手元にふわふわ浮かぶのは闇色の球体。



今しがた天照の依代を閉じ込めたモノで、先ほどまで中から声がしていた。



だが今はとても静かで何も聞こえず、中から透けるように見える娘は、体を丸めて顔を埋め座り込んでいた。



「…諦めたか…」



彼女が吸い込まれていく寸前、必死に手を伸ばして救いを求めてきた姿が目に焼き付いている。



しかし、自分は感情を押し殺して、彼女を見捨てた。



闇の神を復活させるには、天照の依代に選ばれた彼女の力が必要なんだ。



「大丈夫…すぐに終わらせるから」



中にいる彼女に聞こえないが、彼は球体に向かって囁き、それを愛しげに優しく撫でた。



すると突然、鋭い殺気がした。



ハッとしてそちらを振り向くと、目の前に赤く輝いた光の矢が飛んできた。



咄嗟にそれを避けて、球体を高く上に浮遊させる。



赤い矢は彼を通り越し、小さくなって消えていった。



彼は露骨に顔をしかめると、門の方に視線を向けた。



「…また邪魔立てするか…」



悠然とした態度で門からこちらに近づいてくる男の姿を見て、彼は低く唸るように呟いた。




「道満!!」



刹那、現れた男がこちらに向かって叫んだ。



忌々しげに舌を鳴らし、彼…芦屋道満は向かって来る男、安倍晴明を睨みつけた。




「その名を呼ぶなど何度言ったら分かる…!俺はもう、失敗作の塊のようなあの芦屋道満ではない!闇の神の依代、満影だ!」



姿形こそ前世の芦屋道満だが、新たに生まれ変わった今の彼は違う人物であり、神に選ばれた優れた人材だ。



失敗の連続で、何一つ成功をつかめなかった出来損ないの昔の自分が、彼は何よりも嫌いだった。昔の自分などとうに捨てた彼には、その名を呼ばれただけで虫唾が走り、嫌悪を露わに自分をそう読んだ相手を射殺すほどだ。



すると晴明は満影だと何度も主張する彼に、歩みを止めて微かに失笑した。



「はっ…!なにが満影だ。馬鹿馬鹿しい!ただ誰からも相手にされず闇の中をただ生きることしか能のない忘れ去られた神の化身だろ」


「なん…だと…っ?」



晴明の侮辱する言葉に、目を釣り上げた。



「貴様…」



怒りと憎悪を露わに、晴明を睨みつける。



「ハッ!滑稽だな。余程昔の自分が嫌いと見た。だがその馬鹿げた神の儀式などした所で、貴様は神になどなれないんだ!」



近づきながら、晴明が嘲笑し、叫ぶ。



彼の中にある感情を吐露するように、わざと挑発した。



「黙れっ!!貴様に何がわかる!」



怒鳴り込んだ彼に晴明は上手くいったなと細く笑んで、すぐに真面目くさった表情を見せた。



「分からんな。分かりたくもない。人柱として娘を異界から呼び寄せ…必死に好かれようとする憐れな貴様なぞ…。その執着があの娘を苦しめていることが分からないのか?」




山本桃子がこの男に、何かしら特別な感情を抱いているのは気づいていた。



その気持ちを満影が気づいているのかは知らないが、それを利用する形であの娘をこの地に招き、取り込もうとするやり方は、流石の晴明も虫唾が走った。



嫌悪感を露わに顔をしかめ、満影を冷たく見据えた。



「貴様は人として最低限の事を破ったんだ。私はな、その人に外れた道理をする貴様のような輩が一番大っ嫌いなんだよ。今もその力であの娘を閉じ込めたことも、気にくわない」



怒りを向けた満影よりもより深い怒りを向けて、晴明は自らの胸の奥にしまっていた闇の負の感情を解き放った。



刹那、晴明の身体が変貌する。



漆黒の長い髪が銀色に輝いてそこから二つの獣耳が生える。紫の瞳は金に染まり、背後には四つの長い獣の尻尾が見えた。



その姿はまさに妖の妖狐の姿だった。



満影が目を見開いて、ゾッとするような笑みを浮かべた。



「なるほど…噂は本当だったのか。貴様も人の事を言えないな。その身には薄汚い妖の血が流れているではないか」



「…たしかに私は半分奴等と同じ、この満月の夜だけ妖の血が濃くなる。しかしな、道満よ。人を人として見ていなかった貴様よりは遥かにマシだ」




挑発するように悪口を叩かれても晴明は動揺しなかった。



満影が言っていたように、朝廷でその噂をされていた。今でも一部の人間にその事を指摘されている。



だからか、晴明は己の事を良く理解していた。



「っ!?なんだ、それは。俺が、人を見ていないと…?」



癇に障る言い方だ、と満影が眉をひそめる。



「そうだ。だから常軌を逸した過ちをしても貴様は平気な顔をしていられるんだ」



そう冷たく言い放ち距離を縮めていた晴明は、ゆっくりと手のひらに青い炎を生み出した。



それは火の玉となって晴明の上にいくつも浮遊する。



「道満よ。あの娘をあるべき所に返すんだ」



そう彼が続けて言った瞬間、青い火の玉が満影に向かって襲いかかった。



満影は微かに舌打ちして防ぐ呪文を唱えるが間に合わず、身体に当たると爆裂音が響き後方に吹き飛ばされた。




「−−−−っ!!」



満影から悲鳴が洩れ、地面に倒れこむ。



山本桃子が閉じ込められた球体は無傷のまま、ふわふわと変わらず頭上を浮遊していた。




晴明は倒れた満影が起き上がる前に、その球体に駆け寄り、術を放って球体を自分の手元に降下させた。



闇色の球体の中は透けて見える。その中に山本桃子が小さく体を丸めて座り込んでおり、晴明はその姿に胸を痛め、綺麗な顔を僅かに歪めた。



「先に行かせてすまなかった。いま…そこから出してやる」



中の彼女に向かって呟き、印を結び呪文を唱えると、懐から取り出した札をその球体にぴたっと貼り付けた。



すると、闇色の球体が内から光りを放って徐々に大きくなり、ピシッとヒビが入った。



パキッ、ピシッと音を立てて球体が割れていくと中からドロっとした液体が流れ、それと一緒に閉じ込められていた山本桃子の身体が現れた。



彼女は眠っているのか目を閉じたまま動かず、地面に吐き出された。



晴明はホッとして、救出できた彼女に触れようとした瞬間。



「触るなあっ!」



満影の鋭い声が響き、ヒュッと晴明の手に何かが突き刺さった。



「ぐぁっ!?」



顔を歪ませ苦痛の声を上げて手元を見ると、右手の甲に、針のような細く鋭いモノが突き刺さっていた。



そこからポタポタと地面に血が滴り落ちた。



「晴明ぇえええっ!」




続けざまに満影が怒鳴り声を上げた。真上から影が差してハッとして顔を見上ると、錫杖を手に跳躍した彼がこちらに向かって降りてくる姿が見えた。



「なっ…!?」



驚愕した晴明は咄嗟にそれを長い妖の爪で受け止めた。



ぐんっと上からの重圧に片膝をつくと、満影と真っ向から睨み合う。



「くっ…!どけぇっ!」



だが、すぐに晴明が彼を押し返し、その反動で立ち上がる。



その弾みで後ろにふらついた満影はすぐに体勢を立て直すと、錫杖を持ち上げて思い切り地面にカツン、と置いた。



途端にその場から黒く長い影が晴明の足元に伸びていき、晴明の足に絡みついて動きを封じ込めた。



「くっ…!」



まるで金縛りにあったかのように、そこから一歩も動けなくなる。



舌打ちして代わりに式神を呼ぼうと手を持ち上げようとしたが、なかなか上がらず、足だけでなく腕も封じられたようで身動き出来なくなった。



「くそ…っ!おいっ、道満!今すぐこれを解け!」




怒りに満ちた目で満影を睨んで叫ぶ。しかし彼は地面に倒れている山本桃子の身体を抱き起こしていた。



「くっ、道満!」



晴明が悔しそうに声を張り上げると、満影はそれに応えることなく抱き起こした山本桃子を哀しそうな目で見つめた。



「なんとも酷いことをする。途中で止めたりするから、彼女の魂魄が離れてしまった」




そう小さく呟いて、すっと帝の住まう寝殿の方に視線を向けた。



「なっ…!?アレは…!」



晴明は声を上げ、驚愕した。



寝殿はいつの間にか黒い闇に覆われていた。その真上の空からは、新たな魑魅魍魎たちが次々と寝殿に吸い込まれるように落下している。



あの覆う黒い闇は、満影が貼った結界だ。



彼はどうやら晴明の意識を自分に向けさせて気づかれないように結界を張り、着々と儀式の準備を進めていたようだ。



晴明は再び満影に視線を戻すと、その腕の中でぐったりとしている彼女を見て苦痛な表情を浮かべた。




彼女は未だに目を覚まさない。顔は青白く、息はしているのか、今にも死にそうだった。



それは晴明が球体に閉じ込められた山本桃子を無理矢理解放したせいだった。彼女の意識は不安定な形であの闇と繋がってしまい、今に至るわけだ。




寝殿を見つめている晴明の方に、ゆっくりと振り返った満影が冷ややかな目を向けた。



「見誤ったな晴明。貴様のせいだぞ。中途半端にこの娘に手を出すからこうなるんだ」



「そんな…」



愕然とした様子で未だに神殿から目を逸らさない晴明に、満影さんが彼に気づかないように、どこか勝ち誇ったように笑みを浮かべた。



だがそれは一瞬のこと、すぐに無表情になると、あの闇に覆われた寝殿に向かい歩き始めた。


このままでは、本当に闇が復活してしまう。



山本桃子もあの男から、この世界から逃げることができなくなる。




「ま、待て道満!その娘の魂をどうするのだ!」



ハッと我に返った晴明が叫ぶ。



満影は再び足を止めて振り返ると、歪んだ笑みを浮かべた。



「魂を戻し、助けたのは俺だと…彼女に分からせる。闇が復活すれば自ずと俺についてくるずだ。この世のモノには何の未練もないからな」



そう告げて、軽くおどけたように肩をすくめると、再び前に向かって歩き出す。



「待てっ!まだ話は終わってない!」



晴明が懸命に呼び止めるが、彼はこれ以上は時間の無駄だと、足を緩めることなく寝殿に覆われた結界の中へと消えていった。





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