんな美味しいお菓子が作れるなんて、凄いと思います」


 素直にそう思う。まあ、僕はこのお菓子を初めて食べる訳で、この世界においてこのお菓子の基準がわからないから、もしかしたら市販の物はもっと凄く美味しいという可能性も無くはないけれど……それでも、このお菓子を美味しいと感じたのは本当だし、疲れた体と心が少し癒されたのも確かな事実だった。


「あらまぁ、嬉しいことです。でも、私なんかよりも、先生様の方が凄いですよ、なにせ救世主様ですから」


「いや、僕なんてそんな…」


 ……そう言えば、シュナイダーさんも僕のことを救世主様…とか言ってたな……ただアイドルの応援を教えるだけなのに、大げさなことだ。


 あの壊滅的な応援から救う救世主……という意味なんだろうか?


 そんなことを頭の片隅で考えながら、僕は少しの時間お婆さんと話した。


 本当に何気ない、他愛のない話ばかりだったけど、せわしない日々の中で、ゆったりとした時間を過ごせたことは、とても価値がある気がした。

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