第44話
大根おろしに私はなりたい
お昼ご飯を食べに立ち寄った店でなんとなく思った。
「これに少し大根おろしでも添えてあるといいんだけど。」
近頃の食生活の変化で大根おろしと一緒に食べたい料理そのものが減ってきた。それに何かにつけて経費削減、効率化が喜ばれるこのご時世、店側にとっては大根おろしぐらい無駄な手間であり、余計な経費であるものはない。大根おろしがないと食えないものがある訳じゃない。
しかしあの独特の酸味と苦みと食べてから口の中にじわっと広がってくる微かな甘み。食材を上のレベルに引き上げる名脇役。やっぱりあれはあって欲しい。
考えてみると今の僕らの生活全体から「大根おろし」が消えていってる。そんな中で大根おろしでありたいと思う今日この頃。
新しい時代のレースクイーン
何年振りかでユニクロに買いに行った。大感謝祭というのをちょうどやっていて行列ができていたのだが、そこは日本有数の大企業、最新式のレジ・システムを導入していてあっさりと人がはけていった。
そして僕の番が近づいたのだが、レジの向こうにはユニクロの製品を身にまとった若い女の子たちが並んでいた。レジ担当であると同時に自社製品の売り込みモデルということであるらしい。
「ユニクロの商品をコーディネイトするとこんなに綺麗になれます。」
ただ肝心のレジの仕事の方はテクノロジーが発達しすぎたために彼女たちの仕事は袋に商品を詰めるだけ。あの大感謝祭の行列の間ひたすら彼女たちは笑顔を振りまいて袋詰めをしていたのだろう。つまりかつてのレースクイーンが今ではユニクロにいるってことか。そして時代の流れを考えるならサービス業の最前線にいるのはレースクイーン化した女の子たちだけってことになるのだろう。
天安門事件の報道に対する違和感
天安門事件から三十年ということで「西側」メディアは事件の犠牲となった学生たちの行動を讃える記事を掲載し、一方中国政府は黙秘権を行使している。僕も若い頃は中国政府の対応に怒りを感じたものだった。ただ年を取って違うことを考えるようになった。
「実際あの時他に何かできたのか?」
この年になって分かってきたことを書いてみたい。
あの時中国の学生たちは「民主化」なるものを要求し、汚職の排除を要求したが、実際に彼らの要求していたものは「自由化」であって、自由化と民主化とは全く違うものなのを理解していなかった。この両者の相違については戦前のドイツの学者カール・シュミットによる優れた考察があるので参照されたい(要点だけ書くと自由化とは貴族主義であり、民主化とは社会主義、共産主義と兄弟なんだということ)。その上で彼らが汚職の排除を要求したということは彼らの目指していたものは「精神的貴族主義」と呼ばれるものだったと理解できる。中国の歴史を遡って考えるなら四書五経の教養を備えた科挙合格者の徳による政治を目指したのと同じことが起こったと言ってもいいと思う。ただそれは中国の表の顔であり、裏の顔がいつでもその実現を妨げていたのが中国の歴史だった。逆に言うと裏の顔と表の顔が一体なのが中国だった。
それが正しいならもしあの当時学生による要求が通っていたとしても、三十年後の今にはいつも通りの事態が出現していただろう。
実際問題として今中国の大都市圏では世界のどの国よりも監視カメラが作動していて、政府による監視が続いているらしい。ただ中国の人たちはそれに問題があると思っていないようなのだ。
「もしそれで秩序が保たれるなら監視されててもかまわない。」
そこには自由主義はないし貴族主義もない。ただ中国なりの共産主義がある、ということ。
誠に勝手ながら紙面の都合によりチェスの話はまた折を見て掲載させていただきます。
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