すると、彼はそれはもう不機嫌な顔をしてあたしを睨み付けた。


「謝って済む問題では…いっ!くっ、唇も切れたか…」


大声で喋ったら痛みがしたのか、顔をしかめて唸る。


唇の左端から血が出ている。


確かに唇が切れていた。


「わ、だだ大丈夫ですか!?」


慌てる。声を上げて彼に近づくと、険しかった彼の表情が驚きに変化する。


「お前…その唇…」



「え…?唇?」


唇がどうした…と唇に触れると、ツキン、と小さな痛みが走る。


「な、んだ?右端…?」


なんだろう?痛いような?


唇の右端に触れるとジンとして、手にはぬるりとした感触がした。


不思議に思い手を離してよく見ると、そこに血がついていた。



「え?うそ!?あたしも切ってるじゃん!」



驚いて声を上げる。そしてふと、晴明に視線を向けると、彼は目を見開いたまま固まっていた。


「−−−ん?どうしたんです?」


(珍しいな。そんなに驚いたのかな?)


固まっている晴明に呼びかけるが返事がない。


(まさか、今ので頭を打って頭に障害が!?)


さっと青ざめた。


「大丈夫!?晴明さん!」


声を上げて晴明に手を伸ばす。


ハッと我に返った晴明が触れる寸前、その手を払いのけた。


「さ、触るな!ケダモノっ!」


顔を真っ赤にした彼が叫んだ。



「ケダ…?…え?は…はあっ!?ケダモノぉ!あたしが!?」



こ、こいつは…!



(心配してやったのに、そのあたしをケダモノ扱いか!)


あまりにひどい言い草に、頭がきて思わず怒鳴る。


すると、晴明はびくっと脅えて唇をガードし、ふるふると震え出した。


よく見ると耳まで真っ赤にして、こちらを睨む目は潤んでいる。


(え…?なに、この反応…。これはどういうことかな?)



晴明の恥じらうような、予期せぬ反応に思考がついていかない。


目を瞬かせ、訝しげに首をひねる。



「−−−−晴明!!」



そこに、外から叫び声がした。


その声に晴明は弾かれたように顔をそちらに向けて、立ち上がろうとした。


しかし、膝が震え立てないらしくストンと座り込んでしまい、焦ったように両足を叩いていた。


「晴明!…桃子殿!居ないのか?」


続けて声がした。こちらに近づいてきている声。これは、道長さんだな。


晴明はまだ立てない様子だ。足首でも痛めたのだろうか??


(…仕方ない)


あたしが代わりに出よう。


立ち上がって廊下に出ようとしたら、「どこに行く!」と晴明に呼び止められた。


うんざりして足を止め、ため息をつくと、


「あたしが代わりに出ますよ」


振り向きざまに素っ気なく答えた。


「なっ…!待て!い、行くな!」


晴明が焦ったように声を上げ、あたしを止めようと両手で体を引きずり近づいてくる。


(おいおい、マジかよ)


そんなことしてもあたしは止まらないぞ。


それになんか彼の弱った姿は初めてで、新鮮だ。


「なんか、いい気味」


フッと笑い、ボソッと思ったことを呟くと、それが晴明の耳に届いたらしい。


ピタッと止まり、今度は羞恥からカッと顔を赤らめた。


(お、くるか?)


怒るだろうと、そう思い、身構えた。


「…悪かった。さっきのは…、さっきのは謝る。私が悪かった」


だが、彼は羞恥に耐えてあたしに謝り、またズルズルと近づいてきた。


(−−−晴明…あんた…)



そこまでして止めたいのか?



「おーーいっ!誰もいないの!」



また道長さんの呼ぶ声がした。


(あっ、いけない。道長さんが行っちゃう!)


あたしは彼に会って話がしたいのだ。


晴明に悪いが、無視することにした。


ふいっと後ろを向いて歩き出そうと足を持ち上げた途端、ぐん!と後ろに引っ張られた。


「…晴明さんっ。道長さんが行っちゃう!」


止められイラッとしたあたしは、足元にいる晴明に向かって叫んだ。


「ダメだ。行かせない…!」


必死に晴明はあたしの右足にしがみついた。


よほど、この姿を見られたくないようだ。


「…!別にいいじゃない。晴明さんは動けないんでしょ」


嫌味を込めて、言った。


未だに立てない理由ははっきりしないが、この様子だとまだしばらくは座ったままだ。


「…!これは、お前が悪いじゃないか」


「…はぁ?あたし?なんでよ?」


「た、倒れて、下敷きにした。私を、ケガした」


息を呑んだ。


確かにあたしは晴明を下敷きにしてしまった。倒れても怪我はなく、こうして動けている。


だけど、これは最初に手を振り払い拒絶した彼にも責任があった。


怒りに青筋が浮かぶ。腕を組んだあたしは、晴明さんを冷たく見下ろした。


「あなたってホント、サイテーですね。忘れましたか?下敷きになったのは自業自得でしょ?最初にあたしを振り払わなければこんなことにならなかった。倒れもしなければ、立ち上がれないほど怪我もしなかった。自分が拒絶して、その言い方ないじゃない?」


どこまでも見下げた男だ。


初めに拒絶し、手を放したのはどこのどいつだ!


今度は晴明が息を呑んだ。そして、気まずそうに視線をそらす。


少しは反省しただろうか?


「はぁ…。もう、やめましょう。こんな言い争っていても仕方ない。怪我をされたようだし、後から責任持って手当てしますから、まずは道長さんに失礼のないよう出るべきです」


そう言って再びあたしは廊下に振り向く。歩き出してみたが、今度は晴明は止めなかった。


「…ケガした、責任?それは一体どういう……!?いや、まさかな…っ、でもそれは…」


ただなにかブツブツ独り言のように呟いているのを耳にして、廊下に出ると、母屋の中庭からこちらに近づいて来る道長さんの姿が見えた。


あたしはなるべく晴明の姿を見せないようにしようと、道長さんがこちらに来る前に中庭に降りて、早歩きで近づいた。


「あ!よかった。いたんだね」


道長さんがあたしに気づいた。

彼はどこかホッとして、にっこりと優しい笑顔を浮かべる。


(はぁ…いいね。癒されるわ)


特に!晴明と喧嘩、口論したあととかね!!


つられてあたしも笑顔を返した。


「もう心配したよ~~。君の部屋に行って呼びかけても返事がないし、晴明もいないみたいだしさ!どこに行っちゃったのかなって心配しちゃった!」


胸をなでおろし、安堵した表情で人懐っこくはにかむ。



なんていうか、もうほんと、可愛いよねぇ…。



歳上みたいだけど、そんなの気にしないくらい言動がいちいちツボに入る。


「いやいやごめんね、道長さん。ちょうど今、ご飯を作ろうかなって、台所に行ってたんだ」


さり気無く料理できるんだ、とアピールしてみる。


「え?料理作れるの?」


意外だったのか、驚かれた。


「は、はい。下手ですが、多少は…」


笑ってみせるが、視線は泳いでしまう。


そういえば、こちらに来てから一度も料理した事ないな。


この時代の料理は今と比べて調味料なんてなさそうだし、なにより質素で、味が薄い。


作れないことはないと思うけど、電化製品ないしなぁ。米なんてかまどで炊いているよね。


あ、火をつけるコンロもないか。


「へー、そうなんだね。すごいなぁ」


道長さんは純粋にそう思ったようで、キラキラした目を向けてくる。


「うっ…」


言葉に詰まるあたし。そんな目で見ないで!嘘というかこれは見栄だから!


「じゃあ、じゃあさ。今度僕に手料理してよ」


恥じらうようにほんのり頬を染めた道長さんが、可愛らしく小首を傾げ、申された。


その可愛さに、胸がキュンと高鳴った。


「はい!作ります!是非、作らせて下さい!」


鼻息荒く彼に詰め寄り、その勢いに任せて彼の両手をぎゅっと握りしめる。


握られた道長さんが気圧されたように、あたしの勢いに少し驚いたようだが、すぐにくすくすとおかしそうに笑った。


「うん!ありがとう桃子殿」


そして、ぎゅっと握り返して小さくはにかんだ。


(きゃあああ!!どうしようどうしよう!もうなんか、今日はいつにも増してドキドキする!)



胸がキュンキュンし、テンションが上がった。



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