第42話

         悪魔の悪魔による悪魔のための悪魔論

 世の中簡単に神とか悪魔とか言うけれども、じゃあ一体神とか悪魔って何なんだろう?

 神についてはともかく、悪魔についてならはっきりと言える。それは僕であり、あなただ(「俺は戦場で何十人殺した」とか言う奴は悪魔とは言わない。チンピラという)。


 悪魔はヨーロッパ圏では「ルシファー」と呼ばれてきた。ルシファーとは光を与える者であり、光とはこの場合「知恵」をも意味する。そしてルシファーは最初神の身近に使える大天使だった。

 では何故ルシファーは悪魔になったのか。「知恵の悪用」。分かってるんだけどやめられない。楽しい。だからといって科学者のような人たちが正しい知恵の使い方をしているかというと、そうでもない。彼らの知恵も結局は自己満足にすぎない。だからその先が問題なのだ。ではその先を学ぶにはどうしたらいいのか。それは悪魔に聞いてみよう。   

 ヨーロッパの近代の小説家たちには悪魔を描いてきた人たちが結構いるのだが、それは彼らもかつて悪魔であったから。そして逆に言えば素晴らしい悪魔を描けるかどうかが優れた小説家の一つの物差しと言ってもいいと思う。代表的なのはゲーテのメフィストフェレスだが、その他にもミルトンの『失楽園』の悪魔などがいるし、バルザックの悪魔も面白い。個人的にお薦めなのがマーク・トウェインの描いた悪魔。詩的で透明で、冷酷だ。

 悪魔探しもまた面白い。


 しかし皆さんも悪魔までたどり着いたのなら道は決して間違っていない。悪魔だけがその先に行けるのだから。ということで清く正しく醜く、悪魔をやりましょう。 





               南無猫大明神

「古の中国では猫は仏陀の死を嘆かなかった唯一の動物として冷遇された。」

 そんな文章を読んだのだが、それが正しいとするならば猫は「仏に会ったら仏を殺せ」を実践した唯一の動物であった。猫。禅僧のご本尊。ナマネコ、ナマネコ。



               胎蔵界曼荼羅

 先日僕が思うところの日本映画界史上最高の女優、京マチ子さんが亡くなった(ちなみに最高の映画女優は吉永小百合さんでもなければ森光子さんでもないし、ましてや最近の女優などではない)。

 僕のある知人が前に彼女のことを評して「全身性器」と言っていたのだが、それは彼女こそが「mother nature」、豊穣で恵み深い自然そのものである、と訳せるのだろう。新聞紙上などでは「彼女ほど優しい人はいなかった」と関係者の言葉が載っていたが、本当に菩薩のような人だったのだと思う。南無。

 しかし映画ファンとしては本当に寂しくなる。



                 悪夢

 僕とコンピューターのチェスの試合はまだ続いているのだが、ある時点から一切勝てなくなった(まるで日本のどこかのプロ野球チームみたいだ)。チェスの本を読んで対策を練ったりしているのだが、逆に小技に溺れることになって自分で自分の首を絞めている。これでは一体人類の開放はどうなってしまうのだろうか?

                            ...to be conntinued.





 

 


 


 


 

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