★★★★★★★




あの日は雨の降る寒い夜だった。



学校帰り。父親に頼まれた食材を買って帰る途中、雨が激しさを増した。



びしょびしょになることを避け、少し弱まるのを待とうと近くにある店の前で雨宿りした。



すると、道路から車の急ブレーキする音がした。



びっくりしてそちらを見ると、走っている車の中をふらふらと歩いている男の人がいた。



その人は運転手から罵倒されながらも、フラフラした足取りで道路を渡っていた。



「なにあれ、ヤクでもしてるのかな?」


「危ないな、自殺か?」



同じように驚いて立ち止まっていた人々が口々に囁く。



そんな中、今にも倒れそうな様子で彼はあたしのいる店の二つ先にある裏通りへと入っていく。



途端に激しかった雨が弱まり、止んだ。



慌てて店から離れ、ふとさっきの男の人が気になって、彼が入っていった裏通りを覗いてみた。



普段なら見るからに危ない人には近寄らないけれど、何故か彼に興味を惹かれた。



薄暗い裏通りに入ると、人の呻き声がした。それは奥へ進めば進むほど大きくなり、飲食店の店のゴミ置場付近に、さっきの人が苦しそうに座り込んでいた。



ハッとして駆け寄り、声をかけた。



座り込んでいた彼がゆっくりとこちらを見上げた。



刹那、雲に隠れていた月が顔を出し、月の光に照らされて暗かった彼の顔がはっきりと映る。




漆黒の闇の目がこちらを眩しそうに見つめていた。




それが、ミチカゲさんとの出会いだった。




☆★☆★☆★☆★☆





フッ、と目を覚ますと、薄暗い視界にぼんやりと天井が見えた。



ハラハラと、熱いものが頬を伝う。




夢に、ミチカゲさんが出てきた。彼との昔の思い出。



楽しいものではなく、どちらかというと悲しい記憶。



「どうして…?なんで、あの人が…」



忘れていたのに、突然掘り起こされた記憶。



元にいた世界で出会った、ミチカゲというミステリアスな男性。



「…そうだ、一夜は!?」




ハッとして起き上がると、ズキン!と頭に痛みが走る。



顔をしかめて、ズキスギする頭を横からもんでいく。




「うっ…。そういえば…あたし、なんで寝ていたの?」



自分がいつ寝たか覚えていない。



晴明に術を教えてもらうため幽霊屋敷に行き、女の怨霊を浄霊して……あ、思い出した!



式神の一夜があたしを助けて…そこで、一夜が何故かミチカゲさんに変わった。



「一夜…あれは、本当にあたしの知るミチカゲさん?なんで、なんで今になって思い出したの?」



まるで、その記憶だけを抜きとられたように。ミチカゲさんに関しての記憶は綺麗さっぱり忘れていた。


それなのに、なぜかあのとき一夜が、ミチカゲさんに見えて……。



「とにかく、一夜を…ミチカゲさんを探して…」




被せていた布団を剥ぐと、ズキン!と肩に痛みが走る。



うっ、と動きを止めて、ふと自分の着ている服が下着だけなのに、ギョッとする。



いつの間に…!?



「なんで、いつ、あたし脱いで…?」



何がなんだかわからず困惑していると。



「起きたのか」



突然、右から声がした。



びっくりしてそちらを振り向くと、薄暗い中庭側、空にぽっかり満月が浮かんでおり、その光に照らされて御簾の向こうに誰かが座っているのが見えた。



「えっ?だ、誰…?」



「久しぶりだな…桃子」



御簾の向こう側にいる人が低い声で答えた。それは今まで夢に出てきていたミチカゲさんの声にそっくりだった。



「え…?まさか、ミチカゲさん…?」



恐る恐る問いかけながら御簾の方に近づくと、その人が微かに頷いた。



「ああ…それは向こうでの名前。満影は仮の名」



「えっ?仮の名?」



「ああ。本当の名は別にある」



それを聞いてドキッとする。



そう言えば、あのとき晴明が一夜に向かって他の名前を叫んでいた。



確か…『道満』と。




「まさか、あなたが…芦屋、道満…?」



声が上擦り、身体が震えた。



この世界にあたしを連れてきた人かもしれない人物。



「…っ!」



御簾の向こうの彼が身動ぎ、微かに息を呑む音がした。



「それを、どこで聞いた?」



こちらを向いて、彼が鋭く問いかける。



その鋭い声に、ギクリとした。



「あ…それは…」




何故か答えを阻まれた。



だって、もし彼がその芦屋道満であたしを連れて来た人なら、彼は死んでいることになる。



死人が蘇るなんて話、あるわけないのに、ここはあたしの常識を超えた世界で、妖怪も幽霊も当たり前に存在する。だから、彼も一度死んでいたとしても、あの女の怨霊のように、霊としてこの世を彷徨っているかもしれなかった。




そんな人にどう答えてあげればいいのか…答えに窮すと、彼が立ち上がり、勢いよく御簾を開けた。



月光に浴びた白銀の髪が揺れて、真紅の眼があたしを射抜く。鬼気迫る表情でこちらに近づいてくるが足音はなく、静かに一瞬で目の前に移動した。



幽霊のようなその動きに、顔から血の気が引いた。



「誰に聞いたんだ?」



目の前に立ち塞がった彼があたしを冷たく見下ろして、もう一度尋ねる。



そんな彼に恐怖を抱き、小さく震える身体を抱きしめて首を振った。



「誰も…誰にも聞いてない。私が勝手に、あなたを調べたの」



すぐにバレるだろう嘘を吐いて、晴明を庇った。



素直に喋る事なく口を閉ざすあたしに、彼が目を細めた。



冷たく射抜くように見つめて、ゆっくりと膝をつきあたしと目線を合わせる。



初めて受ける彼の殺気に、一瞬呼吸が止まったように、ヒュッと息を呑んだ。




「見え透いた事を…。大方、あの鼻持ちならない半妖陰陽師だろ」



嘲笑するように、せせら笑う。



その言葉に、ギクリとする。どうやら彼は気づいているようだ。



鼻持ちならない陰陽師…。陰陽師と言えば晴明か、保憲さんしか知らない。だがこの場合はどちらかといえば、あたしとよくいる晴明の方だろう。



しかし、今、彼は『半妖』と言わなかった??



「ミチカゲさん…半妖って、どういうこと?」



そっちのほうが驚きだ。あたしは晴明のことを知っているようで、何も知らない。



ミチカゲさんがフッと微かに笑って、冷たい表情を見せた。



「お前にいつも張り付いているあの男、安倍晴明。奴はな人ではなく…半分、妖怪の血が混じった半妖だよ」



「まさか…そんな、だって晴明は…!」



彼はその妖怪を狩る側の陰陽師をしているじゃないか!



驚いて、なんと言えばいいのか咄嗟に言葉に詰まる。



「『晴明は』…か。いつのまに呼び捨てにするような仲になったんだ?奴はお前が思っているほどお人好しじゃない。お前を拾って屋敷に住ませているが、それにもちゃんとした訳がある。奴はお前を利用して、妖怪を片っ端から殺すつもりだ」



彼の言葉は冷たく、棘を感じた。



いや、実際にあたしを非難しているのだろう。



久しぶりに会ったというのに、彼はずっと冷たい態度だ。



「それは…あなたに言われなくても知っているわ。晴明があたしを仕方なく住ませているのも…利用しているのも…。でもそれは、あなたにとやかく言われる筋合いはない」



これは晴明とあたしの問題だ。



何も知らないからと、あたしに晴明の悪口を言うのは、何故か気に食わなかった。



反抗するように睨み返すと、ミチカゲさんは虚をつかれたように面食らった。



「は…ははっ、なんだ…そうか。もう、俺が直に言ってもダメなんだな」



そして、何故か彼はおかしそうに、どこか悲しそうに笑った。



びっくりするあたしに、ミチカゲさんが急に立ち上がった。



さっきと同じように、冷たくあたしを見下ろす。


「そろそろ時間だ。桃子、お前の知りたいことを今宵全部、洗いざらい話してやろう。だがそれは、この場ではない」



それだけはっきりと告げると、彼は裾を翻してその場を離れていく。



「ミチカゲさん…!」



慌てて後を追おうと立ち上がると、くらりと目の前が歪んだ。



咄嗟に床に手をつき、顔を上げる。



ぼやける視界には、御簾の向こう側、満ちた月の出る中庭へ向かう彼の後ろ姿が見えた。



「待って…!まだ話は終わってない!」



知りたいことは山ほどある。だけど、今は彼に会えたことが嬉しいと、ちゃんと言いたかった。



ミチカゲさんの姿が御簾の向こうに消える瞬間、目の前に白い靄がかかり、あたしの意識はそこで途絶えた。








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