消えていく満影を、呆然と見つめていると。



「何ということ…」



誰かの呟く声がした。



ハッと我に返った晴明がそちらを振り向くと、安全な場所に隠れていた保憲が愕然とした様子で立っていた。



バツが悪そうに顔を歪ませ、晴明は視線を逸らした。



「すまない保憲…。約束を破っただけでなく、こんな事態を引き起こしてしまった」



自分のせいだと奴に言われて腹が立ち、更に身動き出来ないようにされた事に苛々が増して、何度も舌打ちした。




保憲は晴明の言う『約束』に、ハッと我に返り、昔交わしたあの約束事を思い出す。



彼等二人と彼等の師匠と合わせて三人で、晴明の秘密を隠していく事…その約束だ。



晴明が妖狐の血を引く半妖で、満月の夜に本性を現して、時に暴走することを。



そのとき、保憲は晴明が妖から人間に戻るまで、結界に閉じ込めておくのだ。



これを守り、今まで知られないように誰にも言うことなく、正体をバラすことはなかった。



師匠から口を酸っぱくして言われてきたからだ。



そこまで思い出し、保憲は僅かに眉根を寄せ渋い顔をした。



「いや…それは、こんな状況なんだ。仕方ないと…師匠も許してくださるだろう。私も奴に伝承の書を盗まれたんだ。お互い様だよ…」



謝ってきた彼を責めはしなかった。自分も満影に大事な書を盗まれ、今の今ままで隠れていたのだから人の事など言えない。



晴明がいなかったら、他の陰陽師のように殺されていただろう。



「保憲…」



晴明がホッとしたように、小さく吐息をもらした。



保憲は視線を彷徨わせ、厳しい表情をする。



「ただ…あの娘の事、どうするんだ?あの結界に入るのは難しい」



保憲の言うことは確かだ。でも、今の晴明なら中に入って助けられる。



「そうだが、今の私なら可能だ。妖の力を利用すればいい。だがまずはそのためにも、この黒い影を解いてほしい」



「あ、ああそうだったな。わかった。待っていろ」



保憲はそう言って呪文を唱え、晴明の動きを封じている黒い影をすぐに解いた。



身動きできるようになった晴明は、保憲に御礼を述べると、顔を引き締めあの覆われた闇の寝殿に向かって駆け出した。



「気をつけて!」



その後姿に向かって、保憲が声を掛けた。



晴明は一瞬振り返り大きく頷くと、再び前を振り向きその寝殿に突き進んでいった。



(今度こそ、奴を止めてみせる!)



そう強い気持ちとともに、晴明は心の中で叫び、ふと頭の中にあの娘の事が思い浮かんだ。



辛そうに顔を歪め、まるで子供のような顔をする。



(あの中には山本桃子もいるな。彼女も、必ず救い出さないと。今度こそ元に帰してやるんだ)



それはあの娘との約束だ。



晴明は彼女を次第に気に入り始めていた。家族とは違う…少し特別な感情。



それに気づいたのは、満影が彼女を川に突き落とした時。



そして、闇の球体から出てきた彼女を見て、心底安堵し、彼女のことを本気で特別な想いで見ていたのだと、はっきり気づかされた。



自分には初めてな感情で戸惑っていたが、そんな事すら今は気にならないくらい、彼女を救い出したい。



目の前にある闇に取り囲まれた寝殿前で、一度足を止めた。



険しい表情で結界が張る膜に、呪文を唱える。



途端に、人一人分の穴が開いて、そこから勢い良くその闇の中へと飛び込んだ。



だが、足を踏み入れた途端、顔をしかめる。妖となっている今も、入るには抵抗があった。



息苦しく、肌に突き刺さすような小さな痛みが彼を襲う。



「この姿でもこれなのか…。山本桃子は無事だろうか?」



胸が締め付けられ、苦しい。



(早く、早く行かないと)



足を動かし、闇の寝殿の奥へ進んでいく。



時折、妖たちが彼に気づき襲ってくる。それを一撃で仕留め前へ進むと、寝殿の中心である場所に出た。



中央の寝所の畳の上には、山本桃子が寝かされていた。その横に佇むのは長い黒髪の男だ。



まさか、すでに儀式は完成してしまったのか?



戸惑う晴明は緊張感を漂わせ、その者に向かって声をかける。


「道満か?」


その問いに、一瞬彼の肩がビクッとした。



だが、こちらを振り返った彼のその姿に驚愕した。



顔立ちは芦屋道満その者だった。しかし、彼の額には黒曜石のような輝きのある黒い石が埋め込まれており、綺麗な真紅の瞳は真っ黒な闇色に変化していた。



感情の抜けた表情と、見る者全てを震わせるような恐怖とは違った畏怖を感じさせる独特な雰囲気を醸し出していた。




彼の前で一瞬、訳も分からず、跪こうとした。それにハッと気づき、無意識に屈んでいた自分を叱咤させ、すぐに姿勢を正せて男を睨みつけた。



「貴様…まさか、闇の神か?」



満影に降りてきたか、と晴明が問いかける。



道満の顔をしたその男は、微かにその口元を吊り上げた。



「さぁ…?そのような男は知らぬな、異形のモノよ」



その喋り方も晴明の呼ば方さえ違う。



やはり、別人のようだ。



ヒュッと息を飲み、顔を強張らせた。



「まさか…お前が闇の神…月詠か?」



そう再び問いかけると、男が形の良い眉を吊り上げ、冷たく睨みつけてきた。



「愚種の分際で呼び捨てとは、図が過ぎるぞ」



絶対零度のような冷ややかな声音で一喝された。



刹那、晴明の身体を見えない何かで斬り裂かれた。



驚きと痛みに悲鳴を上げようとしたが声にならず、倒れることも出来ず、その場で固まる。



「我の名を軽々しく口した罰よ」



そう言って、くつくつと彼が笑った。



愉しそうに歪んだ笑みで笑う男…闇の神、月詠。



その傲慢らしい態度は神らしい。



晴明はハッと嘲笑し、余裕のある笑みを浮かべて見せた。



「この程度の攻撃で満足しているのか?自称、闇の神よ。私には全く効かんな」



「なん、だと…?愚種がっ、我を愚弄するか!」



晴明の挑発にまんまと引っかかった。



彼は怒りに顔を染め、殺気立った目を晴明に向けた。




「よく聞け、薄汚い塵が!我の力はこの地を揺るがす程の強大なものだ!我が、完全に目覚め力を手にすれば貴様なぞ一捻りぞ!」



頭に血が上り叫んだ彼は、自分が失態を晒した事に気付いていない。



憤慨し、今にも殺してきそうな彼に、晴明はニヤリと笑う。



「なるほど…。まだ道満は完全に力を手に入れてないのか。それは良いことを聞いた」



途端、月詠はハッとして顔を強張らせた。



人間らしいその驚く反応は、道満のモノだ。



まだ完全に目覚めていないのなら、晴明にも勝機はあった。



「夜の闇を統べる神…月詠よ。この地に降り立った事、後悔しろ」



晴明がそう告げると同時に札を取り、術を放つ。



闇の弱点である、光を集めた護符である。



以前、何かあればと山本桃子から少し分けて貰った霊力で、彼女自身も気づかない程度の力がその札…護符に入っていた。



ハッとしたように道満に取り憑いた月詠が飛んでくる護符を前に、顔を歪ませ、避ける。



すると僅かに彼の左腕を掠めたのか、そこがブスブスと燻るように音を立て肉が焦げるような臭いとともに黒く変色した。



「くっ!」



咄嗟に左腕を庇い、警戒するように晴明を睨め付け、後退した。



「逃がすか!」


すかさず、晴明は第二、第三と集めていた護符を彼に向かって投げた。



月詠は見えない力で飛んでくる護符に顔をしかめ、かわす。



しかし、右足に当たったのか膝辺りが黒く変色していた。



確実に護符が効いている様子だ。




(これはいい!この調子で奴を追い詰める)



晴明はニヤリと笑って、光に関係する他の術も試し、休むことなく攻撃した。



護符は全部で十枚で、有効に使わないとすぐに無くなる。



逃げ惑う奴を追い詰め、隣の部屋の壁際に彼を誘導していった。隅の角際まで追い詰めれば、あの護符で結界を張り、逃げないように封印出来る。



月詠は舌打ちしながら、晴明の攻撃を交わし、また自分からも術を放った。



晴明は何度かその攻撃を受けたが、完全なる神の力と違ったため力は弱かった。




「くっ…しつこいな」



月詠が壁の隅の角際に追い詰められ、立ち止まる。



(いまだ!)



その瞬間、晴明は心の中で叫び、山本桃子の光の力を宿した護符を五枚投げつけた。



護符は四方に飛び、左右の肩辺りと左右の足元に、最後には頭の天辺にと、護符が張り付いた。



刹那、バチバチバチ!と音が鳴り響き、彼を囲むように五芒星の形の結界が出来上がった。




「なっ…!?やりよったな、この愚種がっ!」



くわっと口を大きく開け、凄い形相で叫ぶ。



晴明は結界の外で勝ち誇ったように笑みを浮かべると、その五芒星の結界が周りの闇を祓い、闇の気配が薄れていった。



近くにいた集められていた魑魅魍魎も逃げ惑う。



「これで周りの力は祓った。貴様はもう、復活はできない」



月詠が悔しそうに歯切りした。



晴明は動けない彼を確認してから、ふんと鼻を鳴らし一旦その場を離れた。



山本桃子が気がかりだ。



元の場所に駆けつけると、その周りも闇が薄れており、微かに畳の上に横になっていた彼女のまぶたが震えた。



「山本桃子!」



晴明が彼女の側に駆け寄りその身体を抱き起こした。



すると、青ざめていた顔に生気が戻り頬に赤みが差した。



「おい!目を覚ませ!」



必死な思いで、もう一度晴明が叫ぶ。




途端、閉じられていたその目がゆっくりと開き、抱き起こした晴明を捕らえた。



「…あ、れ…?晴明?」



彼女が不思議そうに見る。



ようやく目覚めた彼女に、一瞬泣きそうな顔をした晴明は、彼女の目を手で塞ぎ、見られないように隠した。



「えっ?な、なんなの急に!ちょっと、晴明!」



手を退かそうと怒る彼女に、泣き笑いを浮かべて心の底から安堵した。















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