一気に体力が消耗したのか、目の前が真っ暗になった。







ドッと前から床に倒れこんだ桃子に、晴明が慌てて支える。



眩い光が彼女の内から放出され、それが人の形になった矢先だった。



そこに突如現れ、気配なく静かに佇む美しい女の姿。



ハッとして晴明がそちらに顔を向けると、眩い光を全身に浴びたその女は、白い衣の裾を翻し、倒れた桃子を見下ろした。



「なんと、愚かな事を…。妾を呼ぶなど自殺行為じゃ」




その目は悲しそうに伏せられる。


(この女…まさか、あの天照か?)



晴明が驚いたように彼女を見つめた。



その天照らしき彼女はすぐに無表情に変わって、視線を晴明に止めると、目を瞬かせてからゆっくりと口元に笑みを刻んだ。



「その身は…半身、闇に魅入られておる。なるほど…そなたが『対』か。その娘に教えこうた儀式、妾を呼ぶには相応しいな」



そう告げた彼女はゆっくりと晴明に手を伸ばして、晴明がピクリと眉を動かした瞬間。



ぶわっ!と背後から、鋭い殺気が流れてきた。



ヒュッ!と息が止まり、蒼ざめた晴明がそちらに注意を向けた。



目の前の美女…天照は、微かなため息をついて後ろにいる月詠に振り返った。



「止めえ…つくよ。そなたは相も変わらず粋な男よの」



そう苦笑混じりに呟くと、月詠が憎悪に満ちた冷たい目を向けた。




「天照!!貴様、絶対許さんぞ!我にしたあの罪を忘れたか!」




怒りを孕んだ、彼の大きな声がこだまする。



あの目つきだけで今にも殺されそうだ。



晴明が息を呑む中、苦笑した天照は困ったような顔をして首を傾げた。



「まだあの時の事を根に持っていたのかえ。全く、そなたは変わらんの。あれから何世紀…時が経ったと思うておる?」



困ったように天照が小さな子供に言い聞かせるように言う。



「っ!?黙れ…っ。貴様、それが罪を犯した奴の言うことか!」



叫ぶと同時に彼の怒りが爆発し、幽体化の月詠が天照に襲いかかった。



飛来して襲いかかる彼を呆れたようにため息をついて、天照は指一本で振り払った。



すると光の粒子が彼の身体を包み込み、一瞬で身体を拘束した。



「ぐっ…」



口も塞がれた月詠が呻き、床に転がる。



ふぅと息を吐いて、天照は飛来して近づいた月詠の前に立つと、長い袖を持って口元を隠し、反対の手で月詠の顎を上向かせた。



「その漆黒の闇…玉が憂いておる。そんなに…潤が欲しかったか」



彼女の台詞に何を感じたのか、拘束された月詠の身体がびくんと動き、目が大きく見開いた。



そして彼女から視線を逸らし、微かな躊躇いを見せる。



「やはりな…よう、わかった。ならば仕方ない。月よ…これは新たな試練じゃ」



顎から手を離した彼女が、パチンと指を鳴らす。



刹那、月詠の背後に黒い穴が現れた。



何もかもを飲み込むような吸い込まれそうな深淵な闇。




月詠が溢れんばかりに目を見開き、首を振って何かを叫ぶ。



しかし、その声は届かず、天照が首を横に振った。



「これは巫女姫の頼みじゃ。その邪な考えが消え去るまで、一から時の狭間でやり直せ」



そう淡々と告げた途端、現れた黒い穴に月詠が吸い込まれ、あっと言う間に消えていった。




その大業なやり方に、晴明は呆然とした様子だった。



消えていった月詠を見つめていると、天照がこちらに振り向いた。




「これで良いな、巫女の対よ。月詠の封印は完了した」



任務終了とばかりに淡々と告げた彼女。



その言葉にハッとして晴明は我に返った。



「は、はい…。ありがとうごさいます。あの、これで闇の神はもう復活することはないのですか?」



畏まった晴明が一番知りたい質問をすると、天照はゆっくりと頷いた。



その答えにホッと息を吐く。



「だがな…対よ。巫女はもう戻らない。妾を呼んだその代償じゃ」



しかし、安堵したのもつかの間、次に告げられた天照の言葉に晴明は驚愕した。




「な…っ、戻らない…?一体どういうことです!」



取り乱したように彼女に詰め寄り、問いただす。



天照は微かに顔を曇らせ、悲しみに満ちた目で晴明を見つめた。



「そのままの意味よ。あの娘はもう死んだ。妾を呼ぶ際に与えた己の霊力だけでは足らず、無意識に生気を…生きる為の力を使い果たしたのじゃ。全ては世の理…神を呼ぶと言うのは、そういうことじゃ」



代償は、命。桃子の死を意味する。



弾かれたように後ろを振り向き、床に寝かせた桃子の側で座り込む。



眠っているだけだと思われた彼女の顔は、生気を無くした死人、そのものだった。



確かめる為、晴明は震える手でゆっくりと彼女の頬に触れてみた。



ひやりとした、自分よりも低い体温。



息を呑み、慌てて耳を胸元に寄せるが、そこからは何も聞こえない。


「嘘だ…!」



声を張り上げ、今度は手首を掴み脈を測ろうと試みたが、そこも何も動いておらず、鼻元に手をつけても息をしていなかった。



彼女の心臓はすでに止まっていた。




「そんな…!嫌だ…!駄目だ駄目だ…逝かないでくれ!」



必死な形相で叫び、心肺蘇生する。



だが、その蘇生も、彼女には手遅れだった。



「止めよ。もうその身に魂はない」



彼女の魂魄は既に、天に昇った。



天照の制止の声に晴明は手を止め、力尽きたようにその場にへたり込む。



「ああっ、そんな…!なんで、なんでこんな…っ」



桃子の体に顔を埋め、悲痛な声を上げて泣き崩れ落ちた彼は絶望した。




天照は彼から顔を背け、痛みを耐えるように目を伏せた。



呼び出された彼女の体はゆっくりと透けていき、完全にその場から姿を消した。



晴明は桃子の亡骸を前に、声を押し殺して泣いた。




「うっ…」



すると、眠っていた闇の神、月詠の依代だった満影が、ようやく目を覚ました。




ゆっくりと体を起こし、重い頭を軽く振る。



自分の身に起きた事を月詠を通して見ていた満影は、ハッとして顔を上げると、青ざめた顔で桃子の方に視線を向けた。




その瞬間目に飛び込んできた桃子に息を呑み、じわじわと冷や汗が流れた。



ドクンドクンと心臓が慌ただしく鳴り、震える膝を奮い立たせ、立ち上がった。



「桃子…」




よろけるように前に進み、ふらついた足取りで彼女に近づき、嘆き悲しむ晴明の前で立ち止まる。



「晴明…」



満影が苦痛な表情で小さく呼び掛けると、嘆いていた彼がピクリと動き、弾かれたように顔を上げた。




「道満…。貴様の所為だぞ」



ギリっと奥歯を噛み締め、憎悪に染まった顔で彼を睨め付けた。



「わかっている。儀式は、失敗したのだ…ハハッ。本当に自分は何も成し遂げず、愛した娘さえもこの手で殺めた」



自分の手を見つめ、握る仕草をする。



そして再び晴明に視線を向けた彼の表情は、どこか吹っ切れたような顔つきだった。



「晴明。嘆くのはまだ早いぞ。桃子を救い出す方法はある」



満影の言葉に、晴明は「え?」と呆けたように目を見開く。


その表情ににやりと笑って、



「俺を誰だと思っている?この時のため、蘇らせる術を身につけた」



自信満々にそう告げた。



「貴様、それは…!」



驚く晴明に彼は余裕な笑みを浮かべる。



晴明は息を呑み、すぐに厳しい表情を浮かべた。




「しかし、それは…禁術だろ!いくらこの娘を救うためとて、やってはならぬ事だ」



顔を背け苦しそうに呟いた彼に、満影はうんざりしたようなため息をついた。



「はぁ…貴様はまた綺麗事を…。もういい。俺はやるぞ。この娘がいないこの世なぞ、何の未練もないんだ」



満影にとって、今生の世は無に等しい。



闇の神を呼んだのも、この世を闇に染めて再興し、桃子と共に一緒に新たな世を築きたかったからだ。



自分を忌み嫌い、敗者としてボロボロの雑巾のように捨て去ったモノに、誰が執着してまで生きたいと思う。



「覚悟などないなら、貴様もそこいらにいる虫けらと一緒だ」



吐き捨てるように冷たく呟いて、満影は晴明に背を向けた。



「ま、待て道満!一体何をする気だ!」



後ろ姿に向かって叫ぶ晴明に、満影は足を止めて振り向き様に冷笑した。



「蘇りの術を、成功させる。俺はこの命を捨ててでも、どうにかして桃子を救い出すぞ」



その台詞に、何の迷いはなかった。



堂々とそんなことを口にする彼に驚き、同時に羨ましく思った。



遠くなる満影の姿から桃子の亡骸に視線を戻すと、微かな戸惑いを見せた。



蘇りの術は陰陽師としてという以前に、この世の理としてやってはならない事だ。



死を迎えた者を再び蘇らせるには、莫大な能力とそれ相当の代償が必要になるから。



満影はその言葉通り、命を捨てて桃子を助ける覚悟なのだろう。



「私は…」



晴明が苦しそうに迷うように、小さく呟いた。







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