「ああ、なるほど。ようやく理解したよ。この子には、私にはない浄化の力があるんだね」


雷光さんが納得したように口を挟むと、晴明は煩わしげに舌を鳴らし、微かに頷いた。


「まだ不安定だがな…。私も無意識にはできない芸道だ。術を学びならゆる修行に耐えた者のみが、稀に呪文や呪法なしで手にできる。言うなれば、言霊だな。無意識に相手の核心に触れ、それを簡単に解いてしまい、相手を受け入れる。そうなるとあとはもう、相手はそいつを信じ、救ってもらえる。言うのは簡単だが、やるとなると話は別になる」



難しい話であたしには理解ができなく首を傾げると、雷光さんが微かに苦笑する。



「この様子だと本当に彼女は自覚がないようだね。でもそうなれば話は早いな。この子がいるなら私は晴明殿が言った通りに見守っていよう。危険になれば止む終えず、止めには入ればいいのだろう?」



最後に同意を求めるように晴明に意見すると、それに対し晴明が頷き返す。



「では、晴明殿が話した通り。彼女に説得してもらおう。だが、その前に…」


そこで言葉を切り、雷光さんがあたしに向き直った。


彼はあたしに近づくと、にこりと笑って手を差し伸べた。


「自己紹介がまだしていませんでした。私は源雷光と申します。貴女のお名前を伺ってもよろしいですか?」



いきなりの行動に、驚いた。そういえばここに来て、まだお互いを名乗り出ていなかった。


差し伸べてきた手に慌てて触れると、頭を下げて口を開いた。


「は、初めまして源様!あたしは、晴明様の屋敷で居候しています、山本桃子って言います」


明るく元気に、をイメージしたら、興奮して少し声が上がってしまった。


声の大きさに少し驚いた雷光さんは、クスッと笑って優しい笑みを浮かべた。


「元気があって、可愛らしい姫君ですね。私のことは雷光と呼び捨てにして下さって構いませんよ、桃子姫」



いや、貴女こそ姫は余計!



その優しい笑みと慣れた所作に、顔が真っ赤になる。

恥ずかしさにまた視線を逸らすと、雷光さんにくすくすと笑われた。


「おい、二人とも。笑ってないでもういい加減に始めろ。私の式が限界だぞ」



そこに、不機嫌な晴明が入り込み、ハッと我に返る。


女鬼を見れば、式神が苦戦していた。


「あれはヤバイな。桃子姫!私達も早々に始めようか」


険しい表情で言った雷光さんの言葉に、あたしは頷く。


「結界を張ったままあの女鬼に近づけ。式神が退いた瞬間に娘、貴様があの女鬼に語りかけろ。動きはこちらで封じる」



なんだかんだ言っても、晴明も手伝ってくれるようだ。結界があるなら頼もしい。



振り返り晴明に向けて「分かった」と頷くと、雷光さんと一緒に女鬼に近づいていった。



距離があと三メートル程に差し掛かると、晴明が「そこだ!」と声を上げ、あたしと雷光さんがピタリと立ち止まる。



式神も弱まっているが、式神の攻撃に女鬼も弱まっている。近くで見ると、迫力がある。



女鬼の形相は恐ろしく、息苦しい。顔を強張らせ固まるあたしの手に、大きくて少し冷たい手が触れた。


ハッとして顔を上げると隣に雷光さんが立っており、彼はあたしを優しく見つめていた。



「大丈夫。隣には私がいるし、晴明殿もいる。貴女はあの霊にいつものように語りかけてみて」


そう言って、ふわりと優しく笑って、雷光さんはあたしを勇気付けた。


「はい…。やってみます」


怖がるあたしの背中を押してくれた雷光さん。


強張っていた顔が自然に緩み、まだ少し固いが、口元に笑みを刻む。


雷光さんが一瞬、眩しいものを見るように目を細めた。



あたしは雷光さんから女鬼に向き直る。


(大丈夫。あたしなら、できる…!)


そう心の中で叫び、恐怖に震える気持ちを奮い立たせると、表情を引き締め女鬼に少し近づいた。


刹那、戦っていた式神が女鬼から退く。晴明が命じたのだろう。


式神がいなくなると、女鬼は力尽きたようにその場に座り込む。


あちこちに傷がつき、荒い息をしていた。


あたしは息を呑み、なるべく平常心に女鬼に話しかけた。


「は、初めて。あたしは貴女に少しお話をしに来ました」



女鬼はギロッとあたしを睨みつける。


うっ…!警戒されている。



「だ、大丈夫。もう、貴女を傷つけません。ただ、ほんとうに貴女とお話がしたいだけです」


「ううっ…話だと?娘、何を話す」


唸り声を上げて、あたしに話しかけてくれた。


「貴女の旦那様についてです。先ほど、言ってくれたでしょ?旦那さんが来てくれなくて寂しいからって」


途端、女鬼の顔つきが変わる。恐ろしかった鬼の顔が微かに歪み、泣いていたあの女の顔を見せる。



「ああ…旦那様。そう、私は待ってるの…」


女鬼は、悲しそうに呟いた。


「旦那様はどんな人でしたか?」


すかさず、質問をする。女鬼は思い出したのか、明るい表情を浮かべ、微かに笑う。


「素敵な…人。誰にも優しくて、私のような田舎の暗い娘にも、とても優しかった」



旦那様のこと、そんなに好きだったんだ



あたしは女鬼の言葉に悲しくなったが、それを表に出すことなく、出来るだけ明るく話しかけた。


「素敵かぁ…。本当に、好きだったんだね。貴女のその笑顔見ればわかるわ」



優しいか…。確かに、お父さんも優しい人だった。繊細で、いつもあたしの我儘を困ったように聞いてくれていた。


「ねぇ、その人とはどうやって知り合ったの?」



馴れ初めが気になり、尋ねてみると、彼女はちょっと恥ずかしそうに笑う。


「都から仕事途中にたち寄ったあの人が、困っている私の家族を助けてくれたの。私の家は山の向こうにある農民村で、お偉い人に出挙すいこがあったの。その取立ての柄付きの悪い男に弟が絡まれているところを、彼が助けて下さった」


出挙…?と、とにかく弟がゴロツキ野郎に絡まれていて彼が助けてくれたと。


「なるほど、ゴロツキから弟を助けてくれた彼に、恋しちゃったんだね」


「恋というよりももっと強い想い。優しくて強く、誰よりもかっこいいあの人を愛したの」


昔のことを、旦那さんとの出会いを話し出した女鬼。



「そこから私を嫁に選んで下さり、村を出て都に来たの。そのときが一番幸せだったわ。だけど……っ」


そこで彼女は顔を歪め、顔を覆い、啜り泣く。


「あの人に、あの人にもう一度会いたい?」


あたしが問いかけると、ハッとしたように顔を上げて泣きながら彼女は頷いた。


「会いたい。会って、私を愛して欲しい。私だけを見ていて欲しい」


多分、その強い想いが、彼女を歪ませてしまった原因だ。


寂しみに身を守る術がなく、命を絶ってしまった。


「じゃあ、じゃあさ!今から会いに行こうよ。貴女がそんなに愛してるんだもん。一人がダメなら、あたしも一緒に行くから会いに行こう」


気づけばあたしは叫んでいた。


女鬼は驚いたように目を見開き、フルフルと首を振った。


「ダメ…。会いには行けないわ。あの人は……」


そこで彼女は口をつぐみ、何か、ここではないどこかを見て呆けたような顔をした。


「そう、あの人は…駄目よ。会ったけど居ないのよ」



「…居ない?居ないって、その人は家には居ないっこと?」



まるで見に行ったことがあるような口振り。



霊になり彼の屋敷を忘れたとか??


女鬼の言葉の意味が理解できずに困惑すると、彼女は悲しそうに表情を曇らせた。



「あの人は…違った。あの、あの屋敷には、あの女の子供がいる」


あの女と言った声が、冷たかった。表情は能面のように、遠い場所を見て居た。



なにか、変だ。


彼女は妻なんだよね?彼が来なくても、会いたいのなら会いに行けばいい。それなら、こうも会いたいと泣かないはず。死を選ぶほどの出来事があったのかも。



「ね、ねぇ…。旦那さんに会いには行ったの?」


今度は確認のために聞いてみた。すると彼女の目がグルンと回り、こちらに視線が合わさる。


思わずひっと悲鳴をあげる。


無表情に、目だけがギョロギョロして、女鬼の口元がゆっくりと笑みの形に広がる。



「会った会った。会って、今も私を愛してくれてる。あの時と変わらず、私だけを見ていてくれた」



突然、ボコッと彼女のお腹辺りで音がした。ヒュー、ヒューと息づきがして、歪んだ笑みを浮かべた女鬼が、「ギャッキャッ」と笑う。



「あの女の子を、連れてやった。私が、勝った。女の子を攫って、あの人は見てくれた!」



不穏な雰囲気に、無意識に後ろに下がった。



また、女は鬼に変わり出してしまった。



「姫!こちらに!」



成り行きを見守っていた雷光さんに呼ばれた。



その声に慌てて彼女から離れ、雷光さんに駆け寄った。



「どうして…?あたし、何か、地雷を踏んだわ」



そう、あたしは彼女をどうにか戻そうとした。



あの人を好きな彼女なら、あの人との楽しかった思い出もあるはずだと。



なるべく明るい話、楽しいとか幸せと感じる話をして、彼女の寂しさを紛らわそうとした。



今の彼女の話から、彼女は彼に会いに行ったのか?だけどそこには他の妻の子がいた…?



「桃子姫、もう危険だ。やはり諦めて…」



雷光さんが悔しそうに止めに入る。



あのまま話しても浄化どころかさらに状況を悪化させて、彼女を浄霊できなくなる。



「待って!まだ諦めたくない。彼女はただ旦那様に愛して欲しいだけなんだよ」



そう、彼女は旦那さんに愛されたかっただけ。旦那さんに会わせてどうにか旦那さんから直接、彼女に会いに来なかった理由を聞かせたほうがいい。


「しかし…やはり、あのままでは彼女は…」


辛い表情をして雷光さんが呟く。


「もういいだろう二人とも。諦めろ」


すると後ろに控えていた晴明が、嘆息混じりに呟いた。


雷光さんは悲しそうに目を伏せ、あたしは泣きそうになりながら晴明の方に振り返った。


「でも…!まだ、方法はある!あたし、彼女を救える手立てを見つけた。旦那さんだよ!原因である旦那さんに直接会わせてあげれば状況が変わるかもしれない!」


どうして彼女はこの屋敷に泣いて現れるようになったか。


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