第六章 光と闇の神

第六章−壱

ドボン!と音がして、耳が聞こえなくなった。



ゴゴゴゴ、と何かが流れる音にハッと目を開けると、暗い川の中にいた。



上は暗闇を照らす朧げな紅い満月が見える。



結構深い川なんだ、とぼんやりしてると、ギュッと右手をきつく握られた。



「ボコっ…?!」



誰?と驚いてそちらを振り向くと、暗い闇しか見えず、そこには誰もいない。



ゾッとして手を離そうとしたが、握られた手は解いてくれなくて、ますます強く握りしめられた。




「ボコボコ…ゴボボっ!!」




離せ!と手を振るが、川の中だからうまく動かない。




おまけに急に声を出したものだから、水を飲んでしまい咳き込んだ。



溺れ死は勘弁だ!



ひとまず、川から上がらないと。



そう判断して握られたまま、上に上にと上がっていく。




「桃子…動くな」



すると突然、耳元で満影さんの声がした。



ギョッとして、握られた手の方を見ると、暗闇だけだった場所に、満影さんの姿があった。




「術を放った。息を吸ってみろ。会話もできるぞ」




え??川の中で!?



驚いて、無理無理と手をブンブン振る。




「大丈夫。確かめてみろ」



満影さんがクスリと笑い、優しい目をこちらに向けた。




その目は見たことがある。



よく向こうの世界で、彼に向けられた。



心から安心できるそんな目。



「…わかった」



頷いてから、喋れたことに気づき、驚いた。



「わっ?嘘っ!なんで!?水の中なのに!」



「俺の術で一時的に水の中に息を吹きこんだ。それより、さっきは予想外に驚いたぞ。まさかこちらに近づいてくるなんて」



満影さんが表情を曇らせ、あたしを軽く睨む。



怒っているのか、その姿に少し反省した。



「ご、ごめんなさい…。でも、満影さんが悪いんだよ。晴明に妖怪をけしかけるなんて。あれじゃあ…死んじゃうよ」



この世界でも殺生することは罪となるが、それが日常茶飯事でもあり、彼等はそれに慣れてしまっていて怖くなった。



自分は平和な世に生まれてきたため、満影さんが晴明を殺そうとしたその事実が信じられれず、目を背けたくなった。



「ああ…そういえば、お前の世界は平和そのものだったな。妖や物の怪といった類のモノは非日常的なモノで…なんだったか。確か、フィクションっていうんだな。人を襲う摩訶不思議な生物なんて存在しなかった」




思い出したように、彼が遠くを見つめて言った。



懐かしさに微かに笑う彼を見て驚き、それと同時に悲しんだ。



「どうしてなの…?今になって、何故あたしの前に現れたの。あたしはあの世界であなたが居なくなって、とても悲しんだんだよ?」



あなたにはわからないでしょう?



あたしがどれほど寂しくて悲しくて、心がズタズタになったか。



誰にも言えず、一人孤独を抱えて、どうすれば自分の気持ちを整理できるかと、ずっと苦しんだ。



まるで自分が見てきた彼が幻だったかのように、あの世界に跡形もなく消えた満影さんを酷く呪い、会わなければ良かったって何度も思った。



忘れられない恋心と早く忘れたくて悲しい孤独感に、耐えきれなくなったあたしはいつのまにか自分で彼との記憶を失くした。



満影さんの表情がゆっくりと驚きに変わる。



自分が今どんな表情をしているかわからないが、多分、きっと酷く泣きそうな顔をしているのだろう。



彼が痛みに耐えるような悲しそうな目を向けた。



「すまない桃子。本当に、君を悲しませてすまなかった。あの時はどうしてもあの場にいられなかった。まだ人としてあの世界にいるのは不安定で…いつ消えてもおかしくなかった。気づくとまた闇の中に戻っていて…決してお前を忘れたわけじゃない」



ゆっくりと伸びてきた手が頬に触れ、優しく目元を撫でる。


その仕草に始めて、自分が泣いていることに気づいた。



だけど、あたしはその手をやんわりと払う。



「今更…今更遅いよ。この世に蘇ったことで、あなたはこの世界の人に恐れられているんだよ。この世界にある伝承に、生き返った満影さんが深く関わっているんじゃないかって怯えているんだよ」



犯人だった張本人にこの話をするのはまずいが、彼が正直に話してくれた事であたしも考え方が変わったのだ。



晴明や道長さん、そして都の一番お偉い帝までも彼を危険視していた。



生前、彼が何をしたのか知らないが、とても危ない、危険な男だった事は分かった。



だけど、あたしにはそれ以上に、優しいばかりだった頃の彼の記憶が大きく、それはあたしにとっては何よりも最高な時間ときであった。



母を亡くして荒れる父との暮らしは、穏やかではなかった。酒に酔って時には暴力を振るって騒ぎ喚く父に、あたしは恐怖を感じて生きていた。



大好きだった頃の父を知っていたから、余計苦しくて悲しくて、それをどうにかしようと、彼に随分助けてもらった。



あのときの彼は本当にあたしを大事にしてくれて、そのときの彼を知るあたしには、このことを隠す事で罪悪感を感じ出来なかった。



暴露したあたしに、彼は一瞬驚き、すぐに険しい表情をした。



「そういえばさっきも伝承のことを口走っていたな。おかげで頭に血が上って、つい奴を襲ったが…。お前こそ、どこまで聞いたんだ?芦屋道満の幼き頃は、その話を信じていた」



自分を『芦屋道満』と呼ぶのに違和感を感じたが、彼は一瞬だけ悲しい表情になっただけであとは無表情をつらぬいた。



「ねぇ、じゃあその伝承に満影さん…道満さんは、関係ないの?」



彼の質問には答えず疑問を投げつけると、彼が微かに瞬いた。



「それは…ハッキリとしていない。ただ、この場で言えることは芦屋道満にもこの世に蘇るための理由があった」



語るように話し始めた満影さんに眉を寄せた。




「理由…?一体、あなたは何故蘇ってきたの?」



そんなに大層な理由が?



あたしが晴明もした問いを再び彼に問いかけた。



満影さんはあたしから離れると口元を動かせ、呪文を唱えた。



すると横を泳いでいた魚が彼の手元に引き寄せられ、彼が魚に触れた途端、魚は見る見るうちに干からびていった。



「あの世界で俺は桃子の光の力を得て、新しく生まれ変わった。そのとき、その力が増幅して俺の中にある闇をよりいっそう強くした」



干からびた魚は骨も残らず砂のように灰へと変わり、水の中に流れていった。



「こうして触れるだけで、生き物が命を落とすんだ。生物だけではなく、花や木といった植物も…この世の全てが死に至らす」



そう言ってギュッと握る仕草をすると、満影さんはゆっくりと口元を綻ばせた。



「そんな…。触れただけで、死を…?でも、あたしはなんとも…触っていたけれど、何も起きなかった」



あまりの話に呆然と、さっきしてもらったことを伝えると、どこかうっとりした様子でこちらを見つめてきた。



「ああ、それは桃子が他とは違うからだな。お前は天照の化身なんだ。天に愛され光そのモノをその身に宿した高貴な神の依代なんだよ。だから俺が触れても変わらないのは当たり前なんだ」



天照の…化身?



「どういう…こと?あたしが…なに?」




なんだろう。酷く胸が苦しい。



嫌な感じに思わず顔を歪めると、満影さんが真顔になってゆっくりと口を開いた。



「天上の光の神…天照。その器に、桃子が選ばれた。俺は、その光と唯一対となる…月詠の器」












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