「やめないか、晴明殿」


そのとき。突然男の人の声がして、後ろに引き寄せられた。



「きゃあ!!」


まさか、新たな霊!?



ギョッとして、慌てて逃れようと暴れた。



「わ!待て待て!暴れるな君。大丈夫だ!」


すると後ろにいる霊はあたしの腕を掴み、暴れたあたしに驚いたのか声を上げた。


びくりと動きを止め、泣きそうになりながら恐る恐る後ろを仰ぎ見ると、 綺麗な顔立ちの…女慣れしてそうな、甘いマスクをした優男が立っていた。


足元を見てもちゃんと脚は生えていて浮いている様子はない。


「あ…。なんだ、人か」



腕を掴まれている時点で、その人は霊ではなく人だった。



ホッと息をついたあたしに、突然現れた男は目を見開き、にっこりと笑った。


「そうそう。ちゃんとした人間です」


わかってくれたかな?と言って、男はウインクした。



ドキ!とした。



見る見るうちに顔が熱くなり、慌てて顔を背けてはっとする。


彼はあたしの腰に手を回して、あたしはそんな彼に寄りかかって、お互い身体が密着していた。


それを意識した途端、心臓がバクバクと早鐘のように鳴り響いた。



「あ、あの…は、離して…」


男の人に慣れてないあたしには限界だ。


いきなり現れたイケメンからの抱擁に近いもの。恥ずかしさに体を震わせ、胸を押しながらか細い声で呟いた。


「ん…?ああ、ごめんね。怖かったのかな」


だが、男の人はあたしの行動の意味に気づかずにくるりとあたしを自分と向き合わせ、驚くあたしをギュッと前から抱き締めた。


「あっ…!」


びくん、と体が震えた。


男の人からの抱擁に身動きが取れなくなり固まると、次の瞬間、ガシッと腕を掴まれ強引に後ろから引き離された。


「きゃっ…!?」


今度はなに!?



「何をしてるんですか、雷光様!」


刹那、晴明の苛立ったような叱責。それと、背に感じる彼の体温。



どうやら今度は晴明に後ろから引き寄せられたか。


「…晴明殿…?なにか、いつもと違うね。その反応、初めて見る」



引き離された男は、一瞬驚いたように晴明を見つめた後、ニヤニヤしながら珍しいものを見るような目で晴明を見つめた。


眉間にシワを寄せ、冷たく睨む晴明。


まだ怒っているのか…というより、さっきより怒り度が半端ない。



訳がわからないあたしは、この状況をどうすればいいかわからず困惑する。



「雷光様、まさかここまで女を口説きにきたのですか?貴族様はそんなにお暇なのですか?」


晴明がいつもの嫌味を発揮する。それもとびっきり良い笑顔で。


それを彼、雷光と呼ばれた優男はふっと微かに笑う。


「嫌ですね晴明殿。そんなに警戒しなくても。この姫君には手を出しませんよ」


なんて、晴明の反応をどこか面白がっている。



ひ、姫君って、あたしのことか?


そんな呼び方初めてされたよ。なんか、ムズムズする!!



照れくさく視線を彷徨わせ、ふと横にいる晴明を見て、ギョッとした。


晴明の額には青筋が浮かんでいた。口元は笑みが浮かんだまま、その目は笑っていない。


「しかし、驚きだ。私に隠れてこのような愛らしい姫君を独り占めしていたとは」



あ、愛らしい?また、姫君って言った!!


あたしのことか?あたしのことか!?



「その見目麗しい顔(かんばせ)で数多の姫君の心を奪い虜にしてきた貴方が、誰にも靡かずいつも冷静沈黙で都の姫君たちの間で女嫌いと有名な貴方が、その姫君には感情を表していた。いつから隠れてこのような場所で逢引きを?」



やっぱりみんなに思われてるんだな、女嫌いって。というよりも逢引きって言い方はやめて欲しい。マジ勘弁だ。


あたしが照れたり青くなったりしていると、ヒヤリと冷たい冷気が流れてきた。



ブルっと震えた。



そうだ。霊のことを忘れていた!そちらを振り向く。しかし、女の霊はあたしたちを見てはいなくて、自分の世界に浸って泣いている。


あら…?では、なんだろうか、この全身に刺さるような鋭い殺気。…ん?殺気?



はっとした。女の霊からあたしは勢いよく晴明に振り返った。


鋭い殺気、冷気の出所は、やっぱり晴明だった!


「私が女嫌いだと噂されるようになったのは、貴方が原因なのをお忘れか。まぁ、あの口を開けばピーチクパーチクと喧しい女どもから解放されたのはありがたいですが。それで、女のケツを追いかけるだけの能無し坊ちゃんが、ここにまた女を追いかけてきたのですか?」



いきなり言葉が辛辣に!


ヒシヒシと、その台詞に伝わってくる…激しい怒りだ。


だが、言葉よりも何よりも、未だに笑みを浮かべているその表情が、なによりも一番怖かった。


余裕に見えていた雷光さんも、やり過ぎたと感じたらしい。彼が本気で自分に怒りをぶつけてきたことに、顔を引きつらせ小さく乾いた笑い声を上げた。


「ははは…いやだぁ晴明殿。そう本気にしないで下さいよ。ご冗談ですってば。晴明殿には私がここに来た理由、よくわかっているのでは?」


そう問いかけた雷光さんの目が一瞬鋭くなり、部屋の奥にいるあの女の霊に向けられた。


あたしはその一瞬を見逃さず、その視線ではっと気づいた。



なるほどな。


彼が、晴明が言っていた、生気を奪われた女誑しの坊ちゃんか!



晴明は笑顔を絶やさず怒りをぶつけていたが、雷光さんの問いかけに軽く息を吐き、気持ちを落ち着かせた。



「……不本意だが、貴方の考えることはよく理解していますよ。長い付き合いですから…。しかし、これだけは理解できない。私は申し上げたはずです。これはいつもの火遊びとは違うんですよ、と」


眉間に深いしわを寄せ、怒りを抑えた晴明が吐露した。


雷光さんがここに来た理由は、多分、あの女の霊がどうなるか気になったからだろう。仮にも自分が晴明に頼んだのだ。


「ええ、散々聞かされましたよ。あの道長殿からもね。危険だから、人に害なす存在だからと口を酸っぱく。ですが、あの女性は、いや霊だとしても、女性を一方的に痛めつけるのは、やはり私の道理に反している。晴明殿や道長殿が私だけではなく他の犠牲者の気持ちを考えた上でそう判断したのだとわかってはいるのですが…なかなか、気持ちだけはそれを受け止めてくれないのです」



雷光さんはどこか哀しさを帯びた目で、奥の女の霊を見つめた。



その目には同情や憐れみはなかった。ただ純粋な哀しみだけ。



彼はきっと、心からあの女の霊を心配しているのだ。除霊して、退治する晴明を止めに来たのかもしれなかった。



だが、晴明は彼が持つ優しさをふっと冷たく、馬鹿馬鹿しく鼻で笑った。


「貴方はやはり、何か、勘違いをしているようだ。一度情が移り、そのせいでその眼は曇ってしまったか…。あれはもう、貴方が優しくするような女じゃない」


きっぱりと、冷たく晴明が言った。


雷光さんが軽く眉を寄せ、その表情が険しくなった。


「どういう意味です?何故そうも頑なに、あの霊を忌み嫌う?」



逆鱗に触れたのか、急に険しくなった彼にあたしは驚いた。


「生気を奪うことに、女という点で、貴方はすでに勘違いをしているんですよ。あれはもう夫に捨てられて泣いている霊じゃない。泣いて人を騙し、相手の心に入り魂を食らう、鬼と化した」


晴明の、冷淡な声が部屋の中に響いた。



途端、啜り泣く女の声がピタリと止まる。



雷光さんが愕然とした。


「鬼に成り果てた霊はもう、救うことはできない」


続けて放った晴明の冷たい言葉に、泣いていた女の霊の方から今度はぱきっ、ぴきっと、骨が折れるような音がした。


ハッとその音に驚き振り向いた瞬間、耳を引き裂く、耳障りな甲高い女の哄笑が聴こえた。


「くっ…耳が…」



咄嗟に耳をふさぐ直前。


「なんてこと…ーー」



後ろにいる雷光さんが、呆然と何かを呟いた。



「遅いんですよ、もう手遅れだ」



晴明はそう吐き捨てると、険しい表情で懐から札を取り出し、素早く呪文を唱えた。



「ギャギャギャッ!」



哄笑が、引きつった笑い声に。



女の霊はその身体を軋ませ、変形させ、次第に大きくなり、頭には角が、口から長い牙が生えて、まるで鬼のような姿へと変貌した。




呪文を唱えた札に赤く五芒星の光が浮かび上がると、晴明は巨大化した鬼の化身のような女の霊に向けてその札を放った。



「ギャギャっ…!?な、なんだ!なんだこれは!?」



刹那、笑っていた女の霊は放たれた札に身体を縛られ、動きを封じられた。



先手を打たれた鬼と化した女の霊は、その札にあがらうように暴れる。



その間にも晴明は呪文を唱え、懐から今度は人型の札を取り出し左手に持つと、右の親指の腹を口で噛み切り血を流したその親指で、左手にある人型の札に何かを描いた。



すると、人型の札が輝き、大きくなり、人型の札が大柄な男性に変化した。


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