闇の神が封印され、この都は再び平穏を取り戻した。



その裏には、一人の少女が命を失い、彼女と親しくなった者は嘆き悲しんだ。



あれ以来、満影はまた姿を消し、居なくなった。



命を落とした少女…山本桃子は、陰陽師の力で身体が朽ちぬように紫宸殿で厳重に封印してある。



棺に入れて眠っているような彼女に、晴明もそして話を聞いた道長も何日か落ち込んだ。



「そう嘆いていても仕方ない。いつまでそうしているつもりだ」



そのある夜の、晴明の屋敷。



大の大人が二人、向かい合ってお通夜気分で桃子のことを思い出していると、いきなり保憲が来訪してきた。



「や、保憲殿。久しぶりですね」



道長が慌てたように立ち上がり、挨拶をする。



「何の用だ保憲」



機嫌が悪い晴明が見向きもせずに冷たく呟くと、保憲が大袈裟なため息をついた。



「報せを受けてきたんだよ。帝から『後三日で期限だ』そうだ。そして…昨晩なんだが、何者かに、あの娘が棺こと盗まれたようだ」




それを言われた途端、晴明が弾かれたように顔を上げた。



「なに!?まさか、道満か!」



叫ぶ勢いに乗って立ち上がると、保憲は真剣な表情で頷いた。



「ああ、そうだろうね。それで晴明、道満は…奴はあの娘を救うために動いたんだ」



「そんな…!保憲殿、あの男は一体どこにいたんだ?いや、知っているのかい?」



道長の言葉に微かに顔を強張らせ、頷いた。



「道満は…異界に居たんだ。あの娘がいる世界で力を手にし、あの娘を蘇らせるつもりだ」



「え?な、なんでそれを知って……は!まさか、道満に会ったのですか?」



「奴は、数名の陰陽師を操っていたのだ。娘を連れだったそこにいた私は、奴が空間を捻じ曲げ、見知らぬ場所に向かったのをこの目で見た」




「異界か…。それで保憲!どうやって、奴はどうやって行った?」



保憲に詰め寄り、切羽詰まった様子で問い詰めた晴明に、保憲は頷いた。



「内裏に行け。真実は、紫宸殿にある」



保憲の答えに晴明は息を呑み、次の瞬間には裾を翻し駆け出した。



「晴明!?」



道長が慌てたように後を追う。



それを見届け一人になると、保憲はふんと鼻を鳴らした。



「初めからこうしていれば良かったんだ。晴明…貴様も、あの娘を愛したバカな男だったのだ」



保憲が意地悪な笑みを浮かべる。



その姿がぶれて、徐々に姿形が変わっていく。



真紅の目と、白銀の髪。



その場にいたのは、保憲に化けた道満だった。



「桃子…俺はまだ諦めていない。必ずまた…お前を見つけにいく。それまではあの鼻持ちならん陰陽師に預けておこう」



道満はふっと微かに笑いそう告げると、パッとその場から煙のように忽然と姿を消した。





★★★★★★★





こんなに、こんなに必死になったのは久しぶりだった。



式を使い紫宸殿まで運んで貰うと、晴明と道長は止めようとする検非違使を蹴散らせ、寝殿の奥に向かった。



「な、何事だ!」



御簾の向こう…帝が突然現れた二人に驚いたように声を上げた。



「はぁはぁ…!すみ、ません主上!い、一大事なんです!あの娘を…棺はどこにあるんです!?」




晴明が叫び、御簾の向こうの帝が息を呑む。



「な、なんのことだ。あの娘が眠る棺なら奥にあるではないか」



驚き、戸惑うような声に、晴明は微かに舌打ちした。



「それは知っております!しかし、昨晩にあの棺は盗まれたと聞きました!今、どこにあるんです!?」



もう一度、保憲に聞いた通り尋ねると、帝は沈黙し、ため息をついた。




「よく…気づいたな。先程、あの娘の棺はあの橋に処分した」



「な…!?どういうことです!何故そんなことをする!」



食いつくように叫んだ彼に、帝は至って冷静な態度で答えた。



「口が過ぎるぞ晴明。あのようなモノをいつまでもここには置けん。晴明、諦めろ。人は一度死んだら、二度と会えないのだ」




厳しい、現実的な彼の言葉に、晴明は咄嗟に言い返せなかった。



道長も言葉を失い、顔を強張らせる。



「晴明。人はもろい。どのみちあの娘は助かる見込みはなかった」



黙り込んだ晴明に少し言い過ぎたかと思ったのか、深いため息をついて、さっきとは違う優しい声で諭すように言った。



すると、黙り込んでいた晴明が微かに舌打ちして顔を上げる。



自分を見ているであろう都一偉い帝を、冷たく睨みつけた。



「そんなこと…そんなこと、あなたに言われなくてもわかっている。誰しも、この身に一度しか生は与えられん!だがしかし、それを永らえさせる方法を取るのが私の仕事だ!」



陰陽師として、今まで彼に仕えてきた。



何度も呪いや暗殺から、この男を救ってきた。



「天皇陛下。今夜のあなたの所業で、何もかも嫌気がさした。これまで我慢してきたが、もう限界だ」



晴明は懐から札を取り出し、それを帝に向かって放り投げた。



彼が、帝専属の陰陽師として証明する手形だ。



「晴明!」



道長が叫ぶ。



「止めるなよ道長!私はもう我慢しない」



そう告げるなり、彼は再び駆け出した。



向かうはあの橋…初めて桃子と出会ったあたの橋だ。




「晴明!」



止めようと道長が追いかけようとしたら、



「やめろ道長!…どうやら余はあやつを侮っておった!ふふっ…はぁーーははははっ!実に、人らしくなったじゃないか!」



帝は止めると、続けざまに声を立てて笑った。



「しゅ、主上?」



気でも触れたのか、と戸惑う道長を前に、寝殿内で帝の大きな笑い声が響いた。











今度は寝殿から一条戻橋に向かう。何度も転びそうになる。



今まで自分は人と距離を置いて生きてきた。




自分が完全に人にはなれず、ましてや妖怪になどなれなく、誰にも必要とされない人生を歩んでいく思っていたから。



一生独り身でいることに何の迷いもなく、そのまま帝の為に陰陽師として生きていこうと誓った。



そんな自分が、今は必死になって、他人のために走っている。



昔の自分なら、滑稽に思えていただろう。



しかし、今は違う。



彼女のためなら何でもしたかった。



「帝め…!何故、またなかったんだ?」



少し、先ほどのやり取りが腑に落ちない。



いや、それ以前にあの時、保憲は何故現れたんだ?




「とにかく、今はあの娘だ!」



見えてきた。橋が、始まりのあの思い出の橋。




空には三日月。あの日とは違うが、綺麗な三日月だった。



静かな夜の街は、晴明の頭を冷静にさせた。



橋に到着すると、息を切らしながらゆっくりそこに向かう。



橋には帝の使いの者たちが、棺を持ち上げていた。



どうやらあのまま橋の上から川に捨てるつもりだ。



「…っ!やめっ…止めろぉおおお!」




大声で叫び、駆け出す。



いきなり現れた晴明に驚いた彼らは手を止め、棺を橋の上に戻した。




「な、何だ貴様…!?」


「怪しいもの!」



「なにやつ!」



「あ…あなた様は!」



四人の使いの男がそれぞれ叫び、晴明は彼らに向かって印を結ぶ。



そして、ふっと息を吹いて札を投げると、札が彼等の額に張り付き、四人が四人とも橋の上に昏倒した。



「山本…桃子!」



棺の側に駆け寄った彼は、呪文を唱え棺の蓋を開けた。



あの日と変わらず、中には眠るように横たわっている桃子がいた。



途端、晴明はホッとした。



「また、危険な目に合わせたな。もう迷わん。すまない桃子。お前を元の世界には返せなくなった」



囁くように呟くと、ふと彼女の手元に札があるのを見て、目を見開いた。



「なるほど…道満め。初めから、こうするために…。ではあれも、保憲ではなかったか」


気づいた晴明が、ふんと鼻を鳴らす。



先ほど屋敷に現れたのは、保憲に化けた道満だったのだ。



「奴め…。まぁ、いい。これは有り難く使わせてもらう」



そう言って目を閉じ、印を結んだ。



その瞬間、彼の手が光を放ち、ある呪文を唱えると、彼女の手元にある札が光輝いた。



すると彼女の身体が、ドクン!と大きく跳ねた。



鼓動を感じる、大きな音が鳴り響く。




ぱああ!と眩い輝きとともに、桃子の姿が変化した。




手元にあった札が彼女の中に入っていき、しゅうと音を立てて額に赤い文字が刻まれた。



「目覚めよ…新たなる式神よ。我は安倍晴明。その身が朽ちるまで我に使い、我と共に生きろ。名を…桃子」



刹那、晴明の声に応えるかのように大きな光が彼女を襲い、びくん!と一際大きく身体が震え、鼓動が鳴った。




青白く真っ白な顔に生気が戻り、艶やかな漆黒の髪が長く伸び生える。




そして、ゆっくりと見えない力で彼女の身体が起き上がると、晴明の目の前で彼女の瞼がゆっくりと開いた。



その瞳は青く澄んだ空色をしていた。



「……あんた…誰?」



再び口を開いた彼女の一言はそれだった。



喜びに震え安心したようにため息をついた晴明は、すぐにニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。



「私は貴族を一から創り上げた、この都一天才の陰陽師、安倍晴明だ。今日から貴様のご主人様だ!」




そう自信満々に、晴明が叫ぶように告げた途端、目覚めばかりの式神桃子は露骨に嫌そうな顔をした。




「あんたが、ご主人さまぁ?ていうか、なんであたしここに…あっ、あれ…?あたしなんで泣いて…」



ハラハラと流れ落ちる涙に気づき、彼女は戸惑う。



晴明は軽く目を見開き、微かに笑う。



「喜べ、私が再び生を与えた。さぁ、私に力を貸してくれ、式神桃子」



そう言って、優しく彼女に向かって、その手を差し伸べた。



自分の涙に戸惑う彼女が不思議そうに晴明を見つめ、微かに息を呑むと、しょうがないなと苦笑した。



「そうね。あたし、自分のこともわからないみたいだし、この涙の訳も知りたいしね。うん、いいわ!今はあんたに仕えてやるわよ」



ふん!と鼻を鳴らし、彼女は差し伸べられたその手を掴んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る