第二章 主人と妖と式神と…

第二章−壱

ギクシャクな関係にはならなかった。



ただ、本当に晴明はあたしを一ヶ月間、部屋に閉じ込めた。


部屋に結界を貼り、逃げようとすれば見えない壁にぶつかる仕組み。


廊下や向こう側ははっきりと見えているのに、外に出れないそんな状態。



そのせいで、段々とストレスが溜まっていき、むしゃくしゃしたあたしは何度も晴明の悪口を言っては、怒りをぶつけるように部屋に用意されている調度品など投げつけたりした。


食事は日替わりに人が運んで来た。


双子の姉と弟が二人、妙に人懐こく可愛らしい女中に、大柄な男と髭の長い老人に、真紅と紫の眼をした青年。



知らなかったけど、彼等は全員この屋敷に居たらしい。


晴明が使役する式神だったようで、気づくと、食事を置いて去っていくのだ。


話しかけて喋ってくれたのは女中と真紅と紫の眼の青年。


たまに気配なく現れ、掃除もしていき、初めは驚いたが次第に慣れていった。

真紅と紫の目をした青年は、保憲と呼ばれた人が来た日、部屋に閉じ込められたきっかけの日に会っていた。


だが、彼は不思議にも他の式神とは違っていて、他の式神から一目置かれていた。


名前も、確か一夜と、晴明が呼んでいた。


他の者にもあるらしいのだが、晴明があたしに教えるまでは知れない決まりになっているらしく、人懐こい女中のことも名前が分からないから、あたしは「女中さん」と呼んでいた。



閉じ込められて半月が過ぎて、あと一週間ほどになるとき。


退屈で退屈で、唯一現代から持ってきていた携帯から曲を流し、鼻歌を歌いながらそれを紙に書いていると、事件は起こった。



ドスン!!と音が響き、部屋が揺れた。



「え?なに、今の?」


びっくりして、筆を持っていた手を止め、部屋を見渡した。


廊下から外の庭の場所に、頭に角が生えて全身毛に覆われた何かがいた。


「え…?なに、あれ?」


珍しい生き物だ。


好奇心から、あたしは筆を置き、そのまま見えない壁の前まで移動した。それは、白くて猫に似た生き物。


のそのそと動き、「みにゃー、みにゃー」と猫のように鳴く。


「…うわぁ、可愛い」


(どこかで飼っているのかな?)


白猫のような生き物は次第に速度を上げ、廊下に登り、ふとあたしを見つめて立ち止まった。


その尻尾がユラユラと揺れている。よく見ると、尻尾が三つ生えていた。


「なんか、可愛いなぁ。よしよし、ここまでおいでぇ~」


撫で声で白猫のような生き物に手招きする。


途端、白猫(面倒なのでそう略す)の目がカッと開き金色に輝き、素早い速さであっという間に見えない壁の前に移動した。


「うわ、速っ!」


驚き、変に感心する。


すると白猫は言葉がわかるのか、「ミニャーニャー」と満足げに頷いた。


「おおっ!言葉も分かるんだ。うわ~~触りたいなぁ」


人懐こい生き物なのだろう。


この距離感で近づいてきても逃げずに鳴いている。


だが、あたしは自分が閉じ込められていることを思い出し、はぁと落胆した。「あー、そうだった。ごめんね、猫ちゃん。あたしも君もこれ以上近づいちゃいけないんだ」


残念だ、と肩を落とし呟くと、「みぎゃあみぎゃあ!」と大きく鳴いた。


はっとして、顔を上げる。


白猫はあたしに背を向けると、三本の尻尾をユラユラと揺らした。


刹那、尻尾から円型の光がうまれ、その円型の光がふわふわと見えない壁にぶつかり、弾けた。


その眩しさに目を瞑り、再び開くと、目の前の見えない壁にぽっかりと円型の穴が開いていた。


人一人入れるような大きさだ。


「これ、今の君が?」


白猫に問うと、白猫は自慢げに鳴いた。


「す、凄い!あっ、もしかして、ネコちゃん、妖怪?」


今更ながら気づく。


変な魔法みたいなモノ出した時点で、この白猫は物の怪だ。


「…にゃあ!」


白猫はもう一度鳴くとジャンプして、穴からこちらにするりと入ってきた。


驚くあたしの足元に来て体をすり寄せた。


「わぁっ、すごいな。結界解いちゃって」


感心したあたしはしゃがんで白猫に話しかけた。


白猫はすとん、と座り、「ミニャ!」と鳴いた。


「それにしてもどうしてこんなことしてくれるの?」


物の怪がこんなに親切だったとは。


何かあるのかな?結界の外に出たいけれど、もし罠とかだったら?後から恩を売って、物の怪だし、なんか良くないことされるかも。


それに、晴明の言いつけを破るのは得策ではないしな。


あの日にちゃんと彼との関係の区切りをつけた。



主人と飼い犬。主人の目を盗み勝手なことをして後から怒られ、ましてや奴との関係が悪化したら?ここを追い出されたりしたら…?



行くところがないあたしは路頭に迷う。現代ならまだしもこの時代で死んで行くのは御免だ。


白猫はあたしの言葉に首を傾げてみせた。


『何故、そんなことを聞くのか?』と尋ねてるみたい。


「あたし、出たいけれど…奴との約束破ったら、多分今度こそ追い出される気がするの。行く場所がないから、それだけは嫌なの」


君が物の怪だから信用できないのもそうなんだが…一番の理由は、晴明との関係が崩れること。


それが何よりも怖い。


白猫にこんな話をしても意味がないことだけど、目的は分からないが助けてくれようとしているみたいだし、ちゃんと答えないと。


義理堅い訳ではないが、なんとなく自分の気持ちを、意思を第三者に知ってほしかった。


白猫はジッとあたしの顔を見てからゆっくりと頷くと、解いた結界の穴へジャンプして結界の外に出た。


中庭まで降りて、くるりとこちらを振り向く。


あたしは苦笑し、「バイバイ」と手を振った。


「…にゃあ」


少し淋しそうに一声鳴く。


白猫は名残惜しそうにチラチラと振り返っては垣根の方へと姿を消した。


「…はあ。自分からチャンス潰すなんて…。でも、もう少しの辛抱だ」


もう三週間は過ぎてるんだから、あと少し。


言い聞かせ、あたしは再び卓に向かい筆を持った。



「…逃げないのか?」



一瞬、晴明かと思った。



ドキッとして顔を上げると、目の前にいつの間にか一夜と呼ばれた式神がいた。


「あ、あなた、いつの間に…っ」


式神には気配がない。結界の中も外も関係なく通れる。


(い、いきなり現れるの心臓に悪い!)


驚くあたし。無表情の彼はじっとあたしを見下ろしている。


「今、気配がしたからだ。チャンスだったはず…」


「え?今のやり取りを聞いていたの!?」


顔が強張る。


(いつからだ!いつから、いた?今のを盗み見ていたのか?)


「質問に答えろ。どうして、出なかった」


(は?あたしの質問は無視かよ。こういうとこ、晴明そっくりだな)


「別に、どうでもいいじゃない」


素直に答える義理はない。


ムッとして再び卓に向いて答えると、ぞわりと全身が総毛立った。


ハッとして顔を上げると、式神が鋭い目で冷たくこちらを見下ろしていた。


「あいつはお前など助けてくれない。お前など一瞬で消してしまえる」


憎悪の込められた声。


吐き出された一声一声が肌に突き刺さった。


(なに、こいつ…。今までと雰囲気違うじゃない!)


本気で晴明を憎んでいる様子だ。


それに彼の眼が、昨日までは左右違う色だったはずなのに、今日は両目とも真紅だ。


ごくりと唾を鳴らす。


「あなた、いや、式神でしょ?主人である彼をそんなこと言っていいの?」


素朴な疑問だった。口にすると、一夜と呼ぶ式神が一瞬だけ目を見張り、くっと歪んだ笑みを口元に刻んだ。


「使役されているモノの、心の奥深くまでは操れない」


「それは、あなたが…晴明を心の底では憎んでいるということ?あなた…一体何者なの?」


式神は式にされる前は、悪鬼や悪神、妖怪とそう呼ばれるモノらしい。


この式神の正体は何だろうか?



式神は小さく微笑して、


「それをお前が問うのか…?異界の者よ」


ギョッとする。


異界なんて言葉、今まで誰も言わなかったのに。


晴明や道長さんにはまだそのことに触れていない。あたしが別の世界から来た住人だということを。


晴明は陰陽師だし、勘がいいから薄々感づいているかもしれないが。彼から何か、聞いているのだろうか…?


「それ、異界なんて言葉。どこで聞いたの?」


驚きに問いかけると、一夜はキョトンとして、


「何故それを聞く?明らかに、この世の摂理と関わりのない、全く違う生き物だろう」



「生き物って、あなたまでその言い方。どうにかなんないかな」



主人が主人なら、式神も式神か。


言い方が気に食わなくてムッとしたあたしに式神は目を瞬かせた。


「怒った、のか…?何故怒るんだ?お前、何故自分がここにいるか、気づいていないのか?」


どこか呆けたような、驚いたようなそんな響きで彼は呟いた。


「は?気づいていないって…なにが?」



(まさか、この式神。あたしの知らないことを知っている?)


彼の言葉に驚き、訝しげに眉をひそめ困惑し、疑問に思ったことを口にした。


途端、一夜はハッとしたように廊下の方に視線を走らせた。


「…え?」


突然のことに驚くと、廊下を睨みつけた彼は微かに舌打ちして、再びこちらに視線を向けた。


「話はまた今度だ。半月後、満月の夜。このことは、忘れろ」


そう呟いたと思った瞬間、パン!とクラッカーを鳴らしたような大きな音が鳴り響いた。



「きゃあ!?」


突然のことにびっくりして目を閉じ、悲鳴を上げた。


次に目を開けてみると、いつの間にか目の前にいた彼の姿がかき消えて、代わりに何故か真っ白な紙吹雪がヒラヒラと宙を舞っていた。


「…えっ?なにこれ…?式神、どこに行ったの!?」



現れた同様、唐突に目の前から姿を消した式神に驚いていると、ギシッと床の軋む音がした。


ハッとして音のした方を振り向くと、廊下に人が立っていた。


人というより、先程まで目の前にいた一夜の姿だ。


だが先程とは違いどこか慌てた様子だ。


「あ、あんた。いつの間に外に!」


驚かされたことに、ふつふつと怒りが湧く。



いきなり立ち上がって怒鳴ったあたしに、彼はギョッとしたようにこちらを見た。


(なに…?その驚いた表情!)


こっちが驚いたわ!!


イラっとしたあたしは大股で結界の前まで移動し一夜の目の前に立つと、驚いている彼を鋭く睨みつけた。



「さっきの、なに?どうしてあたしを?あなた、何を知っているの!?」


こちらの質問には一切答えず、意味深な言葉だけを残し去って行ったかと思ったら、何故か何食わぬ顔で結界の外に現れた。



今度再会すると、具体的な日を告げていたのに、何故今また現れる?


結界がなかったら、確実に掴みかかっていた。


彼はあたしの剣幕に驚く振りをして、フルフルと首を横に振った。



「な、何のことです?私が、なにか?」


どこか困惑し、怯えたように言う。


(…この反応。嘘をついているようには見えない)


今度はあたしが困惑した。


「何のことって、あなたが言ったじゃん。晴明さんはあたしを助けてくれない。式神の心は操れないし、あたしがここにいる理由とか、今さっき、あたしの前に現れて言ったじゃない!」


叫んで問いかけるが、彼は身に覚えがないのか困ったように首を振った。


「さっきのって、私は今日は一度もここには来ていません。妖の気配がしたので見に来ただけです」


「そ、そんな…だって、今の今まであなたが喋って…っ」


ハッとした。



(今、この式神、妖の気配がしたと言った?)



「え?待って!妖…物の怪の気配って、今の今で居たのは、物の怪の仕業ってこと?」


「それはわかりませんが…妖が化けたのならそうなのかと。そういえば、私に似ていたと言っていましたね?」


「え?そう、ね。確かに……」


そこで突然、何故か頭の中が真っ白になった。



「…?桃子様?」


式神が呼ぶ。


「ええと、なんだっけ?あなたが…あれ?思い出せないな」



(あたしは今、何を言おうとしていた?)



急にわからなくなった。


ぼんやりと、こちらを不思議そうに見る式神を見る。


「桃子様…?私に似た者が、どうされたのですか?」



「…え?あ、うん。それなんだけど…あれ?やっぱり駄目だ。なにか言いたかったんだけど全く思い出せないの」


困った。あたし、この式神に何か大事な話があったのに、それを忘れた。


「桃子様。どうやらあなたは相当たちの悪いモノに会ったのかもしれません。これは晴明様に相談したほうが良いでしょう」


「ーーえ?」



(相談?晴明に?)



ぶんぶんぶんと高速で手と首を振った。


「いやいやいや!それはいいよ!あたし、あいつに嫌われているし、それになにを言おうとしたのか覚えてないからさ!」

わざわざ奴に報告なんてしなくていい。


今、閉じ込めている張本人、晴明の顔なんて見たくない!



「ですが桃子様は……あ、いえ、何でもありません。それより、そろそろ時間でしたので、お持ちしました」


彼は何か言いかけて止めると、いつの間にか廊下に置いていた御膳を持ち、あたしに見せた。


驚いていると、「どうぞ」と言って結界の中に入ってきてそれを床に置いた。


あたしは中庭に視線を走らせ、いつの間にか赤く染まる景色に目を瞬いた。


(気づかなかった。いつの間に夕方になってたの)


今日は珍しい来客はあった。それでか、時間が結構進んでいたのに気づかなかった。


「では、私は失礼します」


用事は終えたとさっさと彼はあの部屋から離れて行った。


あたしは一人、結界の部屋の中で今日も虚しく夕餉を食したのだった。

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