第55話

            金のなる木に金をならせるには

  金のなる木はなぜ金のなる木と呼ばれるのか。五円玉をぶら下げといて何となく縁起のいい木だからなのか。それとも何か金のなる木にまつわる古事があるのか。正確なところは分からない。ただ何となく金のなる木はやはり金のなる木だと思わせる出来事があった。


 金のなる木の葉っぱは弱くてちょっと力が加わるとすぐ根元から折れてしまう。折れた葉っぱをそのまま放置しといた。

 だがしばらくしてから見てみても葉っぱが乾燥していく気配がない。折れたところから新しい根が生えていたのだ。どうやら金のなる木は簡単に個体数を増殖させていくらしい。何か儲かった。

 ただそれだけではないのだ。金のなる木は他の植物に比べとにかく成長が遅い。成長した木になるのには相当時間がかかるらしい。それまで枯らさないように根気よく日に当て水を与え続けなければならない。金がなるにはそれなりの労力と愛情を注がなければならないということらしい。

 

 はたして僕には金のなる木に金をならせることができるのだろうか?





               彼岸花の憂鬱

 彼岸花という名前はいったい誰がつけたのか。今年も彼岸に合わせたかのようにあの赤い花が咲いた。どことなく寂しげで仏に捧げる花としても用いられてきたのは人間側の勝手な感傷なのだろうが、秋の代名詞としてはこれ以上ない花であるのもあえて否定する人はいないだろう。


 その彼岸花がこの温暖化による酷暑のせいで先端がただれてしまっている。やはり厚さは苦手な花らしい。この傾向が今後も続くようだと日本近辺で彼岸花はいずれ絶滅してしまうのだろうか?それとも環境に順応して開花の時期を遅らせていくのだろうか?もしそうなった時にはあの彼岸花という素敵な名前はどうなってしまうのか?『ロミオとジュリエット』にジュリエットの有名なセリフがある。

「もしバラがバラと呼ばれなくてもあの素敵な香りは変わらない。だからロミオ様、あなたもご自分のお名前をお捨てになって。」

 しかし彼岸花という名前以外の彼岸花はどうも考えにくい。ロミオは悩む。




                歴史の交差点

 NHKで『シルクロード』の再放送をやっていたので懐かしく見ていた。今見ても非常に面白かった。ただ若い時に見たのとはだいぶ違い視点で見ていたので安っぽく見えたのと昔なら感じなかった感動を覚えたのが両方あった。その感動したほうの一つがこれ。


 個人的に音楽が大好きなので様々な音楽を聴いているのだが、その中の一つに音楽の民であったユダヤ人のCDがある。その音楽が『シルクロード』で取り上げられた西域クチャの人々の音楽と酷似しているのだ。ユダヤ人は世界中のどこにでもいる人たちだったし、クチャのウイグルの人々、その中に血が混じっているとされるソグド人、彼らもユーラシア大陸の東の端から中央アジア全域を行き交った人たちだった。だから両者の音楽が交差していることに不思議はないのだが、ユダヤ人の音楽が西はスペイン、そしてアメリカ大陸にまで影響を与え、ソグド人の音楽が東の端、日本へともたらされたことも考えるとこの出会いの大きさに感動を禁じえなかった。

  

 

 

 

 

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