弐
廃墟の屋敷は陽の光が通らず、薄暗くて寒い。
廊下は老朽化して所々に穴が空き、歩くたびにギシギシいう。
前を歩く雷光さんに続いて母屋に続いている廊下を歩く。
母屋に着いたらどうしようか…。
ホントのところ、あの霊を説得できるか自信がない。
浄霊をしたい気持ちはあるけど、その自信がないのだ。
歩く速度が速くなった。
ふと雷光さんの背中を見ると、その先に母屋が見えた。
「桃子姫、保憲殿は陰陽道であの女人を先に除霊するかもしれない。それは何としても避けねばならない。私たちが来た意味がなくなる」
そうだ。すでに保憲さんは向かっている。
あの態度からして、晴明を助けるためには手段を選ばないかも。
考えてる暇はない。
母屋の中が見えると、柱の前で保憲さんが中の様子を見ていて、あたしと雷光さんは足を止めた。
「なんだ、来たの二人とも。なら、私の指示に従ってもらうよ」
それに気づいた保憲さんがあたしたちを冷たく見据えてそう言った。
「いえ、私たちはあの霊を救うために来たのです。倒すためじゃない」
雷光さんが強くきっぱりと告げた。
「そんなことは知らないよ。ここで第一に優先すべきなのは晴明でしょ。第二に晴明の安否、第三に晴明の命。そして一番重要なのは、晴明のあの顔だよ。稀に見る麗しい顔に傷が付いたら、悪霊だの怨霊だの騒いでいるこの女鬼を瞬殺する。そうならないようにまずは私があの人型を使い、救出する」
しかし、保憲さんはあたしたちの考えを無視して、真剣な表情で自分の意思を告げた。
…ええー…マジ?
あの顔が一番大事?
真剣な顔で何を言うと思えば、そのしょうもない理由に思わず我を忘れ、ぽかんとした。
雷光さんは彼の本気に顔を引きつらせた。
「や、保憲殿…。それは確かに晴明殿の命は大事ですが、あの顔を守るために来たわけではないでしょう?」
「ああ、もちろんだよ。晴明の命は大事だ。だが、私にはあの麗しい顔が何よりも大事なんだ」
そう言って彼は、「話は終わった」と勝手に柱から出て、中央にいる晴明の方に向かった。
あたしは彼の後ろ姿を見ながら、雷光さんと一緒に呆れてしまった。
「あれでは何を言っても無駄みたいだ。桃子姫、我々は我々で晴明殿はもちろん、あの霊を浄霊しよう」
「ええ、そうですね。それにはまずは、晴明と話をしましょう」
そう答えたあたしに雷光さんは頷いてくれた。
そこからあたしたちは一緒に柱から出て、保憲さんに続いて女の怨霊と対峙する晴明の方に向かった。
晴明の横には、一夜が立っていた。
彼はいつの間にか先に晴明と接触していたようだ。
その二人の方に向かった保憲さんが、晴明に話しかける。
ふと見ると、保憲さんの横、あたしたちからは背中しか見えないが、多分、例の人型だろう。その人型もぴったりと保憲さんにくっついていた。
「晴明、約束通り作ってきたよ。これが藤原致忠様の人型だ」
近づくと保憲さんの台詞が聞こえてきた。
藤原致忠とは、確かあの霊の旦那さんのことだ。
そう思い出すと、隣りでハッとしたように雷光さんが息を呑んだ。
「ええ、ありがとうございます。これで、あの霊を退治できます」
晴明がホッとしたように息を吐き、すぐに女の霊に向けて、挑戦的な笑みを浮かべた。
…やばい!
あたしは慌てた。
今すぐに止めなければ!
「晴明!ちょっと待って!」
気づいたら彼を止めようと叫んでいた。
晴明がこちらに顔を向け、驚いたように目を見張る。
「お前…!それに雷光様も!何故、ここに…?」
「助けに戻ってきたの。だけど、その前に晴明…。一人、ここに置き去りにして逃げちゃってごめんなさい」
まずは謝罪だ。
囮になってくれたとはいえ、一人残した罪悪感は半端ない。
あたしが正直に頭を下げて謝ると、雷光さんもあたしに続いて彼に頭を下げた。
「私も…貴方を一人にしてしまったことを謝らせてほしい。囮だと思い、貴方を置き去りに逃げてしまった」
「なにを、そんな…。あなたたちは悪くない。行かせたのは私です。謝らなくてもいい」
あたしと雷光さんの謝罪に晴明は一瞬息を呑み、すぐに何ともない様子で首を振った。
その反応に、怒られるかと思ったあたしは訝しげに眉をひそめた。
「あの、晴明…。結果的にあなたを一人にして逃げちゃったけど、怒っていないの?」
だから思わず尋ねると、彼は不思議そうに首を傾げた。
「何故怒る?私は初めから逃げるつもりなんてなかった。お前と雷光様がうまく逃げてくれてよかったよ」
どうやら晴明は初めからあたしたちを逃がすため、一人で囮になったようだ。
もしかして、女の霊を浄霊するのは無理だと知って、退治するためここにとどまったのかも。
その証拠に、保憲さんがここに呼ばれてきた。
わざわざ式を飛ばして人型を作らせ、ここまで呼んだのだ。
「それは、どういうことですか?まさか、初めから私たちが邪魔で、先に逃がしたのですか?」
雷光さんが、尋ねた。
あたしが感じた疑問と同じ。
晴明は小さくため息をつき、軽く肩をすくめた。
「まぁ…あの状況ではすぐに解決できなかったでしょう。浄霊しようとばかり意気込んでいましたので、それでは失敗した際にあなたたちではすぐに対処できないと考えました。なので先にあなたたちを逃がしたのです」
やっぱり、そうだったのか。
じゃあ、あたしが感じた罪悪感はなんだったのよ!
初めから一人残ること考えていたのならなにもこいつの心配しなくてもよかったじゃん!
ムッとして晴明を軽く睨むと、
「話は後にしなさい!今はあの鬼に集中するんだ」
そこに保憲さんの鋭い叱責が入り、あたしと晴明はハッとして女の怨霊に向き直った。
雷光さんも慌てた様子で彼女に顔を向けた。
「今は私の結界で、あの女鬼からは私たちの姿は見えないようになっている。晴明、確かにあの女鬼は藤原致忠様の側室なのか?」
保憲さんが尋ねると、晴明は難しい表情で頷いた。
「ならいい。この人型であの女鬼を退治できる。だが…まだ足りない。あの女鬼が執着する何かが、何処かにあるはずだが…」
「ああ、それがわかればすぐに倒せたが…」
何の話をしているのか、二人が難しい表情で話し合う。
晴明はまだ隠し事があるようだ。
「ちょっと!二人でコソコソと、一体何の話ですか?」
先ほどのこともありついついムキになって声を荒げ問いかけた。
すると二人が同時にあたしを向き、保憲さんは煩そうに顔をしかめ、晴明は何かに気づいたようにハッとした。
「そうだ…!保憲、いい考えがあります。この娘に人型とあの女鬼の関係となるモノを探してもらいましょう!」
「…え?」
「何っ!?この娘に…?」
驚くあたしと保憲さん。
晴明は保憲さんの後ろに控えていた人型に近寄り、不思議そうに見つめる人型の額に触れた。
「晴明、勝手になにを…!」
保憲さんが止めるよりも早く、晴明は呪文を唱えた。
途端、触れた額が光り出して、人型の目が大きく見開く。
「保憲、結界が保たないのでしょう?これなら簡単にいきますよ。あの娘には視る力がある」
晴明が保憲さんに自信に満ちた表情で、呟いた。
ハッとしたように保憲さんがあたしに視線を走らせ、すぐに晴明に向き直って険しい表情を見せた。
「まさか、この娘の力で探すの?まだ覚醒していないのに?見た感じ、できない気がするけど…」
「ええ、確かにその通り。この娘の力はまだ未完成だ。ですがそこはほら、この人型が補えばできます。私たちがあの女鬼の注意を引きつれている間に探してもらうのです」
「…なるほど…娘が視て、人型が当てるのか。だけどね、晴明。この娘がもし視えなくて使えなかったらそれこそ問題だよ?やる気はあるようだけど…簡単にはいかない」
保憲さんがあたしを振り向き、渋るように言った。
「あの、ちょっと待ってくれる?今の話の内容からして、あたしに何か重要な役をやらせようとしてるの?」
気になるなぁ。
さっきから二人だけでわかる話をしてて、そこにあたしが勝手に出てる。
あたしが口を挟んで問いかけると、保憲さんがフッと呆れたように笑う。
「ほら、晴明…見なよ。こうして話し合っているだけで、この娘は不安のようだ。勇気のない者に務まらないだろうね」
嫌味なのか…トゲのある言い方だった。
晴明が微かに不機嫌を露わに眉を釣り上げ、舌打ちした。
「おい、山本桃子。できると言え。あの女鬼が執着している物を探すんだ。きっと藤原致忠様との思い出あるものに取り憑いている。それを貴様がその人型と一緒に探して見つけるんだ」
「ええっ?そんな、急に言われても…。探すってどうやって?」
陰陽術でパパッと探せないのか?
なぜあたしに振ってくるのかわからなくて聞き返すと、晴明は面倒くさそうに顔をしかめた。
「前に話しただろ。貴様に霊力の話を。それと一緒で、貴様には視える力がある。霊視とも言うが…それが、私たちよりずば抜けて優れている。よく周りを見ればあるはずだ。あの女鬼に繋がる何かが。それを人型と探せば、浄霊を手伝ってやろう」
「浄霊を?…わかった。やるよ。あたしにしかできないなら、やるわ」
迷うことはなかった。
すれば晴明はあの女鬼を助ける。浄霊をしてくれると言った。
即答したあたしに保憲さんは驚いたようだが、晴明はにぃと笑って「上出来だ」と呟いた。
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