☆★☆★☆★☆★☆★




かー、かー、と鴉の鳴き声がした。



ビクッとして、無意識に何かに寄り添うようにそれに触れる。


「おい、何をする…!」


次の瞬間、バシッと扇子によって手を叩かれた。


「あ…ご、ごめん」


怯えて無意識に触れたのは、前を歩いていた晴明の裾だったらしい。


素直に謝り、手を摩りながら周りを見渡した。辺りは暗闇で、汚れて壊れた床や壁、放置された置物など、廃墟された屋敷の中は怖かった。


「ね、ねぇ…本当にこんな所にいるの?」


迷うことなく廊下の奥を歩く晴明に、あたしはビクビクしながら声をかけた。



「なんども言わせるな。ここに、確かにいる。感じる」


すかさず返ってきた返事に、ため息とともに肩を落とした。




日が暮れてからこの幽霊屋敷…基、廃墟となった屋敷に訪れたのは、晴明に術を教えてもらうためだ。


この屋敷には悪霊が出るらしい。十時になると決まって女の啜り泣く声が聞こえるそうだ。


貴族の坊ちゃんがある屋敷から帰ってきた途中に、その泣き声に誘われ、お伴していた者と一緒にこの屋敷に入ったそうな。



廃墟で使われてない屋敷からの啜り泣く声は不気味な筈だが、何故かそのときは妙に惹きつけられ、もとより女好きの貴族の坊ちゃんは、その泣く女が気になり屋敷に忍び込んだと。



彼は止めるお供の言葉を聞かずに、泣く女を見つけようと屋敷の奥の母屋に向かった。



そこで部屋の奥に女が泣いていたと。近づくと泣いていた女は坊ちゃんに助けを求め…気づくと、坊ちゃんはそこで一夜を明かし、朝まで眠り込んでいた。


それだけ聞けば別にただ泣いている女がいるだけなのだが、どうやら坊ちゃんはその女に生気を奪われたらしい。


朝起きてみると女はいないし、頭痛はするし身体は怠いし、最悪な気分で仕事に向かったとか。


晴明が直接その貴族の坊ちゃんから話を聞いたらしく、晴明は悪霊だと言って退治、除霊することにした。



ただ、その坊ちゃんは除霊じゃなく浄霊を頼んだとか。



除霊は強制的に悪霊とかを祓うが、浄霊は清めてからあるべき場所、つまり霊界へと送ってあげるんだって。



晴明にしてみれば、除霊の方が効率良くできて面倒じゃないからと、晴明は坊ちゃんの頼みを無視するみたい。



生気を奪うなら、それは人に害する悪霊。



晴明は容赦ないからな。



あたしは前を行く彼を見つめ、ため息をついた。


それで、あたしが晴明と一緒にここに来たのは、晴明がその悪霊となった泣く女をどう祓うか実際に見るため。晴明に、やることを横で見て覚えろと言われた。「そろそろくるぞ」


母屋の前の廊下で足を止め、晴明が鋭く呟いた。はっとしたようにそちらに顔を向ける。



刹那、ゾワッと全身に鳥肌が立った。



急激に気温が下がり、啜り泣く女の声が聞こえてきた。



部屋の奥にゆらゆらと何かが生まれ、それは人の女の姿になり、十二単を着た女の後ろ姿。



「ひっ…でーーもが!?」



次の瞬間、思わず悲鳴を上げたあたしに晴明が慌てたように口を塞ぎ、「静かにしろ」と小さく諌めた。


まだ出そうな悲鳴を飲み込み、怖い顔でこちらを睨む晴明に頷く。



「ーーひっく…そこに…そこに、誰かいるのですか?」


泣いていた女の霊が、あたしの悲鳴に気づき、こちらに振り向いた。


青白く真っ白な肌に(死人だからね)、漆黒な髪と濡れた瞳。


目鼻立ちが整った、綺麗な若い女性だ。


「−−−あ、綺麗な人」



思わず声を漏らすと、ギロッと晴明に睨まれちゃった。慌てて口を塞ぐ。


晴明は気を取り直したように少し霊の近くに寄り、彼女に声をかけた。


「お前が件の悪霊だな」


鋭い声に、女の霊はびくりと脅えた。



「悪霊?わ、私は…」



またうっと泣き出し、涙を流す。



すると晴明が冷ややかな目で彼女を見つめ、ふっと冷笑した。


「やめろ。泣いても無駄だ。私には効かない」


「…!」


霊が息を呑んだ。


あたしは晴明のあの冷たい目に、ゾッとした。


その目も声も、刺すような殺意も、あの霊より怖かった。


「−−−で?お前は何故、泣いて人を騙す?」



晴明は脅えている霊に問いかけた。


彼女はビクビクしながら、口を開いた。


「あの方を…待っているのです。ですが、あの方は来てくださらない」


霊には待ち人がいた。


驚くあたしに、晴明は「あの方?」と眉を寄せた。


「あの方とは、誰のことだ」


「あ、あの方とは…私の主人です。夫には正室がいます。私のことなど忘れているのか、あれ以来ここに来て下さらない」


そう語った彼女は、思い出したのかまたすすり泣き。


要するに、彼女には夫がいて、夫には正室がいて、側室の自分の元になかなか来てくれないから泣いていると。



でもそれだけじゃあどうして彼女が亡くなったのか分からない。


「夫…。そうか、だから死を選んだか」


扇子を出して開いた晴明が、ボソリと呟いた。


隣の彼の言葉に眉を寄せる。


「ああ…彼の方は何処に?まだ、私の所に来てくれないの?」


泣きながら、ボソボソと呟く霊。


あたしは彼女を警戒しながら、晴明に小声で話しかけた。


「ねぇねぇ、晴明。今の、死を選んだってどういう意味?彼女の今の話で何かわかったの?」



晴明はちらりとあたしを見下ろし、眉間にシワを寄せた。



「…夫のいない淋しさから、いつしか生きることを諦めたんだ。あの女は、自分で死を選んだ」



「え…?つ、つまりそれってーー」



驚くあたしが顔を強張らせると、目を細め探るように晴明は霊を見る。


「よくあること…。自殺者の霊は、悪霊になりやすい」


「自殺…」


悲しみが湧き、彼女が可哀相になった。


そんなに、夫を愛していたのか。


「………分かる、かも」


気づくとボソリと呟いていた。


立場や状況は全く違うが、共感してしまう。


あたしも、父から愛されたかった。


すると晴明がギョッとしたようにこちらを向いた。


「今、なんて言った?」


「え?」


驚いた晴明が、今度は青ざめたように顔を強張らせて、あたしに詰め寄ってきた。



「分かると、呟いただろう…っ。お前、なにが、分かる?」



そして、ガシッと突然、あたしの肩を掴み、必死な形相で訊いてくる。


突然の挙動に、困惑した。


「え?な、なに?なにが、分かるって…」


恐い…。なんで、そんな必死なの?


意味がわからなくて、あたしが聞き返すと、イライラしたように晴明が舌打ちする。


「いいから、答えろ…!お前に、何が分かるって!?」


焦れたように彼は鋭い剣幕で叫んだ。


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