参
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チチチッ、と雀の囀りが聞こえる。
ゆっくりと目を開けると、目の前に影が落ちた。
「…?…っ!?」
始めぼんやりしていたそれは次第に形を成しはっきりしてきて、あたしは驚きに息を呑んだ。
「起きた?」
あたしの顔を覗きこんでいたのは、式神一夜だった。
「…い、いつからそこに!?」
ギョッとして、飛び起きる。
(これは式神式神式神…。イケメンだが人じゃなく式神だから、恥ずかしくない!大丈夫!)
そうなんども心の中で唱えるが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。顔が赤くなる。
「…?どうしたんです?」
しかし、一夜はあたしが恥ずかしがっていることがわからないらしく、不思議そうに首を傾げる。
「ひ、人の寝顔見ないでよ!」
またまたこの式神さんは!晴明によく似てるにもほどがある!
「はぁ、すみません。それよりも、朝からこちらに伺ったのは、今日で結界が解かれたことを知らせに来たのです」
「……え?結界…あ!」
確かに結界が解かれていた。
見れない壁が、なくなっている!
「少し早いですが、約束通り桃子様は部屋から一歩も出ませんでした。それを見て晴明様は謹慎を解かれたのです」
「はぁ~…よかったぁ。これで自由なんだ」
安心して脱力する。
「ええ、今日からまた自由です。…それでですが、桃子様。貴女に、私からお伝えしたいことがあります」
「え?伝えたいこと?」
なんだろう。嫌な予感がする。
「昨夜、晴明様と話し合った結果、桃子様は私と行動をともにしてもらいます。あなたの身の周りの世話を全部私が引き受けます」
綺麗に正座している一夜が淡々とした口調で言った。
「は…?行動って、一体なんで?」
脈絡が無さすぎて、話についていけない。
「桃子様にはお伝えしていませんでしたが、貴女様には私のような式神とは別に、その身に膨大な霊力をお持ちなのです。その霊力のせいで、桃子様は多くの物の怪、妖から狙われています」
初耳だ。目が点になった。
「貴女様がこの屋敷に住まれてから、私を含む数名の式神が貴女様の動向を調べ、妖が近寄って来ないように結界を張ったり、護符を持たせたりと最善を尽くしておりました。しかし、桃子様の霊力は我々、いやある一部の妖に多大な影響を与えており、未だ桃子様は危険な状況にいます。ですから私がより一層周りを警戒し、あなた様の御身を守るためともに行動させて頂きます」
は、話がいきなり難しくなった!霊力?妖に影響?
この時代に来た時からおかしいことばかりだったが、よもや自分の存在がこの時代に影響を与えていたとは…!!
しかし、わからないな。自分のいた世界では何事もなかった。
霊力が高いと言われても、生まれてこのかた幽霊を視たことがない。
「話が、その、漠然としてて、わけがわからないのですが。そんなこと言われても、あたし霊感とかないし、幽霊も最近視れるようになったんだけど?」
こちらに来てからは魑魅魍魎の、物の怪の類がいて、それは当たり前のように誰にでも視えている存在なのだと思っていた。
だから妖に会っても、それはこの世界では普通のことなのだと、そう思い込んでいた。
「いえ、霊感と霊力は全くの別物です。霊感は霊的存在を感じる五感的な意味で、霊力は体に宿る視えない力みたいなものです。なんと言いましょうか、霊力は生命力に近いもので、それが強いほどこの世界では危険視されます。理由は妖がそれを好み、それを得るために人を殺め、強さを手に入れるからです」
「えっと、つまり、あたしの身体の中にその強い霊力があって、だからその霊力のせいで妖に襲われる危険が高い。そういうこと?」
「はい、そうですね。ですからその道のプロである晴明様が貴女様を引き取り、この屋敷に保護しています」
うーん、と顔をしかめ、首をひねる。
なんかここにいるのって、あたしが思っている以上にやばいんじゃない?
あたしはその霊力という力のせいで、妖、物の怪に命を狙われる羽目になり、不本意だがそれを晴明が助けている、と。
嫌だ…っ。それではただの生贄じゃないか。
あたしがこの世界に飛ばされたのは、妖を喜ばすためか?人間を襲う奴等を、あたしが?
そこまで考えて、顔が強張り、ふと気になっていたことを思い出し更に顔を蒼ざめた。
(あたしは何故、この世界に飛ばされた??小説や漫画の世界みたいな場所に、現実的ではあり得ない事を、誰が、したの??)
「桃子様?」
言葉を失い、一人考え込んでいたあたしに、一夜が不思議そうに声をかけた。
あたしはハッとして一夜を見つめた。
「ねぇっ!今さらこんなこというの変だけど!晴明はあたしがこの世界の住人じゃないって知ってるんだよね?あたしがなんでこんな目にあったのか奴は知ってるの!?」
そうだ。奴は、何でも知ってる。
そう思い、叫んで問いただした。
一夜はあたしの剣幕にたじろいで、困惑するように眉を下げた。
「すみません。私にはわかりません。桃子様は、この世の者ではないと知っているだけで、他は何も…」
一夜は知らないらしい。
答えが返ってこなかったことに、少し落ち込んだ。
そう…。あんたは知らないか。なら、晴明に直接聞かなければ…」
ぐっと、拳を握りしめた。
狙われていることが辛いのか、何も知らないことが悔しいのか、自分の存在の理由が妖のためだと知り傷つき、悲しいのか…。
どれも感じたが、一番占めているのは……悲しみの中の、寂しさ。
−−−−−『誰もお前などいらない』
昔、はっきりとそう言われた事がある。
ショックで、傷つき落ち込んだが、引きずりはしなかった。
そのときにはもう、心が麻痺してたから。何もかも、あの人に対し、諦めていたから…。
(また、あのときと同じだ。…ショックだけど、もうどうでもいいと、心の奥では思っている)
視界がゆらゆらと揺らいだ。貧血に似た眩暈がして、目の前が真っ暗になる。
暗い水底の中にいるように、寒さと虚無感があたしを襲った。
「ーーー山本桃子っ!!」
刹那、あたしを叫ぶ声がした。
暗い闇の中に一筋の光が差し込んだように。
ハッとして意識が戻った。
視界がクリアになり、目の前に険しい表情の晴明がいた。
「…あ、れ…?せい、めい…」
何故ここにいるんだろう?と、首を傾げると、晴明が腕を組み、ふんっと鼻を鳴らした。
「そうだ!私は、安倍晴明様だ!!お前は!?お前は誰だ!」
踏ん反り返って叫ぶ晴明に、目が覚めた。
「…あんた、いつからいたの?」
疑問に思って訝しげに訊くと、奴は「はぁん?」と青筋立てて、ガン飛ばしてきた。
「私の質問に答えろ!貴様は誰だと訊いている!」
ムカつくなぁ。いちいち、唾飛ばして叫ぶなよ。
「うるさいなっ。あたしは山本桃子よ!」
腹が立って叫ぶと、途端にスゥと胸の内が軽くなった。
気のせいか重かった身体も、何故か軽くなった気がした。
「…あら?なんだこれ。なんか、スッキリした」
眉を寄せ、自分の胸に手を当て視線を向けると、上から「くっくっくっ」と嫌な感じの忍び笑いが聞こえた。
はん!?とムカつき、顔を上げると、そこには愉しそうに笑う晴明の笑顔があった。ポカンとした。呆気にとられ、怒りがスーと引いていく。
「やはり、お前は私が居ないと駄目だな」
にやりと笑って、晴明が言った台詞に、ぞわっとした。
「やめてくれる?その言い方。気持ち悪いんだけど」
そう呟いたあたしに晴明はムッとした。
「気持ち悪いだと?」
「うん。吐き気がするほど気障ったらしい」
「は?気障…なんだって?」
何を言われたか分からないといった顔で晴明が訝しげに眉を寄せた。
「え?気障ったらしいって、わからないの?ああ、そっか。言われ慣れてないかもね。まぁ、それなら知らなくてもいいよ。たいした言葉じゃないから」
説明するのも面倒なので、素っ気なく答えた。
「そう言われるとますます気になるな。吐き気がするということは、悪口の類に似た台詞だろ。そうだろ」
面倒くさっ!
「そんなことより!ちょうどあんたに聞きたいことがあったの!」
うんざりしたあたしは早々に話を切り替えた。
さきほど式神から聞かされて、気付かされたことに。
「…ムッ。聞きたいこと?」
いきなり声を上げたあたしに少し驚いたようで、晴明が不機嫌そうに尋ねた。
「あんたの式神から聞いたけど、あたし、この都では危ない存在らしいね。あんたさ、いつ気づいたか知らないけど、あたしがなんでこの世界に来たか…あんたなんか知ってるの?」
真剣な気持ちで恐る恐る尋ねると、晴明は一瞬にして険しい表情を見せた。
「私が知っていると言えば、お前は満足するか…?」
(…なに?はぐらかされた?)
質問に質問を返されムッとしたあたしは、「ちゃんと答えて!」と叫んだ。
晴明はフッと冷たい笑みを口元に刻む。
「私が何でもかんでも貴様に喋ると思うか?ただでさえこの状況を腹正しいと感じているのに。それを聞いて、お前はすぐに居なくなるか?」
だめだ。こいつはまるで喋る気がないみたい。
意地悪されている感じがして、こちらが腹正しい。
知りたいことを教えてくれない彼に切羽詰まった。
「あんたほんと最低。あたしが知りたいこと、絶対知ってるくせに…っ。そうやって虐めて楽しいわけ?」
顔を歪め嫌味を込めて言った。
それなのに、彼の表情は変わらない。冷たく険しい。
息を呑み、悔しくて歯切りした。
「…晴明様。何故来たのですか?」
そこに、一夜の静かな声が響いた。
びくっとして晴明の後ろ、廊下に視線を向けた。
姿が見えないと思っていたら、一夜は廊下に出ていたらしい。いつの間にかまた姿を現していた。
晴明が、煩わしげに眉を寄せて一夜に振り返った。
「一夜。誰が喋ろと言った」
後ろを向いていて表情は分からないが、声が冷たいので多分、怒っているのだろう。
一夜の顔が強張ったが、彼はその場から少し前に出て口を開いた。
「晴明様が、昨日と違う行動をするからです。この件に関しては、全部私に任せると申されたはず。何故、晴明様が話すのですか」
どこか不満そうな一夜の言葉に、晴明様は深いため息をついた。
「一夜…。貴様までなんだ。昨夜から喧嘩腰で、私に逆らっているのか…?」
底冷えするほど冷たい晴明の声音に、ぞくりとした。
一夜の表情が蒼ざめた。
「い、いいえ。そうではありません。逆らうつもりなんてありません。ただ、晴明様の態度が気になって…。昨日も桃子様の霊力の件で怒っていましたよね。冷たく突き放したと思えば、その、こうして桃子様に会いに来て直接話されている。何故、冷たくするのに関わろうとするのか、疑問に思ったのです」
一夜は単純に、晴明の言動が気になったらしい。
「え!?なにそれ?この件に昨日がどうとかって、一体なんのこと?」
話が見えない。あたしが驚いて尋ねると、晴明がびくっとした。
「実は昨日晴明様が、貴女様の霊力の件に関しては私に任せると言われたのです。ですからこうして私が桃子様に話して−−」
「一夜!!」
一夜が喋っているにも関わらず、晴明が大きな声で遮るかのように彼を呼んだ。あたしはびっくりして、晴明を見て、一夜も驚いたように彼を見つめた。
「一夜、貴様は何故そうもぺらぺらと余計なことを喋るんだ!私が、説明しろと言ったか!」
おいおい、そう怒鳴らなくてもいいじゃない。
一夜がなんだか可哀想だ。
「ちょっとちょっと、晴明さん。そう怒鳴らなくても、相手は式神だし、ね…」
朝からおっかない。やめて欲しい。
そう思って止めに入ると、一夜がはっとしたようにどこか焦ったようにこちらを見た。
「桃子様!私などお気になさらずに。私が余計な事を言ったのがいけませんでした。命令されていないことをするなと言われているのに」
そう言って、少し落ち込んだような顔をされた。
少しの変化だが、何故か彼が今どう思っているのかは手に取るように伝わってきた。
あたしも何度か晴明に怒鳴られ、怒られてばかりいるからだ。一夜が怒鳴られたことが自分に向けられた感じがして、嫌になったのだ。
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