弐
「ツクヨミ…?一体、何の話をしているの?」
いきなりのことで頭が追いつかない。
困惑するあたしに彼は嬉々として、あたしに説明し始めた。
「天照という太陽の神…つまりは光の神だな。その依代としてお前は数多の悪しきモノを祓う力を持った。その天照の力で、闇の中…黄泉の国で彷徨っていた俺を救ったんだ」
そこで一旦言葉を切り、頭上にある月を見上げた。
「そして再びこの世に人と変わらず生を受けた俺は、天照の弟である夜を…闇を統べる月詠の依代として選ばれたのだ。悪しきモノ…つまり妖を操る術と、この世のモノに死を招く力を手にいれた」
全てを話してくれた彼は、恍惚とした表情をしていた。神の依代に選ばれたことが光栄であるように、嬉しそうに語った。
それにあたしは違和感を感じた。
だって、人に死を招くなんて不吉じゃない。
妖を操る事も出来るらしいし…。あたしには、彼が何故喜んでいるのかわからなかった。
「あの…満影さん。なんで、闇の神の依代として選ばれたことが、そんなに嬉しそうなの?」
こんなのおかしいよ。
そう思って恐る恐る尋ねると、キョトンとした。
「…何故って、どうしてそんなことを聞く?桃子は嬉しくないのか?神の依代だぞ。今の俺を…新たな力とともに、大きな役目を授けてくれた。それが、誇らしくてならない」
嬉しそうな満影さんは、あたしの言葉や態度に不思議そうに首を傾げた。
自分の考えていた反応とは違う反応が返ってきて、戸惑っているようだ。
「えぇ…?そんなのふつう、嫌だよ」
どう答えればいいのかわからず、ただ嫌だと言って彼の気持ちを否定した。
途端に彼の顔が僅かに引きつる。
「嫌…?おかしいなぁ。桃子なら俺と同じだと思ったんだが…。あの世界には悲しみや苦しみしかなく、いつも消えたいと言って嘆いていただろ。だから恩返しに、この世に連れてきて、新たな生活を送ってもらおうとしたんだ」
かくんと首を傾げて、それが当たり前のように告げた。
その一つ一つの仕草がまるで人形のようで、ギクリとした。
「満影さん…?」
なんか変だ、と恐る恐る呼びかけると、満影さんは傾げた首を真っ直ぐに戻し、ゆっくりと口元に笑みを刻んだ。
「ああ、そうだな。まだ肝心の事を話していなかった。俺が月詠の依代に選ばれたからこうやってお前を違う世界に送ったんだが、それにはもう一つ、俺にはやるべき大きな役目がある」
「え…?大きな役目?」
何故か、嫌な予感がした。
よく見ると、彼はここではないどこかを見つめている。
綺麗な真紅の目は生気のない暗く陰りのある目をしており、表情は無く、口元に笑みの形が刻まれているだけ。
「そのために、桃子にも力を貸してもらいたいんだ。選ばれた二人で、やるべき事をやろう」
そう続けて話した彼が、突然印を結んで呪文を唱えた。
刹那、水の中の空気が無くなり、息が出来なくなった。
ごぼっ!!と音がして、驚きに水の中でもがく。
このまま川の中にいては危険だ。
慌てて上に上がるように泳ぎ、彼から離れた。
すると川の流れが突然変わって上へ上へと登っていく。そのままあたしと下にいた満影さんの体は川の中から脱出した。
「ぶはっ!げほっ、げほっ…!」
気づくとあたしは川の浅瀬に上げられていた。
「大丈夫か!?」
そこに橋の上にいた晴明が下に降りてきていて、あたしを川から上げる。
「せ、晴明…ごほっ!」
彼に体を支えられて川から少し離れる。
「やはり難しいな」
聞こえてきた声は、遠くから聞こえた。
不思議に思い川の方を振り向くと、そこから一緒に地上に上がったはずの満影さんが橋の上の縁に立っていた。
「道満!」
あたしを支えている晴明が彼の方を睨むように見つめ、叫んだ。
その声にピクリと身動ぎ、彼がこちらを見下ろした。その目は氷のように冷たく、ゾッとした。
「その名を気安く呼ぶな。その名はとうに捨てた。今は満影…。闇の神の依代だ」
それが定着してしまったようだ。
話を聞かされていない晴明は何のことか分からず眉を寄せた。
話を聞いたあたしも、話が突拍子過ぎてついていけないのが現状。
彼はあたしたちに背を向けると、橋に降りてそこからこちら側へと歩き出した。
橋の前で妖と戦っていた晴明の式神はすでにいない。
しかし、その式神たちが倒したはずの妖は地面に転がっており、満影さんがそこを通り過ぎると、途端に倒したはずの妖たちが息を吹き返した。
ギョッとして晴明の腕を掴む。
「アレがあの…道満か?」
愕然とした様子で、晴明がぼそりと呟く。
あんなこと…人間にはできない。
やはり、彼自身が言うように、月詠という神の依代となったのか。
「晴明…話がある」
さっき話していた事を、彼に伝えるべきだ。
あたしが満影さんから晴明に振り向くと、晴明ははっと我に返り訝しげにあたしを見つめた。
「あのね、実は…さっき川の中で、満影さんが言っていたの。彼は自分が闇の神の依代で、この世のモノを総て死に招く力を手に入れたって」
「は…?闇の、神?依代とは…まさか、あの男…!」
そこではっとしたように険しい顔をした晴明が、突然走り出した。
「えっ!?晴明!!」
驚いて彼を呼び止めるが、彼はこちらを振り向く事なく駈け登る。
「千夜!」
そして声を上げて、美少年の式神を呼んだ。
すると、ゆっくりと朱雀通りに向かう満影さんの前に式神が現れた。
美少年の彼は手のひらに火の玉を出現させ、近づいてきた満影さんに向かって攻撃する。
火の玉は満影さんの身体に当たる事なく、バチン!と弾き、横に飛んだ。
あたしも晴明の後を追って駈け登り、先に向かった晴明が術を放った。
長く細い光の紐が満影さんの身体に絡みつく。
一瞬動きを止めた彼だったが、冷笑とともにぷつんと切れて、紐は跡形もなく無くなってしまった。
舌打ちした晴明が、もう一人式神を放つ。
千夜と呼ばれる式神が、目の前に迫った彼に再度攻撃したがするりとかわされ、復活した妖達の群れに襲われる。
新たな式神も加担するのだが、群がる妖は次から次へと現れて二人の式神は彼を止められなかった。
「クソ…っ。待て道満!」
晴明が彼を呼び止める。
彼は後ろを振り返り、追ってきた晴明を見て顔をしかめた。
「しつこいなぁ。俺の邪魔をするな!」
ゆっくりと挙げた手のひらから、黒い靄が現れ晴明を襲う。
「ぐっ…!?くそっ…瘴気か!」
黒い靄は瘴気と呼ばれ、顔を真っ青に晴明はがくんと地面に片膝をついた。
真正面からもろに入ったらしく、大きく咳込んだ。
その姿に満影さんは小さく鼻を鳴らして、興味が失せたのかまた前を向いて歩き出した。
あの方向…来た道を戻っていくあたり、彼が向かう先は内裏だ。
「晴明!大丈夫っ?」
あたしは地面に膝をつく晴明に駆け寄り、慌てて彼を助けようとした。
「私はいいからあの男を止めろ!奴はきっとあの伝承の書物を狙ってる!あの中に書かれた呪術で、完全なる闇を復活させる気だ!」
晴明にはあの話の意味が理解できたというのか。
驚くあたしに彼は「急げ!」と叫ぶ。
「わ、わかった」
弾かれたように顔を上げ、晴明を置いてあたしは駆け出した。
「満…っ、満影さん!」
相手はゆっくりと歩いているのに、なぜかあたしとの距離が縮まらず、内裏に近づいている。
でも確か、このまま行ったとしても門の中には入れないはずだ。結界で、外からも中からも封印されている。
呼び止めるあたしの声に反応はなく、満影さんはそのまま門を通過した。
「えっ!?な、なんで!?」
中には沢山の陰陽師が内裏を守っていて結界がしてあるから、人ではない彼は入れないはずだ。
それが何も引っかかることなくふつうに門を通っていった彼に驚き、同時に焦りを感じた。
慌てて駆け出して門の前に移動すると、そこで立ち止まり中の様子を伺った。
「え…!?」
そして、向こう側にある光景に驚愕した。
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