第五章 真実と偽りの世
第五章-壱
『桃子…』
『桃子』
誰かがあたしを呼んでいる。
ミチカゲさんの再会はあたしが思っていたのと違う悲しい結果だった。
ざわざわと心の中に虫を飼っているような、とても落ち着かない気持ちでいっぱいだ。
『起きろ…』
ああ、また…聴こえる。
一人で余韻に浸ることもできず、ムゥと顔をしかめて邪魔する誰かに対し怒りが湧く。
「いい加減に起きろ!山本桃子!!」
刹那、大音量のスピーカーから怒鳴られたように大きな怒鳴り声がして、ハッと目を開けた。
「あ、目を覚ましたよ」
開いた視界にニョキっと、こちらを覗き込む優しい顔立ちの…道長さん。
「え…?道長さん!?」
驚きに勢いよく起き上がると、くらっとした。
「大丈夫っ?」
慌てた道長さんがあたしを支えてくれる。
「あ、ありがとうございます。でも、なんで道長さんが…?」
ふと周りを見ると、いつの間にか晴明の屋敷、見慣れたあたしの部屋にいた。あのオンボロ幽霊屋敷で倒れたはずなんだが、いつ帰って来たのだろう??
「話せば長くなるんだけど…それよりも、体調の方は大丈夫かな?」
「え…?あ、ああ、大丈夫です」
よそ見するあたしに彼が問いかけてきたので咄嗟に答えると、
「そうか、なら良かった。壁の下敷きになったと聞いて…飛んで来たんだ」
ホッと安心したように優しく微笑んだ。
眠っている間、彼をとても心配させていたようだ。
安心する彼になんだか悪いことをしたな、と反省し、「心配してくれてありがとうございます」と感謝した。
「いや、そんなにかしこまらなくていいよ。大事無いならいいんだ」
遠慮して頭を下げたあたしに苦笑する。
「いえ…なんか、わざわざ来てくれたから…。あ、それよりも晴明…様は今どこに–––」
いるのかな?と尋ねようとしたとき。
「私ならここにいるんだが…?」
頭の方から、聞き慣れた晴明の冷たい声がした。
「わっ!?い、いつからそこに…!」
そちらを振り向けば、気配を消したやつがいた。
びっくりするあたしに、奴はニヤリと暗く笑みを浮かべる。
「ずっとですよ、山本桃子殿」
ピキッと、凍りついた。
その笑み、超怖いんだけど!!
「ご、ごめん…あっ!違った!ごめんなさいだ!わざとじゃーっ」
「いいえぇ…私は全く気にしておりません」
気にしていない割には未だにわざとらしい丁寧語だ。
絶対気にしてるよ。無視されていたことに怒っている節もある。
「こらこら、やめないか晴明。桃子殿が困っているよ」
そこに救いの神、道長さんが入ってくれた。
眩しく笑みを浮かべたその邪気のない顔に、邪気の塊である晴明はうっと言葉を詰まらせた。
「道長…。はぁ〜…わかったわかった。悪ふざけはやめる」
そう手を上げ、降参とばかりにつぶやく。
…ちょっと待て晴明。
ふざけてって、あたしはマジで焦ったんだぞ!
ムゥとして晴明を睨み付けると、奴がそれに気づき…ふん、と鼻を鳴らす。
「睨むな豚め。お前が私を蔑ろにするからだ」
そうどこか拗ねたように、そっぽを向く。
「ぶ、豚ぁ!?」
誰がブダだ、誰が!
コイツは、なんてデリカシーの無い…!
「腕が千切れるかと思ったぞ。少しは運動しろ」
「な、な、な…!」
顔を真っ赤に、開いた口が塞がらない。
「やめないか晴明!女人に対し、失礼な物言いだぞ!」
そこに怒ったように道長さんが声を上げた。
人を豚呼ばわりする悪い男、晴明の顔をパチンと軽く叩き、叱りつけた。
驚いたように手を添えた晴明が道長を見て、「道長!」と恨めがましく睨み付ける。
だがそれをあえて無視して、あたしに向き直り、苦笑した。
「晴明は未だ中身が幼稚な未熟児のままでね。女人に対する礼儀というものをまるで知らないんだ。だけど、悪い子じゃないからね。短い付き合いだが、桃子殿も知っていると思うが、晴明はこう見えて優しい所もある。君がここに戻ってきたのを覚えていないのは、晴明がここまで運んでくれたからだよ」
「えっ?晴明が…?」
あれから、あたしをここまで運んだ…?
驚いて声を上げると、ムスッと不機嫌な顔の晴明がチッと舌打ちした。
「余計なことを…。私を子供扱いするな」
吐き捨てるように言った晴明に振り向き、道長さんはにっこりと笑顔。
「未熟者に、子供扱いして何が悪いの?」
そう呟いて、首を傾げる。
ぐっと言葉に詰まり、何も言い返せない晴明は不機嫌さマックスに、そっぽを向く。
おお…さすが、道長さん。
あの笑顔で奴を黙らせちゃったよ。
「桃子殿、こんな奴だけれど、今回の件では大いに反省しているんだ。君をあの屋敷に向かわせて、怖い思いをさせて、怪我までさせた」
「あ…いえ。たしかに怖かったけれど、あたしもそれで良い事があったわけですし–−–」
そこまで言いかけて、ハッとする。
そうだ。あの屋敷で会った一夜のこと。あたしの知り合いのミチカゲさんが化けていたことや、それを晴明が芦屋道満とか言っていたこととか…とにかく!訳がわからないことだらけで、確かめないと…!
「桃子殿?どうしたの?」
急に口を閉ざしたあたしを心配して、道長さんが声をかけてきた。
「あ…その、晴明様に聞きたい事があるんです」
ハッと我に返ったあたしがそう告げると、そっぽを向いていた晴明が、眉を寄せてこちらを向いた。
「晴明、に…?何か気になる事があるの?」
道長さんが不思議そうに聞き返す。
「はい。気になることというか、聞きたい事があって…。あの、晴明様の式神…一夜のことです」
一夜、と名を口にした途端、晴明が険しい表情を見せた。
「一夜だと?何を聞きたいんだ?」
すかさず鋭い声で問い詰めてくる。
「えっ?何がって…」
なんか、怖いな。
急に雰囲気が変わったことに驚き、咄嗟に答えられなかった。
「一夜はある者を参考にして形どり、依代として作った式だ。だが、あのとき…あの屋敷で、何故か依代としての役割である一夜の中に、その参考にした本物が一瞬、移りこんだ」
「ある者?いや、それより依代ってどういうこと?」
「依代とは、神霊の依り憑くものだ。媒体となる紙や木、人の事を示すんだが、この場合それが一夜のことだな。この世にいない筈の者を一時的に一夜の人型に閉じ込めておくこともできるんだ」
「ええっと、つまり一夜の体にその神霊とかを取り込んじゃうんだ。え?それで参考にしたその人、つまり本物が一夜の中に入っちゃったの?」
なんか、ややこしい話だが、頭の中で整理しながら問いかけると、晴明は「そういうことだ」と頷いた。
「つまり、その参考にした本物というのが、昨日浄霊した時に降りてきた者だ」
それは、つまり…!
ごくっと喉を鳴らし、続きを待つあたしを晴明は冷たい目で見て、口を開いた。
「一夜の本物で参考にした者…。それはお前にも前に話したな。あの、芦屋道満のことだ」
「…やっぱり…!」
予想していた通りだった。
「やっぱり…?」
晴明が訝しげに聞き返す。
「あっ」として、あたしは口を押さえた。
「どういうことだ…?やっぱりって、初めからあの時、一夜の正体に気づいていたのか?」
ど、どうしよう…!
言葉を詰まらせ、咄嗟に答えられないあたしに晴明の目が探るように冷たく細くなった。
今さっき見ていたあの夢や、彼…ミチカゲさんのことをちゃんと晴明に話すべきだ。
「そういえばあのとき、貴様…一夜に乗り移った道満と、一体何を話していたんだ?」
だが、続けて質問をした晴明のその冷たい声音に、ハッとする。
先ほどよりも更に冷たく怖い表情をした彼が、こちらを鋭く睨んでいた。
ギクッと顔が強ばった。
「…そ、そんな…。そんな怖い顔されちゃあ…言いたいことも言えない」
そしてふいっと、思わず視線を逸らしてしまう。
もったいぶるわけじゃないが、こんなに怒っている晴明には話せない。
「なにっ?おい…!いいから、さっさと答えろ」
晴明がイラッとしたように声を荒げ、こちらに近づく気配がした。
ビクッと反射的に怯え、そちらを向く。
「何を、隠している…!」
バッと晴明の手がこちらに伸びてきた。
咄嗟に避けるように身体を後ろに反ろうした瞬間、さっと目の前に、道長さんが現れた。
「待ちなさい晴明!彼女は怯えているんだ!そんな怖い顔をしていては、喋りたい事も話せなくなる」
まるであたしの気持ちを読み取ったかのようだ。
思っていることを、道長さんが代弁してくれた。
な、ナイスフォロー!と、心の中で道長さんを讃えると、晴明が一瞬目を見張り、表情を無くした。
「なんだ、それは…。この場合は仕方ないだろう」
なんだろう…今の。
ちょっと、傷ついたような諦めたような…今まで見たことのない表情だった。
「あのねぇ…晴明。前にも話した筈だけど、君の場合のそれは人を萎縮させてしまうんだ。僕は慣れているからいいけれど、君はもうすこし自重するべきだよ。イラっとしたら深呼吸だよ。そうしなければこの子からちゃんと聞き出せないだろう?それならそれ相当の話し方がある筈だよ」
さすが、道長さん!よく見ているね。
そうなんだよねぇ。本人は気づいてないみたいだけど、この人、顔が良いからさ…怒ると余計に怖く見えちゃうんだよね。
人を萎縮させるような気配を持ってて、ついつい言いたい言葉を呑み込んでしまう。
道長さんの言葉にウンウン頷いて肯定すると、晴明にギロッと睨まれた。
「ひっ!」と情けなくも悲鳴を上げ、道長さんの背に隠れる。
道長さんがちょっと驚いたようにこちらを振り返ったけれど、彼はあたしの怯える姿に微かに苦笑して、また晴明に向き直った。
「ほら…晴明。君もわかっている筈だよ。もっと優しく、桃子殿に接してみなよ」
そう優しく諌める道長さんに、暫くしてから無表情だった晴明は何もかも諦めたのか、深いため息をついた。
「全く…何度も何度も…。わかったわかった。優しく、笑顔で…労わるように話してあげる」
そう言って、にっこりと、引きつった笑みを浮かべた。
「そうそう…!やればできるじゃないか晴明!」
あたしはその笑みにゾッとしたが、道長さんは嬉しそうに笑う。
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