◇◇◇◇◇◇◇




夜の帳が下りる。


薄暗い一室。月の光が差し込み、小さな灯火がゆらゆらと揺れている。


畳に敷いた寝具の上に胡座をかいて座る白装束の男性。夜の闇に溶けた漆黒の髪と、妖しく光る紫電の瞳。


その向かいに彼の式神たちが並んで正座している。


「あれから三週、言いつけを守り部屋から出ていません」


式神の代表が、静かに告げた。



「…娘っ子の周りは相変わらずじゃ」


その横の老人が呟く。


「門外は変化なし。雷光様から」


素っ気なく告げる大柄な男。


「都は怖い怖い。頻繁に出没するよ」


ボソボソ小さく喋る双子の姉。


「雑魚ばっかりだ。人間には影響を受けているけど」


クスクス笑う双子の弟。


「…桃子様、時折記憶がないんです。護符と妖気の影響で、記憶障害を起こしてます」


そして最後に遠慮がちに告げる女中。


「…そうか。皆、ご苦労」


白装束の男、晴明は式神たちの報告を受けて苦い顔つきだ。


「それと、晴明様。今日の黄昏時ですが、少し気になる事がありました」


そこに式神の代表が付け加える。



「黄昏時か。結界が揺れたのは猫又だ。あいつはまた、助けようとしたらしい」


どこかで見ていたような口振り。


晴明の言葉に、式神の代表は首を振った。


「いえ、そちらの話ではございません。猫又殿とは別にもう人匹、桃子様の前に『私に似た』者が現れました」



式神の代表、一夜がそう告げると、晴明の顔色が変わった。


「なに…っ!?まさか奴が?この結界をすり抜け現れたのか!?」



険しい表情で問い詰めるように叫ぶ晴明。


一夜はその剣幕に、僅かに顔を強張らせ頷いた。


「…いつからだ?監視に抜かりはなかったはずだ」



桃子がこの世界に飛ばされてきて、初めて彼女に会ったとき、恐怖すら感じた。



晴明には昔からずば抜けて霊感があり、妖と同類の妖気を持っていた。



陰陽師になり、払う能力と守る能力を高めて今は己の身の本質を隠し、妖気が漏れないように薄めていた。


彼女に出会った瞬間、その隠していた妖気が外に溢れ、飲まれ、一瞬自我を失いかけた。


彼女は本人も知らない、強い霊力をその身に宿していた。


その霊力は妖を強くする。妖力を高め力を与え、あまつさえ、不死の体に。


訓練していない彼女の霊力はいつも垂れ流し状態だ。


まるで襲って下さい、と妖に言っているもんだ。


だから晴明は己の隠していた部分を暴かれ、飲まれそうになった原因である彼女を嫌悪した。


このまま彼女をこの都におけば、せっかく門の外に追い出した妖が、再び都の住人を襲うのではないかと。


彼女を求め、我を忘れた妖がたくさん。強い妖が何度もこの都に現れたら、いくら晴明でも太刀打ちできない。


ましてや、最強最悪な妖である奴を前にしたら、また晴明は壊れてしまうだろう。


それを恐れ、彼女を遠ざけようとした。


それなのに道長が保護をすると言い出した。


道長だけじゃなく、妖をおびき寄せることができると…あのバカボンじゃなかった、都の帝が言った。



仕方なく晴明は彼女を保護することにして、晴明の作った結界に彼女を隠した。


彼女の霊力が外に漏れないように、強い護符を与え、彼女の身代わりとなる式神を用意して、なるべくこの屋敷から出れないように閉じ込めた。


それなのに…。やはり、最強の妖にはこの結界も効かなかったようだ。



「はぁ…。やはり、あの娘を今すぐ追い出すしかないか…」


ボソリと晴明が呟くと、一夜の眉がピクリとと反応する。


「晴明様。それは出来ません。彼女は異界人です。貴方様でも空間を捻じ曲げれません」



「…ちっ。そうだった忘れてた」


桃子がここの世界の理からズレた存在であること。異界から来た住人であり、その戻し方を晴明は知らない。


なら都から遠くに追いやるにも、彼女をこの都から出せば、都の外の妖が彼女の霊力を奪い、都に侵入してくる。そうなれば都の結界に彼女を縛り付けた意味がない。


「−−−厄介な小娘だ。…はぁ、仕方ない。引き続き様子を見ることにする。それで異存はないか?」


深いため息とともにうんざりした様子で晴明が聞き返すと、一夜はどこかホッとしたように息を吐き、頷いた。


「はい。では引き続き監視します。ああ、それと外出禁止のことですが、そちらはどうされるつもりで?少し早いですが解放されてみては?」


提案とばかりに一夜がそう尋ねると、女中の式神がハッとしたように顔を上げた。


「ああ、そうだったな。部屋に結界をしても意味がないと分かった今、続けるのは労力の無駄だな。結界は解いておく」


「あ…!で、では私から明日そのことをお話ししても…?」


咄嗟に女中が弾んだ声を上げた。にやけるのをどうにか抑えて尋ねると、晴明が唸った。


「いや、いい。私から伝える。あの娘には他に話さないといけない事がある」


難しい顔をして、何やら思いつめた様子。


女中は残念そうに落胆し、ふとその様子を見た一夜は眉をひそめた。


「では、話が終えたならワシらはこれで失礼していいかの?」


そこに老人式神が話は終えたとばかりに晴明に問いかけた。


彼は軽く頷いて、「解散する」と一言告げた。


それを合図に、他の式神も一斉にその場から姿を消した。



一夜だけ、その場に残った。



「どうした?お前も行っていい」


シッシッと追い払う晴明に、一夜はどこか困惑した様子で口を開いた。


「いえ、少し晴明様に相談したいことが…」


珍しく、感情を表に出している彼に晴明は驚いた。


「なんだ、珍しいな。どうした?」


そう晴明が尋ねるが、一夜はなかなか話そうとしない。


口を開けたかと思ったら口を閉じ、そして思い悩んだ顔をする。


「おい、なんだと言うんだ。おかしいぞお前?」


早く話せよ、とイラついた様子で晴明が口調を少し荒げると、一夜は意を決したように口を開いた。



「その、結界のことですが…。伝えるなら、道長様の方が適任かと思いますが?」晴明が露骨に顔をしかめた。



「なんでそこで道長だ?わざわざあいつに頼むようなことじゃない」



遣えを寄越し、この屋敷に来させるように文を出すのも手間がかかる。



「ですが晴明様は桃子様の前となると、負の感情を抑えられないじゃないですか」


一夜がズバッと指摘すると、晴明はうっと唸る。


「それはそうなんだが……い、いや!なんでお前にそんなこと言われなければならん!」



言い負けていると感じたのか、晴明はハッとして声を荒げた。



「事実を伝えたまでです。また喧嘩して口論になれば、晴明様が後々苦労しますよ?その点道長様は桃子様と仲が宜しく、適任だと思います。もしそれが気に食わないのでしたら私から話しましょう」


晴明は驚いたように目を見張った。



「お前…。何故、お前がそこまで気にかける?」


人に興味を持たないはずの式神が、初めて彼女に興味を示しているようだ。


それが意外で晴明が聞き返すと、一夜はふと自分の発言に驚いたように目を見張り、首を傾げた。


「いえ、ただなんとなく…私がしたいと思ったのですが…何故でしょう?今のは忘れて下さい。最近、私自身も自分がわからないのです」


一夜の台詞に、次第に難しい表情で押し黙る。


(まさかとは思うが、一夜にも影響があるのか?)



妖に好まれる桃子の霊力だ。


式神である一夜がその霊力に惹かれるのも無理はない。


「それはつもり、お前もあの娘の影響を受けているということだ。…なんてことだ。お前まで…」


はぁ、と落胆し、頭を抱えた。


このままでは他の式神も彼女に肩入れするのも時間の問題だ。


慣れ合うために、彼女を式神たちに監視させているわけではないのだ。


「どうすればいいでしょうか…?」


答えを未だもらえないことに途方に暮れた様子で、一夜が呟いた。


晴明は険しい顔でジッと一夜を見つめ、何かを考え込むと、何かを思い出したのか、チッと悔しそうに舌を鳴らした。


「さっきのは認めたくはないんだが、お前の言う通りかもしれない。私が行けばまた言い争うな。かと言って道長の手を煩わすことはないし…お前に任せようか」


そう諦めたような疲れた顔で嘆息すると、一夜は少し驚いたように目を瞬かせ、微かに笑みを浮かべる。


「では明日、私から桃子様にお伝えしましょう」



これで話は以上だ、と一夜が下がろうとすると、「待て」と晴明が止めた。


一夜が彼の方に振り返り、不思議そうに首を傾げる。


「霊力の説明もしておいてほしい。まだ、あの娘には話していないからな」


「霊力の説明もですか…?」


「そうだ。説明もなしで話しても、あの娘には伝わらない。自分の置かれた立場を未だ理解していないんだ。あの娘もいい加減自分のことを知るべきだ」


晴明がうんざりしたようにそう付け加えた。


一夜は軽く頷いて、


「では一から説明も入れて、そのように伝えます。他には何かお伝えすることはございますか?」


他に話しはないか尋ねる。


「他にはもうない。下がって、お前も早く休め」


すると晴明は疲れたように手を払って、早々に話を切り上げた。


「はい。では失礼いたします」


一夜は素直に答えて一礼すると、静かに後ろに下がってその場から姿を消した。


一人になった晴明は深いため息をついて、疲れた体を癒すため敷き物の上に寝転んだ。


「そろそろ私も決めなければ…」


そう自分に言い聞かせるように呟いてゆっくりと目を閉じると、次第に眠気に襲われ意識は夢の中へと沈んでいった。

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