あれは式神だ。



「うう…やめろォオオ!これを解けェェっ!」


女の霊が低く唸り、叫ぶ。



ぐっと縛りつけた札が、彼女の力にギチギチ鳴り、今にも引き千切れそうになる。


「ちっ…!行け、白夜びゃくや。あの女鬼を倒せ」


舌打ちした晴明が式神の名を呼び、命令する。


刹那、大柄な男性式神が床を蹴り跳躍した。


宙を飛んだ大柄な男性式神は、次第に形を変え、大きく立派な獣の姿に変わり、鬼と化した女の霊、女鬼にその鋭い爪で襲いかかった。


「ぎゃああああーー!!」


身体を引き裂かれた女鬼が甲高い悲鳴を上げた。


その一撃は女鬼を痛めつけるのには充分だった。


「や、やめろ晴明殿!」


呆然としていた雷光さんがハッとしたように叫び、式神を使う晴明を止めようと彼に詰め寄り、その肩を揺さぶる。



「何を…っ!雷光様っ、まだ貴殿はわからないか!」


止めようとする彼を鬱陶しそうに払いのけ、苛立った晴明が叫んだ。


「わかっている!あの姿を見れば、私だってわかっているんだ!だが、これは…これはあまりにも一方的だ!」



悲痛な様子で訴える雷光さん。



彼は女の霊が鬼だとわかっても、それでも彼女に接する態度は変わらなかった。



晴明が一瞬、その言葉に動きが怯み、縛り上げていた札の力が弱まる。


その瞬間、女鬼が力を入れて札の呪縛を解き、傷を負った女鬼は怒りに燃えた目を晴明に向けた。


「この、祈祷師がぁあああ!!」


女鬼の怒りに、彼女の体からどす黒い煙のようなモノがこちらに押し寄せた。


「な…っ!しまった!」


雷光さんに気を取られていた晴明はハッとして女鬼に意識を向けて、慌てて再び呪文を唱えた。


しかし、黒い煙のようなモノは一気にあたしたちのいる場所まで広まり、晴明が呪文を唱える前にあたしたちを襲った。


「うっ…な、あぐっ…」



ひどい悪臭に、頭が痛く、息が苦しくなる。



目の前が霞んできて、立っているのも辛くなった。


すると、目の前にスッと晴明が立ちはだかり、人差し指と中指を立てて口元に寄せ呪文を唱えた。


黒い煙が周りを囲んでいたが、そこに見えない透明な膜が張ったように、あたしたちのいる場所を覆い、黒い煙から守られる。



「これは結界か…。晴明殿。助けていただき感謝する。しかし、やはりあの女人は、助けられないか…?」



雷光さんはまだあの女の霊を救おうとしていた。


あの鬼となってしまった女の霊がこの黒い煙であたしたちを襲っているというのに。


晴明が驚いたように目を見張り、ハッと嘲笑する。


「呆れたな。まだ懲りずにアレを救うか。この瘴気が見えぬのか?私が結界を張らなければ貴殿は死ぬぞ」


「ちゃんと見えてる!あの女人の霊が、鬼となったところもちゃんとこの目で見た!だが、何か…何か打つ手はあるだろう?晴明殿なら、除霊ではないやり方を知っているはずだ」



雷光さんがすごい剣幕で叫ぶ。



彼は、お人好しなのか?それとも馬鹿なのか…。


晴明が呆れ、怒るのも無理はない。


でも、あたし個人は、あんなに必死に助けようとする姿をかっこいいと思った。


あの女の霊が淋しさで涙を流しているのも、旦那さんの話してくれたあの話も、本当だと思ったから。


あたしも似た気持ちを持っているし、鬼となってしまっても、まだその気持ちは、旦那さんを想う気持ちは忘れていないはず。



雷光さんのように諦めなければ、あの人も救えるかもしれない。



淋しさに押しつぶされ、悲しみを背負って鬼となった彼女を、あたしも放っておけなかった。


「晴明様。あたしからもお願いしたい」


だから勇気を出して、あたしも晴明に頼んだ。


彼が、訝しげにこちらを見て、変なものを見るような目で失笑する。


「貴様まで…。これだから単細胞は…っ」


そう忌々しげに吐き捨てて、晴明は露骨に顔をしかめて女鬼に向き直った。


「…一回だ。チャンスは一回だと思え」


一瞬、何のことかわからず困惑すると、背後にいた雷光さんがいきなり晴明の背を叩いた。


「晴明殿…!感謝する!」


歓喜に震える声で、彼が叫んだ。


その態度であたしもようやく理解した。


晴明はあの女鬼を救うチャンスがあって、それが一回きりなのだと、教えてくれたのだ。


あたしも喜び、雷光さんほどではないが、ホッと息をついた。


「…っ。ちょ、痛いんですよ…」


雷光さんに背を叩かれた晴明は、痛みに顔を歪め、迷惑そうに舌打ちした。


「…晴明様。あたしからも、ありがとう」


そんな彼に苦笑し、感謝すると、晴明は軽く目を見張り、「はぁ~」と大袈裟にため息をついた。


「感謝するのは早いですよ二人とも。私はやるなんて言ってません。チャンスを与えただけですよ」


これだから単細胞は…、と呆れたように肩をすくめる。



あれ?なんか今、おかしなこと言われたよな。



「…え?ま、待ってくれ。どういうことだ、晴明殿?」


雷光さんも晴明の言葉に困惑している。


晴明は確かに、『チャンスは一回だ』と言った。でもすぐに『私はやるなんて言ってない』と付け加えた。


それは、つまり…!!



「救うのは貴方達に決まっているでしょう。私のやり方が気にくわないみたいですし…。ああ、やり方ですが、簡単には教えて差し上げます」



−−−−やっぱり、そうくるか!?


晴明め!


なんともケチ臭く、嫌らしい男なんだろう。



「せ、晴明殿?わ、私がヤるのですか?」


可哀想に。雷光さんも突然の事に、目を白黒させて…やはり、驚き戸惑ってるみたい。


「ちょっと、晴明!!ここは晴明がやる所でしょ?あんたの得意分野でしょ?なんで、あたしたちがやるのよ!」


思わず叫んでしまった。


「あぁ?得意、分野だと…?貴様らが反対したんだろうが!なにを今更、怖気づいたのか?」


嫌味を込めて、あたしをギロッと睨んだ。



「だ、誰が!お、怖気づくなんて…!」



「じゃあ、やれるんだな」


「うっ…。そ、そりゃあまぁ、あ、あんたがやり方教えてくれるなら…」


追い詰められ、尻込みしながらそう告げると、途端に晴明がニヤリと笑った。


「では決まりだ。貴様の覚悟、見せてもらおう。−−−−さぁ、雷光様も!今からやり方を教えましょう」



あたしの宣言を晴明は面白がるように笑った後、呆然としている雷光さんにも大きな声で話しかけた。



雷光さんはハッと我に返り、ブンブン首を振ってパシン!と頬を叩き、気合いを入れた。



「ああ、大丈夫です晴明殿。やり方を頼みます」


そう言ってにこりと笑い、余裕を見せた。


晴明はふん、と小さく鼻を鳴らし、女鬼に視線を向けた。


その視線にハッとして女鬼を見ると、彼女の放った黒い煙……晴明は瘴気と言ったか。いつの間にかそれは晴れていて、綺麗になくなっていた。代わりにあの大柄な男性式神が彼女と戦っている。


「あ、式神!いつの間に…」


あたしが驚いて声を上げると、ふっと目の前に晴明が立ちはだかった。



−−−なっ、なんだ!?



ギョッとして身を竦ませると同時に、無表情の彼が人差し指と中指でトン、とあたしの額に触れた。


その瞬間、ほわんと額が熱を帯び、頭の中に突然、呪文と呪法のやり方が浮かんだ。


「え?これって一体…」


呆然と呟くと、晴明はあたしの言葉を無視しあたしから離れ、今度は雷光さんに向き直った。


「雷光様、貴殿はあの女鬼に同情を向けることなく、そのありのままの気持ちを持って、あの娘の隣に立っていて下さい。あとは、あの娘が説得します」


「え?あたしが説得?」


聞こえてきた言葉に何のことかわからず、あたしが声を上げると、雷光さんと晴明がこちらを振り向いた。



「娘、貴様はあの女鬼に憐れみや同情をなしに、分かると言っていただろ。あのとき感じた、あの女鬼に対する気持ちをぶつけるんだ。呪文は、その後でいい」「伝えるって、あのときの気持ちって……」



一体どういうこと?


晴明みたいに呪文を唱えて救うんじゃないの?


気持ちを伝えればいいって、アドバイスはそれだけ!?



困惑するあたしに、雷光さんもどこか納得いかない様子だ。



眉を寄せ、難しい表情をして晴明に向き直る。



「もうすこし具体的に言って下さいよ。何故私は、あの子の隣にいるだけでいいのですか?」



訳がわかりません、と彼が不満そうに尋ねると、晴明は煩わしげに眉をひそめ溜息をついた。



「あのですね…二人とも。はっきり言って、あなたたちが今から呪法を教わっても、それをすぐに使うのは不可能なんです。失敗するのがオチだ。しかしあなたたちは幸いにも、あの女鬼に共感してます。同調と言ってもいい。その純粋な気持ちを、あの女鬼に感じている気持ちを利用するんです。浄化するなら、それしかありません」


きっぱりと、晴明が答えてくれたが、あたしも雷光さんもそんな説明をされてもさっぱりわからなかった。「え~~??それは、どういう意味ですか?気持ちを利用って、あの女鬼に感じた私たちの気持ちをどうするんです?共感なんて言いましたが、私は別にあの女人の霊に共感はしてませんよ。ただ、あまりにも可哀想で…本気で救いたいと思っているだけですよ」


特別、なにも感じてはいないと、雷光さんが首をひねって答えた。


「あの、あたしも…!晴明様の説明は難しくて、わけがわかりません。なんであたしたちの気持ちがここで関係するんですか?今チラッと、『浄化』と聞こえたけれど、あの女鬼を救うという意味ですか?」


この場合、浄化とは浄霊する…あの女鬼をあの世に送ってあげることを意味するだろうが、あたしの知識だけではチンプンカンプンだ。


あたしたちがまだ理解できないことに、晴明は不機嫌に眉間にシワを寄せた。


「これだから本当に、あなたたちバカは…っ」


ますます苛立ったように彼は髪をかきあげると、あたしと雷光さんを鋭く睨みつけた。「いいですか、馬鹿ども!あの女を救うなら、あなたたちの気持ちがここでは有利になるんです!つまり、浄霊するのなら、あの女をどれだけ癒せるかに掛かります。あの女に同情をしていない痴女は、あの女の悲しみを理解してあげ、なおかつその淋しさから生まれる苦しみから解放するんだ!そして女誑しは、いつもやっているようにあの女を本気で口説くんだよ!そこから、理解者と夫の代わり同時に手に入れたあの化け物はこの世に未練がなくなり、あの世に行けることになる!分かったかぁああっ!!」



分かったかぁ…分かったかぁ…分かったかぁ……。



あまりにも大きな声に、エコーがかかり、屋敷全体に響き渡った。



キーンと耳鳴りして思わず耳を塞ぐ。


一気にまくし立てて怒鳴り叫んだ晴明は、ぜぇはぁと肩で息をして、耳を塞いだあたしに気づくと、恐ろしい表情でこちらをきっと睨んだ。


その視線にひっ!と小さく悲鳴を上げる。



すると、雷光さんがあたしの前に出てきて、さり気無く晴明の視線から隠した。

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